それをそれを。多輝は不条理な怒りに任せてこぶしを繰り出した。軽く身を捻った優一郎が身軽に飛んで多輝の肩に手をかけ、飛び越える。くそ、と呻いて多輝は慌てて振り返った。軽々と着地した優一郎が同じタイミングで振り返る。
「仕方ないか」
「歯を食いしばれぇええええ!」
優一郎の呟きが聞こえなかった多輝は、怒りのこぶしを繰り出した。頬を殴られた優一郎がその場によろける。全身で息をしながら多輝はぎりぎりと歯軋りした。
「理子が惚れた相手ならいざ知らず!」
「覚醒する前に、告白された」
「何でそんなの関係ないお前に……って、は!?」
ずらずらと文句を並べ立てようとしていた多輝は慌てた声を上げて優一郎を凝視した。
「理子が? お前に?」
多輝はぶるぶると震えながら優一郎を指差した。多輝に殴られて赤くなった頬を押さえて優一郎が頷く。
「嘘を吐く理由もないし、立場上、嘘を吐くこともできないしね。本当のことだよ」
「駄目だろう、それは!」
真面目な顔で語る優一郎に、多輝は理由もなく駄目出しをした。すると優一郎が眉を寄せていぶかしげな顔をする。
「いや、駄目だ! 駄目! 絶対駄目! うちの理子をヒューマノイドにする訳にはいかないからな!」
駄目、と言ってから理由を後付で思いついた多輝は早口でそう言った。
「どうして理子をわざわざヒューマノイドにする必要があるの? 呉羽も斎姫も鈴も居るのに」
「だってお前にかかると、大抵の女はヒューマノイドになるだろう!」
きっぱりと言い切って多輝はびしりと優一郎を指差した。その時、ほんの少し優一郎が顔を歪めた。だが怒りに我を忘れていた多輝は腕組みをしてうんうんと頷きながら言葉を継いだ。
「理子はうちに連れて帰る!」
「それで、君が抱くの?」
「うっ、いや、それは……」
そこで漸く多輝は我に返って低い声で呻いた。確かに理子は可愛い。男に抱かれるところなんて想像したくない。理子は可愛くて可憐で、そういったこととは無縁の世界で生きるべきだ。
もちろん、自分で抱くなんて論外。多輝はそう結論付けて優一郎を見つめ、首を横に振った。
「無理。おれは出来ない」
「だよね。この前話し合った時も、多輝、君はそう言ったよね?」
「そ、うだっけ? いや、でもなあ。理子が男に抱かれてるところなんて想像出来ないだろ? 駄目だろ、それは」
一転してしょんぼりと肩を落とし、多輝はその場にしゃがみ込んだ。二人のいるグランドを冷たい風が吹き抜ける。多輝は表に出る、という自分の言葉からほぼ反射的に清陵高校のグランドに転移していたのだ。
「戻ろう。もう、落ち着いて話せるよね?」
そう言って優一郎が多輝の肩を叩く。多輝はさめざめと泣きながら力なくうなだれた。何で理子がそんな目に合わなければならないのだ。でも理子は優一郎が好きだと言ったらしい。それならここは涙を飲んで手を離さなければならないのだろうか。
多輝がつらつらと考えている間に優一郎がその場から転移する。多輝も一緒に元のキッチンに転移した。床に座り込んで俯く多輝に慌てたのか、由梨佳が駆け寄ってくる。
「多輝くんっ!」
由梨佳が多輝を抱きしめて優一郎を睨みつける。多輝はぐすん、と鼻を啜ってそんな由梨佳を制した。
「いや、いいんだ。おれが悪かったんだ」
事情も聞かずにぶち切れたんだし。そう付け足して多輝は力なく笑った。その後、深々とため息を吐いてがっくりとうなだれる。
「理子さん自身の言葉を聞いたわけではないでしょう? その場に多輝くんが居たら、多輝くんのほうを選んだかもしれないわ」
「は?」
多輝は訝りを覚えて顔を上げた。由梨佳が悲しそうな顔をして多輝の顔をハンカチで拭う。
「えらぶ? 何の話だ? おれはただ、理子が男に抱かれるなんて嫌だって思って」
そう説明しながら多輝は鼻を啜った。すると何故か由梨佳が複雑な顔をして優一郎と顔を見合わせる。
