※この作品はR-18です。

まやかしの終わり 三部 夜の女王   作:伊駒辰葉

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エロシーンはありません。


同伴とVIPと拉致

 一睡も出来なかった。水輝はすっかり明るくなった窓の外を見やってうんざりしたため息を吐いた。水輝の腕を枕にして立城は穏やかな寝息を立てている。だが水輝は寝ようとすればするほど寝られないという悪循環に囚われ、結局は少しも眠ることが出来なかった。

 

 仕方なく水輝は起きることにした。どのみちもう少ししたら支度をして出勤しなければならないのだ。起こさないように慎重に立城の頭の下から腕を抜き、水輝は静かにベッドを降りた。

 

 別に一晩くらいは眠らなくても身体は何ともない。だが水輝は精神的に疲れ果てていた。何故、立城はここに来たのだろう。どうして今さら。標のシステムは何故なくなったのだろう。巫女はどうしているのだろうか。そんなことをつらつらと考えているとどうしても眠れなかったのだ。

 

 半ばやけくそで水輝はシャワーを浴びた。続いて簡単な食事を準備する。そこで漸く立城は目を覚ましたらしい。リビングに食事を運んでいた水輝にベッドからおはようと挨拶する。

 

「起きろ。そして食え。支度をしたらおれは出るが、お前は勝手にしろ」

 

 不機嫌にそう言ってから水輝はテーブルごと食事をベッドに寄せた。のろのろとベッドに身を起こした立城がぼんやりとした目でテーブルに並んだ食事を見下ろす。

 

「へたくそ」

「うるせえ。嫌なら食うな」

 

 苦笑混じりに言われたことに憮然とした面持ちで返してから、水輝は少し焼けすぎた目玉焼きにフォークを突き刺した。

 

「こんなによく眠れたのは久しぶりかも」

 

 まだはっきり目覚めていないのか立城の口調は少しぼやけている。鼻で笑ってから水輝は紅茶を口にした。

 

「おれはちっとも眠れなかったがな」

「え、そうなの?」

「ああ。……こら、さりげなく人参を避けるな。そして人の皿に入れるな」

 

 水輝が指摘すると立城が眉を寄せて難しい顔をする。皿の中の人参をフォークの先でつつきながら立城が唇を尖らせる。

 

「冷凍の人参ってあまり好きじゃないんだよね」

「文句言うなら即刻出てけ」

「……判った。食べるよ」

 

 諦めたようにため息を吐いて立城は大人しく人参を口に運んだ。よし、と頷いて水輝は残っていたトーストにかぶりついた。

 

 店の中でも一番高級、店内最奥のVIPルームで、極上の微笑みを浮かべる最上客の女と、不機嫌きわまりない顔のナンバーワンホストが開店時間から閉店時間まで特に何もせず居続けるという奇妙な日々がしばらく続いた。最初は怒り狂っていた水輝を恐れていた同僚たちも事態を面白がりだしたらしい。三日ほどが過ぎた辺りから水輝にまた賑やかに話しかけてくるようになった。

 

 気弱な北原は心配そうに水輝に様子をいつも訊ねた。水輝は金を払っている限りは客だから、と適当に話をごまかしておいた。まさか何も知らない彼らに龍神の事情を説明する訳にもいかないし、かといって立城を自分の古くからの知り合いだと触れ回る気にもならなかった。あくまでも客は客。金さえ払えばとりあえずは店の利潤になる。

 

 一度交わったことで満足をしたのだろうか。立城はあれから水輝の部屋に付いてくることはなかった。それに営業時間内でも他に水輝目当ての客が来れば、快く水輝をVIPルームから送り出した。水輝は妙な気持ちになりつつも、それまでと同じように客たちの相手をした。

 

 店員たちには立城は好感度が高いらしい。確かに立城は金払いはいいし、店員に無茶な注文もしない。最初に騒ぎになったことを除けば、立城は客の質からすると最高とも言えた。水輝は同僚たちが立城を話題にしては楽しそうに話をするのを放置しておいた。どのみちこの商売は客はどんどん入れ替わっていく。立城のこともきっと彼らには丁度いい刺激になっているのだろう。適度な刺激は仕事に張り合いを生む。その点では北原も水輝と意見が一致したらしい。最初の日の騒ぎはなかったことにしてくれているようだ。

