『年頃になったせつなは夜ごと人形を抱くようになった。ま、おれの特製だからな。あそこもきっちり形だけは作ったぜ。手触りもそっくりそのままコピーしてやったしな。さぞ、気持ちよかったんだろうよ』
もう聞きたくない、と多輝は真剣に思った。なのに同居人Aは話をやめようとしない。
『ダッチワイフとどう違うんだろうな?』
どうしてだろう。彼らはただ、愛しあっていたのではないだろうか。見た目には年の差が随分とあったが、二人の間には優しい空気が流れていた。だが同居人Aはそれを壊したのだと嗤っている。その神経が多輝には信じられなかった。
ふと、同居人Aが笑うのをやめる。
『……とまあ、そういう話をすれば信じるよなあ』
唐突にいつもの気楽な口調で言われ、多輝は唖然となった。やれやれと肩を竦めるようなイメージが伝わってくる。多輝は驚きと同時に怒りを覚えた。もしかして全て同居人Aの作り話だったのだろうか。
『いや、話は間違ってはいない。確かにおれは天彌に嫉妬もしたし、罠にも嵌めた』
じゃあどうして、と多輝は胸中で呟いた。目の前にはまださっきの光景がある。だがもう悲鳴は聞こえない。濁流や雷の音が激しすぎるのだ。
『例えばここでおれが、天彌は苺の前世の姿で、せつなは優一郎だと言ったらどうする?』
「違う! 優一郎は優一郎だ! 前世とかは関係ない!」
唐突に多輝の視界が暗くなる。次に気付いた時、多輝は不安そうな優一郎の顔を真っ先に見つけた。優一郎は床に座り込み、多輝を抱えていた。
「優一郎……?」
多輝はそこで自分の身体にろくに力が入らないことに気が付いた。ショックが大きすぎたか、と同居人Aが呟く声が頭の中に響く。ほっとしたように息を吐いてから優一郎がくすくすと笑う。多輝は自分の身に何が起こったのかよく判らず首を傾げた。
「多輝……」
よしよしと優一郎が多輝の頭を撫でる。多輝は混乱する頭を押さえ、さっき見た光景と同居人Aの話を優一郎に伝えようとした。だが、多輝が話をする前に優一郎が唇に指を当てて首を横に振る。もしかして話をしてはいけないのだろうか。そう考えた多輝の脳裏に同居人Aの声がする。
『優一郎にも同じものを見せたから伝える必要はないぞ』
「あ、なんだ。そうか」
何となく返事をしてから多輝ははっと目を見張った。思わず勢いよく身体を起こそうとして、力が入らずくたりと優一郎の胸にもたれかかってしまう。酷い話だよな、と多輝は優一郎の腕の中でぼやくように言った。
「そうでも無いと思いますけどね」
「なっ、なんでだよっ」
あっさりと答えた優一郎に驚いて多輝はひっくり返った声で喚いた。多輝には見せられたあの光景も、同居人Aの話も随分と酷く思えた。なのに何で優一郎は平然としているのだろう。
「そういう風に素直に怒りを感じる君が好きだよ。多輝」
にっこりと笑って言ってから優一郎が多輝を強く抱きしめる。うっ、と言葉に詰まった多輝は真っ赤になって何度か瞬きをした。優一郎の胸に顔を押しつける格好になっているから視界は暗いが、くっついているところから温もりが伝わってくる。それまで感じていた憤りや苛立ちが溶けて消えてしまう。多輝は完全に力を抜いて優一郎に身を任せた。
「Aさん」
多輝をぎゅっと抱きしめたまま優一郎が言う。密着していた多輝は優一郎の身体の中から聞こえた声にどぎまぎしてしまった。聞き慣れたいつもの声とは違い、優一郎の胸の中で響く声には独特の深みがあった。
『なんだ』
うっとりと顔を緩めた多輝の頭の中に同居人Aの声が響く。そこで多輝は我に返り、慌てて顔を起こした。すると優一郎が滑らかな挙動で多輝の身体を軽々と抱き上げ、ベッドに向かって歩き出す。静かに横たえられた多輝は真っ赤な顔で優一郎を見つめた。だが優一郎はベッドの縁に腰掛け、多輝の頭を優しく撫でた。どうやら優一郎は動けなくなった多輝を休ませる目的でベッドに運んだらしい。そのことに気付いて多輝は恥ずかしさの余り、ぎこちなく優一郎から目を逸らした。
