同僚たちはそんな水輝を驚きの目で見た。だが水輝は特に何の感情も覚えることはなかった。どういった客でも適当に微笑みを浮かべて適当に話を合わせ、誘われればそれに応じ、客の言いたいことを先読みし……それだけのことだった。
「凄いっすよね、水輝さん。何かコツとかあるんすか」
店に勤め始めて一ヶ月が過ぎた頃、同僚たちの顔ぶれはがらりと変わった。落ち込んでいた経営状態は水輝が入店した後に鰻登りに跳ね上がった。それに応じてくたびれていた店の内装が整えられ、勤務態度の悪い者は軒並みクビにされた。それだけの余裕が店に出来たと言うことだ。そしてクビになった店員の代わりに新しく若い者が入ってきた。彼らはろくに仕事もしていなかった同僚とは違い、熱心に仕事に従事した。その効果もあって客の数は増える一方だ。
そして水輝は文字通り、ナンバーワンの座に昇り詰めていた。
「別に」
ネクタイを結わえながら水輝はぼそりと答えた。時間前の店員の控え室はいつも賑やかだ。
「だってこないだキャデラック貰ったって」
「なにい!?」
水輝の隣で感心した顔をしていた店員とは別の店員が控え室の隅で叫ぶ。
「マジで!?」
「そうなんすよ! オレもびっくりしたんですけど!」
煩いなあ。そんなことを思いながら水輝は手早くスーツを着込み、ロッカーの扉を閉めた。煙草を咥えて歩き出した水輝の後を最初に声をかけてきた店員がしつこく追う。
「マンションとかも貰ってるんでしょ!? すごいっすよ!」
「そんなに欲しいならやるぞ。車とか要らないし」
住むところはないと困るからマンションは駄目だが。そう水輝が言った瞬間、控え室の中がしんと静まりかえった。水輝は控え室の中央にある小さな応接セットに歩み寄り、ソファに腰掛けた。
唐突に歓声が上がる。あまりの賑やかさに驚いて水輝は同僚たちを見回した。
「じゃあ俺、バッグね!」
「オレは時計! こないだ貰ってたろ!? ダイヤ入ったやつ!」
「じゃ、じゃあオレはキャデラック……痛い! 叩かないでくださいよぉ」
「お前にゃ百年早いんだよ!」
一気に騒然となった控え室の中で、水輝は一人ため息を吐いた。装飾品や車など自分には到底必要ない。だから彼らに分けるのは別に構わない。だが、この賑やかさはうんざりする。水輝は勝手に取り分を主張し始めた彼らを余所に、控え室を出た。
この店は紫藤の家から随分と離れている。そのために水輝は紫藤の家からここに通ってはおらず、客の女から貰ったマンションを根城にしていた。紫藤はどうやら水輝が自分の目の届く範囲に居ればそれでいいと思っているらしい。同じ家に暮らしていなくても望む時に電話をかけ、水輝が訪ねてくれば満足するようだ。そして水輝がホストで稼いだ金には興味がないらしく、好きに遣えと笑っていた。
どうでもいいんだけどなあ。水輝は煩い控え室を出て外に張り出した非常階段に出た。季節はもう春になろうとしている。水輝は金属製の手すりに寄りかかり、ぼんやりと街の様子を眺めた。
暗い空に街の明かりが滲んでいる。水輝はしばし色とりどりの人工の光を眺めてからビルの中に戻った。煙草を咥えたままで控え室の前を過ぎ、フロアの奥に向かう。そう言えば今日は北原に顔を見せていない。そのことを思い出して水輝はオーナー室に向かった。
硝子窓のはめ込まれたドアをノックする。水輝は失礼します、と言って中からの返事を待たずにドアを開けた。
独特の香りが部屋に立ちこめている。水輝は眉を寄せて急いでドアを閉め、大股でオーナー室を横切った。机についた北原は虚ろな眼差しを中空に向け、なにごとかをぶつぶつと口の中で呟いている。
薬か。机にのった小皿の中に入った白い粉を見つめ、水輝は部屋の窓を全開にした。やがて部屋に立ちこめていた香りが外に逃げ、北原の目に生気が戻ってくる。窓辺に寄りかかって煙草をふかしていた水輝はそこで声をかけた。
「あんまり薬に頼らない方がいいと思うぞ。何があったかは知らないが」
ぶっきらぼうに言って水輝は握っていた小さな灰皿に煙草を押しつけた。するとはっとしたように北原が振り返る。
「だ、大丈夫だよ。軽いものだから」
「薬の濃さや種類や質を言ってるんじゃない。どんな薬物も人体には何らかの影響を与えるし、副作用も出る。だが人間は自由意志で薬物を体外に排出することが出来ない。オーナーが倒れたら困るから言ってるんだ」
機嫌悪く言ってから水輝は壁から背中を引き剥がした。何でこんな説明をいちいちしなければならないのだろう。そんなことを思いながら部屋を出ようとした水輝はすすり泣く声を聞いて北原を振り返った。
店の経営は上手くいっている。店員たちの質も上がり、客も増えた。店には余裕が出来た。なのにどうして北原が泣くことがあるのだろう。しかも北原はうれし泣きをしているのではなく、悲しそうに泣いているのだ。
面倒くせえ。どうでもいい。そう思った。別にここで北原が麻薬に溺れようが、死のうが関係ない。そんな水輝の思いにはまるで気付かなかったのか、北原が頼みもしないのに涙ながらに語り始める。
「ぼくは、もう、紫藤さんに愛されていないんだ」
「そうくるか……」
水輝は聞こえない程度の小声で呟いた。あのおっさん、と心の中で紫藤を罵倒する。どうやら紫藤は別の意味で事を片付けるために水輝をここに寄越したらしい。恐らく紫藤はかつての愛人の北原がうっとうしくなってしまったのだ。
どんなに綺麗な少年も年をとる。年をとればその分くたびれる。若い頃はきっと紫藤に寵愛されていたのだろう。だがさめざめと泣く北原にかつての面影は感じられない。
この時の水輝は何に関してもどーでもいいとなってます。