これはおれが実際に見てきた光景だ。そう同居人Aが言う。多輝は呆然と目の前に広がる景色を見つめた。見知らぬ小さな集落がそこにはあった。だがまばらに居る人々には多輝の姿は見えないらしい。そのことに気付いて多輝は何気なく自分の姿を見下ろそうとして……そこに何もないことに気が付いた。どうやら意識だけでこの景色を見ているらしい。
ゆっくりと視界が動く。まるでその場に自分がいて、実際に歩いているようなスピードで景色は流れた。土の上を裸足で歩く子供の姿が見える。はしゃいだ声を上げて遊んでいる子供の身に着けているのは和服だった。立ち並ぶ家は木造らしく、形は随分とシンプルで、強い風でも吹けば壊れてしまいそうだった。集落の隅には石の積まれた井戸があり、その周辺には女性が数人ほどおり、大きな桶のようなものの中で洗濯をしながら話に興じている。
その集落は深い森に囲まれていた。貧しいながらも人々は助け合って生きているようだ。多輝はそう考えながらしばし景色に見入った。まるで昔話にでも出てきそうな古い家並みや、人々の格好が少し気にはなったが長閑な光景にしか思えなかった。
視界が緩やかに動く。やがて多輝の意識は集落を抜けて森の中に入った。途端に視界が薄暗くなる。鳥の声の響く森の中には細い獣道があり、多輝の意識はその道をゆっくりと辿っていった。
やがて視界が開ける。水の流れが陽光を反射している。大きくはないが清らかな滝の傍には二人の人影があった。それを見た多輝は思わず息を飲んだ。大きな岩に腰掛けている女性と子供に見覚えがある。
『あの女の名前は天彌。先代の雷龍神だ』
低い同居人Aの声が脳裏に響く。多輝の意識は二人に近づいたところで静止した。天彌という女の顔は多輝にそっくりだった。天彌の膝の上には子供が一人座っている。今の理子より少し年は上だろうか。
『子供の方はせつなっていう名前だ』
以前、多輝は何度か二人のことを見たことがある。だが多輝が意識の中で見た場面は断片的で、こうもはっきりと二人を見たことはない。せつなは楽しそうに笑って足をぶらぶらさせている。天彌はそんなせつなに微笑みかけ、手にした鬼灯を差し出した。
『天彌はかつておれが作った存在だった。それまで雷龍神の座はなく、おれは戯れに奴を作った』
低く、感情の読めない声で同居人Aが語る。それを聞いた多輝は訝りを覚えた。何故、同居人Aはそんな真似が出来るのだろうか。そんな多輝の疑問に気付いたのか、同居人Aが少しだけ笑う。
『当時、おれの率いる水龍神は数が少なくてな。いざ戦いが始まると、おれの配下はどうしても危険な役回りを押しつけられる。不意打ち、闇討ち、リスクの高い攻撃方法をとらざるを得なかった』
それは当時の主龍神の命令でもあったのだと同居人Aは語った。
細い鬼灯の枝を手にしたせつなが嬉しそうに笑う。橙色の鬼灯を珍しそうに色んな角度から眺めている。そんなせつなを天彌は優しい笑みを浮かべて見守っている。
『だから作った。だが半分は遊びのつもりだった』
ふと、天彌が空を仰ぐ。その顔にはどことなく翳りがあった。多輝は緊張に息を詰めて二人を見守った。
せつなの手の中でくるくると鬼灯の枝が回る。
『歩兵のつもりだった。おれの配下を護る意味もあった』
だが天彌は自分の様々な思惑をはるかに超えていたのだと同居人Aは語った。
それじゃあ、またね。天彌がそう言って膝からせつなをそっと下ろす。せつなはにっこりと笑って天彌にまたね、と手を振る。空を仰いだ天彌の身体が浮く。その直後、天彌は空の彼方へと飛んでいってしまった。
せつなは天彌が見えなくなるまでずっと手を振っていた。片方の手にはしっかりと鬼灯の枝が握られている。
だが、天彌はもう二度とここには戻らない。そんな気がした。
『おれは奴を嵌めたんだ』
ぽつりと同居人Aが呟く。多輝ははっとして同居人Aに話しかけようとした。だが意識だけでこの景色を見ているからなのか、声を出すことが出来ない。
『何でそんな真似をしたかって? 決まってる。おれは奴を許せなかったんだ』
青く晴れていた空が徐々に暗くなる。せつなが不安そうに空を見上げ、鬼灯の枝をぎゅっと握りしめる。
『ほんの少し力を分けるつもりだったのに、天彌はおれの力の大半を奪って生まれた。当時の天彌は間違いなく龍神の中では最強だった』
許せなかった。悔しかった。そして、羨ましかった。まるで呪文のように同居人Aが呟く。多輝は懸命に声を張ろうとした。それは天彌のせいじゃないだろう。そう言いたかった。
ああ、そうだ。奴のせいじゃない。多輝の声にならない叫びに同居人Aが静かに答える。それを聞いた多輝は訝りを覚えた。何故、それが判っていたのに嵌めるような真似をしたのだろうか。
同居人からの説明というか?
多輝寄りの三人称なので、あくまでも多輝がそう受け取った、という話になっています。