「嫌だなあ。僕、君たちに何かしたかな?」
にこにこと笑いながら立城が軽く身を捻って肘打ちを繰り出す。和也がそれを避け、立城の揮った刀を鎌で止める。
「水輝、さん。別の世界に行きたくありませんか?」
そう言って優一郎が天井と共に落ちていたベッドに向かって話しかける。
「困った人だね」
ぽつりと呟いた立城が和也の攻撃をかわしながら、天井の穴から理子を見下ろす。理子はまともに目を合わせたところで悲鳴を上げた。
「いやあああああああ! ばい菌と目が合っちゃった、帰ったら消毒しなきゃ」
全身をがくがく震わせながら理子はぼそぼそと呟いた。くすりと笑った立城が軽々と宙を蹴り、気合いの声を発して膝を蹴上げる。その瞬間、和也が低く呻き、中空に浮いたままぐらりと揺れた。
不意に何かを打つ音がする。理子ははっとして音のした方を見た。優一郎がベッドに横たわる誰かの頬を叩いたらしい。
「自分の意志で自分の行く末を決める。最後の、チャンスですよ」
「残念だね。実に残念だよ」
くすくすと笑った立城がぱちんと指を鳴らす。その直後、理子の視界を銀色のものが満たした。目を見張った理子の身体を無数の鏡の破片が襲う。
「葛葉!」
和也が蒼白になって叫ぶ。理子は頭を抱えて悲鳴を上げた。ベッドの傍に居た優一郎が鋭い視線を天井の穴の上に浮く立城に向ける。理子を挟んでいた二枚の鏡は粉々に砕け散っていた。全身を鏡の破片に傷つけられた理子は震えながら床に手をついた。
「こ、の、くそがきが!」
「誰のこと?」
怒りに吠えた和也に立城がにこにこと笑って言い返す。襲いかかる鎌を素早くかわしてから、立城はひらりと天井の穴から理子たちのいる部屋に身を躍らせた。
「地上の王よ。ようこそ」
「水輝を返してくれないかな。僕の大事な妻なんだよ」
困ったような顔をして立城が肩に刀を担ぐ。迷いのない足取りでベッドに寄った立城は、ねえ、とベッドに向かって微笑みかけた。
「地上の王よ。申し訳ないけど、僕は既に彼女の願いを聞いてしまったから」
優一郎がそう言った直後、ベッドに横たわっていた誰かの姿が揺らぎ、光の断片になって床に散った硝子の破片の中に吸い込まれてしまった。困ったなあ、と呟いて立城が頭をかく。
「産後の肥立ちが悪いと、後々に響くんだよ? 判っている?」
「向うは平和な世界だそうですから、こっちに居るよりもよっぽどいいかもしれませんよ」
そう言いながら優一郎が理子の傍に近付く。理子は俯いて手の中に硝子の破片を握った。
「弱ったな。僕が寂しいじゃないか」
眉を寄せて立城がやれやれとため息を吐く。
「理子。よく頑張ったね。カード、また持ってるんでしょう? 一時、Aさんのところへ身を寄せていてくれないかい?」
「許さない……」
怒りに肩を震わせて理子はぼそりと呟いた。硝子の破片を握りしめ、理子はゆらりとその場に立ち上がり、身体の向きを変えた。血だらけになった理子は、ぎらりとした目で立城を睨みつけた。
「絶対、許さない!」
「何が? 僕は君に何かしたかな?」
困ったような顔をして立城が首を傾げる。言いようのない気持ちの悪さが怒りに変わり、理子は目を吊り上げて喚いた。
「何で理子と同じ空間に居るのよ、ばい菌! 理子と同じ空気、吸わないで! 理子の傍に寄らないで!」
「はい、いいですよ」
にっこりと笑って立城が首を傾げる。
「僕は理子と、共にいるよ」
傍にいた優一郎がぼそりと呟く。理子は怒りに我を忘れて叫んだ。
「理子の、理子の目の前から消えて!」
「それは構わないんですが、残念ながら座位には優劣がありましてね」
消えるのはあなたです。にっこりと笑って立城が言う。次の瞬間、理子の視界から立城の姿が消えた。いや、正確に言うと、理子は見覚えのない場所に唐突に放り出された。
同じ空気を吸いたくなったら教えてくださいね。
どこからともなく立城の声が聞こえてくる。理子は真っ白な空間で何度か瞬きをした。ぐるりと周囲を見回してみる。隣には優一郎の姿があった。だが他にはなにもない。一面、白い空間が広がっている。
「地上の王よ、ごきげんよう」
そう言って優一郎が嗤う。理子は不安になって優一郎の腕をつかんだ。
「パパ……?」
急に怒りが鎮まり、理子は震えながら優一郎に呼びかけた。上を向いて嗤っていた優一郎が理子を見つめる。
「ちょっと待ってね」
そう言って優一郎が視線を向けた先に唐突に見慣れない和室が現れる。理子は目を丸くしてその和室を見た。一組の布団には枕が二つ並べられ、座布団も敷かれている。
「えっと、あの」
「畳のほうが好きだって、言ってなかった?」
にっこりと笑う優一郎に理子は慌てて頷いた。その拍子に頬の傷が引きつれて痛む。落ち着いた理子は全身の痛みに顔をしかめ、自分の身体を腕で抱いた。鏡が砕けた時、硝子の破片に理子の身体はあちこちが切られてしまったのだ。
「舐めれば治るよ」
「え、ええと」
理子はぽっと顔を赤くしてにっこりと笑う優一郎から視線を逸らした。
不意に変な音が間近で聞こえる。ぎぎぎ、と何かが軋むような音が鳴り、理子は思わず身構えた。
「あれえ? 変な声がすると思ったら」
