世界は、死んだような静寂に包まれていた。
かつてネオンが輝き、喧騒に満ちていた都市は、今やモノクロームの墓標と化している。
ビルも、アスファルトも、そして行き交う人々も、すべてが灰色の石像となり、時を止めている。
風だけがヒューヒューと吹き抜け、石化したサラリーマンの彫像の間を、虚しく舞う塵埃。
大悪魔怪人・ヤシロがもたらした『強制業務停止』は、文字通り世界を止めてしまったのだ。
だが。
この死に絶えた世界において、唯一、極彩色の「生」が脈打つ特異点が存在した。
とある場所にある、開発から取り残されたような古い住宅街の一角。
築数十年の木造古民家。
悪の組織・極東支部のアジトにして、黒野改蔵の実家である。
ヤシロによって破壊された壁の大穴には、ホームセンターで買ったブルーシートが張られ、貧乏くさくバタバタと風に煽られている。
しかし、その内側からは、世界を覆う「虚無」を跳ね返すほどの、濃厚で暑苦しい「欲望」の熱気が立ち上っていた。
「……おーい、誰か醤油取ってくれ。餅につけるやつ」
「はいはい、どうぞぉ。あ、私の分も焼いてくださいねぇ」
六畳間の中心、こたつ。
そこは、世界の終わりなどどこ吹く風の、堕落した日常が維持されていた。
黒野改蔵は、こたつで丸くなりながら切り餅をストーブの上で焼いていた。
その周りには、いつものメンバ──―イスズ、マナ、メイ、クルミがいる。
彼女たちは、改蔵の強大すぎる
「外、静かですねぇ。……本当に世界が終わっちゃったんですかぁ?」
マナがみかんを剥きながら窓の外を見る。
ブルーシートの隙間から見える景色は、灰色一色だ。
「……通信、全滅。ネットも繋がらない。……完全にオフライン」
クルミがノートPCを叩きながら呟く。
「でも、電気と水道はまだ生きてますから、生活には困りませんわね」
イスズがお茶を啜る。
「まあな。世界がどうなろうと、ここが俺の城だ。誰にも邪魔はさせん」
改蔵が焼けた餅を頬張ろうとした、その時だった。
ドガァァァァァァン!!!
ブルーシートが激しく破られ、何かが部屋の中に飛び込んできた。
「く、黒野君──ッ!! 助けてくれぇぇぇッ!!」
転がり込んできたのは、煤と泥にまみれた中間管理職、サイトウだった。
彼はボロボロのスーツ姿で、背中には風呂敷包みを背負い、涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにしている。
「うわっ!? 汚ねえな! 土足で上がるなよ!」
改蔵が餅を取り落とす。
「そ、そんなことを言っている場合か! 本部が! 本部が全滅したんだぞ!?」
サイトウが改蔵の足に縋り付く。
「見てくれ、この惨状を! 我が悪の組織の誇る、最強の幹部たちの成れの果てだ!」
サイトウが震える手で、背中の風呂敷を解いた。
ゴロン、ゴロン……。
畳の上に転がったのは、数個の「置物」だった。
威嚇するようなポーズで固まった、手のひらサイズの
金貨を抱えて驚愕の表情を浮かべた、陶器のような豚の
鍋とお玉を構えたまま凝固した、食玩のような多腕の
そして、玉座に座ったまま文鎮のようになった、威厳ある首領・大悪魔。
「……なんだこれ。フィギュアか?」
改蔵が狼の置物をつまみ上げる。
「本物だ! ヤシロの『資産凍結』や『強制入院』によって、圧縮・石化されてしまったのだ! あの強大だった四天王たちが、こんなメルカリで売れそうなサイズに……!」
サイトウが号泣する。
「うわぁ、かわいいですぅ。これ、玄関に飾りましょうよぉ」
マナがミミガー(貯金箱)を突っつく。
「……コレクション性、高い」
クルミが写真を撮る。
「遊ぶな! とにかく、ここしか安全な場所がないんだ! 私を匿ってくれ!」
サイトウが叫んだ直後。
ズドォォォン! ガシャァァァン!