「だいたい予測はしていました。ただ、当時の彼女の感情の動きをトレースすることはあなたでも無理だと思うんですが」
多輝の頭を撫でつつ優一郎が微笑みを浮かべる。まあそうだな、と同居人Aが呟く。多輝は心地の良さに顔を緩めつつもきちんと同居人Aの返事を伝えた。優一郎が頷いて長い多輝の髪を指に絡める。
「多輝は本当にいいよね。可愛いから」
「へ?」
話を唐突に振られて多輝は慌てた。くすくすと笑いながら優一郎が多輝の髪を玩ぶ。何だか気恥ずかしいものを感じて多輝は視線を彷徨わせた。
『まあ、なんだ。とりあえず優一郎に礼を言っておいてくれ。あと、危険な目に遭わせて悪かったと』
「は?」
同居人Aの言葉に多輝は訝りの声を上げた。どうしたのだと訊ねる優一郎に多輝は聞いたままを伝えた。すると優一郎が笑みを潜めて考えるような顔をする。
「仕方ないでしょう? ああするしかないまで状況が流れたのは誰のせいでもありません。いえ、責任は応分にあるのか」
よく判らないことを言う優一郎を多輝は不安のこもった目で見つめた。さっきまで感じていた顔の熱がすうっと消える。
『もう邪魔はしないさ。役者は揃ったからな』
「どういうことだよ」
苛立ちを覚えて多輝は同居人Aに訊いた。だが幾ら訊ねてもその意味を同居人Aは教えてくれない。多輝は自分には判るように説明してくれない同居人Aに怒りに近いものを覚えつつも、律儀にそのことを優一郎に伝えた。
「とりあえず、今は出番を待つしかないってこと」
「わかんねえ……」
にっこりと笑う優一郎に不満をこめて呟き、多輝は眉を寄せた。
同居人Aの声はそれから聞こえなくなった。意識の中で呼びかけても、また実際に声に出して呼んでみても返事がない。そういえば同居人Bの声も久しく聞いていない。もしかしたらあれっきり、同居人Bの方はいなくなってしまったのだろうか。
夏が終わり、秋が来る。その頃になると多輝は同居人たちの声が聞こえないことに慣れてしまった。もしかしたらあれは夢か何かで、実は自分は何も聞いていなかったのではないだろうかという錯覚まである。
魔の出た現場に赴き、戦い、そして地下施設に戻る。施設内では理子の遊びの相手をし、優一郎と話をし、食事の用意をする由梨佳の手伝いをしたりする。それが多輝の日常になった。たまに要がひょっこりと顔を覗かせたり、それについてきた透にからかわれたりもしたが、全ては平穏に思えた。
だが多輝の胸にはずっと引っかかっていた。魔と戦うことは正しいのだろうか。確かに魔は人々を無差別に襲い、多くの命を奪っている。だからきっと戦うのは間違ってはいないのだろう。
同居人Aの話も気になる。あの時を境に同居人Aは多輝には一切、話しかけてこない。もしかしていなくなってしまったのだろうかと優一郎に訊ねてみたが、優一郎は言葉を濁すだけで答えをくれなかった。そのことに多輝は不安を覚えたが、元々同居人たちは宿主以外の誰にも感知できない存在だった。だから自分が同居人AやBのことを訊ねても、優一郎には判らないとしか答えようがないのだ。そのことに気付いて多輝が詫びると優一郎は困ったような顔をした。
そして季節が流れ、冬が来る。天界が鳴動し、冥界が壊されかけ、魔が溢れたあの事件のあった日から丁度、二年の月日が流れた。
一気に二年が過ぎます。
まあ……立城が水輝といちゃらぶしていた間のことなので、そのくらいは時間が経ってるという感じですね。
理子も当然、成長しています。