正義の科学研究所の司令室は痛々しいほど明るかった。 磨き上げられた白い床に無機質な蛍光灯の光が反射しチリ一つない。 何十人ものオペレーターが揃いの青い制服に身を包み静かな緊張感の中コンソールを叩いていた。 カタカタというタイピングの音だけがBGMのように響く。 日本の平和を守る神経中枢。 その中央。 直径十メートルはあろうかという巨大なホログラムマップの前にジャスティンレッドが腕を組み立っていた。
ヘルメットは外されその素顔には深い疲労が刻まれている。 ここ三日まともに寝ていない。 目の下には濃いクマが浮かび整えられていない無精髭がうっすらと生えていた。
「報告を」
リーダーとしての威厳をかろうじて保つ低い声が司令室に響いた。 青い制服のオペレーターが緊張した面持ちで駆け寄りタブレット端末を彼に差し出した。
「はい! 先日来連続して出現している所属不明の新型怪人。その分析データが完了しました」
「それで?」
「……端的に申し上げて、混乱しています」
オペレーターは正直にそう告げた。 彼の指がホログラムマップを操作する。 カメレオン怪人。ドリル怪人。ドール怪人。カッパ怪人。 そして昨日のウシ怪人。 ここ二週間足らずで出現した五体の異様な怪人のデータが並んだ。 どれも従来の悪の組織の『兵器』とは明らかに異質だった。
「オオテマチに出現したドリル怪人はSクラスの破壊能力を記録しました。ジャスティンソードの刃を弾きストームキャノンの使用を強要されました。しかしその行動は建物の破壊にのみ限定されており逃げ惑う市民への直接的な加害行動は『ゼロ』でした」
レッドが頷く。 あの金融街の被害は甚大だった。 だが死傷者が出なかったのは奇跡的だった。 まるで『建物』だけを狙うかのように。
「次に浄水場のカッパ怪人。これはドリル怪人とは逆に破壊能力はCクラス。しかし水中での機動力は
レッドは歯噛みした。 あの時陸に上げる
「そして昨日のウシ怪人ですが」
オペレーターは最も言いにくい報告に移った。 レッドはこめかみを強く押さえた。 昨日の屈辱的な記憶が蘇る。
「はい。市民公園のウシ怪人」
「エネルギー反応は過去最高クラスのSプラス。ドリル怪人を遥かに凌駕していました。我々は最悪の事態を想定しましたが」
「攻撃的な行動は一切確認されませんでした」
「……」
「確認された能力は敵味方問わず強制的に闘争意欲を奪う『
司令室が気まずい沈黙に包まれる。 ヒーローが戦場で寝た。 前代未聞の不祥事だった。
レッドはマップを凝視した。 バラバラに見える事件。 だが彼は一つの『パターン』に気づいていた。
「場所だ」
「え?」
「オオテマチ以外。あの怪人どもの出現場所。浄水場。遊園地。市民公園。カッパが出た高校のプール。全てが集中している。あの長閑な田舎町を中心とした半径二十キロ圏内だ」
オペレーターの目が驚きに見開かれた。 彼は慌ててコンソールを叩きデータを照合する。
「……! 確かに! ご指摘の通りです! こんな局地的な連続出現は過去に例がありません!」
「ランダムなテロではない。今までの場当たり的な怪人とも違う。敵はこの地域に新しい『
レッドの声に静かな怒りが宿った。 ドリルは『パワー』のテスト。 カッパは『水中機動』のテスト。 ドールは『不規則戦闘』のテスト。 ウシは『精神汚染』のテスト。 そして俺たちはその全てに後手に回されている。
レッドは乱暴にヘルメットを装着した。 黒いバイザーが彼の疲れた目を隠す。
「この拠点を叩く。これは命令だ。全力を挙げて特定を急げ。あの田舎町に全神経を集中させろ。オペレーター全員三交代の二十四時間体制だ。もうあんな
「「「サー!」」」
司令室の空気が張り詰めた。 レッドは一人司令室を後にした。 彼にはわかっていた。 他の『ヒーロー』たちは当てにならない。 この任務を遂行できるのは自分たちだけだ。
***
キィン。 空気を切り裂く鋭い音が道場に響いた。 聖剣姫キリハは汗だくだった。 道着は絞れるほどの汗を含み湯気さえ立ち昇っている。 彼女は木刀を完璧な正眼に構えたまま微動だにしない。 冷たい板張りの床。 漂う汗の匂いと古い木の匂い。 すでに六時間。 日の出からずっと彼女はそうやって精神を研ぎ澄ましていた。 あの『不快感』を振り払うために。
昨日の市民公園の戦い。 あのウシ怪人。 自分に向けられたのは殺意ではなかった。 『癒し』とでも言うべき生温い気の抜けた波動。 それを浴びた瞬間剣を握る手が重くなった。 眠気に襲われた。 戦場で。 この私が。
