中層階の鉄壁のセキュリティを、ネムのハッキングとイスズの
彼らが足を踏み入れた『デモンズ・オフィス』の上層階は、これまでの物理的な圧迫感や冷徹な管理社会とは異なる、生理的な嫌悪感を催す粘りつくような不快感に満ちていた。
そこは、果てしなく続く巨大なオフィスフロアだった。
だが、壁も床も灰色にくすみ、まるでカビが生えたかのような湿り気を帯びている。
天井の照明は切れかけの蛍光灯のようにチカチカと不規則に明滅し、その光は頼りなく、影を濃くするだけだ。
空気は澱み、重く、吸い込むだけで肺が鉛になったかのような錯覚を覚える。
埃っぽいカーペットの臭い、冷めたコーヒーの臭い、そして過労で倒れた人間の脂汗の臭いが混ざり合った、独特の悪臭が鼻をつく。
そして何より恐ろしいのは、空間全体に充満する「声」だった。
『……どうしてこんなミスをしたんだ』
『……お前なんて役立たずだ』
『……期待外れだ』
『……申し訳ありません。申し訳ありません』
『……消えたい。死にたい。眠りたい』
無数の呪詛、罵倒、謝罪、そして自己否定の呟き。
それらが黒い霧となって床を這い、壁を伝い、侵入者たちの耳元でねっとりと囁きかけてくる。
ここは『ストレス・フロア』。
ヤシロが長年蓄積してきた、社会人としての負の感情、理不尽なプレッシャー、パワハラ、そして未来への絶望が具現化した、精神汚染領域だ。
「くっ……! なんだこの空気は……! 重い……! 肩に、何かが乗っているようだ……!」
先頭を走っていたジャスティンレッド(赤城)が、突然ガクリと膝をついた。
物理的な重力ではない。
「自分は無力だ」「ヒーロー失格だ」「どうせ誰も救えない」というネガティブな思考が強制的に脳内に植え付けられ、心がへし折られそうになるのだ。
「……私の剣は、誰も守れないのか……? 私は、ただ剣を振るうだけの道具……?」
聖剣姫キリハの手から、愛剣が滑り落ちそうになる。
彼女のような真面目で責任感の強い人間ほど、この精神汚染の影響を受けやすい。
自分の弱み、後悔、不安。それらが増幅され、刃となって自分自身を切り刻む。
ズズズ……。
黒い霧が凝縮し、不定形の怪物『ストレス・シャドウ』となって実体化する。
彼らは顔を持たず、ただ「苦悶」の表情だけが浮かぶ黒い影だ。
触れるだけで気力を吸い取り、生きる意志を奪い、廃人へと変えてしまう。
武器が通じない。
斬っても霧散し、また集まってくる。
まるで、終わらない業務のように。
「ダメだ……! 戦う気力が……! 身体が動かない……!」
「……もう、ここで眠ってしまいたい……」
ヒーローたちが絶望の泥沼に飲み込まれようとした、その時。
「ちょっと! 何シケた顔してるのよ! アンタたち!」
凛とした、しかしヒステリックなほどに甲高い声が、陰鬱な空気を切り裂いた。
彼女はボロボロの衣装を翻し、マイク(という名の魔導増幅器)を握りしめ、瓦礫の山の上に立った。
「ここは私のステージよ! こんな陰気な幽霊ごときに、主役の座は渡さないわ! 照明、カモン!」
パチン!
彼女が指を鳴らすと、天井からピンク色のスポットライトのような光が降り注いだ。
ミスティ自身の魔力が、照明効果として具現化したのだ。
澱んだ空気が、一瞬で華やかなステージへと変わる。
「聴きなさい! 私の歌を! 魂の叫びを! 『デッドリー・ラブ・レボリューション』!!」
ジャジャーン!
虚空から大音量のイントロが流れる。
ミスティが歌い出す。
その歌声は、可憐でありながら、ガラスを砕くような破壊的な高周波と、聴く者の脳髄を揺さぶる魔力を含んでいた。
「♪ 壊してあげる! その憂鬱! 愛のムチでぇぇぇッ! 悩む暇があったら推しを崇めなさぁぁぁいッ!」
ズガァァァン!
