初夏が過ぎ、やがて本格的な夏になる。多輝はビニールプールにホースを使って水を張り始めた。日曜日ということもあって、学校には人は殆どいない。それをいいことに多輝は校舎の屋上を陣取り、理子のためにプールを用意しているのだ。
暑い陽射しを浴び、浮かんだ汗を拭いながら多輝はぼんやりとホースから流れ出る水を見た。陽光を反射して水の流れはきらきらと輝いている。
同居人たちが優一郎と多輝の身体を乗っ取ったあの日を境にして、状況はがらりと一変した。それまでアルファベットで呼ぶようにと言っていた同居人たちは、もう名前を呼んでもいいと唐突に告げた。だが優一郎がそれに待ったをかけた。優一郎はどうやら危険な時期は一応は過ぎたと言った。けれど万が一のことがある。そう言われて多輝はふと気付いた。その頃にはもう、同居人たちをアルファベットで呼ぶのが当たり前になっていて、今さら別の名前で呼ぶのが難しくなっていたのだ。
今でも時折、彼らは二人の身体を乗っ取ってくれる。だが彼らは決して人の目があるところではそんな真似はしない。必ず優一郎と多輝が二人きりの時にだけ身体を貸してくれとねだるのだ。
立城にも会った。たまたま多輝が魔の退治に出向いていた街に立城が通りかかったのだ。黒塗りの車に複数のボディガードをつけた立城はまるで別世界の人のように見えた。だが車を降りた立城に誘われるままに多輝は一緒に喫茶店に入り……そこで自分が誤解をしていたことに気付いた。車もボディガードも立城が自分で用意したものではなく、取材を兼ねた街の視察ということで、とあるテレビ局が用意したのだそうだ。
何だか随分と会っていない気がした。そう思ってから多輝はふと気付いた。久しぶりなのではない。立城が復活したのだと話に聞いてはいたし、どこで何をしているという話もたまには優一郎がしていた気がする。だが多輝自身、この世界に戻ってきた立城と会うのは初めてだったのだ。
立城はそんな多輝の驚きを見透かしたように笑っていた。だが多輝は気が気ではなかった。相手は立城なのだ。もしも同居人たちのことが知れたらどうなるのだろう。
だが、多輝の不安は的中しなかった。立城は人好きのする笑みを浮かべて懐かしい話をしていた。昔、多輝と一緒に暮らしていた頃の話だ。多輝はその話に何となく相槌をうち、違和感に気付いた。
何故か立城はとても嬉しそうだった。どうしたのだと訊いても立城は言葉を濁すだけで、理由を教えてくれなかった。多輝が苺パフェを平らげ、デザート後のお茶が運ばれてくる段になっても、立城は世間話をするだけで嬉しそうにしている理由を話そうとはしなかった。
結局、立城とはそれっきりだ。あれからニュースを賑わせているのは魔ばかりで、立城は報道番組には出てこない。姿を見かけることもなく、風の噂に聞くこともなく時間は流れた。
優一郎は相変わらず忙しくしている。だがその忙しさの質が以前とは多少変わってきているような気がする。仕事の内容は多輝にはよく判らなかったが、優一郎は地下施設にいることが多くなった。どうやら施設内の方が優一郎の仕事はやりやすいらしい。邪魔をしないように気を遣いながら優一郎のところに茶を運ぶのが多輝の日課になった。
以前、同居人Aが言っていた鉢合わせの件は多輝が思っていた以上に深刻だったらしい。どうやら多輝が見かけたあの女は封魔士という能力者の中でも特に力の強い、巫女と呼ばれる者なのだそうだ。その巫女が行方不明になるという事件が以前あり、その事件中に多輝は巫女を見かけたらしい。そのことを知らなかった多輝と由梨佳は巫女を結界の外に追い出した訳だが、その後、巫女はボディガードたちに無事に保護されたそうだ。事件の真相を知った封魔士の団体の代表なる者が、じきじきに優一郎の許に感謝の言葉を述べに来たのが梅雨入りの頃だ。どうやら彼らの見解では多輝と由梨佳が巫女を一時的に保護してくれていたということになっているらしい。
その話を聞いた多輝は驚くやら照れるやらで、どうコメントしていいか判らなかった。だが多輝がそんな風になることは折り込み済みだったのだろう。件の代表には多輝は会うことはなく、優一郎が上手く対応してくれたらしい。代表の持参した菓子折は施設内にいる女性陣にめでたく消費された。
