雪が降り積もる灰色の朝。
世界は死んだように静まり返っていたが、東京の片隅、ブルーシートで壁の穴を塞いだだけの築数十年の木造アジトは、かつてない人口密度と、むせ返るような熱気に包まれていた。
六畳一間。
そこに、悪の組織の怪人、
酸素濃度は薄く、二酸化炭素とフェロモンと生活臭が充満している。
足の踏み場もない畳の上で、昨日の敵同士が膝を突き合わせ、深刻な顔でちゃぶ台を囲んでいた。
「……解析完了。ヤシロの城、『デモンズ・オフィス』の構造データを投影する」
押し入れのサーバー
二人は性格も能力も似通っており、一晩で奇妙なシンパシーを感じてタッグを組んでいた。
ちゃぶ台の中央に、ホログラム映像が浮かび上がる。
そこに映し出されたのは、都心の高層ビル群が飴細工のようにねじれ、融合して生まれた巨大な魔城の全貌だった。
下層部は満員電車のように押し潰されたビルが土台となり、中層部は迷宮のように入り組んだオフィスフロアが螺旋を描き、そして雲を突き抜ける最上階には、支配者の象徴である巨大な社長室が鎮座している。
「……うわぁ。見るからにブラックな建築様式ですねぇ。窓がないですよぉ」
小悪魔マナが、ヒーローたちから差し入れられた乾パンをかじりながら感想を漏らす。
「……真正面から行くと即死。エントランスには『過労死』概念が強力な結界として張られてる。……触れた瞬間に精神が摩耗して、勤労意欲だけの石像になる」
ネムが淡々と絶望的なデータを読み上げる。
その言葉に、部屋に集まったヒーローたちからどよめきが起きた。
「そんな……。近づくことすらできないのか」
ジャスティンレッド(赤城)が拳を握りしめる。
「物理攻撃が通じない相手に、どうやって挑めばいいんだ……」
ブルー(青野)が眼鏡の位置を直しながら呻く。
絶望的な空気が流れる中、一人の男が欠伸をした。
「ふん。正面突破が無理なら、搦め手を使えばいいだけだろ」
黒野改蔵が、こたつの
彼の前には、サイトウが背負ってきた風呂敷が広げられ、「四天王のフィギュア」が並べられている。
「それよりレン。いつまでこいつらを寝かせておく気だ? 戦力外通告するぞ」
「あら、気が短いですね
医療怪人レンが、怪しく光るピンク色の液体が入った巨大な注射器を持って現れた。
白衣を翻し、慈愛に満ちた(しかし狂気を孕んだ)笑顔で、フィギュアたちを見下ろした。
「私の魔力と、院長の『濃厚な体液』をミックスしたスペシャルブレンドです。これを注入すれば、石化圧縮された細胞を活性化させ、一時的にですが元の姿に戻れるはずです」
「……俺の体液?」
改蔵が眉をひそめる。
「ええ。昨夜たっぷりと『採取』させていただきましたから♡ 精製するのに苦労しましたよ?」
レンが舌なめずりをする。
その意味深な言葉に、イスズとメイが「ああっ! ずるい!」と声を上げるが、今はそれどころではない。
「さあ、目覚めの時間ですよ。お寝坊さんたち」
レンは迷いなく、手のひらサイズのヴォルグ(狼の置物)の尻に、太い針を突き刺した。
ブスリ!
ポムッ!!!
白煙が上がり、部屋の空気が振動する。
煙の中から現れたのは、筋骨隆々の人狼、ヴォルグだった。
ただし、狭い六畳間で巨大化したため、悲劇が起きた。
「グオオオオオッ! 貴様ァッ! ヤシロォォォッ!!」
ヴォルグはいきなり咆哮し、立ち上がろうとして天井に頭を強打した。
ドガン! バキッ!
「痛っ!? ……む? 天井が低い? ここはどこだ? 余はフィギュアにされたはずでは……」
ヴォルグが頭を押さえてうずくまる。
続いて、ミミガー(豚の貯金箱)とミソスー(食玩)にも注射される。
ポンッ! ポンッ!
