私たち肉便器は旦那様のおもちゃです 〜メイド娼館で調教レイプしていただきます♡〜 作:ゆっとぴあ
「じゃあねカティア。修道女さんの言うことちゃんと聞いて、良い子にしてるんだよ。
私は二、三日したらそっちに行くからね」
「絶対だよ……!約束だよアナお姉ちゃん!」
「うん、約束。大好きだよカティア。愛してる」
私の胸の中で泣きじゃくるカティアの小さな形を強く抱きしめ、馬車に乗るよう優しく促す。
少ない日用品を詰めた袋を胸に抱え、離れたくないと全身で訴えるような顔をしたカティアは、渋々といった様子で馬車へ乗り込んだ。
車内には、カティアのほかにも数人の妹たちが身を寄せ合うようにして座っていて、皆一様に不安げな顔をしている。
「御者さん、準備できました。出発お願いします」
私は御者台に座る女性へ向かって頭を下げた。
彼女は「承知しました」と頷くと、馬車の中の妹たちへ明るい声を投げる。
「それでは、可愛いお嬢様方〜。当便はただ今より、聖ラウラ修道院へ向けて出発いたします。
道中は多少揺れることが予想されますので、どうかお隣の方と仲良く支え合ってくださいませ〜」
その芝居がかった口上のおかげで、妹たちの緊張も少し和らいだように見えた。
そして最後の馬車が娼館を離れていくのを、私はエミリー姉さん、アイリスさんと並んで見送った。
リーナやベティーは、すでに幼い子たちの付き添いとして修道院へ向かっている。
私とクララは証人として、これから王女派の拠点へ向かう予定だ。
日はすでに深く沈み、街灯には、いつもと変わらぬ魔法灯の火がぽつぽつと灯り始めていた。
「…………っ、……ん〜〜〜〜〜っ!!」
やがて馬車の姿が娼館の角を曲がって見えなくなると、エミリー姉さんはとうとう堪えきれなくなったように全身を震わせた。
そして勢いよく両腕を振り上げ、
「私の、大勝利ーーー!!!」
夜の街に向かって、そう高らかに叫んだ。
顔は喜びに満ち溢れ、満面の笑みが浮かんでいる。
「やった!やったわ!やったのよ私!苦節十四年、ついにやったんだわ!」
「ちょっとはしたないわよエミリー、24歳の女がそんな大声で叫んんむっ!?♡♡」
なんて言うアイリスさんの唇を即座に奪い、背に手を回して固く抱きしめる。
絶対に逃がさないとばかりに、エミリー姉さんはそのままアイリスさんへ深く唇を重ねた。
「ん、んん……っ♡ ちょ、エミリ……んぅっ♡」
アイリスさんはびくりと体を震わせて、恥ずかしそうに姉さんを振り解こうとするが、舌を絡めたエロいキスにあっという間にトロトロにされてしまった。
「ん……♡んん〜……♡」
やがて、名残を惜しむみたいに何度か短く口づけてから、姉さんはようやく唇を離した。
「は〜……っ♡は〜……っ♡」
腕の中でくたっとしたアイリスさんの耳元で、姉さんはそっと囁く。
「落ち着いたら、この前の続き、しましょうね?♡私は今夜がいいなぁ♡」
「……っ〜〜、〜っっ!?♡♡♡」
それを聞いたアイリスさんはビクビク♡と体を震わせて、それきっり黙ってしまった。
頬は赤く紅潮し、いつもの涼やかな瞳も、今は落ち着きもなく揺れている。
………大勝利、か。姉さんはこの状況をどこまで見通していたんだろう。
光る指輪も半ば予測の上で渡していそうだ。
イチャつく二人を見ないように、綺麗だなぁと街灯をぼんやり眺めていると、店の方から足音が聞こえてきた。
「お疲れ様です。こちらは粗方片付きました。
警備として残す人員の選定は終わったので、僕たちは本拠地に向かいましょうか。
今馬車を呼んでいます」
振り返ると、些か疲れた顔をしたルイスくんと、何やら緊張した面持ちのクララがいた。
クララは俯き、胸の前でそっと指を組んでいた。
心ここに在らずといった様子で、じっと足元を見つめている。
「……クララ?大丈夫?」
私が声をかけると、クララはハッとしたように顔を上げた。
けどまたすぐに目を逸らす。
「だ、大丈夫よ。ちょっと疲れただけで……」
「そう?」
そうこうしていると、店の前に一台の馬車が停まった。
なんか、なんだろう。この馬車……
「小さいわね」
「こらっ」
姉さんがはっきり言った。
アイリスさんが姉さんの足を軽く踏んで嗜める。私もアイリスさんに同意見だ。
そうだそうだ、ルイスくんが用意してくれた馬車になんてこと言うんだ姉さん!