「多輝。どこの馬の骨ともしれない雑魚龍神に理子を奪われるほうが良かった? あるいは、君みたいに……」
「おれみたいに何だよ?」
顔をしかめて多輝は険しい声で訊ねた。
「そうか、ごめん」
「とにかくっ!」
多輝は床にあぐらをかいて優一郎をびしりと指差した。優一郎の言いたいことはよく判らないが、ようは理子が落ち着いてしまえばいいのだ。
「お前もあれだろ? 理子が落ち着くまで見てやるだけだろ? 落ち着いたらとっとと返せ」
ふて腐れた顔で言って多輝は腕組みをしてそっぽを向いた。だが何故か優一郎がすぐに判ったと頷かない。訝りを覚えて多輝は優一郎を横目で睨みつけた。
「理子は本気だよ」
「だから何だ。お前にその気がないんだから関係ねえだろう」
渋い顔をして多輝はつっけんどんに言った。すると困ったような顔をして優一郎が頭をかく。
「本気の相手を遊びで抱けるほど、僕は器用じゃない」
「……ってことは……なにか? いや待て、え? 遊びじゃなくて?」
多輝は混乱する頭を押さえて口の中でぶつぶつと呟いた。本気の理子を相手にして、遊びではなくて、なんだろう? 考えを巡らせながら多輝はうーん、と低い声で唸った。
「多輝、君が一番なのは変わりない。だけど」
「要するに、なにか? お前は理子を好きだって言いたいのか?」
腕組みをして俯き、多輝は低い低い声で訊ねた。
「おかしいかい?」
「駄目だろう、それは!」
大声で喚いて多輝は勢いよく立ち上がった。大股で優一郎に近付いて胸に指を突きつける。
「おれが一番とかはこの際どうでもいい! お前、理子に惚れちゃ駄目だろ!? うん、駄目だ、絶対駄目! まさか、結婚とか言い出すなよ!? うわっ、お前なら言いそうかもっ、でも駄目だからなっ! うちの理子は誰にもやらん!」
錯乱気味に叫んで多輝はふん、と鼻を鳴らした。腕組みをしてふんぞり返った多輝を呆れたように優一郎が見つめる。
「誰にもやらない、ということは、自分のものにするって意味になるけど」
笑いながら優一郎が言う。多輝はうっ、と詰まってから強く頭を振った。
「違う! 理子は綺麗なままじゃないと駄目! あっ、そこの二人笑うな! おれはマジだ!」
早口でまくし立ててから多輝はぎらりと優一郎を睨みつけた。いつもは好意しか感じないのに、今日は優一郎が悪魔か何かに思える。
「よし判った! 絶交だ! 絶交してやる!」
混乱の末にそう喚いて多輝はびしりと優一郎の胸に指を突きつけた。
「わかった。とりあえず、理子が落ち着くまで絶交しよう。由梨佳さん」
「あっ、はい」
「絶交している間、多輝のこと、よろしくお願いします」
笑い混じりに言って優一郎が軽く頭を下げる。多輝はけっ、と喉の奥で言ってそっぽを向いた。
「口きいてやんねえからなっ! 泣いて謝っても駄目だぞ!」
つんと横を向いた多輝を苦笑を浮かべて見つめ、優一郎が肩を竦める。
「多輝。春になったら戻るから。では」
そう言って優一郎がその場から姿を消す。多輝はべー、と舌を出してから喉の奥でけっ、と言った。
「ぜーったい口きいてやんねっ。あー、むかつく」
ぶつぶつと文句を言いながら多輝はテーブルについた。着ていたコートを脱いで隣の椅子にかける。
「多輝くん、本当に、よかったの?」
朝食の味噌汁を椀に注ぎながら由梨佳が言う。多輝は仏頂面をして肘杖をついた。
「なにがだよっ。あああ、理子がー、うちの理子が男に抱かれたんだぞー。由梨佳も悲しめ」
深々とため息を吐いて多輝はがっくりとうなだれた。由梨佳が複雑な顔をしてため息を吐く。多輝はそっと置かれた椀を取り上げて中身を啜った。
「んまい」
こんな時でも由梨佳の作る食事は美味しい。多輝はしじみの入った味噌汁をさっそく食べ始めた。続けて開きのあじと卵焼きが出てきて、ご飯が出てくる。海苔や梅干しも添えられたところで多輝は味噌汁をお代わりした。
多輝はパパ的な感じを味わいたかったのかも知れません。