「ブヒィッ! 私の金は!? 資産は無事かブヒ!? 株価はどうなったブヒ!?」
ミミガーが慌ててスマホ(圏外)を確認する。
「あら? お鍋が……大きくなってますわ? 夢じゃありませんのね?」
ミソスーが六本の腕を動かして状況を確認する。
三人の幹部が復活した。
しかし、彼らが目にしたのは、玉座の間ではなく、生活感あふれる六畳間と、そこにひしめく「宿敵」たちの姿だった。
「ジャ、ジャスティンジャー!? なぜ貴様らがここにいる!」
ヴォルグが瞬時に反応し、爪を構える。
「まさか、組織が乗っ取られたのか!?」
赤城たちも反射的に身構え、狭い部屋で一触即発の空気が流れる。
「やめとけ、ワンちゃん。今は喧嘩してる場合じゃねえ。ハウスだ」
改蔵がドスの利いた声で制した。
ヴォルグがギロリと改蔵を睨む。
「黒野……! 貴様、何様のつもりだ! 我々は悪の組織の誇り高き四天王だぞ! 下級支部長ごときが、余に命令するな!」
「その『悪の組織』が倒産したんだろうが。……今のテメェらは、俺に拾われたただの無職だ。住所不定無職の野良犬だ。文句があるならフィギュアに戻ってメルカリに出品するぞ。『中古品・傷あり』でな」
改蔵が冷たく言い放つ。
ヴォルグが言葉に詰まる。
悔しいが、正論だ。彼らはヤシロに敗北し、全てを失ったのだ。
ミミガーが泣き崩れる。
「無職……! 私のキャリアが……! 退職金も出ないなんてブヒ……!」
「……フン。分かった。今回だけは貴様の指揮に従ってやる。だが、勘違いするなよ。これはヤシロへの復讐のためだ。あの女に、労働の
「交渉成立だな。……よし、全員聞け!」
改蔵が立ち上がり、ちゃぶ台の上に立った(場所がないため)。
部屋にひしめく怪人、ヒーロー、幹部たちを見渡す。
史上最大にして最低の、呉越同舟連合軍。
目的は一つ。
「日常」を取り戻すこと。
「作戦名は『プレミアム・フライデー』だ」
「……は?」
キリハが呆れた声を出す。
「今日は水曜日よ? しかも朝の9時だわ」
「関係ねえ。ヤシロのふざけた『無限残業地獄』を終わらせて、世界中の人間に『早上がり』をさせてやるんだ。……定時より早く帰って、ビール飲んで、風呂入って、セックスして寝る。それが俺たちのゴールだ」
改蔵はニヤリと笑い、ホワイトボード(どこから出したのか)にチーム編成を書き殴った。
字が汚くて読みにくいが、気迫だけは伝わってくる。
「ヤシロの城は階層構造だ。各階層を適材適所で攻略し、最上階を目指す。編成は以下の通りだ! 文句は受け付けん!」
***
【チーム編成発表】
1.
メンバー:覆面ライダー、ジャスティングリーン
役割:上空からの派手な攻撃で敵の注意を引きつけ、本隊への攻撃を逸らす。
「空軍? 私のバイクは空を飛ばないぞ」
ライダーが真顔で手を挙げる。
「安心しろ。物理法則を無視したジャンプ力と、お前の『根拠のない自信』があれば、それはもう飛行だ」
改蔵が適当に答える。
「なるほど! 理解した! 私の熱い魂が重力を凌駕するということだな!」
「……不安しかない。俺、生きて帰れるかな」
グリーンが頭を抱える。
2.
メンバー:ヴォルグ、ジャスティンレッド、ジャスティンブルー、ウナ(兎怪人)
役割:正面ゲート(の裏口)を物理的にこじ開け、最短ルートを切り開く特攻隊。
「俺が先陣か。……フン、悪くない。一番槍は余に相応しい」
ヴォルグが爪を鳴らし、獰猛に笑う。
「背中は預けるぞ、狼男。……裏切ったら斬る」
「フン、足手まといになったら喰うぞ、赤タイツ」
「ぴょんぴょん! 一番乗りはウナだよー! 邪魔するやつは蹴っ飛ばすー!」
ウナが二人の間を飛び跳ね、殺伐とした空気をかき回す。
3.
メンバー:ミミガー、マリー&ルイーズ(双子人形)、聖乙女ヒカリ、ネム
役割:中層階のセキュリティと警備兵を、金と洗脳とハッキングで無力化する。
「金なら任せるブヒ! 敵を買収してやるブヒ! 世の中、金で動かない鍵はないブヒ!」
ミミガーが鼻息を荒くする。
「私たちは歌うだけ。……邪魔しないでね、豚さん。あとでおじさんに褒めてもらうんだから」
双子が冷ややかに言う。
「……祈ります。どうか、この作戦にかかる経費が、正しく計上されますように」
ヒカリが現実的な祈りを捧げる。
「……セキュリティ突破は任せて。……クリック一つで地獄を見せてやる」
ネムが不気味に笑う。
4.
