朝の光が、古びた障子戸を薄ぼんやりと照らしている。 チチチ、と鳥のさえずりが聞こえる、長閑な田舎の朝。 世界征服を目論む悪の組織のアジトが、こんなにも平和な朝を迎えていることなど、誰も知る由がない。 埃っぽい六畳間の畳の上。万年床と化した布団の山が、もぞもぞと動いた。
「んん……」
布団の中から、
「……腹減った」
昨日脱ぎ散らかしたTシャツを頭から被り、ふらふらと部屋を出ようとする。 その足に、布団の中から伸びてきた白く細い腕が絡みついた。
「改蔵様……」
吐息混じりの甘い声。 布団がめくれ、昨日召喚したばかりの小悪魔、マナが姿を現した。 光沢のある黒いレオタード姿。しかしその衣装は、昨夜の「神聖なる儀式」の激しさで少しばかりずり下がり、コンパクトながらも形の良い胸の膨らみが、あわやこぼれ落ちそうになっている。 輝く金髪は乱れ、空色の瞳はとろりと潤んでいた。
「……まだ『安定』しておりません」
マナはそう言うと、改蔵の足首を掴んだまま、ずるずると這い寄ってきた。 そして、改蔵のスウェットのゴム紐に、ためらいなく手をかける。
「お、おいマナ。もう朝だぞ。腹減ったって」 「いけません、改蔵様」
マナは、昨日までの首席才媛然とした態度はどこへやら、うっとりとした表情で改蔵の逞しい下半身に頬ずりした。
「契約の安定は、サポート担当悪魔としての最優先事項です! 魔力の経路が不安定なままでは、今後の怪人作成業務に支障が……!」 「いや、お前が一番支障出てるだろ。完全にセックスのことしか考えてねえじゃねえか」 「違います! これはあくまで神聖な……あぁん!」
改蔵の呆れた声も、マナの耳には届いていない。 マナは、その小さな身体で改蔵を再び畳の上へ引き倒そうと、懸命に腰を振り始めた。 魔界の訓練校首席卒業。 その真面目さと勤勉さが、今はすべて「契約の
「あぁっ! 改蔵様の魔力……! なんて、濃密で……!」 「ったく、しょうがねえなあ……」
改蔵は、世界征服だの悪の組織だのには一ミリも興味がなかった。 だが、このエロ可愛い小悪魔と好きなだけセックスできるという
「ほらよ! 神聖な『注入』だろ!」 「はいぃっ! いただきます、ですぅ!」
縁側では、今日も小鳥が平和に鳴いている。 テレビのニュースが、遠くの都会でジャスティンジャーが新しい怪人を撃破したと伝えていたが、アジトの中では、悪魔の甲高い嬌声が響き渡るばかりだった。
***
同時刻。 都会の喧騒が戻り始めた、私立大学のキャンパス。 縞田チアキ(しまだ ちあき)は、友人たちの退屈な会話に、内心で大きなため息をついていた。
「てか、昨日の怪人、マジウケるよね。カメレオンのくせに、全然隠れられてないし」 「わかるー。聖剣姫キリハに一瞬で見つかって、秒殺されてたし」
友人たちがスマホをいじりながら、昨日のヒーロー
だが、チアキの内心は、友人たちの誰とも共有できない秘密の情熱で満たされていた。 (……カメレオン怪人。素材は悪くないのに、使い方が素人すぎる) 彼女の頭の中は、そんな批評でいっぱいだった。
チアキの趣味。 それは、コスプレだった。 いや、ただのコスプレではない。 彼女が求めるのは、衣装を着てキャラクターになりきる「ごっこ遊び」ではなかった。 彼女の欲望は、もっと根本的なもの。 「変身」 そのものだった。 今の
「チアキー? 聞いてる?」 「あ、ごめんごめん! 聞いてるよ! 今日の放課後、カラオケでしょ? 行く行く!」
チアキは、パッと笑顔の仮面を貼り付け、友人たちの輪に戻っていく。 (……あーあ。本当に、変身できたらいいのに) そんな、叶うはずのない願望を、青空に吐き出すように、彼女は再び小さくため息をついた。
***
「はふぅ……ごちそうさまでした、です……」 「おー。こっちもごちそうさん」
アジトでは、ようやく朝の「儀式」第二ラウンドが終了したところだった。 改蔵は今度こそTシャツを着込み、マナはぐったりと畳の上で伸びている。
「さて、と。で、今日の『仕事』はどうすんだよ」 「あ、はい! そうでした!」
マナは、慌てて懐から魔術的なスマートフォンを取り出した。 画面には、なにやら怪しげなレーダーマップが表示されている。
「これは、魔界科学の粋を集めた『
マナが画面を操作すると、いくつかの光点がマップ上に表示された。
「現在地から一番近い、
画面が拡大され、一人の女性の写真とプロフィールが表示される。 『縞田チアキ。二十歳。大学生。表層意識:充実。深層意識:強い
「ふーん。カワイイじゃん」 「改蔵様!」
改蔵の不純な呟きに、マナが頬を膨らませた。
「これは『素材』です! 決して、改蔵様の性欲処理の道具では……!」 「お前が言うな」 「うぐっ……」
マナは、つい先ほどまで腰を振っていた張本人であることを指摘され、言葉に詰まる。