たとえ姉さんでも許さないぞ!
「すいませんエミリーさん。今王都中の馬車が似たような事案で出払ってまして」
ルイスくんが申し訳なさそうにそう言った。
街を行き交う兵や伝令、負傷者の輸送、要人の護送。
今日一日で王都の交通事情がぐちゃぐちゃになっているのは想像に難くない。
「それじゃあ乗って下さい。
本拠地のペンブロク邸まで三十分ぐらいで着きます」
その言葉を聞いたクララが、びくりと肩を震わせた。
ほんの僅かに。
けれど、隣にいた私にははっきりと分かった。
……クララでも怖いのかな。偉い人の前で喋るの。
うんうん、わかるよ。私たちにとってはずっと、偉い人=エロい人だったもんね。
「お手をどうぞ、アイリスさん」
アイリスさんは差し出された手に自分の手を重ね、裾を整えて静かに馬車へ乗り込む。
続けてエミリー姉さん、クララも同じようにルイスくんのエスコートを受けて乗り込んだ。
「ほら、アナも」
私は、ゆっくりと彼の手を取った。自然と息が止まる。
「…………」
二度目だ。
彼の大きな手が、こうして私を、このクソみたいな店から連れ出してくれるのは。
15歳の私たち。
あの時は、逃避行だった。
先のことなんて何ひとつ見えてなくて、ただ二人で走って、息を切らして、世界の全部を敵に回した気になっていた。
怖くなんてなかった。
ただ心地の良い高揚があった。
ルイスくんの手を握っていれば、どこまでも行ける気がした。
世界は広くて、私たちは自由で、愛さえあれば全部なんとかなるのだと、本気で信じていた。
そして案の定、現実に叩き潰された。
八日で終わった夢。
連れ戻され、打たれ、縛られ、引き裂かれて。
それでもなお、あの八日間が私にとって宝物であり続けたのは、世の中を知らない無垢さ故だろうか。
彼が希望を残してくれたからだろうか。
「……アナ?」
今、再び差し出された彼の手を見つめながら、私は思う。
少々の恐怖心。
次、彼の手を離してしまったら、今度こそ全て終わってしまう気がして。
助けて貰ってる立場のくせして、本当に情けない話だけど。
何様だと言われそうだけど。
私は、この人を再び失うのが、怖くて怖くて仕方がないのだ。
抗えない権力だとか、身分の差だとか、王都を覆う政治の濁流だとか。
そういう、私一人ではどうしようもないモノが、またどこかから伸びてきて、この手を無理やり引き剥がしてしまうんじゃないかと。
今さらそんなことを考えて、何故か足がすくむ自分が情けなかった。
「………ぁ」
情けなくて、涙が出た。
口をだらしなく半開きにし、瞬きもせず目から涙をポロポロと垂れ流して、その涙が頬を伝ってメイド服の胸元に落ちていく。
情けなくて泣いて、それがまた申し訳なくて涙が出て、そんな自分が情けなくてまた泣く。
子供みたいだ、私だけ。三年前でもあるまいし。もういい大人なのに。
何をやっているんだアナ。自由を貰って、何を泣いているんだお前は。
そんな私を優しい目で見て、ルイスくんは。
「……また、離れ離れになるんじゃないかって、怖いのかい?」
全てお見通しだ。バカな私の考えなんて、彼には手に取るようにわかるのだろう。
「………、……」
私は、ただ小さく頷く。
そんな私を、彼は笑うでもなく困るでもなく。
私の揺れる目をまっすぐ見つめて、口を開いた。
「もう離さない」
その声音が、僅かに変わった。
優しいだけじゃない。静かなだけでもない。
芯のところに、鋼みたいな硬さが宿ったのがわかる。
「僕たちを引き裂こうとするものがまた出たら、そんなもの全部ぶっ壊してやる。
君がまた奪われたら、血反吐吐いても助けに行く。
何があっても、何回だって、僕は諦めるつもりはない」
夜の街灯のオレンジの光が、彼の横顔を淡く照らしている。
深い紫の綺麗な瞳が、真っ直ぐに私だけを写していた。
「前の僕は、君の手を引いて逃げることしかできなかった。
現実を知らない、夢見がちな子供だった。
でも今は違う。もう、ただ夢みたいに君を攫って、それで終わりにはしない。
家も、地位も、今の僕が持っているものも、全部そのために使う。
