「ゴーストはゴーストです。平たく言えば幽霊ですね」
「たきりん?」
「はい。どこからともなく現れ、ゴーストを退治して去っていく、謎のハンターです」
どうやら理緒のいる世界でも多輝はそれなりに偶像化されているようだ。優一郎は納得しつつ由梨佳を起動させた。
「すみません、ご迷惑をおかけして、私……」
目を開けた由梨佳が真っ先に詫びる。
「ママ! 気付いて良かったっ」
それまで不機嫌な顔をして理緒を睨んでいた理子が、ぱっと表情を変えてそう言って由梨佳に頷く。
「由梨佳さん、多輝は?」
優一郎が促すと、由梨佳は真剣な顔をして話を始めた。状況判断をゆだねるつもりなのだろう。由梨佳が今日の一日の動きについて端的に説明をする。どうやら二人は立城に呼び出されてとある産婦人科に出向いたらしい。そこで立城の子供を見せてもらい、転移して戻ろうとしたところで結界に引っかかってしまった。そこで由梨佳は施設内で何かがあったらしいと気付き、取り乱す多輝を叱責したようだ。そこで多輝は落ち込み、由梨佳が張り巡らせていた結界を歩いて超えたという。
そしてそこに少年が現れた。淫魔、と由梨佳が称した少年の話を聞く内に、優一郎の顔は険しくなっていった。
「多輝については茜さんに任せましょう。大丈夫。相手が彼なら、茜さんならなんとかしてくれます」
「多輝のばか! 何でそんなに簡単に連れて行かれちゃうの!?」
だがそう言いながらも理子が相手が悪かったと気付いてはいるのだろう。悔しそうに唇を噛む。
不意に結界を何かが叩く。見覚えのある気配を見つけて優一郎は目を細めた。どうやら順が謎執事、と呼んだのは和也だったらしい。
「今、引き寄せます」
そう声を掛けてから優一郎は室内に和也を引き寄せた。その場に現れた和也が片手を上げる。
「先に言うぞ。とりあえずここにいる限り、オレはその娘には手を出さない」
優一郎が訊ねようとしていたことを先に口にしてから和也がぐるりと部屋の中を見回す。それから和也は部屋の中に二枚、向かい合わせになっている鏡を見止めて深々とため息を吐いた。
「重森さん、どうされました?」
「とんでもない娘だな……おい。この愉快な状況はどうした」
剣呑に言いながら和也が大股で歩き、理子と理緒をそれぞれ指差す。今日の和也は珍しくスーツを着ていない。皮の上下にギターケースを背負っている。
「平行世界からの召喚。だと思います」
「こ、の……」
歯軋りしながら低い声で言った和也がそこで深く息を吸う。
「くそがきが! どれだけ空間に負担がかかると思いやがる! 今すぐにそこのがきを戻せ!」
凄みのある声で怒鳴られた理子が、いつもの生意気な口もきかず、慌てたように何度も頷く。自分が怒鳴られたと思ったのだろう。理緒が泡を食った顔をして鏡の中に一目散に駆け込む。
「この馬鹿が! 反省をしろ、反省を!」
「みやあああああ!」
和也に左右の頬をつねられ、引っ張られた理子が涙を浮かべて悲鳴を上げる。
「重森さん。茜さんからの電話の件ですけど」
優一郎が訊ねると、そこでようやく和也が理子の頬から手を離す。理子は赤くなった頬を押さえて膨れ面をした。が、和也の怒り方を見てまずいことをしてしまったとは気付いたのだろう。いつものように毒舌を発揮したりはしない。
「ああ。あっちはあれが行ったから問題ねえだろう。ったく、どいつもこいつもオレをこき使いやがって」
憎々しそうに和也が舌打ちをする。
「とりあえず、立城さんの置かれた状況はある程度わかっているつもりです。奥さんが出産の際に命を落としかけたとか?」
そう言いながら優一郎は立ち上がり、和也にソファを勧めた。ああ、と頷いて和也が優一郎の後に続く。理子がこっそりと舌を出した瞬間、和也はぎらりとした目を理子に向けてこぶしを固めてみせた。すると理子が慌てたように由梨佳のいる修理椅子の後ろに隠れる。
「元々、あれは産まれる時に破棄する予定だったらしいからな。まあ、試したかったのかも知れんが……」
仏頂面で言って和也がソファに腰掛ける。
「立城さんが、佑に仕掛けたトラップと基本的には同じでしょう?」
「似たようなものだな。もっとも、あの公女の方は器が駄目になっちまったようだが」
もしも傍に水輝が居たら助けられただろう。そう言って和也は皮肉な笑みを浮かべた。
「それでは、奥さんは無事なんですね?」
「ああ。生きてる。だからお前らがヤバいんだろうが」
そう言って和也が意味ありげに笑う。そうだ。もしもあそこであれが死んでいたなら、もっと事は簡単だったかも知れない。
「それでは本題を伺いましょう」
