人外なので苦手な方は気を付けてください。
真新しい携帯端末を閉じて順は笑った。
「やだなあ、ここってほんっとややこしいよね」
携帯端末をシャツのポケットに入れて、順は軽い声をかけて目の前の穴を飛び越えた。直径十メートルほどはある穴を軽々と飛び越えてから、また走り出す。
優一郎には連絡をした。和也は速やかにそっちに向かっている。後はこちらを片付ければ済む。順は狭い洞窟の中を走っていた。地下に張り巡らされた巣穴は広く深い。しかも道が複雑で、そのくせ巣穴を繋ぐ道は頻繁に形を変える。
「よっ!」
順はかけ声をかけて強く床を蹴った。深い縦穴を避けて壁を走り、天井を蹴って対岸に着地する。
「もー……。紫ちゃんってば、ホントひねくれてるよね」
ぶつぶつと口の中で文句を言いながら順はまた駆け出した。巣穴のあちこちには大量の虫が蠢いている。道の真ん中に横たわる極彩色の巨大なウジ虫を避け、順はため息を吐いた。
「人の別邸の地下に変なモン作らないでよ……ホントに」
土を掘ったままの状態の巣穴は巨大な蟻の巣を思わせる形をしている。壁や床は虫の口で削り取られて整えられているため、でこぼこしていて不格好だ。巣穴に灯る仄かな光は身体の長い地虫が口から取り入れた光を地下に流しているものだ。つらつらとそれらのことを考えながら、順は急いで巣穴の底を目指した。
人の頭ほどのサイズの虫が大量にたむろする部屋を抜け、細い道に再び入る。敵と見なして襲いかかってきた虫を手にした鞘入りの刀でぶん殴り、順は先に進んだ。元々、ここは水輝の治療のために作った場所のはずだった。が、いつしか紫の巣穴になってしまっている。やれやれとため息を吐いて、順は薄暗い洞窟を駆けながらシャツのポケットを探った。煙草を取り出して咥え、指を鳴らして火を呼ぶ。咥え煙草で走りながら、順は頭をかいた。
「起きたばっかなのに、どうしてこう、重労働が控えてるかなあ」
そもそもあれがまずかったのだろう。透に残した歌の事を思い出して順は深い息を吐いた。ごく短い歌だ。きっと透ならちゃんと歌えるだろう。そんな軽い気持ちで残したのだが、残念ながら透は順の予測を裏切り、歌がとても下手だった。龍宝珠界で倒れた原因はあの透の歌にある。ははは、と情けない顔で笑って順はその時のことを思い出した。うなされる順を見て二藍はさぞびっくりしただろう。
「いや、だってさあ。火藍ちゃんとオレの子供よ? 歌は楽勝って思うじゃん」
誰に聞かせるともなく、順はぶつぶつと口の中で呟いた。羽音を立てて襲いかかってきた大量の蜂に順は容赦なく炎を叩きつけた。一瞬で虫が焼き尽くされる。
段々と目的の気配が近付いてくる。順は煮えたぎる床を軽く飛んで避け、先に進んだ。天井から落ちてきた石の槍を払い落とし、転がってきた巨大な岩のボールをたたき壊し、先を急ぐ。
「ちょっとお! ゲームじゃないんだからさあ!」
唐突に目の前に現れた扉に向かって喚き、順は道すがら拾ったアイテムを扉のへこんだ場所にはめ込んだ。すると軋みを上げて扉が開く。よし、と頷いて順は扉の中に走りこんで、悲鳴を上げた。
「床がないー!」
扉を出てすぐの場所に巨大な縦穴が空いている。うわああああ! と悲鳴を上げてしばらく落ちてから、順はくるりと宙返りして飛んで元の場所に戻った。
「もう……冗談はそれくらいにしてよ、紫ちゃん」
苦笑を浮かべて順は元通り着地し、また走り出した。
迷路になった巣穴を進み、最奥の部屋に辿り着く。順は目の前に広がる光景に目を細めて軽く手をあげた。
「やっ。しばらく」
「とっ、義父さん!?」
のんびりと横たわっていた克人が素っ頓狂な声を上げる。楕円形の大きな部屋の中央には異様なものがあった。ゼリーのような紫色をしたものが表面を波打たせている。そのゼリー状のものに紫が腰まで浸かっている。
「なーにしてんの、キミは」
しかめ面をして順は足早に克人に近付いた。それまで彼らの様を面白可笑しく眺めていたのだろう。克人が急に慌てて立ち上がり、じりじりと壁に向かって逃げる。
「だって、でもね? 要らないんだったらね、ボクらが貰ってもいいじゃない」
「あれは要らないんじゃないのっ。必要だから、分けてあるんだよっ」
素早く克人に近付いて、順はこぶしを固めた手を揮った。げいん、といい音がして克人が痛いと喚く。順に殴られた頭を押さえて克人が涙目になって喚いた。
「だって、放置してるじゃないか!」