この三年で、色んな手段を掻き集めた。
君を守るためなら、僕は何だって利用するし、何だって敵に回す。
権力が相手なら権力で殴る。法が相手なら法を変えてやる。人が要るなら人を集める。
もう苦しくて泣いている君を、遠くから指をくわえて見ているつもりも、その覚悟も、僕にはない」
胸の奥が、ずきずきと痛んだ。
痛いのに、どうしようもなく嬉しかった。
「君が怖がるのは当然だよ、アナ。
一度そうなったんだから。君のその怖さは正しい。
僕の力不足故だ」
そう言って、彼は私の頬を伝う涙を親指でそっと拭った。
その指が優しい。温かい。
「だから信じてくれ、なんて都合のいいことは言わない。
信じられないなら、隣で見ていてくれればいい。
僕が本当に君を離さないか、これからずっと見ていればいい。
僕が君の隣にいる資格がある男か、じっくりと好きなだけ見極めてくれ。
その上で、それでもまだ怖いなら、そのたびに何度でも言うよ」
そしてルイスくんは、差し出していた手を少し持ち上げて。
誓うように言った。
「君を離さない」
……だめだった。
そんなの、だめだ。
そんな顔で、そんな声で、そんなことを言われたら。
「……っ、なんで、そんなに………っ。優しいんですかぁ……」
絞り出した声は、もうほとんど泣き声だった。
ルイスくんは少しだけ困ったように、ほんの少しだけ照れたように言う。
「好きな女の子の前だと、男ってのはこうなるんだよ。
ましてや初恋なんだ、格好ぐらいつけさせてくれ」
だめだ。
こんなの、耐えられるわけがない。
好きな女の子。
初恋。
そんな、女が一度は言われてみたい台詞みたいなものを、どうしてこの人は、こんなにも自然に、まるで呼吸でもするみたいに言ってしまえるんだろう。
私の欲しい言葉を全て的確に、迷いなく、真っ直ぐに差し出されるのだ。
耐えられるわけがない。
「かっこよすぎます……」
涙でぐしゃぐしゃの顔のまま、私はそう言うことしかできなかった。
「それはよかった。
さっきはもしかして君に嫌われたんじゃないかと、一瞬不安になってしまって」
「そんなわけ、ないじゃないですか……っ、好きです!大好きです!」
そんな半ば叫ぶみたいに言ってしまってから、私は自分の口を両手で塞ぎたくなった。顔があっという間にアツアツになる。
な、なにを勢いのまま告白しているんだ私!
いや、事実だし、今更隠すことでもないし、何回もルイスくんには大好きだって言ってきたけどさぁ……!
でも、もう少しこう、雰囲気とかいうものがあるじゃん!
もっとしっとりとか、可憐にとか、女の子らしくとか────
「…………今日は、人生で一番幸せな日かもしれないな。
好きな人を助け出せて、その人に三年ぶりに好きだって言ってもらえるなんて」
「………あはは、なんですかそれ」
「本当だよ。今だって心臓がドクドク鳴っててうるさいぐらいだ」
なんだか幸せで、それがとても面白くて笑いが漏れる。
無性に笑いたくなってしまう。
「あは、はははは」
「ははは、あっはっは」
ルイスくんもつられたように笑った。
あまり大きな笑い方じゃない。けれど本当に可笑しそうで、嬉しそうで、そんな笑いだった。
夜の街に、私たち二人の笑い声が小さく溶けていく。
しばらく二人でくすくす笑い合っていると、馬車の方からクララの声が飛んできた。
「いつまでイチャイチャしているのかしらね、貴方たちは」
見れば、クララがこちらを見ないように顔を背けたまま、腕を組んで馬車の座席に座っている。
「ご、ごめん……!」
私は急いで馬車に乗り込もうとして、それをルイスくんに止められた。
「ほら」
ルイスくんが、もう一度手を差し出す。
「……はい」
私は少しだけ照れながら、その手を取った。
ああ、今度はなにも怖くない。
そのまま私は、ルイスくんの手を支えに馬車に乗り込む。
馬車の中は思っていたより狭かった。
前と後ろに小さな座席が付いていて、二人も座れば片側が埋まってしまう。
「………ん?」
これ、ルイスくんが座る場所なくない?
