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らぶらぶぱぱ 1
広々とした廊下や天井、壁に至るまでが鈍い銀色をした金属に覆われている。空調のよく効いたその廊下を透は無言で歩いていた。少し前を行くのはこの金庫を管理する銀行員の一人だ。
以前、木村邸を出る折に貰い受けた鍵が貸金庫のものであると判ったのが数日前。透はその後、鍵がこの銀行のものであることを突き止めた。広々とした廊下の両サイドにある扉は全て貸金庫だ。天井までは数十メートルはあるだろうか。広々とした空間には規則正しく廊下が並んでいる。透は天井を見上げ、並んでいる渡り廊下をぼんやりと眺めた。
あのバカ騒ぎから三年ほどの月日が流れた。あの日から今日までにあったことを思い起こして透はため息を吐いた。改良に改良を重ね、要の身体は魔と最高の状態で戦えるようにセッティング出来るようになった。改良のたびに透はそう自負していた。が、実際には毎回、戦いの後に必ず反省点が浮き上がる。操作する透が多少のミスをしたところで、その程度のことは補完が出来るようにシステムは組まれている。問題は魔が進化しているということなのだ。
こちらでございます、と胸にネームプレートをつけた銀行員が恭しく礼をする。透は重々しく頷いてスーツのポケットから鍵を取り出した。
順は帰ってこない。最初はどこかできっと生きているだろうと考えていた透も、近頃では半ば諦めている。何しろ対の存在である水輝もいなくなってしまっているのだ。二人がいなくなればきっとこの世界はただでは済まない。だから生きているはずだ。その透の考えは変わりつつある。
もしかしたらいなくなった二人の代わりに新しい龍神が生まれているのかも知れない。聞けば由梨佳の預かりとなった銀龍神はすくすくと大きくなっているという。新しく生まれたのは銀龍神だけではない。他にも複数の龍神が生まれたという情報が入っている。
透は貸金庫の扉に近付き、細い鍵を鍵穴にさし込んだ。するとパスワードを要求される。透は眉を寄せてテンキーで自分の生年月日を打ち込んだ。軽い電子音がして機械的な女性の声が聞こえる。
『パスワード照合しました。これよりメッセージをお伝えします』
テンキーの下につけられたスピーカーから聞こえる声は少し小さい。透は身を屈めてスピーカーに耳を近づけた。
『やっほー、透ちゃん。ぱぱだよーん』
懐かしい順の声が聞こえる。透は思わず目を見張って慌てて周囲を見回した。だが、そこに順がいるはずもない。そうだよな、とため息を吐いて透は再びスピーカーに耳を寄せた。
『ココを開ける気になったってことはー。もしかして相当、ヤバイ?』
へらへらと笑う順の言葉を聞いて透は顔をしかめた。この場に順がいたら、もしかしたらげんこつで殴るくらいのことはしているかも知れない。
「べつにっ!」
反射的に答えてから透は慌てて咳払いをした。傍にいた銀行員はだが、行儀良く平静を保って控えている。
『ま、オレが生きてるかどうかもアヤシイしねー。あっはっは』
呑気に笑う順を殴りたい衝動に駆られたが、透は何とかそれを我慢した。どちらにしろ、殴りたいと思ったところで順はいないのだ。
『んじゃ、まあ。開けてびっくりしないように気をつけて。愛してるよん、透ちゃん』
そこでぷつんと順の声が途切れる。再び機械的な女性の声がメッセージは以上です、と告げる。透は怒りに近いものを感じつつものろのろと身体を起こした。
軋みを立てて分厚い扉が開く。丸い扉がゆっくりと横にずれ、暗かった金庫内に灯りが点く。不機嫌極まりない顔をして扉の中を見た透は思い切り悲鳴を上げた。奇声を上げて飛び離れた透を不審に感じたのか、銀行員が貸金庫の中を覗いてやっぱり悲鳴を上げる。
筒状の金庫の中には身体を丸めた順が入っていた。まるで眠るように順は目を閉じている。広い廊下の手すりまで飛び離れていた透は、肩を怒らせて金庫に駆け寄った。こぶしを固めて迷わず順の頭を殴る。
だが順は反応しない。そこで漸く透の理性が戻ってきた。怖々と筒の中を覗き込む。どうやらこれは順の抜け殻らしい。身体の中に順の気配を感じ取れないことに気付き、透は深々とため息を吐いた。足を抱えて丸くなった順の身体の傍には、茶色の大きな封筒が入っている。透は恐る恐る手を伸ばして封筒を取り上げた。
封を開いて中を覗く。そこには一枚の楽譜が入っていた。手書きらしい楽譜には音符と歌詞が書かれている。
「これを歌えってか」
頬をひきつらせて透は呟いた。試しに歌詞を読んでみる。遅れて正気に戻ったのか、銀行員が恐る恐る透の傍に寄る。
「あの、木村様。お荷物はいかがいたしましょう?」
出来れば触りたくない、という雰囲気を漂わせて銀行員が小声で訊ねる。
「このバカを今、起こすからちょっと待ってくれ」
そう言ってから透はやけくそで楽譜に書いてある歌を歌い始めた。だが金庫の中に詰まった順に変化はない。しかめ面をして楽譜を睨む透の手元を銀行員が覗き込む。
「あの……。出だしの音がまず違います。Fではなく、Dフラットです」
ごくごく控え目な声で銀行員が言う。指摘を受けた透の顔がぴしりと凍り付く。自慢ではないが音楽は嫌いなのだ。
「すまんが手本に歌ってくれないか?」
「ええっ!? 私がですか」
焦った声を上げて銀行員が嫌がるように首を振る。何しろこの歌のタイトルからしてどうかしている。らぶらぶぱぱ、というのは何なのだろう。だが透は嫌がる銀行員の手に楽譜を無理やり押しつけた。
真っ赤になって銀行員が小声で歌う。だが透は何度聴いても銀行員と同じようには歌えなかった。いや、透自身は同じように歌っているつもりなのだ。だがどう歌っても銀行員が違います、と言うし、順はやっぱり変わりなく金庫に詰まったままだ。
透がいきなり難関にぶつかりました。