枕に顔を擦りつけて理子は低い声で唸った。寝ぼけつつ腕を広げてみる。だがそこには居るはずの優一郎がいない。理子はまた低い低い声で唸り、広いベッドを何度か叩いた。
うつ伏せで横たわる理子の居る部屋は、理緒が使ってくださいと言った部屋だ。この屋敷はどうやら部屋が幾つも余っているらしく、急に訪れた二人に理緒は嫌な顔もせず部屋を貸してくれた。おかげで理子はやっと優一郎に抱かれ、身体も心もばっちり満足して眠りに就いた。
のだが。隣にいたはずの優一郎がいない。
「っきー! パパったら、どこに行ったのよぉ」
小声で文句を言って理子は子供のようにばたばたと手足をばたつかせた。抱くまでも、抱いている間も、そして抱いた後も眠るまでは優一郎は確かにここにいたはずなのだ。つらつらと思い出しながら理子はじたばたとベッドを叩いた。
理子はがばっと起きあがってベッドの上にぺたんと座り、うろんな眼差しで部屋の中を見回した。窓の外は暗い。だが理子のいる部屋には仄かな明かりが灯されていた。品のいい家具が幾つか置かれた部屋を見回し、理子はあー! と声を上げてベッドにひっくり返って大の字になった。
「おなかすいたおなかすいたおなかすいたあ!」
食欲のままに叫んで理子はふっ、と身体の力を抜いた。そう言えばどこからともなくいい香りが漂っている。理子は鼻をひくつかせてから急いでベッドを降りた。たんすを開けて服を引っ張り出そうとして気付く。
「理子に合いそうな服がない!」
たんすに入っていたのは男物の服ばかりだった。どうやら理緒はわざわざ自分の服の中から理子が着られそうなものを選んでたんすに入れてくれたらしい。が、たんすの服は理子の好みにはまるで合わなかった。怒りに任せてたんすの扉を閉め、理子は苛々と部屋の中を裸のままで歩き回った。
こんな時に引き寄せが出来ればいいのに。そう思いながら理子はぎりぎりと歯軋りした。あの気弱そうな理緒が簡単そうに服を引き寄せてみせた時、理子はとても悔しい思いをしたのだ。何故なら理子は引き寄せの術が苦手だからだ。
鏡は身体の一部と言うべき近いものだから出すことが出来る。だが、他のものは別だ。苛々と歩き回りながら理子は腕組みをした。まさか裸で人の家の中を歩き回る訳にもいかない。
突然、小さな電子音が鳴る。理子はびくんと身を竦め、慌てて音源を探した。どうやら優一郎の置いていった携帯端末が鳴っているようだ。理子は慌ててベッドに戻り、サイドテーブルに乗っていた優一郎の携帯端末を取り上げた。
「勝手に……出ちゃ……まずいよね」
そう呟いて理子は何となく鳴り続ける携帯端末を見下ろした。だが理子が呟いた直後、電話の呼び出し音が急に大きくなる。理子は驚きに身を竦め、まじまじと携帯端末を見下ろした。よく考えたらここはあの世界とは違う世界だ。優一郎の携帯端末が鳴る、ということは優一郎が鳴らしていると考える方が自然だろう。そういう結論に落ち着いて、理子はパパごめんね、と一応謝ってから電話に出た。
「はーい、もしもし。吉良優一郎はただいま留守です。ご用件のある方は、理子が代わりに承りますので、ぴー、という音の後にメッセージをお願いします。ぴー」
電話を耳に当てて理子は淡々と告げた。すると電話の向こうから笑い声が聞こえてくる。
『うむ。なかなか愉快なお嬢さんのようだな』
「えっ!?」
てっきり優一郎が出るものとばかり思っていた理子は、聞き覚えのない男の声に仰天した。
「だっ、誰!?」
『うむ。私は吉良総一郎だ』
落ち着いた声で男が名乗る。理子は素早く記憶を探って、該当する名前を頭の中から引っ張り出した。
「えっ、パパのパパ!?」
理子は目を丸くして声を上げた。
『うむ。優一郎がお世話になっている』
総一郎は優一郎の養父だ。理子は電話機を耳にあてがったまま、慌てて深々とお辞儀をした。
「えっと、理子の方がパパにお世話になってるので、ええと」
お辞儀をしながら理子はたどたどしく言った。すると電話の向こうで総一郎が少しだけ笑う。
『本題に入っても構わないかな?』
「あ、はい。でもパパは留守です」
きっと総一郎は優一郎に用があって電話を鳴らしたのだろう。そう思った理子は素直に言った。
『いや。優一郎には君から伝えて貰えればいい。私は君に用があるのだ』
「え? 理子に?」
意外なことを聞いて理子は目を丸くした。総一郎とは面識もなく、もちろん話もしたことがない。そんな総一郎が一体、自分に何の用だろうか。理子は困った顔をしつつ、ベッドの端に座った。
『まず礼を言おう。君が開いた合せ鏡を用いた時空超越扉によって発生した時空境界面の活性状態を観察することによって、かなりの成果が得られたのだ』
「……は?」
唐突に聞き慣れない言葉を連発され、理子は訝りに顔を歪め、思わず低い声で問い返した。一体、何を言い出すのだこの男は。
「理子……えすえふはちょっと……」
難しい顔をしつつ、理子は首を傾げた。
『具体的に言うと私の長年の夢であったある発明が今、まさに完成しようとしているのだ! まかり間違えば時空の三つや四つは吹き飛ぶ危険性もあったが科学の進歩のためにはその程度のリスクなど、問題では無い!』
だが理子の呟きを無視して総一郎が熱く語る。理子はあいたたた、と心の中で言いながらぎこちなく首を傾げた。
「あの、だから理子は、えすえふは……」
『断じて、これはサイエンスフィクションでは無い! 現実なのだ! 見よ! 我が発明を! さあ、奈月くん。扉を開くのだ!』
「えーと、ですね」
困惑顔の端っこを引きつらせながら言い返そうとしていた理子の目の前に、何故か急に一枚の鏡が現れる。えっ、と目を見張った理子の前に現れた大きな鏡が、何故かぎぃぃぃ、という音を立てて観音開きに開く。
……鏡にする意味、ないじゃん。理子は扉のように開いた鏡をうろんな目で見つめた。
理子は相変わらずです。
総一郎さんが爆走してますね!