「と、とにかく! 任務です! 私がこの『素材』をアジトまで連行してきますので、改蔵様は『儀式』の準備をお願いします!」 「準備っつってもなあ。俺はいつでも臨戦態勢だが」
改蔵がニヤリと笑い、自身の股間を軽く叩いた。 その姿に、マナは顔を真っ赤にしながらも、どこか恍惚とした表情を浮かべる。
「か、改蔵様……! さすが、黒幕です……!」 「はいはい。さっさと行ってこい」 「は、はいっ! 行ってまいります!」
マナは、ビシッと(少し腰砕けになりながら)敬礼すると、その姿を黒い煙とともに掻き消した。 召喚されたばかりで、まだ空間転移は不安定だが、近距離なら問題ないらしい。
「さて、と。メシの前に、もう一仕事か」
改蔵は、これから始まる「怪人作成」という名の、新たなセックスを想像し、下品な笑みを浮かべた。
***
大学からの帰り道。 カラオケで無難に盛り上がり、友人たちと別れたチアキは、一人、夕暮れの道を歩いていた。 (……疲れた) 「ノリのいいチアキ」を演じるのは、骨が折れる。 早く家に帰って、こっそり注文した新しいコスプレ衣装のウィッグでも調整しよう。 そう考えながら、人通りの少ない路地に入った、その時だった。
「あの、もし」
不意に、背後から声をかけられた。 振り返ると、そこに立っていたのは、小柄な金髪の少女だった。 黒いレオタードに、小さな悪魔の翼。 完璧な造形。
「……コスプレ?」
チアキは、思わず呟いていた。 あまりにも現実離れした、しかしクオリティの高いその姿に、目が釘付けになる。
「違います! これは悪魔の正装です!」
少女は、なぜかぷんぷんと怒っている。
「あなたが、縞田チアキさん、ですね?」 「え、あ、はい。そうですけど……」 「単刀直入にお伺いします!」
少女は、マナと名乗った。 彼女は、チアキの目をじっと見つめ、有無を言わさぬ迫力で言い放った。
「あなた、変身したいんでしょう?」 「え……!?」
心臓が、ドクリと跳ねた。 誰にも言ったことのない、自分だけの秘密の欲望。 なぜ、この少女が。
「今の自分じゃない、まったく別の存在に。溶けて、消えて、なりきってみたい。そう、思っていませんか?」 「な、なんで、それを……」
チアキが狼狽する。 マナは、フフンと得意げに小さな胸を反らせた。
「私は悪魔ですから。人間の隠された欲望くらい、お見通しです」 「悪魔……」 「私なら、あなたのその願い、叶えられますよ」
甘い、誘惑の言葉だった。 怪しい。どう考えても怪しすぎる。 だが、チアキの心の奥底で、無視できない何かが叫んでいた。 「変身できる」 その言葉が、彼女の理性を麻痺させていく。
「……どうすれば、いいの?」
チアキが、かすれた声で尋ねた。 マナは、訓練校首席の営業スマイル(のつもり)を浮かべた。
「簡単です。私たちの『アジト』で、神聖な『儀式』を受けるだけですよ」 「儀式……」 「はい! さあ、こちらへ」
マナが、チアキの手を引く。 その手は、見た目に反して、恐ろしく冷たかった。 チアキは、何かに取り憑かれたように、その小さな悪魔の後に続いた。
連れてこられたのは、町外れにある、古びた一軒家だった。 どう見ても、ただのボロい民家だ。
「ここが……アジト?」 「はい! 認識阻害の結界が張ってあるので、一般人にはただの空き家にしか見えません!」
マナが、得意げに玄関の引き戸を開ける。 ギイ、と重い音が鳴った。
「改蔵様ー! 『素材』、調達してまいりました!」
薄暗い土間。 その奥から、気の抜けた返事が聞こえた。
「おー。ご苦労さん」
奥の居間から、一人の男が顔を出した。 Tシャツにスウェット。寝癖だらけの髪。 縁側で茶をすすっているのが似合いそうな、平凡な……いや、少しだけ顔立ちは良いかもしれないが、それだけだ。 チアキは、ここでようやく我に返った。
(……は?)
コスプレの少女。神聖な儀式。悪魔のアジト。 そして、気の抜けたTシャツの男。 状況が、まったく理解できない。
「あの……何、これ……?」 「あ?」
改蔵が、チアキの全身を、品定めするようにジロリと見た。 小麦色の肌。抜群のプロポーション。 その視線は、明らかに「神聖」なものとは程遠い、生々しい欲望の色をしていた。
「……マナ、こいつが今日の?」 「はい! 高ポテンシャルの逸材です!」 「へえ。そりゃ、楽しみだ」
男は、ニヤリと、どうしようもなくスケベな笑みを浮かべた。 チアキは、自分がとんでもない場所に来てしまったことを、ようやく悟った。
「な、なんなのよアンタたち! 帰る!」
踵を返そうとしたチアキの背後で、ピシャリ、と無情にも玄関の戸が閉まる音がした。 マナが、冷たい笑顔で出口を塞いでいる。
「ダメですよ。神聖な儀式が、始まりますから」
チアキの運命は、この能天気な黒幕と、色狂いの小悪魔の手に完全に握られたのだった。