世界は死に絶えていた。
大悪魔怪人・ヤシロの放った『強制業務停止』の呪いにより、東京は灰色の石像が並ぶ墓標と化していた。
かつて世界有数の過密都市だった場所から、生活音が完全に消え失せている。
車の走行音も、電車のガタンゴトンという音も、人々の話し声も、全てが「静寂」という分厚いコンクリートの下に埋葬されたかのようだった。
風だけがヒューヒューと吹き抜け、石化したサラリーマンの彫像の間を、虚しく舞う塵埃。
だが、その凍てついた静寂を、下品なまでの爆音で切り裂く影があった。
郊外の荒野を疾走する一台のバイク。
孤高の戦士、覆面ライダーの愛機『サイクロン・オメガ』である。
ブォォォォォォン!!!
バリバリバリッ!
彼はヤシロに「方向感覚喪失」の呪いをかけられ、「北へ向かえ」という意志とは裏腹に、明後日の方向へと爆走させられていたはずだった。
しかし、彼の元々の恐るべき方向音痴と、呪いが組み合わさった結果、マイナスとマイナスが掛け合わされ、奇跡を起こした。
「くそっ! どこだヤシロ! 貴様のアジトは北にあるはずだ! なぜ辿り着かん!」
ライダーはヘルメットの中で叫んだ。
彼の認識では、太陽の位置や風の向きから完璧に「北」を割り出し、そちらへ向かっているつもりだった。
だが、彼にとっての「北」は、一般的に言うところの「南南西」であり、さらに言えば「面白そうな匂いがする方角」へと無意識に補正されていた。
彼はぐるぐると円を描きながら、奇跡的に「ある一点」へと吸い寄せられていた。
それは、世界で唯一、強烈な「欲望」の磁場を発している場所。
悪の組織・極東支部のアジトである。
「む……? なんだ、あの妙な家は」
ライダーが急ブレーキをかけた。
タイヤがアスファルトを削り、白煙を上げて停止する。
目の前には、開発から取り残されたような古い住宅街の一角に、ポツンと建つ築数十年の木造古民家があった。
壁には巨大な穴が空いており、そこにはホームセンターで安売りされているブルーシートが張られ、貧乏くさくバタバタと風に煽られている。
だが、ライダーの研ぎ澄まされた感覚は、そのボロ家から漏れ出す異常な気配を捉えていた。
死に絶えた世界の中で、そこだけが極彩色に輝いて見えたのだ。
漂ってくるのは、煮込まれたおでんの出汁の匂い。
甘ったるい香水の香り。
そして、ムンムンとするような人間の(と人外の)体温。
「生存者か!? まさか、この家だけ結界で守られているのか!?」
ライダーはバイクを降り、慎重に
耳を澄ませば、中からは賑やかな、というよりは騒がしい声が聞こえてくる。
「……確認せねば。市民が取り残されているのかもしれん」
彼は隙間から中を覗き込んだ。
そして、その光景を目にした瞬間、思考がフリーズした。
「……は?」
六畳一間。
そこには、この世の終わりとは無縁の、悪夢のような楽園が広がっていた。
「あーっ! そこのウサギ! 私のプリン食べたでしょ! 口の周りにカラメルついてるわよ!」
「食べてないもん! 双子が食べたんだもん! 濡れ衣だもん!」
「嘘つき。雑種犬のくせに言い訳までするのね」
「下等生物の言葉なんて聞きたくないわ」
「おじさん、テレビ映らない。つまんない。何か面白いことして」
「ヒィッ! レン君、その注射器をこっちに向けるな! 私は健康優良児だ!」
怪人、怪人、怪人。
ウサギ怪人ウナがぴょんぴょん跳ね回り、アイドル怪人ミスティがヒステリックに叫び、双子人形怪人マリー&ルイーズが冷ややかに毒を吐き、小悪魔マナとサキュバス怪人メイがこたつを占拠し、悪の組織の中間管理職サイトウが部屋の隅で縮こまっている。
そこはまさに、悪の博覧会であり、カオスそのものだった。
「な、なんだここは!? 怪人の巣窟か!? それともヤシロの別荘か!?」
ライダーが身構え、突入しようとしたその時。
背後の路地から、疲れ果てた足音が聞こえた。
「……ライダーさん?」
ハッとして振り返ると、そこにはボロボロになったジャスティンジャー(変身解除中)の5人と、聖乙女ヒカリ、聖剣姫キリハが立っていた。
彼らの服は破れ、顔は煤け、目には疲労の色が濃い。
ヤシロに「戦う気力」を奪われ、変身能力を封じられた彼らは、行くあてもなく彷徨っているうちに、この場所が発する「生」のエネルギーに蛾のように吸い寄せられてきたのだ。
