そこは、日本の片田舎にある埃っぽい古びたアジトとは似ても似つかぬ空間だった。 光が届かない。 何百メートルあるのか想像もつかないほど高い天井。地平線まで続いているのではないかと錯覚させる黒曜石で磨かれた床。 まるで、悪魔的な神殿。 その最奥。 無数のねじれた柱が支える玉座に、『それ』は座していた。
地球征服軍団を統べる者。大悪魔。 この世界で『首領』と呼ばれる唯一の存在。 その巨大な影は、玉座に深く身を沈め、目の前に広がる広大な空間を、静かに見つめていた。 そこには、球体状の巨大な
「……」
首領は、黙したまま、その地表を滑る無数の『光点』を眺めていた。 赤く輝く点は、我が軍団の戦力。 青く輝く点は、忌々しき、人類の抵抗勢力。 今この瞬間も、世界の各地で、赤と青の火花が激しくぶつかり合っている。
首領の燃え盛るマグマのような瞳が、その中でもひときわ激しくせめぎ合う戦域を、冷ややかに見下ろした。 北米大陸、欧州戦線、アジア沿岸部。 戦局は、一進一退。 人類も、愚かなりに必死の抵抗を続けている。 首領は、その巨大な指を、ゆっくりと動かした。 地球儀が回転し、日本列島が中央に映し出される。
「……愚かな『玩具』どもめ」
低く、地を這うような声が、広大な神殿に響いた。 首領の視線の先。そこには、青い光点の中でも、ひときわ派手な光を放つ五つの点が、連携して
「見栄えだけは良い。連携も、訓練されてはいる。だが」
首領は、嘲笑うように鼻を鳴らした。
「所詮は、マニュアル通りの『正義』。予測可能。対応可能。我が軍団の『数』の前に、いずれ磨り潰されるだけのただの『障害物』だ」
ジャスティンジャーは、厄介ではある。 だが、彼らは『脅威』ではない。 首領にとって、真に『脅威』となり得るのは、別の光だった。 首領が、指先で別の地点をタップする。 そこは、数日前に
「……
首領の瞳が、危険な光を帯びる。 ジャスティンジャーのような、組織だった光ではない。 たった一つのしかし、どこまでも鋭利な、剣の形をした青い光点。
「精霊に選ばれただの魔法少女だの笑わせる。あレは、ただの『剣士』だ」
魔法など、とうの昔に忘れ去っている。 ただ、その一点。剣の才能と、戦闘本能だけが、異常なまでに研ぎ澄まされている。 先日、我が軍が誇るステルス能力を持ったカメレオン怪人が、赤子の手をひねるように両断された。 気配探知。直感による先読み。 組織的なジャスティンジャーよりも、予測不可能な『個』の才能。 これこそが、我が軍団の戦略にとって、最も排除すべき『異物』だった。
「次に」
首領は、別の光点を映し出す。 そこは、巨大な光の
「
この世界最大の宗教組織とやらが擁する聖女。 今年で三十路だというのに、未だに『乙女』を名乗る滑稽な女。 だが、その信仰心が生み出す『結界』の硬度だけは、本物だった。 キリハが『動』の脅威ならば、ヒカリは『静』の脅威。 この女がいる限り、都市の『制圧』が完了しない。実に、忌々しい。
「そして……」
首領の指が、マップ上を不規則に、高速で点滅している一つの光点を捉えた。
「覆面ライダー」
首領のマグマの瞳が、わずかに苛立ちに揺れた。 これだけが、意味がわからない。 所属、不明。 正体、不明。 改造人間というわけでもない、ただの妙に強いだけの一般人。 だが、その神出鬼没さ、そして、何よりも。
「……なぜ、貴様は、いつも『そこ』に現れる」
我が軍団が、綿密な計画のもと、ジャスティンジャーをA地点におびき寄せ、B地点の本拠点を叩こうとする。 そのまったく関係のないC地点の山奥に、なぜか、このライダーが現れ、偶然、我が軍の補給部隊と遭遇し、壊滅させる。 悪の組織の戦略とは何の関係もない、純粋な『正義感』。 そして、それ以上に、『致命的な方向音痴』。 この予測不可能な『
「……まあ、いい」
首領は、ヒーローたちの分析を打ち切った。 どれほど有能な『青』がいようと、それを上回る『赤』をぶつければ、いずれは『黒』に染まる。 首領は、自らの『手駒』へと、意識を移した。 目の前に、四つの巨大なホログラムが浮かび上がる。 我が軍団が誇る四天王。