すると、ガチャ、という馬車の扉が閉まる音が後ろから聞こえた。
「え?」
「皆さんしっかり座って下さい。ここらは道がでこぼこでよく揺れますから」
馬車の外を見れば、ルイスくんは一人、道の上で屈伸運動をしているではないか。
「え、ちょっ、ルイスくんは?一緒に行くんですよね?」
私が馬車の中からそう問いかけると、ルイスくんはさも当たり前のように。
「ああ、どうせ五人は乗れないし、僕は走ろうかと思って。最近運動不足気味でさ。
御者さん、後ろから走って追いかけるので、僕には気にせず馬走らせて下さい」
何を言っているんだこの人は。
「いけませんよルイス様!最近徹夜続きでお疲れなんです!
ルイス様、疲れているとすぐハイになって変なこと言い出すんですから!」
アイリスさんが声を上げルイスくんを嗜める。
対して当のルイスくんは、軽く肩を回しながら実に爽やかな顔をしている。
「大丈夫ですってアイリスさん。むしろ力が有り余って困るぐらいで」
「おいルイスの坊ちゃん!さっき三十分かかるってお前さん言ってたがな!
儂らにかかれば二十分で届けてやるよ!
それでも着いて来れんのかい?」
御者のお爺さんもその言葉に競争心が刺激されたのか、囃し立てるようにそう叫んだ。
お馬さんもなんか鼻息を荒くして、やる気を出してしまっている。
「もちろんですとも!馬車引いてる馬ぐらいなら追い抜けます!」
「言うじゃねえか!それじゃあペンブロクのとこまで競争といこうや!」
「いいでしょう!」
人間が馬に勝てる訳ないでしょ!やっぱりルイスくん疲れてるって!
「え、待って待って待って!?無理だってそんなの!」
「待ちなさいルイス様!今貴方が怪我でもしたらそれこそ台無しです!」
私とアイリスさんが馬車の窓から半ば身を乗り出して叫ぶ頃には、もう遅かった。
「よーし、それじゃあ行くぞお嬢ちゃん方!舌噛まねえようにしっかり掴まってな!
アナの嬢ちゃんは恋人のかっこいいとこ見といてやんな!」
「ちょま───」
御者のお爺さんが愉快そうに笑い、手綱を高く鳴らす。
お馬さんがぶるりと首を振り、蹄が石畳を強く打つ。
それと同時に、ルイスくんも動きにくそうな硬い革靴で地面を強く踏み込み、爆発的な推進力で前に一気に飛び出した。
◇ ◇ ◇
「はぁっ………!はぁっ………!なんっ……!」
「いやぁ危なかった。
ラストの直線でスタミナ差で追い抜けたから勝てたけど、曲がり角ばかりだと負けてたかもね。
曲がるのは苦手でさ」
見事に人の身で、十五分間の競争に勝利したルイスくんは、少しも息を切らさずそんなことを言ってのけた。
意味がわからない。
なんでそんなに速く走れるのか。しかもその動きにくそうな服と靴で。
私の大好きな人は、この数年で人間を辞めてしまったようだ。
私は馬車からふらふらと降り立ち、その場で膝に手をついて荒い息を吐く。
揺れに揺れたせいで、心臓はまだばくばくいっているし、頭もくらくらする。
クララは青い顔で馬車の縁にしがみつき、アイリスさんはこめかみを押さえ、エミリー姉さんだけが腹を抱えて笑っていた。
「あはは!すごい魔力循環ですわねルイス様!その技術もアナちゃんを助けるために?」
「ええ、まあ。どこかで役にたつと思いまして。
それでも陸軍の精鋭達には到底敵いません。まだまだ鍛錬が足りませんよ」
「………うぷ。
それで昨年の王立学校の体技祭で優勝なされたのですから大したものです。
しかし、そもそもルイス様は文官なのですから、そこまでの体術は必要ないはずなのですが……」
アイリスさんが頭痛を堪えるようにこめかみを抑えながら、半ば呆れ、半ば感心したように言う。
エミリー姉さんだけケロリとした顔で、馬車の座席からひょいと飛び降りた。
この人はこの人で化け物かもしれない。
到着したペンブロク邸に意識を向けると、多くの貴族の人が出入りしており、随分と騒がしい。
この中で今後の話し合いなどをしているのだろうか。
王女様は明日の朝王城に移動する予定らしく、今この邸宅の中にいる。