さらに窓ガラスが割れ、玄関の戸が吹き飛んだ。
「マスタ──ーッ!! 会いたかったよぉぉぉッ!!」
ピンク色の弾丸のような影が飛び込んできた。
ウサ耳リボンにバニースーツ、網タイツの美少女。
ウサギ怪人のウナだ。
「うわっ!?」
改蔵が反応する間もなく、ウナがタックル気味に抱きつき、そのまま押し倒した。
「怖かったよぉ! 外の世界、みーんな石になっちゃって! 寂しかったの! 怖かったの! だからエッチして! 今すぐ慰めてぇぇッ!」
ウナは涙目で改蔵の顔を舐め回し、腰を高速でグラインドさせる。
相変わらずの万年発情期だ。
「おい、離れろ! 餅が喉に詰まるだろ!」
改蔵が引き剥がそうとするが、ウナの怪力は凄まじい。
「ちょっと! 抜け駆けはズルいわよ!」
続いて入ってきたのは、ボロボロの衣装を纏ったアイドル、ミスティ(石川カスミ)だ。
彼女は肩で息をしながら、切羽詰まった表情で改蔵に詰め寄る。
「私のファンが全員石になっちゃったのよ! 誰も私を見てくれない! 誰も私にエールを送ってくれない! ……魔力が、切れそうなの」
ミスティがガクりと膝をつき、上目遣いで改蔵を見上げる。その瞳は渇望で濁っていた。
「早く……充電して。私を満たしてよ、マスター」
「お腹すいたー!」「おじさーん!」
さらに、金髪と銀髪の双子、ルイーズ&マリーが台所へ侵入し、冷蔵庫を漁り始めた。
「ああっ! それは私のとっておきのプリンですわよ!?」
イスズが悲鳴を上げて追いかける。
「うるさいわね。私たちは避難してきてあげたのよ」
「おじさん、ネジ巻いて。動けない」
双子は人形のような無表情ながら、改蔵への独占欲を露わにして両脇を固めようとする。
「……Wi-Fi……。ここ、Wi-Fi生きてる?」
ヨレヨレのジャージ姿で、目の下にクマを作った少女、ネムが入ってきた。
彼女は挨拶もそこそこに、クルミのいる押し入れへと直行する。
「……侵入者。私の
「……回線貸して。配信できないと死ぬ」
引きこもり同士の、静かで陰湿な領土争いが勃発する。
「あらあら、患者さんがいっぱいですね♡ トリアージが必要かしら?」
白衣にナース服の美女、レンが巨大な注射器を引きずって現れた。
「サイトウさん、顔色が悪いですよ? 胃洗浄しましょうか? それとも開腹手術?」
「ヒィッ! 近寄るな! 私は健康だ!」
サイトウが逃げ惑う。
「ふふ。随分と賑やかね。……混ぜてもらえるかしら?」
最後に、妖艶な黒髪の美女、ユキが濡れたような瞳で部屋に入ってきた。
彼女が歩くだけで、部屋の中に濃厚な雌の匂いと、淫靡な空気が充満する。
六畳一間。
定員、明らかにオーバー。
人口密度は満員電車並み。
酸素濃度、低下中。
「……狭い。狭すぎる」
改蔵は、ウナに首を絞められ、ミスティに迫られ、双子に腕を引っ張られながら呻いた。
かつて静寂と怠惰に満ちていた彼のサンクチュアリは、今や「悪の組織・難民キャンプ」と化していた。
女たちの香水の匂い、お菓子の匂い、サイトウの加齢臭、そして熱気が混ざり合い、カオスな空間を作り出している。
「ええい、静かにしろ! 俺の家だぞ!」
改蔵がちゃぶ台を叩く(が、その上には既に四天王のフィギュアが置かれていて叩けない)。
「マスター、だって外は寒いんだもん!」
「ここしか居場所がないのよ!」
「お腹すいたー!」
「エッチしよー!」
怪人たちの要求が四方八方から飛んでくる。
彼女たちは皆、ヤシロの「虚無」から逃れ、本能的に「欲望の塊」である改蔵の元へ集まってきたのだ。
改蔵は、彼女たちにとっての唯一の
プシュン。
その時、部屋の電気が消えた。
こたつの赤い光も、ふっと消える。
「あ」
「消えた」
「停電?」
「……電力供給、ダウン。……発電所の職員も石化した模様」
クルミがスマホのライトを点けて報告する。
「……水道も、ガスも、順次停止する見込み。インフラ全滅」
沈黙が流れた。
電気がない。
暖房がない。
ゲームができない。
お湯が沸かせない。
シャワーも浴びられない。
「……おい。ふざけんなよ」
暗闇の中で、改蔵の声が響いた。
それは、これまで聞いたことがないほどドスの利いた、本気の怒りの声だった。
「ヤシロの奴……。俺の実家を壊し、俺の平和を乱し、挙句の果てに……」
改蔵が立ち上がる。
その身体から、怒りの魔力が紫色の炎となって立ち上り、闇を照らした。
その光に照らされた彼の顔は、世界征服を企む悪の首領そのものだった。
「俺のライフライン(文明的な生活)まで奪いやがったなァァァッ!!」
彼は怒髪天を衝く勢いで叫んだ。
正義のためでも、世界のためでもない。
ただ、「こたつでぬくぬくできない」「テレビが見れない」「風呂に入れない」という、己の欲望を阻害されたことへの純粋な怒り。
「許さん! 絶対に許さんぞ、あの社畜女!」
改蔵は拳を振り上げた。
その迫力に、騒いでいた怪人たちも静まり返る。
「お前ら! 飯が食いたいか! 風呂に入りたいか! スマホを使いたいか!」
「「「使いたい──!!」」」
全員が叫ぶ。
「なら、やることは一つだ! ヤシロをぶっ飛ばして、電気と日常を取り戻すぞ!」
「おぉ──っ!!」
ウナが拳を突き上げる。
「マスターとエッチできるなら何でもする!」
「私のステージを取り戻すわ!」
「ネット回線のために!」
「プリンのために!」
「おじさんのためなら!」
目的はバラバラ。
動機は不純。
だが、その瞬間、六畳間に集った「欲望」のエネルギーは、石化した世界を溶かすほどの熱量を持って一つになった。
「サイトウ! お前もだ! 年金取り戻したいんだろ!」
「は、はいっ! 働きます! 事務でも雑用でも何でもします!」
サイトウが直立不動で敬礼する。
「よし。……まずはこの狭さを何とかするぞ。マナ、ユキ! 近所のコンビニ(石化中)から食料とカイロを強奪してこい!」
「了解ですぅ!」
「あら、略奪? 得意分野ね」
「イスズ、レン! 炊き出しの準備だ! カセットコンロはある!」
「はいはい、任せてくださいな」
「栄養剤も混ぜておきますね♡」
「クルミ、ネム! ヤシロの居場所と弱点を解析しろ!」
「……了解」
「……やってやる。私のランクマを邪魔した罪は重い」
改蔵の号令一下、悪の組織の残党たちが動き出した。
世界で最後の砦。
それは、欲望とカオスが渦巻く、日本の古い六畳一間だった。
ここから、世界を取り戻すための、最低で最高の反撃が始まる。