「どうしても父親と考えられないと言うなら、Aさんでも、あの人でもなんでもいい。冒涜するような名称で呼んではいけないよ」
「じゃあ、青龍王」
ぱっと顔を上げて理子はさらりとそう呼んだ。すると優一郎が何度か瞬きをする。理子は目元に残っていた涙を拭い、ちゃっかりと優一郎の足の間に座り直した。
「だって翠はあの人のことをそう呼ぶよ?」
だから理子も。理子は笑いながらそう言ってクッキーを頬張った。多輝の出演するショーの様子がテレビ画面には映し出されている。ステージに上がった多輝が恥ずかしそうに挨拶をしている。
「ここで良かった。その名称も禁止。防諜上の理由って言ったら理解してくれるよね?」
「もうっ! パパってば注文が多いよぉっ」
子供らしく足をばたつかせて理子は唇を尖らせた。だが青龍王の名を万が一、外で口に出せばあっという間に龍神たちに囲まれてしまうことは判っている。行方を捜している龍神は、何もあの男だけではない。世にはびこる魔もまた、力あるその名を聞きつけたらすっ飛んでくるだろう。
パパってほんとにあの人のこと好きなのねー。理子は面白くない気分で心の底で呟いた。
「理子。それで、多輝のように戦いたい、という話だったよね。確かにそろそろ君にも戦う術を教えなければならない」
どうやら理子に水輝を父親と呼ばせることは諦めたらしい。優一郎がさりげなく話題を変える。理子はあれ、と内心で首を傾げた。いや、優一郎が避けたのは水輝の話題そのものなのかも知れない。
「んー。パパが嬉しそうに観てくれるんなら、そうしたいかなって思っただけ。でも、理子は魔法とか使えないから」
殊勝に諦めた顔をして理子はそう答えた。多輝と同じ方法で戦うことは出来なくはないが、効率が悪すぎる。つらつらと考えながら理子は何気なく上を見た。そこで優一郎と目が合う。
「少なくとも護身の術くらいは身に付けておいたほうがいい。正直、今までさぼっていた僕がどうかしていた」
やっぱり真面目な表情をして優一郎が語る。だが理子はぼんやりと優一郎の唇を見つめていた。形のよい唇が次々に言葉を紡ぎ出す。
キスしたら気持ちよさそう。そう思って理子は背伸びをして優一郎の唇に軽いキスをした。それまで真面目に語っていた優一郎が息を飲んで言葉を切る。
「理、理子……!」
うろたえた優一郎が真っ赤になって口許を腕で覆い隠す。理子は不思議そうな顔をして首を傾げた。
「どうしたの、パパ。この間までちゅっ、てしてくれてたのに」
さっきはおでこにキスしてくれたのに。理子はそう言いながら優一郎が唇で触れた額を大切そうに手で包んだ。
「いや、ちょっと、不意打ちだったから」
焦る優一郎を見つめて理子は唇を尖らせた。
「もしかして嫌だった?」
上目遣いに優一郎を見つめ、理子は泣きそうな顔をしてみせた。もし嫌ならもうしない、と続けて言うと優一郎が目に見えてうろたえる。
「いや、別に、外国とかでは普通だし、問題ないかな?」
「大丈夫だと思う。今日もらったお手紙にも、キスしたいとか書いてあったもん。きっと普通だよ」
にっこりと笑って理子は優一郎の胸に背を預けてテレビに目を向けた。それまでうろたえて意味もなく顔を手で押さえたりしていた優一郎が、ぴたりと身体の動きを止める。
「そんな手紙を書いたのはいったいどこの誰?」
かたい声音で優一郎が言う。理子ははしゃいだ声で笑ってぶらぶらと足を揺らした。
「えー。そういうお手紙、理子いっぱいもらうよ? ええと……ぼくは理子さんが大好きです。理子さんとおつきあいしたいです。とか。あと……理子さんのことを考えると寝られなくなります。キスしたいです。とか」
手紙に書かれたつたない文章を思い出しながら理子はストレートに言った。それまで硬直していた優一郎が俯いてぶるぶると腕を震わせる。理子は気付かないふりをして画面に映る多輝に呑気な声援を送った。
「理子、今の学校は好きかい?」
「うん、まあまあ好き。担任の先生は可愛いし、友達も出来たし」
のんびりと答えながら理子は心の底で笑っていた。きっと優一郎はまた理子を転校させようと考えているに違いない。何しろ理子の成長速度は人と大きく異なっていて、この三年でここまで成長してしまったのだ。不自然に急成長する理子のことを隠すには学校に行かないのが一番なのだが、優一郎は社会性を身に着けるためと理子を学校に通わせているのだ。そのため、理子はこれまでに何度か学校を変わっている。
「あっ、そう言えば今日ね。不思議なお手紙ももらったの。下駄箱に他のお手紙と一緒に入ってたんだけど」
理子はぶらぶらと足を揺らしながら笑った。
「あなたのことをいつも見ています。音楽室で歌っているところが好きです。掃除当番を一生懸命しているところも大好きです」
手紙の内容を思い出しながら理子はつらつらと語った。そうしている間に優一郎の顔に怒りの色が浮かんでいたのだが、理子はそのことに気付かないふりをした。
その手紙は恐らく、外部の者が校内に侵入して下駄箱に突っ込んだものだ。手紙の内容は読み進めるうちにおかしくなり、終いには理子を抱きたいだの、あそこにペニスを入れたいだのという、三文小説顔負けの内容になってしまった。
「素性を隠すことに焦る余りセキュリティについて疎かになっていたかもしれない。理子、不快だっただろう?」
「パパ。ペニスをあそこに入れるってなあに?」
怒りを堪えるような顔をしていた優一郎に理子は無邪気に訊ねた。その瞬間、優一郎がぴしりと顔を強ばらせる。
「理子。君の知識でわかるように説明すれば、それは性行為を示す言葉だ」
「ふうん。でも変だよね。あそこって書かずにちゃんと膣とか女性器とか書いた方が判りやすいと思うの」
ちなみにその手紙の主のところには、理子が直々に出向いて説教をしておいた。ついでに刀も突きつけたので、あの男は二度と小学生をつけ回すような不埒な真似はしないだろう。どうも男は理子に幻想を抱いていたらしい。男の部屋に溢れかえっていたエロビデオや漫画などは全て没収し、焼き捨てておいた。
優一郎本人はキレてるつもりはないのですが。
理子のことは大事にしているので変な虫がつくのは困るというか。