歌声が物理的な衝撃波となり、黒い霧を吹き飛ばす。
『ストレス・シャドウ』たちが、「うわぁぁ! 耳が!」「眩しい!」「ポジティブすぎて辛い!」と苦悶の声を上げて霧散していく。
「あらあら、随分と溜まっているようね。……私が優しく『抜いて』あげるわ」
続いて、妖艶な香りがフロアに広がった。
天野ユキだ。
彼女の背中から、ピンク色の粘液を纏った無数の触手が伸びる。
それは鞭のようにしなり、逃げ惑うシャドウたちを優しく、しかし逃れられない強さで絡め取った。
「うふふ。……硬くなってるわよ? 肩も、頭も。……そんなに力んでちゃ、イくものもイけないわよ?」
ユキが触手でシャドウを締め上げる。
吸盤が吸い付き、彼らの構成要素である「ストレス」を直接吸い出し、代わりに「快楽物質」と「フェロモン」を注入していく。
マッサージという名の強制快楽堕とし。
「あ……あぁ……。気持ちいい……。コリが……ほぐれる……」
「もう……怒らなくていいんだ……。誰かに甘えても……いいんだ……」
シャドウたちの形が崩れ、トロンとしたピンク色のスライムへと変わっていく。
骨抜き。完全な弛緩。
彼らは戦意を喪失し、ただ快楽に身を委ねるだけの存在へと成り下がった。
「腹が減っては戦はできぬ、と言いますわ。……さあ、スペシャル・ランチタイムです!」
さらに、食欲をそそる暴力的なまでに良い匂いが漂ってきた。
福利厚生担当のミソスーが、六本の腕で中華鍋、フライパン、寸胴鍋を同時に振るっている。
一瞬にして、無機質なオフィスフロアが巨大な厨房へと変わった。
彼女が作り出すのは、魔界の食材をふんだんに使った「超高カロリー・ドーパミン増し増し定食」だ。
「はい、カツ丼! ラーメン! カレーライス! 唐揚げ! 全部乗せです! カロリーなんて気にしないで!」
ミソスーが料理を空中に放り投げる。
空腹という本能を刺激されたシャドウたちが、ゾンビのようにそれに群がる。
「うまい! うまいぞ! 社食よりうまい!」
「明日からダイエットする! 今日は食う! 食って忘れるんだ!」
陰鬱だったフロアが、一瞬にしてカオスなディナーショー会場と化した。
ミスティが歌い、ユキが絡め取り、ミソスーが餌付けする。
その圧倒的な「エンタメ(快楽)」の暴力の前に、ネガティブな感情など消し飛んでしまった。
「……カオスね。戦場が宴会場になってる。……私のシリアスな悩みを返してほしいわ」
キリハが呆れつつ、正気を取り戻した。
彼女は剣を拾い上げ、隙だらけになった(食事に夢中な)敵を、次々と斬り伏せていく。
斬撃が走るたびに、敵は光の粒子となって昇天していく。
「……成仏しろ。二度と残業などするな。……来世では定時で帰れるといいな」
その狂乱の宴の中心。
本隊の輿の上では、また別の、より本能的で、より濃密な「ショータイム」が行われていた。
それは、生命の根源に関わる、捕食と被食の儀式。
「……マスター。ごはん。……もっと。……いただき、ます」
サキュバス怪人メイが、改蔵と向かい合わせになり、彼にまたがっていた。
彼女は小柄な身体を改蔵に預け、まるでコアラのようにしがみついている。
悪魔の尻尾が改蔵の太ももに強烈な力で絡みつき、先端のハートマークがピクピクと動いている。
そしてローブの下では、サキュバス特有の強力な吸引力を持つ秘所が、改蔵の剛直を根元まで飲み込み、真空パックのように張り付いて離そうとしなかった。
「……ッ。メイ、お前……吸いすぎだ。ダイソンかよ。……加減を知らねえのか」
改蔵がメイの首筋に顔を埋め、荒い息を吐く。
額からは玉のような汗が滴り落ちている。
マナとの行為が「情事」、イスズとの行為が「奉仕」だとすれば、メイとのそれは純粋な「捕食」だった。
彼女は改蔵の魔力を「主食」として認識している。
そのため、容赦がない。
無意識の収縮と、内壁の蠕動運動が、改蔵の精気を一滴残らず根こそぎ搾り取ろうとしてくるのだ。