「おお! ジャスティンジャーか! 無事だったか! ……いや、その様子では無事ではなさそうだが」
ライダーが駆け寄る。
リーダーの
「ああ……。なんとかな。……ライダーさんこそ。ここは一体?」
「わからん。だが、中は危険だ。見ろ、あの地獄絵図を」
ライダーが指差す。
ヒーローたちがこわごわと中を覗き込む。
そして、全員が絶句した。
「……え? あのエプロンの人、以前戦った五十嵐イスズ……?」
「あのナース、この前ビジネス街で注射してきた医療怪人……?」
「なんでみんな、こたつでくつろいでるんだ……? 世界は終わったんじゃなかったのか?」
あまりの
彼らが命懸けで守ろうとした世界は灰色に沈んでいるのに、敵であるはずの怪人たちが、ぬくぬくと蜜柑を食べている。
その理不尽な光景に、怒りよりも先に脱力感が襲ってきた。
「おや? お客さんですかぁ?」
不意に、玄関口に小悪魔マナが顔を出した。
彼女はヒーローたちを見ても、敵意を見せるどころか、パッと顔を輝かせた。
まるで、待ちわびていた友人が来たかのように。
「あーっ! ジャスティンジャーさんに、ライダーさん! ヒカリさんにキリハさんも! 生きてたんですねぇ! よかったですぅ!」
「は……? よかった……?」
赤城が困惑して後ずさる。
「罠か? 俺たちを一網打尽にする気か?」
「いえいえ、そんなことしませんよぉ。だって、外はみんな石になっちゃいましたから。話し相手が増えて嬉しいですぅ! さあさあ、入ってください! 狭いですけど、外よりはマシですよ!」
マナが手招きする。
その笑顔には、裏表がないように見えた。いや、あまりにも「悪意」がなさすぎて、逆に不気味だった。
ズズッ……。
奥から、野太い声と共に、こたつを引きずる音がした。
「誰だ? マナ。サイトウの借金取りか? それともNHKの集金か?」
ステテコに腹巻、片手にはワンカップ大関を持った男が現れた。
黒野改蔵。
この混沌としたアジトの主である。
彼は眠そうな目を擦りながら、玄関に集まったボロボロの正義の味方たちを一瞥し、ニヤリと笑った。
「なんだ、正義の味方御一行様か。……随分とシケた面してやがるな。お通夜の帰りか?」
「貴様は……!」
キリハが目を見開く。
彼女の記憶にある、森で出会ったふざけた男。
「……あの時の、ステテコ男か!? なぜここにいる!」
「先日はどうも。道に迷った時は世話になったな」
ライダーが改蔵に深々と会釈する。
彼は以前、森で道に迷った際に改蔵に出くわし(改蔵はただ散歩していただけだが)、勝手に道を教わったと勘違いして感謝していたのだ。
「おう。また迷子か? お前のバイク、ナビついてねえのか?」
「失敬な。今回は戦略的転進だ。……ところで市民、なぜ貴様の周りに怪人たちがいるのだ?」
ライダーの素朴な疑問に、赤城が鋭く反応する。
「そうだ! お前、一体何者だ!?」
改蔵はワンカップを飲み干し、ふぅ、と息を吐いた。
「何者も何も、俺がこいつらの『飼い主』だからよ」
「なっ……!?」
ヒーローたちが衝撃を受ける。
このだらしない、休日のオッサンにしか見えない男が、悪の怪人たちを束ねる首領だというのか。
威厳のカケラもない。覇気もない。あるのは生活感だけだ。
「貴様が……全ての元凶か! ならばここで!」
キリハが反射的に剣を構えようとする。
だが、腕が上がらない。ヤシロの呪いが、彼女の戦意を鎖のように縛り付けている。
「よせよせ。今のテメェらに戦う力なんて残ってねえだろ。……腹、減ってんだろ?」
グゥ〜……。
キリハの腹が、静寂を破って可愛らしい音を立てた。
彼女は顔を真っ赤にしてうずくまる。
連戦に次ぐ連戦で、彼らは食事すらまともに取っていなかったのだ。
そこへ漂ってくるおでんの匂いは、暴力的なまでに彼らの胃袋を刺激した。
「ほらな。意地張ってないで上がりな。……敵の敵は、なんとやらだ。毒なんて入れちゃいねえよ」
改蔵は顎で中を指した。
ヒーローたちは顔を見合わせる。
プライドか、生存か。
答えは決まっていた。
彼らは武器を降ろし、恐る恐る、悪のアジトへと足を踏み入れた。
***
六畳間は、さらにカオスを極めていた。
正義と悪。
ヒーローと怪人。
本来なら殺し合うはずの両者が、膝を突き合わせて座っている。
そこには緊張感よりも、奇妙な連帯感と、生活感あふれる空気が漂っていた。
