テーブルを叩きながら大声で笑う水輝を呆れた顔で佑が見つめる。焼きたてのクッキーが、水輝がテーブルを叩くたびに跳ねる。水輝は腹を押さえて本気で爆笑していた。
『ある意味。親バカかも』
複雑な顔をして佑が呟く。水輝は笑いの衝動を何とか抑え、口許を手で覆って身を起こした。深呼吸を何度かしつつ、見えない背もたれに身体を預ける。
『あー、苦しい。こいつらおれを笑い死にさせるつもりなのか?』
まだ納まらない。水輝は腹を抱えて声を殺して笑った。
『お似合いというかなんというか』
『ま、お前に似た跳ねっ返りだからな。あのくらいの気概はないと抑えられないだろ』
笑い混じりに言って水輝はのんびりと水鏡に目を戻した。相変わらず二人の様子は初々しい。佑は膝に乗った翠の頭を撫でながらため息を吐いた。
『わたし、あそこまでじゃなかったと思うけど』
『そうかあ? 優一郎の城をつるはしで壊したり、けっこうなこともしてただろ?』
笑いを堪えながら水輝は首を逸らし、少し離れた場所にいる二人を眺めた。奈月は満足そうな微笑みを浮かべてすやすやと眠っている。その傍で桜が正座をし、ハンカチを噛みながら何やら悔しそうにしている。青い空間は相変わらず賑やかだ。
『でも、良かった』
翠に乳を飲ませながら佑がほっとしたように言う。何がだよ、と笑って水輝はクッキーに手を伸ばした。奈月の焼いてくれたクッキーは相変わらず好みの味をしている。水輝は口の中でクッキーをかみ砕いて満足をこめて頷いた。
『あの娘には、苦労させたくなかったから』
『これから苦労するんだろ。まあ、苦労ってほどでもないかも知れないがな』
口にクッキーを放り込み、茶を啜りながら水輝は言った。どうやら佑は愛妾だの、孫だの言われたショックからは立ち直ったらしい。あの時の優一郎のわざとらしい笑顔を思い出して水輝は声を殺して笑った。
『もし、また奈月さんを泣かせるようなことがあったら、怒るわよ』
『おれは何度でも泣かせるぞ? 何しろ浮気性だからな、おれは』
さらりと言い返して水輝は足を組み合わせた。水鏡に映る二人のやり取りは見ていて飽きない。理子は相変わらず跳ねっ返りだし、それに対する優一郎も平静を装ってはいるがかなり戸惑っているようだ。
『浮気で奈月さんが泣くことはないわよ』
判ってるくせに、と佑がじろりと水輝を睨む。水輝は苦笑をして腕を伸ばし、佑の乳に吸い付いている翠の頭を乱暴に撫でた。それまで一心不乱に佑の乳に吸い付いていた翠が怪訝そうに水輝を見る。だがまたすぐに翠は元通りに佑の乳に吸い付いた。
『このなりじゃ、死のうとしても無理だろう? 無茶はしたくても出来ないしなあ』
『このままずっとここで暮らして行けたらと思うこともあるわ』
でも。そう呟いて佑が少し俯く。水輝は軽く笑って佑の肩を抱いた。
『まさか。今度はあいつらの番だ。おれはのんびりとここで奴らの生き方を鑑賞させてもらう。そのために作った寝所だからな、ここは』
そう言って水輝は水鏡に目を戻した。さっきまで勝ち気な態度でいた理子が優一郎に組み伏せられて喘いでいる様が映っている。
『そうね。水輝さん。あの……』
『なんだよ。言いたいことがあるなら言えよ』
水輝はのんびりと水鏡を見つめてにやにやと人の悪い笑みを浮かべた。翠に乳をやりながら、佑が落ち着かなく視線を動かす。
『抱いて、ください』
『もう少し焦らしてからかな。疼いて堪らなくなってからでも出来るだろ?』
横目に佑を見つめ、水輝は口許に嗤いを浮かべた。頬を染めた佑が困ったような顔をして水輝を見つめ返す。
『もう、意地悪なんだから!』
唇を尖らせ、頬をぷくっと膨らませて佑が言う。そうかあ? と間延びした声で答えてから水輝は水鏡に目を戻した。
じり、と水鏡に映っていた光景が揺れる。水輝は目を細め、ゆっくりと佑の肩から手を離した。それまで膨れていた佑が不思議そうな顔をして水輝を見る。水輝は口許に嗤いを浮かべて唇を舐めた。水鏡の表面にノイズが入り、映った光景が微妙に揺れる。
『そろそろ、かしら?』
『珍客、おいでませってところかな』
低い声で答えてから水輝は水鏡をじっと見つめた。やがてノイズが増え、二人の姿が見づらくなる。
不意に水鏡の表面が光り、全く別の光景が映る。
『やあ。久しぶりだね』
水鏡の中でにっこりと笑った立城に水輝は嗤いを返した。
『ああ。三年ほど振りかな? いや、もっとか』
だがたかが数年だ。水輝はそう言って肩を竦めてみせた。立城は見知らぬ場所に立っていた。身に着けているスーツは血に塗れている。
『おじさま、お久しぶりです』
行儀良く挨拶した佑がにっこりと微笑む。だがその目はまったく笑っていない。
『佑も久しぶりだね。元気そうで安心したよ』
相変わらず鉄壁の微笑みを浮かべたままで立城が言う。それから立城は首を傾げてみせた。
『君は高みの見物かな?』
『ああ。役者は揃ったからな』
『夜叉、の間違いじゃないの?』
すらりと立城が言い返す。へえ、と嗤って水輝はゆったりと背もたれに身体を預けた。どうやらあれは死ななかったらしい。なるほどね、と呟いて水輝は血に濡れた立城のスーツをまじまじと見つめた。
『夜叉?』
『いや、何でもないよ』
佑が問うと立城がにっこりと笑って言う。水輝は頭の後ろで手を組んで背を伸ばした。
『まさかそんなところに隠れているとはね。僕にも判らないわけだ』
くすりと笑って立城が言う。その背後には和也の姿が見え隠れしている。和也は相変わらず律儀に執事を務めているようだ。
『隠れたつもりはないんだがな。疲れたら眠りたくなるのが当たり前だろ?』
当然の顔をして水輝は笑った。ついでに欠伸をすると立城が苦笑を浮かべる。
『というか、おじさまが望んだことでしょう?』
『僕が? 何を望んだの?』
佑が問い掛けると、立城が驚いたような顔をして問い返す。水輝はあーあー、と呻いて頭をかいた。これは相当怒っている。そう思いながら水輝は佑の肩をそっと抱き寄せた。ぽんぽん、と軽く肩を叩くと佑が物言いたげに水輝を見る。
エピタイは作者の心境ですw