(……反吐が出る)
彼女はあの戦場を放棄して転移した。 あれは『戦い』ではない。 『侮辱』だ。 戦場とは命のやり取り。 互いの覚悟が火花を散らす神聖な場所だ。 それなのに。
カメレオン怪人の時もそうだった。 ただ隠れるだけ。 殺意はなくただ『鬼ごっこ』をしているかのようだった。 ドール怪人の時もそうだ。 不気味な関節音をさせただ『遊んで』いるだけ。 彼女たちが纏うのは『悪意』や『殺意』ではなかった。 もっと生々しく原始的な『欲望』。 そうまるで人間の子供が駄々をこねるような身勝手な『欲望』の匂い。 それがキリハを何よりも苛立たせた。
(戦場を遊ぶな)
彼女の聖剣は悪を断つためにある。 ふざけた『家畜』や『玩具』を斬るためにあるのではない。 この新しい怪人どもは戦士への冒涜だ。
ウシ怪人を斬らなかったのはなぜか。 『デカいから斬る気が失せた』 それは表向きの理由だ。 本当は違う。 あの『戦意のない』相手に剣を向けること。 それ自体が自分の剣を『鈍らせる』と感じた。 その屈辱。
「次こそは」
キリハは低く呟いた。 次に出会ったら問答無用。 あの生温いオーラごと力の根源を叩き斬る。 もう『テスト』には付き合わない。 彼女の剣気だけが道場の中で異常な熱を放っていた。
***
壮麗な大聖堂。 天井まで届く巨大なステンドグラスが神々しい光を床の大理石に落とす。 だが
(ヒカリ 30歳 職業 聖女) (趣味 結界魔術 祈り) (年収 信仰による
「……ダメだわ。これじゃ」
彼女は深いため息をついた。 『いいね』が一件もつかない。 当然だった。 聖女とマッチングしたい物好きなどいない。
「聖『乙女』はもうキツイのよ……!」
ヒカリは今年で三十路。 世間は自分を人類の守護者と崇める。 だがヒカリは『女』としての幸せが欲しかった。 悪の組織が活発化すればするほど彼女の結界の需要は高まる。 それはつまり彼女の婚期が遠のくことを意味した。
昨日もそうだった。 浄水場のカッパ怪人を足止めするため最強の『聖域結界』を展開した。 五時間ぶっ通しで祈りを捧げ続け怪人の逃亡を防いだのは紛れもなく彼女の功績だ。 そのせいで予約していたお見合いパーティをキャンセルする羽目になった。 相手は三十二歳公務員。 安定していそうだったのに。
「怪人どもめ……!」
ヒカリの怒りはジャスティンジャーやキリハとはベクトルが違った。 (私の! 貴重な三十代を!) (これ以上無駄にさせてたまるもんですか!) (返してちょうだい!) 聖女は人類の平和のためではない。 自らの『結婚』のために本気で悪の組織の壊滅を願っていた。 彼女にとって怪人は『人類の敵』ではなく『婚活の妨害者』でしかなかった。
***
霧が深い。 どこかの山奥の峠道。 一台のバイクが力なく停まっている。 ガソリンタンクは空だった。 覆面ライダーは濡れてふやけた紙の地図を広げ途方に暮れていた。 冷たい雨がヘルメットを容赦なく叩く。
「……おかしい」
彼は浄水場で怪人が出たと聞き急行した。 市民公園の騒ぎも聞いた。 彼は助けに行くつもりだった。 全力でバイクを飛ばした。 そのはずだった。
「ここはどこだ」
彼が今いる場所は地図によれば群馬県の山中だった。 戦場は東京だ。 また道を間違えた。 彼は二日前に埼玉で曲がるべき角を間違えていた。
「くそっ!」
覆面ライダーの慟哭が霧の山に虚しく響いた。 最強の一般人。 最悪の方向音痴。 彼が助けられなかった人々への罪悪感が胸を締め付ける。 彼は改造人間ではない。 ただの「強い一般人」だ。 だからガソリンが切れればただの人。 この無力感。 だが彼は諦めなかった。
「……歩くしかないか」
彼は重いバイクを押し始めた。 ただひたすらに
***
司令室のレッドはマップを見つめていた。 キリハは気まぐれすぎる。 ヒカリは防衛専門だ。 ライダーは……もはや論外だ。 あの局地的な『巣』を叩けるのは自分たちだけだ。 人類の平和は自分たちの双肩にかかっている。
「全チームに告ぐ」
レッドの声が司令室に響いた。
「これより『怪人製造拠点』の特定を最優先任務とする。あの田舎町に全神経を集中させろ。必ず尻尾を掴む」
「「「サー!」」」
ヒーロー達は本気だった。 彼らはまだ知らない。 その『巣』の中心で黒幕がTシャツ一枚の女の子たちと『共同儀式』の準備をしていることなど知る由もなかった。