「水輝さんがそんなこと言うと、必ず雨が降るんだもんなあ」
「そうか?」
まさか、と心の中で水輝は呟いた。そんなことはあるはずがない。雨を呼ぶことも、追い払うこともできっこない。何しろ自分はもう、力を失ってしまったのだから。
二人分の煙の立ちこめるスペースにひょっこりとフロア係の青年が顔を覗かせる。
「水輝さーん。ご指名」
「うい」
水輝は慌ただしく灰皿に煙草を押しつけた。そこで妙なことに気付く。フロア係がにやにやと意味ありげに笑っているのだ。
「何だ。変な客なのか?」
「すっ」
そこでフロア係は俯き、めいっぱいに溜めてから顔を上げた。
「げえ美人! 今まであんな美人な客、見たことねえっすよ!」
「……お前の言う美人はなあ」
聞けばその客は初めてこの店に来たのだという。苦笑して頭をかきながら水輝は休憩スペースを離れた。さりげなくネクタイを直し、賑やかな声に包まれるフロアを横切る。水輝はいつものように、店の入り口近くにいる客に深々とお辞儀をし、にこやかな笑みを浮かべて頭を上げた。
「水輝です。宜しくお願いします」
そこで水輝の笑みは凍り付いた。フロア係に店のルールを簡単に説明されている女を凝視する。
「料金システムについての説明は以上です」
「帰れ!」
笑顔で説明をしていたフロア係の声を遮って水輝は怒声を張った。その瞬間、店内がしんと静まりかえる。驚いた顔をしたフロア係が慌てて水輝を止める。
「ちょ、ちょっと水輝さん、何言ってんすか」
「何しに来た!」
だが水輝はフロア係に構わず、女に怒鳴りつけた。そこで慌てふためいた店員たちがすっ飛んでくる。オーナーの北原が真っ青な顔をしてフロアを横切り、水輝の元に駆けつける。
女はフロア係の言う通り、とてつもない美人だった。当たり前だ。何しろ人間じゃない。水輝は懸命に取り押さえようとする同僚たちの手を振りきり、女を店から追い出そうとした。
落ち着いた挙動で女がバッグを探り、一枚のカードを取り出す。それを見た水輝は目を吊り上げて女を睨んだ。水輝を取り押さえていた同僚たちが感嘆の声を漏らす。
「それがどうした! 金があるから何だってんだ!」
女が取り出したのはとある金融機関のゴールドカードだった。だがこの女が金を持っていることなど百も承知だ。
女が微笑みを浮かべる。手にしていたカードをオーナーの北原に押しつけ、女は水輝の前に一歩出た。食ってかかろうとする水輝を同僚たちが懸命に後ろから押さえる。
「落ち着いて、水輝さん! 一体、どうしたんすか! いつもみたいにほら!」
「そ、そうだよ、水輝君! 相手はお客様なんだから!」
「うるせえ! おれはこいつの相手をする気はない! いいから帰れ! そして二度とおれの前に現れるな!」
そう怒鳴りつけて水輝は肩で息を吐いた。それまで黙っていた女がくすりと笑って首を傾げる。すると静まりかえったフロアに花が咲いたような柔らかい雰囲気が漂った。
何故、女になっているのか判らない。水輝は混乱しつつも女を睨みつけた。そもそも龍神の性の別には方向性があり、向き不向きがある。確かにこれまでに何度も女性になっているのを見たことがあるが、紫を切り離した時点で女性の方向は失われたはずだ。
なのに何故。水輝は殺意すらこめて女を睨みつけた。水輝に微笑みかけているのは立城なのだ。
「このお店のVIPルームはどこですか?」
立城がそう言って水輝を押さえていた北原を見る。北原は慌てたように店の奥にある個室を指差した。すると立城がにっこりと笑って頷く。
「一室、買います。値段はそちらの言い値で結構ですから、カードから引き出してください。カード名義はオーナーさんになっていますから」
店内にざわめきが満ちる。
「えっ、あの、買うって、ええと、名義がぼく?」
すっかり混乱してしまったのか、北原がカードと立城を見比べてたどたどしく言う。立城はそんな北原に微笑みかけてからフロア係に向かった。
「水輝を一日指名するとお幾らですか」
「馬鹿か、お前は! 一日指名なんて出来るか!」
「えっ、あの、アフターも込みでですか? ええとですね」
接客態度が良いと客にも評判のフロア係が律儀に答える。阿呆、とフロア係に怒鳴りつけて水輝は必死でもがいた。
「では、その三十倍お支払いいたします」
「えっ!」
仰天して同僚たちが声を上げる。立城はにこやかに笑って首を傾げてみせた。
「これで問題はありませんね?」
「ないです!」
水輝を取り押さえていた全員が、まるで示し合わせたように声を揃えて返事する。馬鹿野郎、と水輝は彼らを怒鳴りつけた。だがすっかり立城に骨抜きにされたのか、同僚たちは嫌がる水輝を引きずってフロアの奥に進み始めた。客たちはこの騒ぎが楽しくなってきたらしい。興味深そうにこちらを見ている。
「馬鹿野郎! 離せ!」
水輝は必死でもがき続けた。だが同僚たちはそんな水輝を店内の一番奥のVIPルームに放り込む。
「ごゆっくり!」
立城を部屋に案内した同僚たちが声を揃えて言ってドアを閉める。その上、鍵を外から掛けてしまう。水輝は慌ててドアに駆け寄った。
水輝にとってまさかの嫌な客がきました!w