よっ、と声を掛けて順は手首のスナップを使って竿を持ち上げた。手応え通りのいいサイズの魚が糸の先にかかっている。隣に座っていたラスティが感心したように手を叩くのを横目に、順はのんびりと鼻歌を口ずさみながら魚の口から針を外した。
「だからねー。石炭ってのは燃える石のことだよ。こっちでは何て言う名前か知らないけどさあ」
食事を済ませた後、順はラスティに連れられて家の傍の川縁に腰を下ろし、魚釣りを始めた。どうやらここの小川の魚は夜によくかかるらしい。だがラスティは今ひとつ不器用なのか、さっきから当たりはあるらしいのに釣れないようだ。
「ああ、それなら判る。でも燃える石の鉱山はまだ危険で、供給が足りていないんだ」
また空振りしてしまって情けない顔をしつつもラスティが生真面目に答える。どうやらラスティの知識というものは、妙な形で頭の中に収まっているだけで、引き出すのに多少の手間がかかるらしい。食事後、川縁に座って話をしているうちに順はそのことに気が付いた。
「ほーん……。一応は鉱山とかあるんだ? おっ、引いてるよん」
「あっ!」
順の指摘を受け、ラスティが慌てた声を上げて竿を上げる。だがあと少しのところでまた逃げられてしまったらしい。暗い川面を魚が跳ね、水音を立てる。ラスティは情けない顔をして針にまた餌をつけ始めた。
常磐は一人で食事の後片付けをしている。窓の開いた家から聞こえる食器の触れる音に耳を澄ませ、順は習慣的にシャツのポケットを探った。
「がーん。煙草がない」
この世界にも一応は煙草らしいものはある。商船に潜り込んだ際にとある船員から分けては貰ったのだが、順の口には合わなかった。吸った瞬間に香ばしいイカ焼きの匂いがする煙草というのもどうなのだろう。そんなことを思いながら順はとほほ、と呟いた。
「煙草? ああ、紙で巻いてある細いやつか?」
ふと、ラスティが話しかけてくる。順は不思議に思いつつ頷いた。ちょっと待ってろと言ってラスティが家の中に戻る。しばしの後、家から出てきたラスティは順が見慣れたものを持っていた。
「うお、どしたの、それ!」
ここ数ヶ月というもの、ずっと禁煙状態だった順はラスティの差し出した煙草を見て喜びの声を上げた。ありがたく受け取った煙草の封は切られている。
「え? ラスティちゃんって煙草吸うの?」
もしかしてラスティはわざわざ向こうの世界に煙草を買いに行っているのだろうか。まじまじと煙草を見つめて順はそう問い掛けた。するとラスティが苦笑をして首を横に振る。
「いや、俺のじゃない。水輝のだ」
「ああ、道理で」
見慣れた銘柄なのは水輝が吸い付けている煙草が順のそれと同じだからだ。順は早速、煙草を口に咥えた。ライターの持ち合わせはなかったので、傍にあったランプを取り上げる。順は硝子製のランプの蓋をずらして煙草に火を点け、深く息を吸い込んだ。
「うはー! 久々だよー、美味いなあもう」
感嘆の声を上げて順は何度も頷いた。そんな順をラスティが不思議そうに見る。
「そんなに美味いものか? 俺は不味いとしか感じなかったが」
「ああー。まあね、ラスティちゃんには何となく似合わないような気がするし、不味いなら吸わない方がいいよね」
機嫌良く喋りながら順は竿を軽くしゃくった。確かな手応えを感じたところでおもむろに竿を上げる。リールも何もなく、木の枝に糸をつけ、その先に針をつけただけの竿でもけっこう釣れるものだ。順は釣れた魚を針から外し、二人の間にある桶の中に放り込んだ。水を張った桶の中では釣れた数匹の魚が泳いでいる。
「じゃあそれはお前にやる。何か嫌な予感がしたから持って帰ったんだが、お前が生きているということは水輝もきっと無事なんだろう」
「ほへ? ああ、ラスティちゃんも魔法士だっけか。煙草みたいなものでもあっちの状況をどうにか出来るもんなの?」
ラスティが難しそうな顔をして餌をつけようとしているのを見かね、順は横から手を伸ばして代わりに針に餌を通してやった。どうも、と呟いてラスティが餌のついた針を川に投げ込む。
「まさか。……ただ、もしかしたらあいつ、死ぬかも知れないと思ったから」
形見のつもりだったっていうか。独り言のように呟いてラスティがぼんやりと暗い小川を見つめる。順はなるほど、と小声で答えた後、口を噤んだ。
そうだよねえ。そのつもりだったと思うよ。
口にはせず、順は心の中でだけラスティに返答してみた。あの時、きっと水輝はそのつもりだっただろう。そうでなければ順がわざわざ自分から立城のところを訪ねることもなかった。
少しでも助けになれば、と考えていた。だが水輝はそんな順の考えを上回るスピードで事を進めてしまった。結果的に水輝は多分助かってはいるだろうが、魔法の発動を止めることは出来なかった。あの後、あの世界がどう動いたのかは判らない。だがきっとそれまで以上に騒然としているに違いない。
「うっ。また逃がした」
「当たりの感触があったらちゃんと魚の口に針をかけないと逃げられちゃうよ」
こうやって、と順は竿をしゃくる真似をしてみせた。ラスティが真面目な顔で順の仕草を見つめ、何度も頷く。今度こそ、と気合いをこめて言ってからラスティが針をつかんで餌箱から餌を取り上げる。だがラスティは相当不器用なのか、また苦労している。順は苦笑してラスティのつかんでいた針を取り上げ、代わりに餌をつけた。
順の視点なのでモノローグ&説明みたいになってます。
それにしてもラスティ……こんなに残念じゃなかったはずなんだ!(作者の叫び)