穏やかな春の風が吹く。朝独特のさわやかな空気に包まれたその場に元気な子供の声が響く。
「んじゃ、あとで!」
「兄さん! 早くしないと遅れるよ!」
ランドセルを背負った二人の子供が元気よく門を飛び出し、慌ただしく学校に向かって駆けていく。そんな二人に門まで見送った黒ずくめの執事が恭しく礼をする。二人が同時に振り返り、執事に手を振り、やがてその姿が道の向こうに消える。
「何だ。帰ってたのか」
執事の顔を脱ぎ捨てた和也がぶっきらぼうに言う。門から少し離れたところに寄りかかっていた順はへらへらと笑いながら片手を上げた。アロハシャツにジーンズ、黒いサングラスという格好の順を和也が横目に眺める。
「つい、さっきねー」
「北で街が消滅したって聞いたぞ。てめえだろう」
「あ、さすが。あっちの情報網はまだ生きてるないんだ?」
軽い会話をしてから順はゆっくりと歩き出した。傍に寄ると和也が仏頂面をして腕組みをする。サングラス越しに見た和也はいつもと変わらず不機嫌そうだ。
「あんまり暴れ回るな。下手するとオレが直々に出にゃならん」
「まあ、そこはね。上手くやりますよ」
苦笑を浮かべて言ってから、順はそれじゃ、と手を上げた。勝手にしろ、と低い声で言った和也が門の中に戻っていく。相変わらずだねえ、と見えなくなった和也を笑ってから順はゆらりと歩き出した。
優一郎と理子、水輝、佑の四人がこの世界を去ってしばらく経つ。季節は七度ほど巡った。あれから地上の騒ぎは少し落ち着き、唐突に大陸が沈んだり島がなくなったりという事件は起こっていない。
一時的に避難をさせた彼らの反応は様々だった。多輝と由梨佳は龍宝珠界に赴き、そこで修行をしているらしい。一度、訪ねてはみたが総一郎が少し複雑な顔をしていたのが印象的だった。透は短いバカンスを楽しんだのか、やけに元気に順をこき下ろした。だが透は結局、渋々とではあるが木村財閥の当主の座に納まってくれている。
渚は多くのヒューマノイドを従えてあの島に居続けている。環境が気に入ったのか、それとも誰にも見えていないことが見えるのか、この国に帰ろうという意志はないらしい。ひょっとしたら渚は水輝がいなくなってしまったことを憂いているのだろうか。
学は文と共にこことは違う世界に向かった。こちらは優一郎や多輝ともまた意味合いが違う。学の力は淫魔を抑えるためにある。が、この世界は淫魔を必要としている。そのために学はこの世界から身を退けているのだ。どこにいるのかは判らないが、きっと元気にしているのだろう。
順は車を駆り、途中で何度か転移を繰り返して清陵に向かった。やがて見慣れた街並みが目の前に広がる。敷かれた結界を難なくくぐり抜けて順は街の東に向かった。鼻歌を歌いながらハンドルを操り、なだらかな坂を登ってそこに辿り着く。
駐車場に車を入れ、地面に降り立った順は空を見上げた。いつもと変わりない清陵高校には生徒の姿がまばらに見える。順は足取りも軽く目的のドアに向かった。
金属製のドアの端にあるインターフォンを押し、相手が出るのを待つ。ほどなく接客用の丁寧な口調が聞こえる。順はだらしない笑みを浮かべてカメラに向かって片手を上げてみせた。すると金属製のドアが静かに開く。中に入った順を待ち構えていたのはメイドの格好をした保美だった。
「ご案内致します。どうぞ」
そう促されて順は保美の後を付いて歩いた。途中、数人のヒューマノイドとすれ違う。順は彼女たちにだらしない笑みを浮かべて挨拶した。
エレベーターに乗って地下に降りる。電子音が鳴ってエレベーターが止まったところで順は声を掛けた。
「木村順でーす」
へらへらと笑いながら順が名乗ると同時にエレベーターのドアが開く。そこには陰鬱な顔をした斎姫が立っていた。順はエレベーターを降り、斎姫に笑いかけた。
「いらっしゃいませ、茜さん」
「うん、こんにちは。入れてくれてありがと」
気軽に言ってから順は斎姫と並んで歩き出した。
「あれからどう? 少しは気分とか落ち着いた?」
並んで歩きながら順は少し声を落として訊ねた。優一郎がいなくなった後、斎姫は随分と落ち込んでいた。斎姫だけではない。斎姫に影響を受けたヒューマノイドたちも、そして呉羽もやはり直後は元気がなかった。
「わたしはいつも元気ですから」
大丈夫です。くすりと笑って斎姫が部屋のドアを開ける。順はありがたく斎姫の部屋に足を踏み入れた。
優一郎が使っていた部屋の中はあの時から変わっていない。斎姫は配置された家具などを一切動かしておらず、見ただけなら今にも優一郎がここに現れそうな雰囲気だ。順は勧められるままにソファに腰掛けた。
「そっか。ならいいんだけどさ」
出された茶を飲みながら順はここから離れていた時のことを斎姫に話して聞かせた。水輝が居なくなったことにより、順は代償を支払わなければならなかった。だが元々、片方の目は見えなかったし、今さら潰れたところで別段問題はなかった。順はサングラスを外してテーブルに乗せた。
「紀早ちゃんだっけ。あの子、殺したから」
ふと、思い出して順はそう報告した。すると斎姫が少しだけ眉を寄せる。
「葵さんですか? どうして、彼は……」
そこまで言って斎姫が唇を引き結ぶ。順はあはは、と笑ってからティカップを取り上げた。
「んー、まあね。あのままだと紀早ちゃんの身体に閉じこめた魔が逆流しそうだったんでね。葵ちゃんのせいって訳でもないし」
葵は今、魔として活動を続けている。本人にその気はないかも知れないが、その力は間違いなく人々の脅威となっているのだ。
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