「あらあら、怪我だらけですね。消毒しましょうね♡」
医療怪人レンが、赤城の傷口にアルコール綿を押し当てる。
普段なら巨大注射器が出てくるところだが、今は純粋な応急処置だ。
彼女の手際はプロフェッショナルそのもので、赤城も見とれてしまうほどだった。
「い、痛っ! ……あ、ありがとう……。敵なのに、すまない……」
赤城が複雑な顔で礼を言う。
「いえいえ。患者さんに敵も味方もありませんから。……治ったら、また壊して差し上げますね♡」
「えっ」
「お兄さん、顔色悪いわよ。これ食べなさい」
イスズが、
「……どうも。……具は?」
「おかかですわ」
「……計算通りに美味い。栄養バランスも完璧だ……」
青野は涙を流しながらおにぎりを頬張った。
「ねえねえ! バイク見せて! 変形するの!? 合体するの!?」
ウナがライダーに絡んでいる。
「し、しない! 触るな! 指紋がつくだろ! これは私の魂だ! あとキャロットジュースをこぼすな!」
ライダーが必死に
「……あの、おばさん」
マリーとルイーズが、キリハの両脇に座った。
「だ、誰がおばさんだ! 私はまだ20代だ!」
キリハが反論するが、双子は興味なさそうに彼女の剣を突っついた。
「この剣、綺麗ね。でも、今の貴方には重そう」
「私たちが持っててあげようか?」
「くっ……!」
「……信じられない。私たちが、悪の組織に助けられるなんて」
ヒカリが温かいお茶を飲みながら、深いため息をついた。
彼女の信仰心は、この理不尽な現実に揺らいでいた。
「勘違いすんなよ。助けたわけじゃねえ」
改蔵が、こたつの
その声には、不思議な重みがあった。
「俺たちは今、共通の敵……ヤシロってやつのせいで、とんでもねえ被害を受けてる。電気もねえ、風呂もねえ、娯楽もねえ。……このままじゃ、世界が滅ぶ前に、俺たちのストレスでハゲちまう」
「……それで?」
キリハが鋭い視線を向ける。
「単刀直入に言うぞ。……手を組まねえか」
改蔵の言葉に、部屋の空気が張り詰めた。
箸が止まり、会話が途切れる。
「同盟だ。正義も悪も関係ねえ。世界がなけりゃ、飯も食えねえし、セックスもできねえ。……やるぞ、全員で」
改蔵は拳を握りしめた。
その目には、いつものふざけた色はなく、ギラギラとした野心と、生存への渇望が宿っていた。
彼は正義のために戦うわけではない。
世界平和のためでもない。
ただ、自分の「快楽」を守るために、
「ヤシロをぶっ飛ばして、俺たちの日常を取り戻す。……そのために、テメェらの力が要るんだ」
ヒーローたちが沈黙する。
悪と手を組む。それは正義の理念に反する。
だが、彼らは見てしまった。
ヤシロの「絶対的な虚無」の前では、正義も悪も等しく無力であることを。
そして、この男の持つ「底なしの欲望」だけが、唯一の対抗手段であるかもしれないことを。
「……悔しいけど、一理あるわね」
キリハが呟いた。
「私たちだけじゃ、ヤシロには勝てなかった。……彼女の『虚無』を打ち破るには、もっと別の……泥臭くて、強烈なエネルギーが必要なのかもしれない」
「強烈なエネルギー……」
赤城が改蔵を見る。
この男から溢れ出る、生命力。
生きることに執着し、快楽を貪欲に求める姿勢。
それは、ヤシロの「死んだような静寂」とは対極にあるものだ。
「……わかった。協力しよう」
赤城が立ち上がった。
「ただし! 世界が平和になったら、また改めて勝負だ! その時は手加減しないぞ!」
「ケッ。その元気がありゃ上等だ」
改蔵が笑い、赤城の手を……握らずに、みかんを投げ渡した。
「よし! 決まりだ! 史上最大にして最低の『呉越同舟連合軍』、結成だ!」
「おぉ──っ!!」
怪人たちが歓声を上げる。
ヒーローたちも、苦笑しながら拳を上げる。
サイトウが「経費は折半でお願いしますよ! 領収書切ってくださいね! あとライダーさんのバイクのガソリン代は自腹で!」と叫ぶ。
こうして、六畳一間のボロアパートから、世界を救うための反撃が始まろうとしていた。
窓の外では、灰色の雪が降り続いている。
だが、この部屋の中だけは、熱い血が通っていた。
次回、作戦開始。
ターゲットは、都心にそびえ立つ魔城『デモンズ・オフィス』。
狙うは、最強の元・社畜、ヤシロの首一つ。
世界を取り戻すための、仁義なき戦いが幕を開ける。