羅刹との「盟約の蜜月」が常態化し、八雲の无(ウー)としての体は、常に高負荷の状態にあった。昼間はパイと過ごし、夜は羅刹に精を供給し、さらに週末が近づけばパールヴァティーの飢餓に備える。八雲の肉体は、無限の精力を生成し続けるがゆえに、常に異常な熱を帯びていた。
そして、その微細な異変を、一番近くにいる幼馴染、綾小路パイは無意識に感じ取り始めていた。
ある晴れた日曜日の午後。八雲とパイは、テレビの前に並んで座り、一緒にゲームをしていた。
「あーあ、やっくん、また負けた! なんでそんなに冷静なの?」
パイは頬を膨らませ、ゲームコントローラーを置いた。そして、八雲の肩に頭を預ける。
「ん……?」
パイは、八雲の肩に触れているうちに、ふと違和感を覚えた。
「ねぇ、やっくん。やっぱり、すごく熱いよ。これ、風邪じゃないよね?」
八雲の肩から伝わる熱は、体温計では測れない種類の、内側から沸騰しているような熱だった。パイが顔を上げると、八雲の首筋に微かに汗が滲んでいるのが見えた。
「大したことないよ。ゲームに熱中しすぎたんだ」
八雲は平静を装って笑うが、心臓は激しく脈打っていた。彼の体内では、羅刹に奪われた分を補おうと、精の奔流が騒がしく渦巻いている。
パイは、首を傾げた。
「ふうん……。でもね、最近、やっくんの匂いも変だよ」
「匂い?」
「うん。前にも言ったけど、甘い匂いがする。でも、その甘さが、なんか、ドロドロしてて重いの。例えるなら、蜂蜜と、鉄が混ざったような……」
パイが言葉にする「蜂蜜」は羅刹のアロマと魔性の甘さであり、「鉄」は八雲の体内で精が過剰に生成される際の、血と精力の混ざった匂いだった。パイの无(ウー)の宿主としての潜在的な感覚が、羅刹の魔力の残滓を嗅ぎ分けているのだ。
八雲は、心臓を鷲掴みにされたような気分になった。パイは、彼らの背徳的な秘密に、触れかけている。
さらに深刻な異変が起こったのは、その日の夕食時だった。
パイは、八雲のために腕を振るってカレーを作った。八雲が一口食べると、パイは不安げに尋ねた。
「どう? やけに味が薄いって顔してるよ?」
「いや、美味いよ。ただ……」
八雲は、皿を置いた。
「味が、薄く感じるんだ」
羅刹とパールヴァティーという二人の三只眼に無限の精を貪られ続けた結果、八雲の五感は麻痺し始めていた。特に、快楽と精力を司る神経は常に興奮状態にあり、日常の「味覚」や「触覚」が鈍化していたのだ。
パイは、ショックを受けたように目を見開いた。
「嘘……私、ちゃんとレシピ通りに作ったのに……」
パイは、「自分のせいだ」と誤解し、悲しみに暮れた。
八雲は、パイのその表情を見て、激しい罪悪感に襲われた。羅刹との快楽は、パイの笑顔を曇らせている。
その夜、パイは八雲の部屋を訪れた。
「やっくん、ごめんね。変な匂いがするとか、味が薄いとか言って……もしかして、私、やっくんに飽きられてるのかな」
パイは、八雲に抱きつき、不安げに顔を上げる。彼女の瞳は潤んでいた。
「そんなことはない、パイ。俺は、お前に飽きるなんて絶対にない」
八雲は、パイの純粋な不安に触れ、羅刹との関係を断ち切らなければならないと強く決意した。
しかし、その瞬間、パイの体温がわずかに上昇し、彼女の瞳の奥で黄金色の光が揺らめいた。
「飽きられる? 馬鹿なことを。お前は私の『粮』。飽きるなど、私が許さないわ」
パールヴァティーの嫉妬と独占欲が、一瞬だけパイの意識を乗っ取った。彼女は、八雲の背中に回した腕に、羅刹の魔力痕を微かに感じたのだ。
「誰が、私の无(ウー)に不純な影響を与えているの?……この熱、この匂い……許さない……」
パイの意識がすぐに戻り、彼女は八雲の胸に顔を埋めた。
「ごめんね、やっくん……また、変な声が出た……」
八雲は、パイの体温が上昇し始めていることに気づいた。羅刹の精の過剰供給により、パールヴァティーの覚醒サイクルが、ついに制御不能な状態に陥り始めていたのだ。
八雲は、このままでは羅刹との秘密が、パールヴァティーの制御不能な覚醒という最悪の形で露見することを確信した。