不意にドアを叩く音が聞こえる。それまで一心不乱に考えに耽っていた優一郎は驚きに身を竦めた。誰かが部屋を訪ねてきたらしい。優一郎は慌てて居住まいを正し、平静を装って返事をした。
「……パパ?」
弱々しい声で呼びかけた理子がドアを少し開けて顔を覗かせる。優一郎は驚きに息を飲み、はっと我に返った。慌てて立ち上がって何となく白衣の裾を払う。
「理子……!」
駆け寄りたいのをぐっと堪えて優一郎は軽く頭を下げた。
「その、さっきはごめん」
「ううん。理子も悪かったと思うの。……あの、入ってもいい?」
しおらしく言って理子が上目遣いに優一郎を伺う。優一郎は慌ててドアに寄り、自分から扉を大きく開いた。パジャマを着て枕を抱えた理子が部屋に入ってくる。その姿を見た優一郎は思わず顔を緩めかけ、慌てて自分の頬を押さえた。
「多輝に怒られたの。理子は無防備すぎるって」
相当、落ち込んでいるのか理子が気弱な声で言ってごめんなさいと頭を下げる。
「そうか多輝が……」
ほっとしたものを感じつつ、優一郎は心の中で多輝に感謝した。きっと多輝はうろたえていた自分の代わりに理子を諭してくれたに違いない。それに比べて自分は何て情けないのだろう。そんなことを考えていた優一郎の手を理子がきゅっと握る。
小さい小さいと思っていた理子の手は、いつの間にか前より大きくなっている。だがその手は細く、今でもまだ優一郎と繋ぐと手の中にすっぽりと隠れてしまう。
「多輝がね。理子とはもうお風呂に入らないって。言われちゃった」
呟くように言って理子が泣きそうに顔を歪める。それを見た優一郎はぎょっとして慌てて周囲を見回した。だがそこには助けてくれそうな人は誰もいない。
「理子。大人になるのは嫌?」
ここでうろたえてはいけない。そう自分に言い聞かせて優一郎はその場に腰を落とした。膝を床について理子と目の高さを合わせる。風呂から上がって間もないからか、まだ理子の髪は濡れている。
「だって、この間までは多輝もパパも一緒にお風呂に入ってくれたのに」
寂しそうな顔をして理子が目に浮かんだ涙をパジャマの袖で拭う。確かに成長速度を考えれば、理子にしてみればついこの間まで仲良く風呂に入っていたはずなのに、急にみんながよそよそしくなってしまった気がするだろう。
「理子はずっと、子供として扱われたいんだ」
そう言ってから優一郎は口許を手で覆った。自分は何を言ってるんだろう。そんなことを考えていた優一郎の目をじっと見つめ、理子が鼻を啜る。
「このままパパも多輝も……ママも……みんなが理子から離れていったらどうしようって」
震える声で言ってから理子が泣きじゃくる。もしかしたら理子は実はもの凄く不安だったのではないだろうか。
「離れると言ったら、離れるのかもしれない。間合いの違いみたいなもの」
説明をしてから優一郎は例えが不適切だったかも知れないと眉を寄せた。だが理子は意外にもうん、と頷いてみせる。どうやら今の例えで判ったらしい。
「パパ、理子のこと嫌いになったりしない?」
涙の浮かんだ目で理子が真っ直ぐに優一郎を見つめる。
「うん。何があっても僕は理子の味方だよ」
そう答えて優一郎はにっこりと笑ってみせた。これできっと理子は安心出来るだろう。そう思った。
目元を拭った理子が澄んだ眼差しで優一郎を見つめる。
「パパはあの人にも同じことを言うでしょ」
鼻を啜って震える声で理子が言う。優一郎は不思議に思って首を傾げた。一体、何の話だろう。
「いや。多輝には、確かによく似た事を言ったことがあるけど」
「パパは多輝が大好きなんでしょ? でも同じくらいあの人のことも好き」
すらりと言って理子が優一郎に一歩迫る。優一郎は言葉をなくして理子を凝視した。さっきまで泣いていた目が、今は真っ直ぐに優一郎を見つめている。灰色に近い銀色をした目からどうしても目が逸らせない。
「確かにそうだろうね。だから佑という存在が成立したんだと思う」
「だってパパは」
そこで言葉を切って理子は難しそうな顔をして唇に指を当てた。もしかしたら言葉を選んでいるのだろうか。それともここで言うのを止めてしまうつもりだろうか。優一郎は緊張に身を強ばらせて理子の反応を待った。
うん、と頷いた理子が伏せていた目を上げる。
「パパは諦めちゃったんだもん。あの人が王様のものだって、だから諦めたんでしょ? かなうはずがないって」
理子の言葉に迷いはなかった。きっぱりと言い切った理子がゆっくりと視線を下げる。優一郎は無意識にその場にへたり込んでいた。
「理子の言うとおりだろうね。僕は確かに諦めた。だから佑が必要になって、そして、佑は君を産んだ」
「どうして諦めちゃったの? 王様はいなかったのに。何で? 多輝に嫌われるのが怖かったの?」
呻くように答えた優一郎に理子がたたみかける。優一郎は苦しさに顔を歪めて俯いた。うなだれた優一郎を理子は静かな目で見つめている。
「多輝は嫌ったりしなかったと思う。単純に、僕にそれだけの器量が無かったんだと思う。多輝だけであの頃の僕の器は溢れそうだった。もしかしたら自分自身の器の容量を見誤っていたのかもしれないけれど」
「パパはあの頃、王様になれそうだったのに」
ぽつりと呟いて理子が悲しそうなため息を吐く。優一郎は驚きに息を飲んで顔を上げた。
親馬鹿炸裂かと思ったらそーでもないというか?
これがなければなあ……www
色々この先違ってたのになあwww
というくらいにこの先のストーリーが変わったところだと思います。
理子が登場した時点で確定していたのかもですが。