 

 VIPルームでは仏頂面、他の客には適度な愛想を振りまき、求められれば閉店後に客にも付きあう。昼を過ぎて起き出して出勤時間までに店に行く。そんな日々がしばらく繰り返された。

 

「……え? 紫藤さんが?」

 

 その日も水輝は相変わらず仏頂面をしてVIPルームのソファに腰掛けていた。最初はじっと壁に寄りかかって立っていた水輝も、疲れるからと近頃は出来るだけ立城から離れて座るようになったのだ。

 

「うん。ちょっと様子が……」

 

 部屋に立城が居るからだろう。失礼しますと気弱な声で言って入ってきた北原が小声で水輝に耳打ちする。

 

「判った。すぐに行く……っと」

「いいよ。こっちのことは気にしなくて」

 

 にっこりと笑って立城が行ってらっしゃいと手を振る。笑顔の立城にけっ、と喉の奥で吐き捨てて水輝はVIPルームを出た。

 

 一体、何事だろうか。そういえば近頃、紫藤からの連絡は殆ど入っていない。最後に顔を見たのは三週間前だ。

 

「ごめんね、忙しいのに」

「あんたが謝ることじゃないだろ? それにしても店に来るなんて初めてだな」

 

 北原はよほど紫藤が怖いのか、すっかり萎縮してしまっている。そんな北原に落ち着くようにと声をかけてから水輝はオーナー室に向かった。

 

「水輝だけど。入るぞ」

 

 紫藤は客のいるフロアを避けて直に北原を訪ねてきたようだ。オーナー室にいるからと先に言われていた水輝は声をかけてドアを開けた。

 

 その瞬間に腹に激痛が走る。水輝は呻きを漏らしてその場によろけた。

 

「久しぶりだな、水輝。元気にしていたか?」

 

 いつもなら北原がついている机につき、紫藤が笑う。水輝は痛む腹を押さえてのろのろと身を起こした。待ち構えていたのだろう。傍にいた紫藤の付き人の男が握っていた鉄パイプで水輝の顎を押し上げる。

 

「何の真似だよ、これ」

 

 怒りをこめて水輝は紫藤を睨みつけた。顎に当たるパイプを手で乱暴に払いのける。再び殴りかかろうと振りかぶった男を制したのは紫藤だった。

 

「おい、待て。あれを出せ」

「へい!」

 

 威勢のいい返事をして男が部屋の奥に小走りに向かう。水輝は痛みを堪えて大股で部屋を横切った。水輝君、という弱々しい北原の声が背後から聞こえる。水輝はだが北原を無視して紫藤の前に進み出た。

 

「何のつもりだ」

「お前は私の何だったかな?」

 

 ゆったりとした動きで肘杖をつき、組み合わせた手の上に顎をのせた紫藤が笑い混じりに言う。水輝は殴られた拍子に噛んで切れてしまった唇を袖で拭い、紫藤を睨みつけた。

 

「紫藤さんの愛人だろ? あんたに言われたから、おれはここで働いてるんだよな? 殴られるようなことはした覚えがないんだがな」

 

 水輝が他の誰と寝ようが、紫藤はそんな些細なことを気にする性質には見えなかった。それにそうでなかったら紫藤は水輝をこの店には寄越さなかっただろう。店によってルールは違うのだろうが、基本的にホストは女に恋愛を売る商売だ。一緒に話すだけで満足する客もあれば、食事をすれば機嫌のいい客もいる。中には身体を求めてくる女も当然いるのだ。

 

 それらのことを納得ずくで紫藤はこの店に水輝を送り込んだはずだった。少なくとも水輝はそう思っていたし、紫藤も前に会った時までは気にした様子はなかった。

 

「最近、やけに羽振りのいい客がいるそうだな」

 

 あくまでもにこやかな笑みを浮かべて紫藤が言う。水輝はぴくりと眉を上げてゆっくりと振り返った。ドアの影に隠れるようにして立っていた北原が真っ青になっている。なるほど、と心の中で呟いて水輝は紫藤に向き直った。

 

 立城のことを水輝の恋人なのではないかと囁く同僚がいたことは知っている。面と向かって言うと水輝は絶対に否定するので、その同僚たちは直には言ってこない。だが水輝はそんな噂が流れている事を知っていて放置していた。多少の刺激になる程度なら別に構わないと軽く考えていたのだ。