「それでは中に入りましょうか」
ルイスくんに連れられ、ペンブロク邸の大きな門をくぐった。
伝令兵や兵士が慌ただしく行き交い、広い中庭には何台もの馬車が停められている。
指令が飛び交い、軍靴の打ち鳴らすような足音が耳を強く叩く。
今まさしくここで、この国の行末が決められているのだろう。
その時だった。
「…………クラーリナ?」
人波をかき分けるように、一人の壮年の貴族がこちらへ歩いてきた。
年齢は四十代を過ぎた辺りだろうか。
白が混ざった髪に、やつれた頬。そしてくたびれた外套が、彼の精神的な疲弊を想起させた。
「…………クラーリナ!」
クラーリナといえば、クララの本名だ。
私より一年ほど早く店に来て働いていたクララは、私が来た時には既にクララであったが、ある時酒に酔ってご機嫌なクララが、一度だけポロリと自嘲気味に自分の本当の名前を明かしたことがある。
その後私はカイネとの会話で、クララが貴族の令嬢であったことを知ったのだが。
クララは自身の過去について聞かれるのを極端に嫌っていたので、私はそのことについて何も言わず、クララもまた、私がクララの過去を知っていることを知らない。
「…………!」
クララはその貴族の男性を見て、目を丸くし、そしてすぐに口を閉じた。
拳は固く握りしめられ、唇は僅かに震えている。
「ペンブロク殿」
ルイスくんが静かに会釈する。
けれどこの邸宅の持ち主である当の子爵は、その声すら耳に入っていないみたいに、ただクララだけを見つめていた。
「………大きくなったな………分かるかい、私だ」
掠れた声だった。
何年も胸の奥に沈めていた言葉が、ようやく口から零れ落ちたみたいな声。
クララは一度だけぎゅっと目を閉じ、それから背筋を伸ばした。
「…………はい。お久しぶりです、お父様」
あまりにも事務的で、綺麗すぎる声音だった。
まるで社交の席で挨拶でもするみたいに、感情だけを切り離した声。
「何年も探した……お前が攫われてから、何年も……」
「遅いですわ……あまりにも……」
けれどすぐに、クララの声が震え出した。
「私は、ずっと……っ、ずっと、捨てられたものだと……」
そこでとうとう堪えきれなくなったのか、クララの目から涙があふれた。本人は必死に拭おうとするのに、次から次へと零れてしまう。
ペンブロク氏は一歩近づき、けれど怯えさせぬよう慎重に手を伸ばした。
「……すまない、第二王子派に攫われたとなると、私にはどうしようもなかった……
下手に動けば、お前の命が危うくなる……」
それでも彼がクララを助けるために、尽力したのは明らかだった。
でなければ彼の家が本拠地などにはなっていない。
「……お母様とエド……っ、エドモンドは………」
「あぁ、二人とも部屋で寝ている……呼んでこようか」
クララは泣きながら小さく、何度も首を振るだけだった。
そして躊躇いがちに、けれど確かに自分の足で父に近づき、その胸に体を収めた。
「今はっ……お父様と……」
父の腕の中で、クララの肩が大きく震える。
「……ハイゼルン殿。今は、二人きりにしていただけますか。少しだけ……娘と」
彼の低い声に、ルイスくんが静かに頷く。
「行こう。王女殿下のもとへ案内します」
私はそっとその場を離れた。
泣き崩れるクララの背中と、それを震える手で支える父親の姿を、振り返らないようにしながら。
◇ ◇ ◇
「クリスティーヌ様。ルイス・ハイゼルンです。失礼します」
扉の向こうから、短い返事があった。
「入りなさい」
ルイスくんが扉を開ける。
普通の執務室だった。
壁際には王都の地図が何枚も掛けられ、大きな机の上には書簡と封蝋、駒のように置かれた兵の配置図が山と積まれている。
数人の文官と武官が控えていたが、皆一様に疲れ切った顔をしていた。
その中心に、一人の女がいた。
年の頃は二十代半ばだろうか。
銀色の髪を後ろでまとめ、夜更けだというのに少しの乱れもなく軍装めいた濃紺のドレスを纏っている。
疲労の色は濃い。
けれど、その姿勢は寸分たりとも崩れていなかった。
