ギイイと蔵の古い扉が重い音を立てて開かれた。 埃とカビの匂いが濃密な塊となり中野アズサ(なかの あずさ)の鼻腔を突いた。 彼女の鋭敏なアスリートの嗅覚が即座に情報を分析する。 (……ひどい湿気だ。換気もされていない。古い木材と土の匂い)
「儀式の場所はここだ」
中野アズサ(なかの あずさ)は物怖じ一つしなかった。 彼女の目は獲物を定めるかのように素早く蔵全体をスキャンする。 壁一面に積まれた正体不明のガラクタ。 天井の梁から差し込む埃を照らし出すわずかな光。 そしてこの非現実的な空間で唯一『生』の匂いを発する目の前の男。 まるでレース前の初めて訪れたプールサイドを検分するような冷徹な集中力だった。
「ここでやるのか」
「はい! ここが神聖なる『儀式』の間です!」
蔵の入り口から小悪魔マナが小さな胸を精一杯張った。 その隣では五十嵐イスズ(いがらし いすず)が相変わらずのブカブカなTシャツ一枚という無防備すぎる姿で心配そうにこちらを覗き込んでいる。 (……なんだあの女は。警戒心がまるでない。餌か?) アズサの思考はどこまでも冷めていた。
「この祭壇でマスターの魔力を貴女の『器』に注ぎます! そうすれば貴女の鬱屈した『渇望』が解放され……!」
「魔力を注ぐ」
アズサはマナの弾んだ説明を一言で遮った。 その視線はもはやマナにはない。 まっすぐ改蔵だけを見据えている。 寸分の迷いも恥じらいもなくその視線は改蔵のだらしないスウェットの股間へと突き刺さった。
「方法はセックスか」
「ひゃっ!?」
マナが真っ赤になって飛び上がった。 イスズも蔵の入り口で「ふええ」とTシャツの胸元を慌てて押さえている。
「な、な、なんて破廉恥なことを! あくまで神聖な『魔力供給』の儀式であって! その性的な意図は……!」
「どっちでもいい」
アズサはマナの必死の抗議を一蹴した。 彼女の目は改蔵の目をまっすぐに見返している。 (……こいつだ。こいつが力の『源』だ) 彼女のアスリートとしての本能が改蔵のだらしない姿の奥に隠された異様なまでの『熱量』を正確に感じ取っていた。
「それで私は『速く』なるのか?」
「……」
今度は改蔵が虚を突かれた。 カメレオン(チアキ)の時のように怯えも涙もない。 ドリル(リン)や
「ああ。なるぜ」
「……」
「お前が望むなら。お前のその大嫌いな『人間の限界』ってやつを俺の
「そうか」
アズサは納得した。 ただそれだけの単純な『取引』だった。 彼女は一切ためらわない。 自らのジャージのそのジッパーに手をかけシャッと迷いのない音を立てて一気に引き下げた。
「ならさっさと始めよう。グズグズするのは性に合わん」
ジャージの上下が床に落ちる。 鍛え上げられたアスリートの『機能美』が薄暗い蔵の中に浮かび上がった。 日焼けした健康的な肌。 水泳で極限まで磨かれたしなやかな筋肉の束。 イスズの柔らかな『豊満』とは対極。 一切の無駄を削ぎ落とした速く泳ぐためだけに進化した『道具』としての肉体だった。 アズサは残ったスポーツブラも競泳用のインナーもまるで脱ぎ慣れた練習着のようにテキパキと自らの手で脱ぎ捨てた。 そして改蔵の前に完全な裸で仁王立ちになった。 そこには恥じらいなど微塵もなかった。 ただレース前のスタート台に立つかのような静かな闘志だけがあった。
「準備はできた。始めろ」
「……ハッ」
改蔵の全身の血が沸騰した。 欲望。 それだけではない。 このあまりにも『出来すぎた素材』をどう『作り替え』てやろうかという純粋な『好奇心』。
「てめえみてえな『イカれた素材』は初めてだ」
改蔵もまた自らのTシャツとスウェットを一気に脱ぎ捨てた。 アジトのだらしない『神主』の姿は消えた。 そこには同じく鍛え上げられた
「……なるほど。確かにすごい『力』だ。それだけの『熱量』なら期待できる」
「わかってんじゃねえか」
改蔵はアズサの引き締まった腕を掴んだ。 そして一切の前置きなく魔法陣の中央へと押し倒した。 冷たい土の床の感触。 だがアズサは顔色一つ変えない。 ただ目を閉じこれから自らの身に起こる『変化』に全神経を集中させていた。
「『儀式』開始だ! ありがたく俺の魔力を受け取れ!」
「ああ。全部よこせ」
改蔵はその挑戦的な『器』へ自らの巨根を容赦なく突き立てた。
「……っ!」
アズサの身体が初めて強張った。 処女ではなかった。 だがそんな生易しい『経験』とは比較にならない。 『痛み』とは違う異質な『力』の侵入。 まるで高圧電流を直接粘膜にねじ込まれるような暴力的な『熱』。 それが彼女の肉体を内側からこじ開けようとする。 改蔵は休まない。 アスリートを相手にするなら手加減は無用。 彼は最初からフルパワーで魔力注入を開始した。
「ぐ……!」
