大きな息を吐いて立城が屈めていた身を起こす。水輝は仏頂面でそんな立城を見つめていた。女性から男性へと戻った立城が肩を手で揉みほぐしながら首を大きく傾ける。
「やっぱり慣れていないと少し疲れるね」
男性に戻っても立城の優しい面差しは変わらない。水輝はふん、と鼻を鳴らして知らん顔を決め込んだ。
水輝が運ばれたのは立城の屋敷だった。だが清陵にある吉良瀬の本邸とは違う。あそこはどうやら今は桜しか住んでいないらしい。ここは立城がかつて佑を育てていた屋敷だ。
広々とした部屋のベッドに水輝は縛ったままで転がされていた。ちなみにここに水輝を運んだのは執事の和也だ。和也はどうやら清陵の吉良瀬の屋敷からここに仕事の場を変えたらしい。ベッドに水輝を運ぶ際、こっそりといいざまだなと笑っていた。
くそ、と呟いて水輝はもがいた。だがやっぱりロープは外れない。空しくもがく水輝の横たわるベッドに立城が歩み寄る。
「だから無駄だってば」
「うるせえな!」
低い声で怒鳴って水輝は反動をつけて寝返りを打った。立城に背を向けてからまたもがく。
「何でお持ち帰りなんだよ。もう用はないだろうが」
口の中でぼやきながら水輝は身を捩った。立城が困ったように笑いながらベッドに腰掛ける。
「僕がどれだけ君を探したと思う?」
「知るか! そんなこと!」
外は暗く、屋敷の中は静まりかえっている。水輝は落ち着かないものを感じながら無理やりに身体を動かそうとした。だがどうしてもロープは外れない。
「おれはもう力はなくなったんだって言ったろ。そんなおれに何の用があるってんだよ」
身体のあちこちに力をこめてもがきながら水輝は呻くように言った。歯を食いしばって何とか腕をロープから引き抜こうとする。立城はもがき続ける水輝をじっと見下ろしていた。
しばらくもがいて疲れ切って諦める。水輝は力なくベッドに横たわって乱れた息を整えた。くそ、とぼやくと背後から立城の微かな笑い声が聞こえてくる。
「んだよ。笑うほど無様かよ」
力があればこんなロープはあっさりと外すことが出来る。意識するだけで燃やし尽くすことも可能だろう。だが今の水輝にはその程度のことすら出来ないのだ。
「言っとくが本当におれは役に立たないぞ。こないだ雑魚を相手にしたの見たろ? あのレベルの相手で満身創痍だったんだからな」
答えない立城に苛立ちを覚えつつも水輝は自分からそう言った。きっと自分は立城の思うようには動けない。魔を相手に戦うにしても、今の自分よりは能力を有した人間の方がよほど役に立つ。そんなことを思いながら水輝は何気なく肩越しに立城を見返った。
「誤解があるようだね」
立城がくすりと笑って水輝の肩を引く。水輝はされるがままにベッドに仰向けになった。
「僕は君を戦わせる気はない。もしもそんな状況になっても僕が戦えば済むことでしょう?」
「まあ……お前は強いしな」
間近に顔を覗き込まれ、水輝は居心地の悪さを覚えつつもそう答えた。地上の王。それが今の立城の座のはずだ。立城は優しそうに見えるが、いざ戦いとなるととんでもなく強いということを水輝はこれまでの経験から嫌というほど知っていた。
「じゃあ用はねえだろ。とっとと帰らせろ」
「君の家はもうないよ」
憮然として言った水輝に立城がさらりと答える。水輝は唖然として立城を凝視した。立城はにっこりと笑ってから首を傾げてみせた。
「下準備があったから迎えに行くのが遅れたんだよ。君の使っていた部屋はちゃんと引き払ってきたよ」
「なに勝手なことしてんだよ!」
「紫藤さんとも別れたんでしょう?」
「うわ! あれ、お前の仕業か、やっぱり!」
「だから帰る場所はもうないよ」
人好きのする微笑みをたたえたままで立城が言う。水輝は驚くやら呆れるやらで複雑な顔をした。何故、立城がそこまでするのかが判らない。やっぱり嫌がらせなのだろうか。
「僕のところ以外にはね」
「……ものすげえ寒気を感じるんだが」
にこやかに立城が口にした言葉に水輝は本当に寒気を覚えた。身を屈めて間近に見つめている立城を睨みつけ、水輝は低い声で呟くように告げた。
「いいかげんにしろ。悪ふざけが過ぎると本気で怒るぞ」
冗談にしては笑えない。そう続けて水輝は顔を背けた。
もう龍神の力はない。辛うじて身体には少し特性も残っているがそれだけだ。戦う力のない自分に価値はない。なのにどうして立城はしつこく絡んでくるのだろうか。
「僕がどれだけ必死で探したか、知らないでしょう」
そっぽを向いた水輝はそれを聞いて目を見張った。立城がゆらりと身体を起こし、身体の向きを戻して水輝に背を向ける。
「最初はいつもの気紛れだと思っていたよ。だからきっとすぐに飽きて戻ってくると思っていたんだ。けど」
水輝はそろりと顔を動かして立城を見た。立城はベッドの縁に腰掛けて水輝に背を向けたままだ。
「君は帰ってこなかった。そのうちに戻ると考えていた僕がどれだけ焦ったか、知らないでしょう?」