見覚えのある少年がにこにこと笑いながら言う。理子は何度か瞬きをして、優一郎と顔を見合わせた。四角くくり抜かれた窓のようなものから顔を覗かせたのは理緒だった。
「どうしたんですか? そんなところで」
「当分二人っきりで新婚旅行気分が味わえると思ったんだけどなあ」
ぼそぼそと優一郎が言う。理子は真っ赤になって優一郎と理緒を見比べた。だが理緒は聞こえなかったのか不思議そうな顔をしている。理子は何でもないの、と慌てて手を振ってみせた。
「そこ、ごみ箱ですよ?」
窓から白い空間を指差して理緒が言う。すると急に優一郎は理子を腕に抱え上げてすたすたと理緒の覗く窓に向かって歩き出した。
「偶然、いや必然か」
そう言いながら優一郎が窓から白い空間を抜ける。理子も一緒になって窓から出たところで目を細めた。眩しく明るい光が目にさし込んでくる。どうやらここは屋外のようだ。箒を片手に持った理緒が開いていた窓を閉めると、そこには確かにごみ箱と書いてあった。
そこは庭のようだった。広々とした庭には色とりどりの花が植えられている。どうやら理緒は庭掃除をしていたらしい。箒でまとめた枯れ葉をちりとりに集め、さっきの窓を開けて中に放り込む。
「だいじょうぶなのかなあ。捨てたごみがどこに飛んでいくか保証できないよ」
「えっ、そうなんですか? このごみ箱、透さんが作ってくれたんですが……」
優一郎の言葉に理緒が慌てたように言う。それからあっ、と理緒は声を上げた。
「理子さん、傷だらけじゃないですか! 駄目ですよ、ちゃんと手当をしないと! さあ、家に入ってください!」
そう言って理緒が先に立って歩き出す。理子は優一郎の腕の中で、戸惑った顔をした。
「とりあえず、好意に甘えよう。手当は僕がするから、機嫌直して」
「理子、機嫌は悪くないもん」
つん、と横を向いて理子は拗ねた顔をした。すると優一郎がくすりと笑う。もしかして実は理子も残念がっていたことを優一郎に読まれてしまったのかも知れない。理子はそんなことを思いつつも、大人しく優一郎に抱かれていた。
理緒が大きな玄関の扉を開ける。
「ママ! 大変だよ!」
そう言いながら理緒が広い家の中に駆け込む。屋敷と言った方がいい、広々とした家の中を理子はぐるりと見回した。いらっしゃいませ、と行儀のいいメイド服を着た女性が挨拶をする。
吹き抜けのフロアから見える部屋のドアがゆっくりと開く。そこに現れた人の姿を見て理子はうっ、と声を飲んだ。柔らかな春色の服を着た、優一郎によく似た女性が不思議そうな顔をして玄関にいる二人を見つめる。理緒が大きな階段を駆け上り、その女性に何事かを話しかける。
「……ねえ、パパ。何だかとってもややこしいことになりそうな予感」
「異世界への新婚旅行っていうのも新鮮でいいんじゃない?」
「ハネムーンベビーも素敵よ、パパ」
淡々とした口調で言葉を返し、理子はうろんな目で二人の姿を見つめた。
------------
嫌だなあ、と苦笑して立城は伏せていた顔を上げた。床についた膝を戻し、腹を押さえてくすりと笑う。
「内臓をやられたかな。あーあ」
震える腕で刀を支え、ゆらりとその場に身を起こしてから立城は部屋の中の様子を見回した。砕けた硝子の散った部屋の中は静まりかえっている。立城はしばらく咳き込んでから深い息を吐いた。
「そんなところで怒っていないで、降りてきて。後始末をしないといけないでしょう?」
天井を見上げて立城は声を掛けた。じっと立城のいる部屋を見つめていた和也が無言で降りてくる。和也は握っていた鎌を消すと、立城と同じように部屋の様子を見回した。
「たかがあの程度の衝撃、耐えられない訳でもないでしょう。何をそんなにむきになる必要があるの」
呟くように言ってから立城はふらりとその場によろけた。素早く腕を伸ばした和也が黙って立城の身体を支える。立城は苦笑を浮かべ、刀を鞘にしまってそれを床について身体を支えた。
「王の名が泣いてしまうね。情けないよ」
「……左様ですか」
くるりと執事の顔に戻った和也が言う。困ったなあ、と苦笑して立城は和也をちらりと見た。
「あまり頻繁に裏切るようなら、正式に解雇しようか? そもそも君は、お祖父さんの遺言に従っているだけなんだから」
「いえ」
「そう」
立城は微笑みを浮かべて頷いてから、ゆらりと歩き出した。口許に流れていた血を丁寧にハンカチで拭う。
「とりあえず、この部屋を片付けてくれるかな。天井も修復しないとならないね」
「はい」
和也が静かな表情で頷く。立城は頷き返してから手にしていた刀を消した。ドアを開いて歩いて地上に向かう。その後を和也が静かについて歩く。
「水輝は……僕の傍にいるのが嫌だったのかな?」
「さあ、わたくしには判りかねます」
「そうだね」
つまらない質問をしたね、と微笑んで立城は廊下を進み、階段を上がって外に出た。待たせてあった車に乗り込んだ立城に、窓越しに和也が深々と礼をする。立城はそんな和也に頷き返し、シートに深く寄りかかった。
葛葉という名前は20年くらい前に考えてまして……。
某VTuberとは一切関係ありません。すみません、被っちゃって。
優一郎と理子は別世界にぶっ込まれましたw
次のエピソードが1,000字を切ったので付け足しました。