「ルイス・ハイゼルン、参りました。
当初の任務はほぼ完了しました。詳細は後ほど提出いたします」
「ご苦労様、そろそろゆっくり休んでちょうだい。
酷い顔してるわよ、ルイスくん」
王女殿下は優しい声色でそう言ってから、私たちに視線を向けた。
その目は驚くほど静かだった。
鋭いのに、冷たくはない。
見定めるようでいて、怯えさせることを良しとしない目だった。
「顔を上げてちょうだい。今夜ここに来た者へ、礼は求めません」
私は恐る恐る顔を上げる。
すると、この国の王女様、クリスティーヌ様はにっこり笑って。
エミリー姉さんを見て、嬉しそうな声を上げた。
「エミリア!久しぶりね!やっと会えた!」
「クリス!ほんとに久しぶり!最後に会ったのは連盟での王家懇親会の時だから……十五年ぶりかしら!」
周囲の文官が止める間もなく、机をすごいジャンプ力で飛び越え、その勢いのままエミリー姉さんへ駆け寄り、ぎゅうっと抱きついた。
姉さんもそれに応え、嬉しそうに抱き返す。
その様子はまるで、十五年ぶりにかつての親友と再会した女性たちのようで。
「???」
今日一日で疲れ切った私の脳みそは、これ以上の理解は不要と、この光景への回答を拒否。
私自身も驚き疲れたので、その場で思考を放棄することにした。
うん、もう何でもいいや。
姉さんが王族?まあ姉さんならそうなんじゃない?
「指輪越しに光の点滅で会話はしたけど、こうして顔を合わせれてよかったぁ。
クリスったら、すごい美人さんになっちゃって」
またそんなこと言っちゃって。アイリスさんが嫉妬でおかしくなるよ?
「結婚まだよね?婚約とかしてないの?」
「今は無理よ。国中大混乱だもの。
というか、美人なのは貴女よエミリア。そりゃ兄上も………」
そこまで口にして、王女様はしまったという顔をして、申し訳なさそうに謝った。
「………ごめんなさい、失言だったわ。
エミリア、それにアイリスさん。
貴女達には国を代表して謝らなければなりません。
謝って済む所業でないことはわかっているけれど、それでも謝らせて。
他国の国民を戦争の混乱化で奴隷にするのは、連盟法で禁止されている行いです。
本当にごめんなさい」
そう言って頭を下げた王女様に、エミリー姉さんは慌てて駆け寄った。
「ちょ、ちょっとクリス!やめなさいって、そんなの!」
肩を掴み、無理やり顔を上げさせる。
クリスティーヌ様はほんの少し目を見開き、されるがままだ。
その顔は、本心から申し訳ないと思っている人の顔に、私は見えた。
「貴女が謝ることじゃないでしょう。あの時の貴女、まだ子どもだったじゃない。
悪いのは貴女じゃなくて………その、第二王子とその取り巻きよ。
それに連盟法なんて形骸化してもう三十年じゃない。どこの国も守ってないわ」
「………そう言ってもらえて、私も救われました。ありがとうエミリア」
椅子に座り直した王女様は、ここからが仕事だと言わんばかりに表情を引き締め直した。
先ほどまでの若い女性の顔でなく、一人の為政者の顔に戻る。
「それでは、いくつか聞きたいことがあります。
嫌な記憶を思い出して、辛くなることもあるかと思いますが、どうかご協力を。
とはいえ、今夜は長く引き留めるつもりはありません。
貴女たちも限界でしょうしね。
私はクリスティーヌ=アウレリア・ドリアニア。
この国の次の国家元首、つまりは国王です」
◇ ◇ ◇
いくつかの証言をし、暫くして解放された私たちは、ペンブロク邸の長い廊下を歩いていた。
結局、クララはお父さんのところから戻ってこなかった。
家族との十年ぶりの再会なんだ、ゆっくりして欲しい。
「空いている部屋は自由に使っていいそうです。
エミリーさんもアイリスさんもお疲れでしょう、今日はゆっくり休んでください」
「!」
その言葉を聞いたエミリーさんは目を輝かせて……いや、性欲でドロドロした目かもしれないが。
とにかく、そんな目でアイリスさんの腕を掴み、
「二人とも今日はお疲れ様!また明日よろしくね〜〜〜!