 

「客だろ? ただの」

「初めて来た時には騒ぎになったそうだな」

 

 部屋の隅に控えていた付き人の男たちが床に座り込んで何かしている。ちらりとそちらを見てから水輝は紫藤に目を戻した。

 

「あー……昔の女に似てたからな。人違いしたんだ、おれが」

 

 水輝はさらりとそう言って肩を竦めてみせた。すると紫藤が豪快に笑う。だがその目は鋭く光っていて少しも笑っていなかった。

 

「やれ」

 

 低く凄みのある声で紫藤が命じる。床に座っていた男二人が立ち上がる。その手に握られたものを見て水輝は口許に嗤いを浮かべた。

 

「薬か」

 

 男の片方が注射器を握っていた。机を挟んで紫藤の前に立っていた水輝を一人の男が押さえ、手早く服の袖をまくり上げる。後ろから羽交い締めにされた水輝は深々とため息を吐いた。

 

「……やれやれ。あんたがそんな細かいことを気にする男だったとはな」

「逃げようとした籠の鳥を捕まえたいと思うのは当たり前じゃないのかね?」

 

 それが特に綺麗な小鳥ならなおのこと。紫藤がにやりと笑って男に顎をしゃくる。その瞬間、水輝は力任せに床に倒された。

 

「おいおい。身体に傷をつけるなよ」

「へ、へい、すんません」

 

 水輝を床にうつ伏せに倒した男が慌てたように詫びる。むき出しにされた腕にちくりとした痛みが走る。水輝は感慨のない目で注射針を刺された自分の腕を見た。

 

 細い注射器に入った透明な薬剤がピストンに押されて減っていく。

 

「心配するな。お前が暴れたりしないように動けなくするだけだ」

「元々、暴れてねえだろが」

 

 呆れた顔で呟いて水輝はため息を吐いた。やがて注射器の中身がなくなり、紫藤の言うように次第に身体が言うことをきかなくなってくる。くらりと揺れる頭を床に預け、水輝はぼんやりと考えを巡らせた。

 

 以前は薬はろくに効かなかった。唯一、水輝の身体に影響を与えたのはアルコールだけだった。だが今はどうやら人間用の薬も効くらしい。痺れてきた身体を床に横たえたまま、水輝はのろのろと考えた。

 

「もしも暴れて綺麗な身体に傷がつくといかんだろう?」

 

 きっと紫藤は嬉しそうに笑っているに違いない。そうは思ったが水輝は自分で顔を起こして紫藤の様子を確かめることは出来なかった。

 

 運び出せ。紫藤の命令に従って男たちが二人がかりで水輝を担ぎ上げる。真っ青になった北原が慌てたように紫藤に取りすがる。

 

「しっ、紫藤さん! どういうことですか! 水輝君をどうするつもりですか!」

 

 がくがくと震えながら北原が叫ぶ。だが紫藤はそんな北原を邪険に払った。よろけた北原がぺたんと床にへたり込む。

 

「ん? 私のものを私が取り戻すのに何か不都合があるかね?」

 

 にやりと笑って紫藤が北原を見下ろす。北原は見ていて可哀想なほどに怯え、顔色は紙のように真っ白になった。

 

「で、でも」

「あまり逆らうようだとここのことも考えなくてはならんな。んん?」

 

 紫藤が少し声を低くして言う。すると北原は震えつつ力なく首を横に振った。どうやらこの店は紫藤の出資により成り立っているらしい。男たちに担ぎ上げられたまま、水輝はそんな北原を見つめた。北原は気の弱い男だ。そんな北原が怯えつつも紫藤に意見したことに水輝は拍手を送りたい気分だった。恐らく北原ではあれが精一杯だろう。

 

 おれは大丈夫だから。あんたは店をちゃんと見てろ。水輝は痺れて動かしにくい唇を何とか動かし、北原に声を掛けようとした。だがちゃんと北原に言う前に男たちが部屋を出てしまう。

 

 まだ何が起こっているのかを誰も知らないのだろう。ドア越しに店内の賑やかな音が聞こえてくる。いつも通りの店の様子に何となくほっとしたものを感じ、水輝は静かに目を閉じた。




水輝がヤバいというか。
こいつはいつもヤバいですけどw
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