出された食事を食べ、動けない自分の代わりにナプキンを取り替えてもらう。その時に傷の具合を確かめられることもある。最初は文句を言っていた沙耶も、回を重ねるごとに立城のすることに慣れてきた。
立城は飽きることなく沙耶の眠る部屋を訪れる。最初は一日の殆どを眠って過ごしていた沙耶も、日に日に起きている時間が長くなっていく。が、立城は本などを読ませてくれない。産後に細かい字を見ると身体に良くないと言うのだ。その代わり、と言って立城は沙耶の傍で色んな物語を話してくれる。
立城の話は聞いていて飽きなかった。穏やかな口調が心地よく感じられ、話を聞いているうちに眠ってしまうこともたびたびある。そんな時必ず、立城は眠ってしまった沙耶の身体にちゃんと布団を被せ、目が覚める頃になるとタイミングよく水を持ってきてくれるのだ。
そうしている間に、沙耶は何とか自分でベッドを降りて歩けるほどに回復した。だが、まだ無理は禁物、と立城は部屋から出ないようにと言った。沙耶は自分の身体が無理が利かないことが判っていたため、立城の言うことに頷いた。
「まだ死にたいと思いますか?」
ある日、立城は沙耶の傍で林檎を剥きながらそんなことを言った。沙耶はベッドに身を起こし、難しい顔をして首を傾げた。
「いや。もうそんな気はない」
「それは良かったです。はい、剥けましたよ」
微笑みを浮かべ、立城が林檎の入った皿を沙耶の膝に乗せる。沙耶は皿と立城とを見比べてからごくごく小さな声でありがとう、と礼を言った。きちんと聞き取ったのだろう。立城がいいえ、と微笑みを浮かべる。
最初は自分が水輝だと信じてまるで疑っていなかった。いや、疑う理由もなかった。記憶は当たり前のように持っていたし、何より天界から追い出された時のことも昨日のことのように思い出せる。あの騒ぎだけではない。それ以前のことも全部覚えていた。
女の身体にされ、立城に抱かれたあの時、気付いた。自分は水輝本人ではない。切り分けられた存在だ。だがそのことを立城に気付かれたくなかった。自分さえ黙っていればいいと思った。だから沙耶は知らん顔をしていたのだ。
だが立城は多分、気付いていたのだろう。死を確信したあの時、確かに立城が沙耶と呼ぶ声を聞いた。そして気付いたら自分はまだ生きていた。その時のことを思い出し、沙耶は顔を曇らせた。
「今日はお天気もいいですから、きっと洗濯物もよく乾くでしょうね」
窓の外を見て立城がそう告げる。考え事に耽っていた沙耶は我に返り、そうだな、と小声で同意した。林檎をつまんで口に入れる。
ここで沙耶と名を呼ばれた後、散々に泣いて少し気が晴れた。本当はもしかしたらそう呼ばれたかったのかも知れないと思う。水輝の代わりではなく、自分として見て欲しかったのかも知れない。いや、実際は全くの別人でもないのだ。だから困る。
「そう言えば沙耶さんのお子さんは双子なんですか?」
「あ、ああ……って、何で判んだよ」
林檎をかじりながら沙耶は仏頂面で訊ねた。すると立城がふふ、と笑って首を傾げる。
「そうだったらいいな、と思ったんです。わたしは過去に妹と辛い思いをしましたから」
「ああ……」
この世界の立城は女で、過去には双子の妹がいたのだという。経緯は違うが、こちらの立城もやはり妹を亡くしているそうだ。
「今度はちゃんと……仲のいい姉妹に……いえ、そちらは兄弟ですね。そうなったらいいな、と思いましたから」
「そ、そうか」
そういえば産まれたばかりのあの子供たちはどうしているだろうか。立城のことだ。きっと子供のことはちゃんと考えてくれているだろう。だから多分、心配はない。そこまで考えてから沙耶は顔をしかめた。
何でそんなこと考えるんだよ、おれは。別にあいつの子供なんてどうだっていいじゃねえか。だが沙耶は心の中でそう呟いてみて、それが自分の本心でないことに気付いた。
ことん、と皿の中にフォークを置いて沙耶は俯いた。
「おれ……自分の子供にいっぱい酷いことを言ったんだ」
腹の中にいる子供に自分の声が聞こえたかどうか判らない。腹の中にいた二人に声が届いたとして、言葉が理解出来たかどうかも判らない。が、それでも沙耶は深く後悔した。
「こ、殺すって、何度も、本当に殺そうともしたし、おれは、無抵抗の子供に、何で」
ぎこちなく言葉を吐き出しながら沙耶は目を見張り、頭を抱えた。そんな沙耶の背を立城がゆっくりと撫でる。
「落ち着いてください。大丈夫。きっとお子さんは元気でいます。だから大丈夫です」
「腹とか、叩いたことあるし、流産しそうに、なって」
「沙耶さん、大丈夫だから」