「オレは基本的にはてめえらの生き死にはどうでもいい。そんなことは世界の規模からすりゃあ、些細なことだからな」
どっかりとソファに寄りかかり、背もたれに腕を伸ばして和也が言う。傲岸な態度にかちんと来たのか、由梨佳の陰に隠れていた理子が何かを言おうとする。が、その直前に和也が振り返る。すると理子は慌てたようにまた由梨佳の陰に隠れた。
「……が、上司命令となると話は別だ」
「黒妖牙さんが動かれたのですか?」
想定外でした、という顔をあえて作って優一郎は訊ねた。すると和也がけっ、と喉の奥で言う。
「あれが上司のはずがねえだろ」
さらりと和也が受け流す。それを聞いた優一郎はおや、と目を見張った。前はその辺りのことを訊ねても完全に流されてしまって、和也の事情については一切訊けなかったのだ。
「なるほど。それではどなたの命令ですか?」
「子を持つ親は、幾つになってもやっぱり子供が可愛いとよ。まあ、あの上司の場合は、科学のためかも知れんがな」
曖昧に濁しつつも、和也が非常に判りやすく遠回しに言う。優一郎は何度か瞬きをしてから思わず口許に笑みを浮かべた。
「科学のためなら仕方ないでしょう」
「ああ、仕方ないらしいな」
思わず笑った優一郎につられたように和也が少しだけ表情を緩める。
「まあ、そんな訳で忠告だけはしておく。こっちにいる間は、オレも一応立場ってもんがあるからな」
そう前置きしてから、和也は振り返った。
「その娘を、地上に、立たせるな」
「助言ありがとうございます」
「てめえはこの地下にいる限りは敵なしだ。地下を根城にするぼんくらどもは、幾ら束になっても今のてめえにはかなわねえ」
和也が淡々と語る。そうしながら和也はまた優一郎に目を戻した。灰皿、と低い声で言われる。優一郎に灰皿を請求してから和也はさっさと煙草を咥えた。
「そこまでご存知でしたか」
騙されてくれて居る人多いのになあ。そう呟いて優一郎は頭をかいた。再度、灰皿、と和也が低い声で言う。はいはい、と優一郎はその場に多輝の部屋から灰皿を引き寄せた。可愛いイチゴ柄が底に描かれた灰皿を見た和也がしかめ面をする。だが、特に文句も言わず、和也は灰皿に灰を落として煙草を咥え直した。
「あの青いのが居るところも、まああまり勧めはしねえが大丈夫だろう。翠色の奴がいるからな」
そう言ってから和也が美味そうに煙草をふかす。
「娘が可愛かったら地上には出すなよ。それでなくてもこの間、飛び出したろう? あれでよく無事だったな」
下手すりゃ消滅してたのに。さらりと和也が言った直後、それまで黙っていた理子が目を吊り上げて叫んだ。
「そんなことあるはずないもん! 理子、ちゃんと安全なところを選んで出たんだもん!」
「ばーか。今のてめえなんぞ、オレなら小指一本で殺せるぞ?」
首を仰け反らせて理子を見た和也が低い声で言う。すると理子が歯軋りをして和也を睨みつけた。そんなことないもん、と喚いた理子を嘲笑い、和也が顔の向きを戻す。
「理子、気にすることは無いよ」
「だって、でも!」
細い肩を怒らせて理子がまた喚こうとする。やれやれと呟いた和也が振り返って嗤う。
「何ならこいや。がき」
かもんかもん、と指を振る和也を睨み、理子がこぶしを握り固める。優一郎が止める間もなく、理子は気合いを発して床を蹴った。手に寄せた宝珠が一瞬で刀に変じ、和也の首に襲いかかる。
「よっ」
和也は本当に言葉通り、理子の刀を小指で止めた。勢いよくなぎ払った刀の刃を小指がまともに受け止めている。が、和也の小指には傷一つついておらず、逆に理子は刀を握った手をぶるぶると震わせた。
「ほら、お返しだ」
軽々と刀を小指で押し退け、その指で和也が理子の額をぱちん、と打つ。すると理子は悲鳴を上げて額を押さえ、その場にうずくまった。
「そこまで。理子の負け」
優一郎は穏やかに微笑みを浮かべて宣言した。いたあい、と喚いてうずくまっていた理子が慌てたように立ち上がる。だが力量の差を悟ったのだろう。今度は不用意に和也に襲いかからない。
「てめえは女らしく花嫁修業でもしていろ。どうせ一生かかっても、こいつらにはかなわんぞ」
引きつる理子にそう言ってから和也がギターケースを持って立ち上がる。
「今日はありがとうございました」
「今日の友は明日の敵かも知れんからな。礼は受けとらねえ方がいいだろう」
じゃあな、と手をあげた和也がその場からかき消える。優一郎はその場から転移して消えた和也が居た場所を、しばしぼんやりと見つめていた。
アヤシイ執事が登場しました。
理子にブチキレです。
(そしてエロシーンがうやむやになる……)