「だって……マスターの、おいしい。……濃い。……あまい。……おなかのなか、あったかい」
メイが虚ろな瞳で呟き、舌なめずりをする。
彼女の瞳孔が開いている。
魔力を摂取する快感と、性的な快感が混ざり合い、彼女をトランス状態にさせているのだ。
小さな身体が、改蔵の剛直を飲み込むたびにビクンビクンと跳ねる。
結合部からは、ジュルジュルという卑猥な水音が絶え間なく響き、周囲に甘いフェロモンを撒き散らしている。
「ふふ。メイちゃん、食欲旺盛ですねぇ。院長の顔色が少し青ざめてますよ? 生命力が吸われてますね」
横を歩くレンが、改蔵の脈を取りながら楽しそうに笑う。
「輸血パック用意しましょうか? それとも、特製の精力増強剤を心臓に直接打ちます?」
「……いらん。……俺が吸い尽くされるのが先か、こいつの腹が一杯になるのが先か……勝負だ」
改蔵がメイの小さな腰を両手で掴み、ガシガシと突き上げる。
負けてたまるか。
俺の欲望は底なしだ。サキュバスごときに負ける俺じゃない。
彼は本能のままに腰を振るう。
それは交尾であり、戦いだった。
「んっ! んくッ! ……マスター、暴れる。……おなかのなか、かき回される……! ……もっと、ちょーだい……!」
メイが小さく悲鳴を上げるが、決して離れようとはしない。
むしろ、もっと奥へと、もっと深くへと、自分から腰を沈めてくる。
子宮口を自ら開き、改蔵の侵入を歓迎する。
彼女の背中のコウモリの翼が、バサバサと激しく羽ばたき、輿の中に熱風を巻き起こす。
「いいぞメイ! その調子だ! ミスティたちに負けるな! ここが一番の特等席だ! お前が主役だ!」
改蔵が叫ぶ。
彼の剛直が、メイの子宮口をこじ開け、その奥にある「魔力貯蔵庫」へと侵入する。
最深部への到達。
「あッ! そこ……! はいる……! いっぱい、はいるぅ……! おなか、パンパン……!」
メイがのけぞり、白目を剥く。
口から銀色の糸を引き、全身を痙攣させる。
限界突破。
容量オーバーの魔力が、彼女の身体を満たしていく。
「イくぞメイ! デザートだ! たっぷり食らいやがれ! おかわりはねえぞ!」
ドプンッ!
改蔵が渾身の力で腰を打ち付ける。
「ごちそうさまぁぁぁぁッ!!!」
メイが絶叫し、全身を硬直させる。
ドピュッ! ドピュルルルッ!
白濁した高濃度の魔力が、奔流となって彼女の胎内へ注ぎ込まれる。
そして、飽和したエネルギーが、メイの身体を通して外部へと放出される。
バァァァァァァッ!
ピンク色の衝撃波が、フロア全体を包み込んだ。
その光は、ミスティのスポットライトをさらに輝かせ、ユキの触手を活性化させ、ミソスーの料理を三ツ星レストラン級の味へと昇華させた。
そして何より、フロアに充満していた「陰気な声」を、完全に掻き消した。
「アンコール! アンコール!」
ストレス・シャドウたちが、ペンライト(自分の骨)を振って熱狂している。
彼らはもう、呪われた亡者ではない。
ただの「アイドルのファン」であり、「美食家」であり、「快楽の信徒」へと生まれ変わっていた。
フロアは完全に制圧された。
「……浄化完了ね。……いや、別の意味で汚染されたと言うべきかしら」
キリハが剣を納め、呆れたように呟く。
フロアの陰鬱な空気は消え失せ、そこにはライブ終了後のような、心地よい疲労感と熱気、そして甘い情事の残り香だけが漂っていた。
「上出来だ! さあ、次はいよいよ本丸だ!」
改蔵が、ぐったりと、しかし小刻みに腰を震わせながら満足げに眠るメイを膝に乗せ、天井を指差した。
メイのお腹は、魔力でぽっこりと膨らみ、幸せそうに寝息を立てている。
天井の先には、最上階へと続くエレベーターがある。
その先で待つのは、この狂った世界の創造主。
元・社畜にして最強の魔王、ヤシロ。
「待たせたな、社長。……
呉越同舟連合軍、ついに最上階へ到達。
物語は、最終決戦へと加速する。