八雲の前で、性魔パールヴァティーは妖しく笑った。
「くすくす……ああ、我慢できない。この体の渇き。この飢餓感。お前一人の精では、到底満たせないわ」
彼女はベッドから起き上がると、ゆったりと部屋の中央に立った。その肉体は、処女だった綾小路パイの姿そのままに、しかし纏うオーラはまったく別物だった。
「私の餌場はここだけではない。街は、私の渇きを満たす精で溢れている」
パールヴァティーは窓に近づく。八雲が引き止める間もなく、彼女の背中から、黒い霧が噴き出した。その霧はたちまち凝縮し、まるで蝙蝠か蛾のような、禍々しい黒い翼を形成した。
「さあ、お別れよ、最初の贄。私の祝祭は始まったばかり。またどこかで会えるかしら?」
嘲るような笑みを残し、パールヴァティーは窓を突き破り、黒い翼を羽ばたかせて闇夜へと飛び出した。
「パイッ!」
八雲は叫んだ。彼女を追わなければならない。このままでは、彼女が言った通り、街の男たちが無差別に襲われてしまう。社会的な混乱は計り知れない。何よりも、パイ自身の体が魔性のままに暴走してしまうのは許せなかった。
八雲は急いで服を掴み、窓から外を覗いた。すでにパールヴァティーの姿は遠い。彼は着替えるのを諦めパジャマのまま急いで部屋を飛び出した。
街は、深夜の静寂に包まれていた。八雲はパジャマ姿のまま、一心不乱に走り出した。パールヴァティーが向かった方向、すなわち人通りが多い繁華街を目指して。
八雲はパイを見失い1時間ほど走り探し続けた。時折道端でうずくまっている下半身を露出した男達がいた。
「まさか、パイが襲ったのでは・・・」
八雲は嫌な予感がした。
遠くの路地裏から、何人もの呻き声と、そして、パイのものとは違う、熱を帯びた女の声が聞こえてきた。
「はぁ……はぁ……なんて、甘美な……ああ、素晴らしい精! 私の渇きが、潤うわ……」
八雲は声のする路地裏に飛び込んだ。
視界に飛び込んできた光景に、八雲は息を呑んだ。
路地裏の壁にもたれかかるように、スーツ姿の男や作業着の男、中学生やランドセルを背負った小学生までが数人ぐらいがぐったりと座り込んでいた。男達は顔面蒼白で、虚ろな目をしており、もう意識がないようだった。その男達の前に、黒い翼を微かに揺らすパールヴァティーが立っている。彼女は悦に満ちた表情で、男達の精を吸収し終えたばかりのようだ。彼女の肌はさらに艶めき、黄金の瞳は満足げに細められていた。
「もっと、もっとだ!まだまだ足りない……」
パールヴァティーは、近くを歩いていた別の男に狙いを定め、妖艶な笑みを浮かべて近づいていく。
このままでは、何人もの男が精魂尽き果て、意識を失ってしまうなど大問題になってしまう。
「待て! パイ!」
八雲は叫び、パールヴァティーと次の犠牲者となる男との間に、身を投げ出した。
「邪魔よ、小僧」
パールヴァティーは八雲を一瞥し、不快感を露わにした。
「やめろ、パイ! こんなこと、パイが望んでいることじゃない!」
「パイ? 誰のことかしら。私は性魔パールヴァティー。そして、この飢餓は私の本能。誰も止められないわ」
パールヴァティーの目が、再び八雲を捉えた。その黄金の瞳が、何かを査定するように八雲の体を見つめる。
「ああ、そうだったわ。お前は私を目覚めさせた、特別な男。まだ、少しは残っているかしら?」
彼女は獲物を見るような冷酷な目で八雲に手を伸ばした。八雲は抵抗する間もなく、その熱い手に頬を捕まれた。
「残念ね、ほとんど空っぽ。しかし……」
パールヴァティーの指が、八雲の顎から首筋を伝い、その胸元に触れる。
「私の本能が、お前を拒絶しない。むしろ、お前のすべてを求めている」
彼女の顔が、八雲の顔に異常な速さで近づく。
「お前は、この私を目覚めさせた、たった一人の男。ならば、お前は『无(ウー)』となる運命にある」
その言葉と同時に、パールヴァティーの唇が八雲の唇を塞いだ。
それは強引で、すべてを吸い尽くすような口付けだった。八雲の体から、熱と力が根こそぎ吸い上げられるような、強烈な感覚に襲われた。
しかし、同時に、彼女の口付けを通して、何かが彼の体内に流れ込んできた。それは熱であり、魔力であり、そして、無限の可能性を秘めた、黒いオーラのようなものだった。
「受け入れなさい、無尽の宿命を」
パールヴァティーは八雲を押し倒し、闇の路地裏に横たわらせた。彼女の黒い翼が八雲の体を覆い隠す。
「お前の精は、すぐに尽きてしまう。それでは、この私の飢餓は満たせない」
彼女の黄金の瞳が、八雲の瞳を深く見つめた。
「さあ、始めましょう。『无(ウー)』となる儀式を。お前の体を、私専用の、尽きることのない精の源に変えてあげる」
そして、彼女の体が八雲の上にのしかかる。その熱と重みは、八雲のすべての理性を焼き尽くし、ただ彼女の声だけが、彼の意識に響き渡った。
「永遠に私を満たし続けなさい……私の珠玉(たま)」
『无(ウー)』の儀式が始まったのであった。