近頃来ないと思ったら。そう言って水輝は水鏡を眺めて腹を抱えて笑い飛ばした。水輝の隣に座る佑が困ったような顔をしてため息を吐く。
『見ろよ、あのうろたえ方!』
どうせここの声を聞ける者はいない。水輝は空中に腰を下ろして腹を抱えたままひたすら笑った。最初は理子も優一郎を嵌めるつもりでいたのだろうが、話をしているうちに化けの皮があっさり剥がれ、しかも二人まとめて失神してしまったのだ。経過をつぶさに見ていた水輝は、身を捩って何もないところを手のひらで何度も叩いて笑いまくった。
ついこの間まで佑の乳を美味そうに飲んでいた理子の身体はすっかり大きくなっている。覚醒と同時に周囲に無意識にまき散らされる、龍神の異性を寄せるフェロモンにも似たものは運良く優一郎の作り上げた結界内に閉じこめられているようだ。あれがなければ理子は恐らく多輝辺りに食われていたに違いない。そんなことを思いながら水輝はぜいはあと息を吐き、のろのろと身を起こした。まだ笑いの衝動がおさまらない。
青い空間に座り直し、足を組んだ水輝は自然に腕を伸ばして隣に座る佑の肩を抱いた。寝所のつもりで作り上げたこの空間は、本来の意味をすっぱり無視して皆がくつろいだり談笑したりする場所になってしまっている。空間の隅では奈月が桜と一緒に菓子作りをしているし、たまに翠や理子が訪ねても来る。寝る暇がないな、と苦笑して、水輝は目の前に立つ大きな水鏡に目をやった。薄い水鏡には水輝が見たいと思った地上の光景が映し出されるのだ。
『何馬鹿笑いしてるのよ』
『だって笑えるだろ。あいつ、結局は最初から理子に嵌ってたんだろうし』
拗ねた顔をする佑に水輝は笑い混じりに答えた。それに理子は最初から優一郎に狙いを定めていたに違いない。多輝はどこまで行っても結局は理子のことを子供にしか見ず、逆に優一郎は最初から理子を女としか見ていなかったからだ。
『まあ優一郎は確かに愉快よね。想像以上に早い成長に焦って悶々と対策を考える姿とか笑えたけど』
『理子も笑えただろ。優一郎が相手だとあんなに取り乱すんだからなあ』
ちらりと佑の横顔を伺って水輝は口許を覆って笑いを殺した。
『水輝さん。言いたいことがあるならはっきり言えば?』
『お前そっくり』
きっぱりと言い切って水輝はくくく、と喉の奥で笑った。すると佑の機嫌が目に見えて悪くなる。
『水輝さん。ずっと必死に水輝さんの事を想っていたわたしをそんな風に笑ってたんだ』
意地悪い口調で佑が言ってそっぽを向く。どうやら相当へそを曲げたらしい。だが水輝はやっぱり笑いながら言った。
『当事者はまた違うだろ。おれはちゃんとお前のことが好きだったぞ? まあ、奈月も好きだけどな』
さらっと言って水輝は佑を抱き寄せて髪に口づけした。唇を滑らせて額と頬にも軽いキスをする。
『あのへんは水輝さんに似てくれてると思ったんだけどなあ。優一郎をどんな風に手玉に取ってくれるか楽しみにしてたのにっ』
『理子はどうだろうなあ。きっと失神してもぐるぐると優一郎を嵌める罠を考え続けてるぜ』
その辺りはきっと佑とは違うだろう。そう言ってから水輝はさりげなく離れた場所にいる桜に声を飛ばした。さわんな、と一喝された桜が慌てたように奈月から離れる。この間、半殺しにしたのが相当堪えているらしい。
『そうする気なら壁ぶち破ってあそこから逃げ出してるわよ』
『出た瞬間、多輝に嗅ぎつけられて食われるのを避けたかったんだろ。こっちに来ればお望み通り抱いてやったのに』
軽く笑って水輝はのんびりと見えない背もたれに寄りかかった。鏡に映し出された部屋の中では二人がうーんうーんと苦しげに唸って倒れている。
『本気、なのかしら』
半信半疑、という顔で佑が水鏡を見つめる。水輝はくすりと笑って優しく佑の髪を撫で始めた。
『どうかな。この場合は本気だろうがどうだろうが、やっちまえば本気にならざるを得ない気がするがな』
『優一郎もバカよねえ。まあ、状況的にはそのほうが色々都合がいいんだけど』
やけに強い口調で言って、佑が忙しなく膝を指先で叩く。どうやらかなり苛ついているようだ。くすくすと笑って水輝は腕に佑の肩をしっかりと抱き直した。
『何で佑が苛々するんだよ。見ててもどかしいか?』
『同族嫌悪、掛けることの二って言えばわかるかしら?』
『ああ、なるほど』
喉の奥で笑って水輝は頷いた。佑は元々、優一郎の魂から分かたれた者だ。そして理子はそんな佑の生んだ子供だ。二人にはそれぞれ、佑に似た部分がある。それが見ていて腹立たしいのだろう。
『それじゃ、他のところでも見るか? まあ、他は大した動きはないだろうが』
今現在、一番状況が動きそうなのがあの二人なのだ。考えを巡らせて水輝はうーん、と唸った。
『ううん。落ち着いたし。気にしないで』
『そうか?』
微笑んで見せる佑を横目に見て水輝は頭をかいた。どうも佑の微笑みの端っこが強ばっているような気がする。
『ま、優一郎が諦めるなら、おれが直々に食うしかないかな』
そんなことを呟いて水輝は苦笑を浮かべた。
『本気になった優一郎は躊躇しないわ。そのあたりは水輝さんのほうがよく知ってると思うけど』
『一歩手前でいったん退く変な癖があるだろ。駆け引きのつもりかも知れないが、理子には通用しないぞ』
口許に薄い笑みを浮かべて水輝はじっと水鏡を見つめた。そろそろ優一郎が気付く頃だ。目覚めた優一郎は時間差を置いて倒れた理子をどうするだろう。
エピソード的には次と繋がってるのですが、いったん切ります。
4000字くらいまではいけるかもですけども……。