アズサは歯を食いしばった。 叫び声は上げない。 (……これが魔力) (熱い。全身の血が逆流する。身体に入ってくる) 彼女は快感や屈辱ではなくその『現象』そのものを冷静に分析していた。 まるで未知のドーピングを試すかのように。 改蔵はそれがたまらなく面白くなかった。 そしてたまらなく興奮した。
「どうした! アスリート様! これっぽっちか! 声も出ねえか!」
「うるさい……集中させろ」
「ハッ!」
改蔵はさらに腰の動きを激しくした。 アスリートの鍛え抜かれた腹筋と背筋。 その『コア』が改蔵の無慈悲な突き上げを必死で受け止めている。 ガツンガツンと叩き込まれる魔力の奔流。 アズサの鍛え上げられた身体がミシミシと悲鳴を上げ始めた。 (熱い。筋肉が骨が溶けて作り替えられようとしている) (これだ。これが『限界』を超える感覚か) 彼女は痛みと魔力の熱の中で歓喜していた。 自分の大嫌いな人間のどうしようもない『リミッター』が今この男の『力』によって外れていく。 その確かな『感覚』が他のすべてに勝った。
「……もっとだ」
「あん?」
改蔵の動きが一瞬止まった。 目の下の汗だくの女が何を言った。
「どうした。もう終わりか」
アズサが汗で濡れそぼった顔を上げ改蔵を真っ直ぐに睨みつけた。 その瞳はまだ死んでいない。
「もっと注ぎ込め! 全然足りない! 中途半端は許さんと言ったはずだ!」
「ハッ! 言うじゃねえかアスリート!」
改蔵の闘争心に火がついた。 こいつは受け身の『素材』じゃねえ。 対等な『勝負』の相手だ。
「だったらお前のその鍛え抜かれた『器』が壊れるまでブチ込んでやるよ!」
「望むところだ!」
二人の儀式はもはや『調教』ではなかった。 互いの限界を試し合う『勝負』だった。 アズサはもはや受け身ではいない。 彼女は自ら腰を動かし始めた。 まるでクロールで水を掴むかのように。 改蔵の魔力を『奪う』ように貪り始めた。 改蔵の『力』を掴み自らの子宮の奥深くに引きずり込む。
「あ、あ、あああっ! 改蔵様! 魔力の反応が跳ね上がってます!」
蔵の入り口でマナが興奮した声を上げた。 その手にはいつの間にか観測用の魔術モニターが握られていた。
「『素材』がマスターの魔力を強制的に引き出しています! 逆流してます! あんなこと!」
「が、がんばれー! 神主様ー! アズサちゃーん!」
イスズがもはやどっちを応援しているのかわからない的外れな声援を送っている。
「オラアアアアッ!」
「……っ!」
アズサの身体が限界を迎える。 魔力の
「いくぞアスリート! これが『限界』の先だ!」
改蔵が咆哮した。 そして残りの全魔力を最後の一滴残らず叩き込んだ。
「あああああああああああっ!」
アズサの絶叫が蔵全体を震わせた。 魔力の光が二人を中心に爆発的に溢れ出す。
「最終変態、開始します!」
マナが歓喜の声を張り上げた。
「ポテンシャル『身体改造』! 因子『水棲適応』! 『
光の中でアズサの身体が変貌していく。 日焼けしていた肌がぬるりとした暗緑色に変わっていく。 短いショートカットが抜け落ちその頭頂部には水に濡れた完璧な『皿』のような窪みが形成された。 背中が盛り上がった。 硬い『甲羅』が彼女の鍛え上げられた背筋を皮膚を突き破って現れる。
「ぎ……! ぎぎぎぎぎ……!」
何よりも変わったのは彼女が渇望した『手足』だった。 指と指の間に分厚いゴムのような『水かき』が瞬時に発生する。 足もまた水を蹴るためだけの完璧な『ヒレ』の形へと変わっていった。 やがて光が収まった。 そこにいたのはもはや中野アズサではない。 引き締まったアスリートの筋肉のラインを色濃く残しつつも明らかに『水』のために進化した異形の怪人。 怪人はゆっくりと立ち上がった。 そして自らの『手』……緑色で分厚い水かきがついた完璧な『オール』を目の前に掲げた。
「……」
怪人はその手を握り開いた。 空気の抵抗が人間の時とは比較にならない。 それだけで彼女にはわかった。 怪人はフッと笑った。 その声は水を含んだような湿ったガラガラ声に変わっていた。
「……これだ」
怪人が呟いた。
「これなら『速く』なれる」
彼女は満足げに自らの新しい身体を見下ろした。 そして儀式を終え服を着始めた改蔵を振り返った。 その瞳には恐怖も狂気もない。 ただ取引を無事に終えたパートナーを見るような合理的な光だけがあった。
「アンタの『力』。確かに受け取った」
改蔵はその『傑作』にニヤリと笑った。
「おう。お前の名前は今日から『
「河童。いいだろう」
河童怪人はその場でシャドウスイミングを始めた。 ヒュッヒュッと水かきが空気を切る不気味な音が蔵に響いた。 人間の時とは比べ物にならないその『速さ』に彼女は心からの笑みを浮かべていた。