「どうしよう、おれ、なんで、あんなことばっかり」
真っ青になって沙耶はぶつぶつと呟いた。落ち着いて、と立城が言う。沙耶は頭を上げて傍にいた立城の服をつかんだ。
「おれ、が、おれが産んで、ほんとに良かったのか!? だってあいつら、もっとちゃんとした、母親に」
「大丈夫です。きっと、大丈夫ですから」
「乳もやれない、おれ、こんなんなって、抱いても、ないし、一度も子供に、触ってもなくて」
「心配ありませんよ。きっと沙耶さんはいいお母さんになれますから」
「違うんだよ! 立城が欲しいのはおれじゃない! あいつの方で! だから!」
錯乱した沙耶は目の前にいるのが自分のよく知る立城ではないことが判らなくなっていた。だが取り違えて喚く沙耶を立城が根気よく慰める。
「落ち着いて。ほら、息を大きく吸って、吐いて」
沙耶の背中を撫でながら立城が優しく言う。沙耶は言われるままに何度か深呼吸した。無意識にシーツを握りしめていた手が震えていたことに漸く気付く。
「大丈夫。彼は沙耶さんのことが好きですから。そうでなかったらあんな風に取り乱したりしないでしょう」
「え?」
沙耶は驚きに目を丸くして立城を見た。すると立城が唇に指を当てて片目を閉じる。
「ごめんなさい。少し気配の記憶を読んでしまいました。沙耶さんが大量出血された時、彼はとても動揺していたんですよ」
「あ……ええと」
何と答えていいか判らず、沙耶は言葉を濁した。すると立城がにっこりと笑う。
「思ったよりも沙耶さんの世界は穏やかでほっとしました」
「……は?」
意外なことを聞いたような気がして、沙耶は訝りに眉を寄せた。この立城に聞いた話では、こちらの世界は随分と穏やかで大きな争いもなく、もちろん魔のような脅威もないということだった。なのに何故だろう。
「何でだよ。こっちは平和そのものなんだろ? なのに……なんで」
沙耶は目を見張って立城を凝視した。
「何でそんなに、寂しそうな顔、してんだよ」
「何故でしょうね」
立城は微笑んでいる。が、どうしてだかその顔が酷く寂しそうに見える。穏やかで脅威もなく、人々は平穏そのもので、もちろん龍神同士の争いなどもない。確か立城はそう話してくれていたのに。
「いいものを見せましょうか」
ふと、そんなことを言って立城が立ち上がる。驚きに目を見張っている沙耶の膝から小皿を取り上げ、立城は沙耶の肩にカーディガンをそっとかけた。戸惑う沙耶の手を静かに引く。沙耶は困惑しつつも立城に引かれるままにベッドを降りた。
「少し待っていてください。車椅子を用意します」
お天気もいいですから、散歩をしましょう。そんな風に言って立城が部屋を出て行く。戻ってきた立城は言葉通り、車椅子を押していた。座り心地の良い薄いクッションを敷いた椅子に沙耶は言われるままに腰を下ろした。
立城がゆっくりと椅子を押す。沙耶は言われた通りにカーディガンを着て、毛布を足にかけて座っていた。廊下を進んだ立城が小さなエレベーターのボタンを押し、車椅子を押して沙耶と一緒に乗り込む。屋敷の玄関に出たところで立城はふと、足を止めた。
「くれぐれもわたしから離れないように。結界が途切れてしまいますから」
「え、お、おう……?」
車椅子に座っている自分はどうやっても離れないのではないだろうか。そんなことを思いつつも沙耶は何となく返事した。にっこりと笑った立城がまた車椅子を押し始める。
異様なほど辺りは静かだった。立城の屋敷はどうやら人の住む町からは離れているようだ。屋敷の敷地の周辺には青々とした草原が広がっていた。屋敷の庭には色んな花が咲き乱れている。立城はゆっくりとした足取りで庭を抜け、屋敷の大きな門を出た。
「何もないな」
「そんなことはありませんよ。ほら、白詰草も咲いているでしょう?」
沙耶の呆れたような声に立城が笑顔で応える。言われるままに目を落としたところには白い可憐な花が咲いていた。
草原に風が吹き抜ける。柔らかな風に合わせて青々とした草原が揺れる。青い空に白い雲。絵本か何かの挿絵に見られるような、とても優しい光景が広がっている。遠くには大きな森も見える。小川も流れていて、そこには小さな魚が跳ねていた。きらきらと輝く水は透き通っていた。
草原には小道があった。煉瓦で出来た道を行きながら、立城は部屋にいた時と同じように色んな話をしてくれた。沙耶は黙ってその話に耳を傾けていた。
あ。最近は真面目なエピタイをつけている気が……あれ?
自分用につけていたつもりだったのに!w
それにしても立城が同じ名前なので混乱しますね。