一つは、筋骨隆々たる人狼の姿。ヴォルグ。 我が右腕。実直で、強く、信頼できる片腕だ。今も欧州戦線で、見事に敵軍を食い止めている。 一つは、丸々と太った、オークにしか見えない魔族。ミミガー。 本人は豚ではないと言い張っているが、どうでもいい。それよりも、彼の『金策』能力は、本物だ。戦争に、金は不可欠。ミミガーの金庫は、我が軍団の生命線だ。 一つは、六本腕の穏やかな巨人。ミソスー。 福利厚生担当。料理長。前線で戦う戦闘員たちの士気は、ミソスーの温かい食事によって保たれている。これもまた、戦争の『核』だ。
そして。 一つは、髪の毛を気にし、胃を押さえる情けない四十路の男。サイトウ。
「……」
首領は、これを見るたび、わずかな頭痛を覚える。 四天王の中で、唯一の魔力も戦闘能力もない、ただの『人間』。 だが。 数万に及ぶ
「……問題は」
首領は、四天王のホログラムを消した。 そして、一つの小さなファイルを開く。 それは、日本支部に配属した、一人の『新人』のデータだった。
『サポート担当悪魔:マナ』
魔界の訓練校を、首席で卒業した、才媛。 戦闘補助、後方支援、そして、
「……だった、のだがな」
首領の指が、マナから送られてきた『業務報告書』を開いた。 そこに並んでいたのは、首領の数万年の時を生きた悪魔の常識を、根本から揺るがす、意味不明な文字列だった。
『第一日目:黒幕・黒野改蔵と接触。神聖なる儀式を執行。契約の安定を確認』 『第二日目:契約、やや不安定。午前、午後、夜間の三度にわたり、再安定化儀式を執行』 『第三日目:魔力経路、極めて良好。改蔵様との定期メンテナンス(安定化)を実施』 『第四日目:
「……」
首領の巨大な手が、ミシリ、と音を立てて玉座の肘掛けを握りしめた。
「…………こいつは」
報告書という名のただの『
首領は、怒りのあまり、そのファイルを消し去ろうとした。 だが。 指が、寸前で止まる。
首領は、冷静さを取り戻し、別のファイルを開いた。 それは、マナと、その『
『怪人 No.1:カメレオン』 『分析:高度なステルス能力。周辺環境への完璧な擬態。ポテンシャル、A。聖剣姫キリハとの
『怪人 No.2:ドリル』 『分析:超高硬度の装甲。圧倒的な破壊衝動とパワー。金融街を単独で半壊。ジャスティンジャーの
「……」
首領は、二つのファイルを見比べた。 片や理性ゼロの色狂いの『報告書』。 片やここ数年で、最も質の高い『
この黒野改蔵という男。 その『
「……フン」
首領は、両方のファイルを閉じた。 そして、空間に向かって、低く、命じた。
「サイトウ」
ビクッ、と音を立てるかのように、サイトウのホログラムが、瞬時に現れた。
『は、はいっ! 首領! な、なんでございましょうか!』 「日本支部のマナの管轄についてだ」 『あ、はいっ! あのその報告書が、その少々、不可解で……! ただちに、監査官を派遣し、あのその……』
サイトウが、冷や汗をダラダラと流しながら、弁明しようとする。 だが、首領は、それを手で制した。
「報告書は、いい」 『へ?』 「『結果』が、すべてだ。あそこの怪人は、質が高い」 『は、はあ……(ドリル怪人の破壊の後始末、こっちが大変だったんだが……)』
サイトウは、そう思いつつも、口には出せない。
「あの支部……黒野改蔵の『怪人作成担当』としての活動を、最優先事項とする」 『さ、最優先、でありますか!?』 「そうだ。彼らが欲しがる『
首領の声のトーンが、わずかに低くなった。
『ひっ……!』 「貴様の任務は、組織の『運営』だ。余計な『解釈』はするな。私の
サイトウの情けないホログラムが、慌ただしく消えた。 広大な神殿に、再び静寂が戻る。 首領は、再び、日本列島のあの小さな『赤点』に、視線を落とした。 色狂いの小悪魔と、能天気なスケベの人間。 そんな連中が、今や我が軍団の最強の『兵器工場』となりつつある。
「……フン。フハハハハ」
悪魔の乾いた笑いが、響いた。
「『
首領は、玉座に、より深く、身を沈めた。
「まあ、いいか。怪人さえ供給されるならな」
結果オーライ。 それが、合理的な支配者である大悪魔の結論だった。