そして封魔士と呼ばれる団体との連携が確立した。更にそこから封魔士の持つ独自のネットワークを用い、他の能力者たちとも密に連絡をとれるようになった。そして数少ない魔と戦える力を持つ者が、バッティングすることなく現場に派遣されるシステムが出来上がったのだ。
だが多輝はずっと気になっていた。魔は龍神に変わってこの世界を浄化する役目を持っていたのだという。そんな魔と多輝は事あるごとに戦っている。魔が出たという報せが入れば多輝は急いで現場に赴く。魔の発生した現場に居合わせた人々を避難させることが最優先だ。そのためになら建築物などの多少の被害には目を瞑る。それが魔と戦う者の間での暗黙の了解だ。そして政府もまた、そんな彼らのことを容認している。
本当に魔を倒すことが正しいのだろうか。魔には色んな種類があるという。だが多輝が対するのは大抵が異様な虫や獣の形をしていて、魔法で攻撃する時に特にためらったことはない。だが、魔の中には人の形をしている者もあると聞く。もしもそんな魔に出くわしたら、自分は攻撃することが出来るのだろうか。
日の光を照り返して水の飛沫が輝く。多輝はプールに注がれる水の流れをぼんやりと見つめた。こんな風に考えている時に限って同居人は何も言わない。そのことが少し寂しく感じられる。自分よりずっと色んなことを知っているのだから教えてくれればいいのに。多輝は何も言わない同居人に不満に近いものを感じ、顔をしかめた。
子供用のビニールプールに張った水が暑い陽射しを浴びてぬるくなる。しばらく経って水温を確かめてから多輝は理子を連れて屋上に出た。由梨佳は今日は地下で留守番だ。ヒューマノイドの機体は夏の暑さにすこぶる弱く、下手をすると加熱し過ぎて壊れてしまうからだ。今日はたまたま生身だったため、多輝は理子に水浴びをさせようと提案したのだ。
可愛らしいデザインの水着を着た理子がプールに入ってはしゃいだ声を上げる。あれから理子は順調に育ち、今では言葉もはっきりと喋るようになった。水面を叩きながら笑っている理子の傍にしゃがみ、多輝は一緒になって水に手をつけた。わざと水面を波立たせると理子が明るい声で笑い、水を叩いて飛沫を上げる。多輝は水飛沫を手で避けて微笑みを浮かべた。
直接に日が当たらないようにプールの傍にはパラソルが立ててある。多輝はパラソルの影に置いた椅子に腰掛け、しばし理子の相手をした。ピンク色をしたビニールプールの中には玩具がいくつか浮かんでいる。理子がその玩具を取り上げては楽しそうに遊ぶ。多輝はぼんやりとそんな理子の様子を眺めていた。
昼間によく遊んで早くに理子が眠った後、多輝は同居人Aに言われて優一郎の部屋を訪ねた。今は仕事中で忙しいはずだ、と嫌がる多輝に同居人はこっちも急ぎなんだと譲らなかったのだ。
多輝は憂鬱な気分で控え目にドアをノックした。すると中から優一郎が返事する。忙しいところごめん、と詫びながらドアを開けた多輝を見て優一郎が少し笑う。聞けばどうやら丁度仕事が一段落ついたところだという。まさか同居人Aは最初からそのことを知っていたのだろうか。
多輝が予想していた通り、同居人Aは優一郎に力を使って様子を探って欲しいと言った。多輝は渋い顔をしつつもそのことを優一郎に伝えた。何故か気乗りしない。いつもならよく判らないなりに、同居人Aはきっと色んなことを心配しているのだと思えていたのだ。
相変わらず優一郎は人が好く、同居人Aの頼みを二つ返事で承知した。だがこれまでと同じように目を閉じて意識を集中させた優一郎が、驚いたように途中で目を見張り、困惑した顔で多輝を見る。
どうしたのだと多輝は不安に思って訊ねた。だが優一郎はすぐには答えず、しばし考えるように黙してから唐突に多輝を抱き寄せた。急に唇を塞がれた多輝は驚くやら焦るやらで、口づけを介して優一郎が同居人Aに情報を送っているのだと気付かなかった。
いい機会だからと同居人Aが呟くように言う。その後、多輝の頭の中に大量の情報が流れ込んできた。見覚えのない場所に見覚えのない人々が居るのが視える。腕の中で身を強ばらせた多輝を気遣うように優一郎が見ていたが、多輝自身はその視線に気付くことすら出来なかった。
ざーっと時系列順に書いた感じです。
あっちの水輝(ホストやってた方)が色々してる間に何があったか、という感じになります。
同時進行では難しかったので……(汗)