「キミね、判ってて言ってるっしょ?」
じろりと克人を睨みつけ、順は背後を振り返った。紫色をしたゼリーの中に虚ろな眼差しをした裸の多輝が居る。そして紫は恍惚の表情で多輝と交わっているのだ。恐らく今の紫には、順が居ることも判っていない。そして表面を波打たせているゼリー状の物は、多輝から漏れる力を貪っている。
「あーあーあーあー、真也クーン。何してんのさー」
がりがりと頭をかきながら順は交わり合っている彼らに近付いた。克人が拗ねた顔をして頭を押さえ、壁際に座り込む。
ゼリーの中に浮いた多輝に跨り、淫らに腰を揺すっていた紫が甲高い声を上げて背を反らす。はいはい、とため息を吐いて順はそんな紫の腕を引っ張ろうとした。
不意に地面が揺れる。順は驚愕に息を飲み、意識を研ぎ澄ませた。壁際で拗ねていた克人がはしゃいだ声を上げて手を叩く。緊張に顔を強ばらせて順は振り返った。
「ほら! ね? 彼もいいって! だから、いいでしょ? 義父さん!」
「いや、あれは……そういう意味じゃないっしょ?」
遠くで弾けた力を読み取って順は顔をしかめた。克人が嬉しそうに笑って順の傍に駆けてくる。
「だってほら! お姫様を護る力が弱くなってる!」
順の腕にしがみつき、克人がにこにこと笑いながらゼリー状のものを見る。つられてそっちを見てから順は深々とため息を吐いた。
「あは。優ちゃんはやっぱりパパとママの味方なのね」
蕩けそうな顔をした紫が笑みを浮かべて言う。確かに紫たちの言う通り、多輝から流れる力の量が増している。力を吸われていることには恐らく多輝本人は気付いていないだろう。熱心に腰を振る紫を見やり、順は額を手で押さえて呻いた。
「いやあ……まあ……たまたまそうなったってだけでさあ……」
「あれ? 義父さん? 何か変なもの持ってない?」
それまでただ嬉しそうに順にしがみついていた克人が不思議そうな顔をする。んー? と不機嫌な声を返してから順は自分の胸を押さえた。
「これ? まあ、ちょっとね」
勝手に変なものを埋め込んでくれた水輝のことを思い出して順は言葉を濁した。ふうん、と首を傾げる克人を解き、順はさっさと手を伸ばした。
「いいからほら! キミらは多輝ちゃんを離す!」
そう言いながらゼリーに手を突っ込もうとした順は、手前で手を弾かれて驚きの声を上げた。おやー? と目を見張る順を見つめ、克人がくすくすと笑う。
「ほら。彼も義父さんに入るなって。お姫様の持ってる力をボクらにくれるって」
「いや、今のはあれっしょ。つーか、何でキミはそんなに優一郎くんに敵意持つかな」
さらりと指摘して、順は再度、ゼリー状のものに手を伸ばした。だがやっぱり手を弾かれてしまう。
「敵意じゃないよ。ボクらは本能に従ってるだけ」
「少しは理性も働かせたら? 今の彼にキミらが束になってかかってったところで、かなわないんだし」
もしも大事なものを壊されたり取られたりしたら、反撃されないはずがないでしょ。そう続けて順は握っていた刀を鞘から抜いた。
「ちょ……義父さん!?」
「多輝ちゃんは助けるって約束しちゃったんでねー」
「だっ、だからって、何でボクらに義父さんが攻撃するの!?」
真っ青な顔をして克人がじりじりと順から離れていく。順はあはは、とだらしない笑いを浮かべ、首を傾げてみせた。
「誰が攻撃するって言ったの? やだなあ、克人ってば勘違い大王」
「え?」
「こうするんだよ」
順は軽く刀を放り、素早く逆手に握り替えると、その刃を自分の腹に突き立てた。その瞬間、多輝を飲み込んでいた紫色のゼリーがびくんと動く。克人が悲鳴を上げて慌てて順に取りすがろうとする。だがその直前に、順は床を這ったゼリー状のものに飲み込まれた。代わりに吐き出された多輝の身体が力なく床に落ちる。
「え、なに……?」
一気に正気に戻ったらしい紫がそう呟いてのろのろと身を起こす。順は刀を腹に突き立てたまま、ゼリー状の物の中で紫にひらひらと手を振った。血しぶきをあげる順の腹の刺し傷にゼリー状のものが侵入し、流れ始めた順の力を吸い上げていく。
「義父さん! やめてよ! 義父さんってば!」
「じゃあ、多輝ちゃんをとっとと返しておいで。オレは馬鹿な子供は確かに好きだけど、あんまり悪戯すると拗ねちゃうぞ」
笑い混じりに言ってから、順は酷い痛みに呻きを漏らした。次第に意識が遠くなる。あーあ、と呟いて順は身体の力を抜いた。
順らしいというか。いつもこういう感じです。