全き世の末、うつろうまやかしよ
己が道を行け
微かな声で紡がれた呪文は外にはもう聞こえない。疑問を投げかける二人にそれは笑ってみせた。
完全に切り離された今なら言える。
『おれは断然ノーマルのストレートだ!』
それはこぶしを握って声を張り上げた。
『とりあえず今のところ説得力ないわよね?』
頭をかきながら二人のうちの一人が言う。それはうっ、と息を飲んで振り上げていたこぶしを下ろした。呆れた顔をしているその一人の名前は佑。その隣に並んで目に涙を浮かべて嬉しそうに頷いているのが奈月だ。
『何でだ。言っておくがあれとおれは違うぞ?』
渋い顔をしてその場にあぐらをかいてそれは応えた。腕組みをした佑が深々とため息を吐いて首を振る。
『水輝さんはゆか……ではなくて、えっと、立城さんのことを好いてらっしゃると思っていました』
何に感動しているのか判らないが、奈月が目を潤ませたままで言う。それ……水輝は眉を寄せ、難しい顔をして天を仰いだ。
どこまでも澄み切った美しい青い空がそこにある。だが彼らのいる場所に床はない。青い空間に彼らは浮いているのだ。
『まさか。おれはノーマルだって言ったろ。何で男を好かなきゃならないんだ』
しばし考えてから水輝はそう応えた。うーん、と唸った佑が空中に腰掛けて頭をかく。
『だって、わたしより優一郎のほうが好きでしょ?』
『うっ』
すらりと口にされた佑の言葉に水輝は思わず詰まった。佑が両手を軽く広げ、仕方がないとでも言いたそうに肩を竦める。
『だから、切り離したって言っただろ? その嗜好も全部まとめて叩き込んだからな。今のおれは昔のおれとひと味違う!』
水輝は気合いをこめてそう力説した。だが、どれだけ叫ぼうと喚こうと、もうここにいる誰の声も外には届かない。優一郎や多輝の意識に繋いでいたものも全て切った。
『姫さま。このような変態の戯れ言など聞く必要ありません!』
『なんだ、居たのか。変態』
奈月の背後で叫んだモノに向かって水輝は言い放った。もの凄い勢いで奈月に近付いたそれが目を吊り上げて水輝を睨む。
『言うに事欠いてどうして、わたくしがっ!』
『変態を変態と言ってどこが悪い。よりによって男になんざなりやがって』
奈月に触ったら殺す。どさくさに紛れて奈月を抱きしめようとしていたそれに水輝はきっちりと釘を刺した。ぎくりと肩を竦めたそれの名前は桜という。奈月を想うあまりに心の壊れた桜をここに無理やり放り込んだのはあの執事だ。桜がやってきた時のことを思い出して水輝は深々とため息を吐いた。
『なりたくてなったわけではありませんっ! この場のバランス上、仕方なく、こうなったのではありませんか?』
男性になってしまった自分の身体を見下ろして桜が言う。水輝はけっ、と喉の奥で言ってそっぽを向いた。
『阿呆。バランスも何も、ここは力の残りかすになったおれが作った寝所じゃないか』
誰も招待したつもりはない、と吐き捨てて水輝は大きく伸びをした。この空間には地面はないが、その変わりに好きなときにどんな向きにでも寝転べるようになっている。
『水輝さん。嘘は良くないと思う。ここにどんどん力流れ込んで来てるのわかってるわよね?』
佑がそう言って宙を漂い、水輝の傍にちょこんと座る。水輝は佑の膝に頭を乗せた。
『ばれたかな』
ぼそりと呟いて水輝はため息を吐いた。怪訝そうな顔をする佑の頭を撫でてから水輝は言葉を継いだ。
『元々、回復用に作った寝所だしな。寝てればそのうちに回復するようにはしたつもりだが』
だが、こんなに急速に力をチャージする能力はこの空間にはない。考えられる可能性はただ一つ。誰かが外から強引に力を送り込んでいるのだ。
『わたしたち、やっぱり邪魔だった?』
無表情に佑が訊ねる。水輝ははあ? と呆れた声を上げてから顔をしかめた。見れば桜の傍に立つ奈月は泣きそうな顔をしている。
『何でだよ。だからおれが消える前にちゃんと呼んだろう? 一人で寝るのはつまらないし、手放す気がなかったから呼んだつもりだったんだが?』
長い佑の髪を指の間に玩びながら水輝はあっさりと答えた。
あの時、世界がひっくり返るほどの力が炸裂した。水輝はある属性を自分から切り離すと同時に、器すら形成出来ないほど力を消耗してしまった。だがそうなることは最初から判っていた。
『わかってるけど心配になるのよ。だって、この力の流れ、わたしと奈月さんのせいだし。っていうかあの子も、もっと上手くやればいいのに』
『翠さんは悪くありません!』
佑がしかめ面で言うと奈月が大きな声でそれを遮る。喧嘩するなよと苦笑して水輝はむくりと身体を起こした。
『なんだ。てっきりばれたからやばいのかと思ったら、原因は別か。ちょっとほっとしたな』
頭をかきながら水輝はそっと息を吐いた。
『おじさまの作戦の結果でもあるから、まだ、大丈夫じゃないかなあ。おじさまもえぐい事考えるわよね』
『そうなのか? おれは単に』
そこで言葉を切って水輝はこぶしを握りしめ、言葉を継いだ。
『あの野郎が人の神経を逆なでする事ばかりしやがるから、たまには仕返ししてやろうと思って、それならついでに面倒なアブノーマル属性も切り分けて、欲しがってたんだろうそら、と押しつけたつもりだったんだが』
一気にまくし立てて水輝は佑と奈月を交互に伺った。奈月は不思議そうな顔をして首を傾げ、佑は嫌そうに顔をしかめている。
『……やっぱり訂正。水輝さんが一番悪党かも』
佑がぼそりと呟く。それを聞いた水輝は何でだよ、と声を荒らげた。そのついでにこそこそと奈月に触ろうとしていた桜を睨みつけ、触るなと忠告する。