ほら♡行きましょうアイリス♡」
「え、ちょっとエミ───」
空いている部屋にあっという間に連れ去ってしまった。
「アナ、あの二人はすごく仲が良いんだね」
「ええ、まぁ……」
今から二人でガチレズセックスするつもりですよ、とは言えない。
二人の尊厳のために。
「僕らも休もうか。
空いてる部屋を使わせてもらおう」
「ルイスくんのお家は?」
「娼館と同じく、調査中さ。
父上は今、家の客間に監禁中らしい。
戻ったところで、落ち着いて休めるような空気じゃないよ」
ルイスくんのお父さん。
あの後も何度も店に来て、よくアイリスさんを虐めてたっけ。
あっ、それでアイリスさんを買ったのか。
そう考えたら、もっと早く気づけたかもなぁ。
「その、ルイスくんのお父さんはどうなるんですか?」
恐る恐る、そう聞いた。
負けた陣営の中心人物なんだ、きっとただでは済まない。
そう思うと、胸の奥が妙にざわついた。
「ん……ああ、そのうち再編される司法部に任せるよ。
父上のことは軽蔑しているし、どうなろうと知ったこっちゃない」
ルイスくんは淡々と言った。
感情を抑え込んでいる、というよりは。
もう何度も何度もそのことを考え尽くして、ようやく辿り着いた結論を口にしているみたいな声だった。
「ここが空いているかな。
さぁ、入って」
私はルイスくんに促されるままに、空き部屋に足を踏み入れた。
内装は簡素で、それでいて清潔だった。
窓辺には花瓶が置かれ、磨かれた硝子に廊下の灯りが淡く映っている。
寝台は一つきりだったが、マットは分厚く、シーツも真新しい。
そしてルイスくんも続いて部屋に入り、私の背中からドアが閉まる音がした。
「………ん?」
いや待って、ルイスも同じ部屋に入って?
「………っ!?!?♡」
ま、待って待って待って。
同じ部屋、若い男女、二人きり、深夜。
「む、ベッドは一つか」
極め付けはこれだ。一つきりのベッド。一つきりの。
そんなのっ……そんなのもうっ……♡
さ、三年ぶりかぁ、満足してもらえるかなぁ……♡
あれ?てか今朝お風呂入ったっけ……?♡
「僕は床で寝るから、アナはベッドを使ってくれ」
「ひゃ、ひゃい♡今脱ぎま………えっ?」
後ろを見れば、ルイスくんは既に上着を脱ぎ捨て、床にごろんと横になっていた。
外套を丸めて枕代わりにし、大きなあくびを一つ。
「ふわぁ、流石に疲れたな。昨日寝れてないからなぁ。
アナも疲れたろ。おやすみ………」
眠そうにそう言って、あっという間に眠りについてしまった。
「な……!♡な……!♡」
頭の中でわたわたと暴れ回っていた期待や羞恥やら何やらが、行き場を失ってその場でぐるぐる回り始める。
ど、どうしろと。私、このまま悶々としたまま今日寝るの?
ルイスくんと同じ部屋で?
生殺しすぎるでしょ……!