「焦る? お前がか?」
信じられずに水輝は思わず笑った。あり得ない。そういうつもりで笑った水輝を立城が静かに振り返る。立城はいつもの微笑みは浮かべていなかった。
「あの時、大きな力が天空で弾けた。同時に僕も身動きが取れなくなった。これは君もよく知っているよね?」
「あ、ああ」
やけに真剣な立城の表情に圧され、水輝は口許に浮かべていた笑みを引っ込めて頷いた。あの時、優一郎の言霊を利用し、水輝は立城の動きを押さえた。万が一にも邪魔をされると全てが台無しになってしまう可能性があったからだ。
「やっとの思いで渚さんの力を何とか退けた時、もう魔法は収束し、君の姿は消えていた」
水輝をじっと見つめたまま、立城が静かに言葉を繋いでいく。水輝は立城の真剣な眼差しに圧倒されて声を挟むことが出来なかった。
「君が天空の海に落ちたという話を優一郎くんから後で聞いた。僕は白琅渉に無理を通してもらって、天界に入って君を探した」
激しい雨が降り続け、荒れ狂う海の中を立城はずっと探し続けた。だがそれでも水輝は見つからなかった。そう立城は語った。恐らくその頃にはもう、水輝は天界から排除されていたのだ。
「もしかして君は誤って命を落としてしまったのかも知れない。そう思って黒妖牙にも協力を頼んで冥界も探したけれど、それでも君は見つからなかった」
立城が身体を捻ってベッドに膝をかけ、水輝のすぐ脇に手をつく。水輝は黙ってそんな立城を見つめていた。
「天界にも、冥界にもいない。地上でも気配を感じることが出来ない」
震える声でそう告げて、立城は深く息を吸った。
「僕が焦らなかったと本気で思ってるの!?」
「……ごめん」
悲鳴に近い叫びを叩きつけられ、水輝は小声で詫びた。立城は水輝が魔法を撃った後、どこで何をしていたのかを知らなかった。だが水輝もまた立城がその間に何を考え、どうしていたのかを全く知らなかったのだ。
「冥界に魂がいないということだけが僕の希望だった。少なくとも君はまだ生きている。そう思うことが出来たからね」
頬を指で拭って立城が震える声で続ける。
「君の噂を聞くたびに僕は慌てて探しに行った。そんな僕に呆れたのかな。葵が出て行ったのはその頃だよ」
苦笑をして立城は身を起こした。水輝は無意識に詰めていた息を静かに吐き、そっと息を吸った。
「おれに構わず奴と仲良くしてれば良かったじゃねえか。確かにおれは身勝手な魔法を撃ったし、誰にも何の説明もしてねえ。けど」
「出来なかったんだよ」
水輝の言葉を遮って立城が珍しく荒い声音で言う。水輝はそのことに驚いて目を見張って口を噤んだ。
「僕だって葵を手放したいと考えていた訳じゃない。だけど、水輝のことがどうしても気になって仕方なかったんだ」
「なんでだよ」
「本当に判らないの? それとも判りたくないの?」
出来れば判りたくない。立城が言わんとしていることに気付いていた水輝は渋い顔になった。
「やめとけ。おれはだらしねえし、甲斐性はないし、ろくなもんじゃねえぞ」
立城に珍しく怒りの目で睨まれて水輝は仕方なく自分からそう言った。するとそこで立城が深呼吸をし、咳払いする。
「だから僕は君を買うことにした。どうせそう言うと思ったからね」
「だから! おれは役に立たねえっつってんだろうが! 大枚はたいて買う価値なんざねえんだよ!」
確かに立城には随分と心配をかけてしまったのだろう。その点は素直に詫びる意志はある。だが水輝はどうしても納得出来なかった。店で女が自分の時間を買いたがるのは理解出来る。彼女たちは金を積んで恋愛を買い、気に入ったホストと一緒にいる時間を買っているのだ。
「役に立つか立たないかは僕が決める。僕にとっての水輝の価値も僕が決める。君にとやかく言われる筋合いはない」
「……なんだそりゃ」
きっぱりと言い切られて水輝は言い返す事も出来ず、力なくそう呟いた。硬く結わえられていたロープを立城が静かに解く。やっと自由になったとほっとする間もなく水輝は乱暴に引き起こされた。
「最低でも支払い分はきちんとサービスしてもらうよ」
「要するになにか? おれにセックスしろと」
半ばやけくそで水輝はそう問い掛けた。そう、と事もなげに頷いて立城がばらけていたロープをベッドの下に蹴り落とす。水輝はベッドの上であぐらをかき、ため息を吐きながら頭をかいた。
「何だ。結局やりてえだけかよ」
「手を抜かないでね。もしも僕が満足出来なかったら払い戻しをしてもらうよ」
冷ややかに言って立城がベッドに飛び乗る。水輝は呆れた顔で立城を見た。だが立城はどうやらかなり怒っているらしい。顔に怒りが出ていないのが尚のこと怖い。うわあ、と呟いて水輝は仕方なく服を脱ぎ始めた。
サブタイ……じゃなく、エピタイをつけるのがやっぱり苦手です。
立城が判りやすく激高することはないんですけども、さすがに今回はキレました。