羅刹の激しい誘惑に、八雲の理性は今にも崩壊寸前だった。屋上の熱と、彼女の魔性の吐息が、彼の全身を焼いている。
「さあ、諦めなさい。お前の体はもう、私なしでは持たないわ」
羅刹が八雲の体に手を伸ばし、股間のチャックを引き下げようとした、まさにその瞬間。
バターン!
屋上のドアが、猛烈な勢いで開け放たれた。
「やっくん!!」
そこに立っていたのは、息を切らした綾小路パイだった。彼女は八雲の姿を探し回っていたのだろう。だが、彼女の瞳は、八雲の知るパイの純粋な黒目とは違っていた。
パイの瞳は、黄金色に光り、その体からは、静かだが強力な魔力が立ち上っていた。
「パールヴァティー!」
羅刹は、顔色を変えた。パイは、まだ覚醒のサイクルではないはず。しかし、八雲の危機を察知したことと、羅刹の強力な魔力の影響で、半覚醒の状態に陥っていたのだ。
「そこを動かないで、羅刹」
パイの体を借りた性魔パールヴァティーは、怒りに満ちていた。彼女は、八雲を、自分だけの『无(ウー)』であり、私有物だと考えている。
「私の无(ウー)に、何をしようとしている? 私の糧に手を出すなんて、同族として許されると思っているの?」
羅刹は、優雅に笑みを浮かべた。
「あら、ごきげんよう、パールヴァティー。あなたが一週間も目を覚まさないのが悪いのではないかしら? 私はただ、溢れる精を、効率的に頂戴しようとしただけよ」
二人の三只眼の間に、目に見えない魔力の火花が散る。八雲は、二人の間で身動きが取れない。
「黙りなさい! 私の『无(ウー)』は、誰にも渡さない!」
パールヴァティーが、羅刹に向かって一歩踏み出した。
しかし、羅刹は動じない。彼女は静かに、ポケットからスマートフォンを取り出した。
「怒らないで、パールヴァティー。ここで争うのは、得策ではないわ。それに、あなたには一つ、私に握られている弱みがあるのよ」
羅刹は、スマホの画面をタップし、音声を再生した。
『はぁ……はぁ……なんて、甘美な……ああ、素晴らしい精!』
それは、以前、パールヴァティーが街の男達を襲った際の、悦びに満ちた喘ぎ声だった。そして、羅刹は、静止画をパールヴァティーに見せた。路地裏で、精魂尽きた男の上に跨る、パールヴァティーの魔性の姿。
「これは……!」
パールヴァティーの顔が、怒りから一転、焦燥に変わった。
「これは、あなたが無差別に男達を襲い、社会に混乱をもたらした動かぬ証拠。これを見れば、魔界の盟約に背いたとして、あなたは罰せられるわ。そして、あなたの覚醒のトリガーである藤井八雲くんの命も危うくなる」
羅刹は、画面を消した。
「取引よ、パールヴァティー。私はこの証拠を永遠に隠し通す。その代わり……」
羅刹は、妖しく微笑んだ。
「あなたが眠っている間、綾小路パイにバレなければ、この『无(ウー)』の精を、私も貪ってもいいという許可を頂きたいの」
パールヴァティーは、激しく震えた。八雲の无(ウー)としての精は、彼女だけの命綱だ。それを他者に分け与えるのは、屈辱であり、恐怖だった。しかし、自分が街で暴走した証拠が露見すれば、八雲まで危険に晒される。
数秒の沈黙の後、パールヴァティーは、唇を噛みしめ、重い声で答えた。
「……わかった。許可するわ」
八雲は、絶望的な気分になった。
「ただし、条件があるわよ、羅刹。あなたが彼に精を貰うのは、パイが完全に眠っている、彼女に知られる可能性がゼロの時間だけ。そして、彼から頂戴する精の量は、パイの覚醒サイクルに影響を及ぼさない程度に限る。この約束を破れば、私はこの場であなたを破壊するわ」
「ええ、もちろんよ。ルールは守るわ」
羅刹は、勝利の微笑みを浮かべた。彼女は八雲を奪うことはできなくても、共有する権利を手に入れたのだ。
パールヴァティーは、怒りと屈辱に耐えながら、八雲に強く言い聞かせた。
「いい? 私の无(ウー)。あなたが羅刹の要求に応じるのは、あなたの理性と体の限界のためよ。絶対に、彼女に心を許してはならないわ。あなたは、私のものよ」
そう言い残すと、パールヴァティーの黄金の瞳は瞬き、綾小路パイに戻った。パイは、意識が朦朧としており、八雲を探しに屋上に来たことしか覚えていない。
「やっくん……? 何かあったの?」
八雲は、羅刹とパールヴァティーの間の、背徳的な取引を知る、唯一の人間となった。彼の『无(ウー)』としての宿命は、二人の三只眼の間を秘密裏に行き来する、秘密の逢瀬という新たなステージへと進むのだった。