「………いや、いやいやいや。それは自分勝手だぞアナ」
ルイスくんも本当に限界だったんだ。
昨日から一睡もせず。
王城の混乱の中を駆け回って。
兵を動かして、証拠を押さえて、私たちを助けて。
「そりゃ……寝ます、よね」
当たり前だった。
当たり前なのに、私は馬鹿みたいに一人で舞い上がっていたらしい。
少し恥ずかしい。
「ばかだなぁ、私……」
しゃがみ込んで、そっと彼の髪に触れた。
さらりとした黒髪が指の間を滑る。
……起きない。
「ほんとに寝てる……」
起きたら困るくせに、起きないとそれはそれで妙に寂しい。
なんて面倒くさいんだ私は。
部屋の隅に畳まれていた薄い毛布を見つけ、私はそれを持ってきて、そっとルイスくんの身体に掛けてやった。
肩まできちんと覆って、足元も冷えないように整える。
すると彼は寝たまま、ほんの少しだけ身じろぎをした。
「……ん……アナ……」
「っ!」
びっくりして思わず肩が跳ねる。
でも目は開かない。寝言か、びっくりした。
「……行くな……」
か細いその声が、胸のど真ん中に刺さった。
私はしばらく動けなかった。
そんな声で言われたら、どこにも行けるわけがない。
「……行きませんよ、もう」
小さく答える。
寝ていて聞こえるはずもないのに、ちゃんと返してあげたくなった。
そのまま床に座り込み、毛布の下の彼の手を探す。
大きな手。
何度も私を助けてくれた手。
それをそっと握ると、眠っているくせに、彼の指が微かに動いて、私の手を握り返した。
「……っ」
もう、それだけでだめだった。
胸がいっぱいになって、また泣きそうになる。
「ほんと……ずるいですよ、ルイスくん……」
起きている時だけじゃなくて、寝ている時までこうなのか。
こんなの、好きにならない方が無理じゃないか。
私はそのまま、彼の手を握ったまま寝台へ背を預けた。
ベッドには上がらず、床に座ったまま。
この距離が、今はちょうどよかった。
遠くでまだ誰かの足音がして、この屋敷は全く眠っていないのだとわかる。
それでもこの小さな部屋の中だけは、ようやく戦いの外側に辿り着けたみたいに穏やかだった。
「おやすみなさい、ルイスくん」
明日になれば、また色々あるのだろう。
証言も、これからのことも、妹たちのことも。
考えなければならないことは山ほどある。
でも今夜だけは。
今だけは、この手の温かさを感じていたかった。
床に座ったままうとうとしていた私の意識が沈みかけた、その時。
「……アナ」
不意に、今度ははっきりした声がした。
「え」
顔を上げる。
ルイスくんはまだ半分眠ったままの目で、こちらを見上げていた。
……いつ起きたんです?
「なんで……床にいるんだ」
「え、いや、その……ルイスくんが床で寝るから……」
寝起きでぼんやりしているくせに、彼は何が不満なのか少しだけ眉を寄せた。
「だめだろ……そんなの」
「えぇ……?」
「風邪、ひくぞ……」
そして彼は、握ったままだった私の手を軽く引く。
「こっち」
「え、ちょ、あっ」
抵抗する暇もなく、私はぐい、と引き寄せられた。
バランスを崩して前のめりになり、そのままルイスくんの胸元へ倒れ込む。
「ひゃあっ♡」
「……これでいい」
「よ、よくないよくない、近い近い近い♡」
慌てて離れようとしたのに、眠気に鈍った腕で抱き寄せられる。
強くはないけれど、逃がす気のない抱き方だった。
「アナが……いると、安心する……」
そんなことを言って、彼は再び目を閉じてしまった。
「る、ルイスくん……」
返事はない。もう寝てるみたい。
なのに腕だけはしっかり私を抱えていて、鼓動まで伝わってくる。
とくとく、とくとく。
私はしばらく顔を真っ赤にしたまま固まっていたけれど、すぐに諦めて小さく息を吐いた。
「……もう、知りません」
そうしてそっと彼の胸に頬を預ける。
温かい。
それがたまらなく嬉しくて、私は目を閉じた。
今夜くらいは、この温もりに甘えても、罰は当たらない気がした。
今度こそ本当に、おやすみなさい。
大体時速50キロ。
明日最終話です。