メンバー:ミスティ、天野ユキ、ミソスー、聖剣姫キリハ
役割:上層階の精神攻撃エリア(ストレスフロア)を、ド派手な「ショー」で上書きし、制圧する。
「私のステージね! 最高に輝いてみせるわ! 観客全員、私のファンにしてあげる!」
ミスティがポーズを決める。
「あら、私も負けてないわよ。……大人の魅力で、骨抜きにしてあげる」
ユキが妖艶に笑い、触手をうねらせる。
「お腹が空いたら戦えませんからね。戦場の炊き出しはお任せを。フルコースを振る舞いますわ」
ミソスーがお玉を構える。
「……待て。なぜ私が『エンタメ』なんだ。私は剣士だぞ。歌も踊りもできん」
キリハだけが納得いかない顔をしている。
「安心しろ。お前は『
改蔵が適当にフォローする。
「……斬ればいいのか。それなら……まあ、いい」
5.
メンバー:黒野改蔵、五十嵐イスズ、小悪魔マナ、サキュバス怪人メイ、猫怪人ミヤ、医療怪人レン
役割:改蔵を無傷で最上階へ届ける。
「つまり、ハーレム要員ですね」
マナが嬉しそうに言う。
「当たり前だ。俺は指一本動かさねえぞ。ヤシロの前に着くまではな」
改蔵が堂々とクズ発言をする。
「はいはい。私たちがしっかりお守りしますよぉ。お弁当も持ちましたし」
イスズが微笑む。
「マスター。まもる?エッチする?」
メイが尻尾を振る。
「怪我をしたらすぐ言ってくださいね。その場で手術しますから♡」
レンがメスを構える。
***
作戦会議が終わり、アジトの前に全員が集結した。
雪が舞う中、異形の軍団が整列する。
かつて殺し合った敵同士が、今は肩を並べている。
その光景は、奇妙だが、どこか熱い高揚感に満ちていた。
世界は灰色だが、ここだけは極彩色だ。
「いいか、野郎ども! 目的は世界平和じゃねえ!」
改蔵がブルーシートの前で、ビールケースの上に立って叫んだ。
寒風が彼のステテコを揺らす。
「美味い飯! 暖かい風呂! 柔らかい布団! そして気持ちいいセックス! ……それを取り戻すためだけの戦いだ!」
それは、ヒーローが口にするにはあまりに俗物的な演説だった。
だが、今の彼らの心には、どんな正義の言葉よりも深く刺さった。
なぜなら、彼らもまた、飢えていたからだ。
日常という名の、かけがえのない快楽に。
「「「おぉ──っ!!」」」
怪人たちが拳を突き上げる。
ヒーローたちは苦笑いだが、その目には確かな闘志が宿っていた。
どんなに不純な動機でも、生きるためのエネルギーは嘘をつかない。
「サイトウ! 留守番頼んだぞ! 帰ってきたら宴会だ! 寿司とピザ頼んどけ!」
「は、はいっ! 経費の計算をして待ってます! 必ず生きて帰ってきてください! 私の再就職先がなくなってしまいますから!」
サイトウが涙ながらにハンカチを振る。
「行くぞッ! 『プレミアム・フライデー』、開始だァァァッ!!」
改蔵の号令と共に、連合軍が動き出した。
ブォン! ブォン!
ライダーがバイクのエンジンを吹かす。
「空軍、発進! ……こっちだな! 悪の匂いがする!」
「待てライダー! そっちは逆だ! 群馬に行っちまう! デモンズ・オフィスはあっちだ!」
グリーンが慌ててライダーの肩を掴み、無理やりハンドルを方向修正させる。
ドシドシドシッ!
ヴォルグを先頭に、地上部隊が雪を蹴って走り出す。
ウナが跳ね、ミミガーが転がるように走り、ミスティが飛ぶ。
そして、本隊の中央。
美女たちに囲まれた
その姿は、まさに悪のカリスマ。あるいはただの王様気取りのヒモ。
「待ってろよ、ヤシロ。……お前のその『虚無』、俺の『欲望』で埋め尽くしてやる」
彼の瞳が、遠くにそびえる黒い魔城『デモンズ・オフィス』を捉え、ギラリと光った。
世界を取り戻すための、最初で最後の総力戦。
いざ、開戦。