古びた木造アジトに、いつもとは違う清潔な朝が訪れていた。 万年床の六畳間。 そこは相変わらず肉色の欲望が渦巻く場所ではあるが、漂う香りが少し変化していた。 アルコールと体液のむせ返るような匂いに混じり、清涼感のある消毒液と、上品な石鹸の香りが鼻腔をくすぐる。
「おはようございます。定期健診の時間ですよ」
鈴を転がすような、しかし有無を言わせぬ声が響く。 七瀬レンだ。 先日『医療怪人』として覚醒し、悪の組織本部の医療局長に就任した彼女だが、こうして定期的にアジトへ『往診』に来るのが新たなルーティンとなっていた。 彼女は今、極限まで丈を詰めたナース服に身を包み、
「ん……。朝から熱心だな、婦長。
改蔵が重い瞼を開ける。 その視界いっぱいに、レンの慈愛に満ちた笑顔と、はだけた胸元の深い谷間が飛び込んでくる。
「ええ。部下に指示は出しておきました。貴方は私の『最重要管理対象』ですから、直接診ないと気が済まないんです」
レンの手が、布団をめくった。 スウェットのズボンがテントのように盛り上がっている。
「それに……この下半身の『鬱血』。放置しておくと危険です。直ちに排毒処置を行います」
彼女はゴム手袋をはめた手で、慣れた手つきでズボンを下ろした。 朝の光に晒される改蔵の剛直。 レンはそれを診察するように指先で弾力を確かめ、熱さを測る。
「硬度、熱量ともに異常値です。……かわいそうに。私が楽にしてあげますね」
レンは口に含んだ消毒用アルコール(という名のただの度数の高いジン)を、霧吹きのようにプーッと吹きかけた。 ひやりとした冷感と、その後に続くレンの口腔内の熱。
「あ、ああんっ! 治療です! これも治療なんです!」
左腕にしがみついていた小悪魔マナが、レンに対抗するように改蔵の腕を胸に押し付ける。
「ずるいですレンさん! 週に一度の往診だからって、朝のフェラチオを独占しないでください!」
「担当などありません。より高度な医療技術を持つ者が施術を行う。それがトリアージです」
レンはマナを一蹴すると、改蔵の先端を深くくわえ込んだ。 舌先で尿道を刺激し、吸い上げる。 その技術は、医療器具のように正確で、娼婦のように淫らだった。
「……んぅ。マスター。あし、なめる」
足元ではサキュバス怪人のメイが、我関せずと改蔵の足指をチュパチュパと吸っている。 右腕の五十嵐イスズは、まだ夢の中なのか、改蔵の二の腕を抱き枕にして幸せそうな寝息を立てていた。
「はっ、はっ、はっ……! 抽出完了まで、あと三十秒……!」
レンが頭を激しく振る。 改蔵の腰が浮く。 アジトの朝は、完璧な
***
賢者タイムの気だるさと、イスズ特製の朝粥の優しさに包まれた昼下がり。 処置を終えたレンがお茶を飲んでいると、マナの魔術スマートフォンが震えた。 サイトウからの定時連絡だ。 ホログラムに映るサイトウは、背景にレンが送り込んだであろう医療用ドローンが飛び交うオフィスにいた。
『おはよう諸君。……レン君のおかげで、組織の健康診断受診率が100%になったよ。もっとも、彼女の『強制検診』を恐れて、仮病を使う戦闘員も減ったがな』
「それは重畳。で、今日は何の用だ?」
改蔵が縁側で爪楊枝を使いながら尋ねる。 その膝にはメイが乗り、背中はイスズがマッサージをしている。
『うむ。実は、ある『廃墟』の調査を頼みたい』
「あん?調査は珍しいな」
サイトウが地図データを送信してきた。 表示されたのは、山奥にひっそりと佇む古い洋館だった。 かつては貴族の別荘か、あるいは劇場のようにも見える荘厳な建物だ。
『ここは古くから『人形の館』と呼ばれていてな。最近、ここから強力な魔力反応が観測された。それも、二つ同時にだ』
「二つ?」
『ああ。まるで鏡合わせのように、全く同じ波長の魔力が二つ。共鳴し合い、増幅している。放置すれば空間が歪みかねないレベルだ』
「へえ。面白そうじゃねえか」
改蔵の目が光った。 同じ波長の魔力。共鳴。 それはつまり、互いを求め合い、依存し合う魂があるということだ。 強烈な『渇望』の匂いがする。
『現地調査に向かってくれ。もし怪人の素質があるなら確保を。危険なら排除を頼む』
「了解だ。ピクニックにはちょうどいい天気だしな」
改蔵は立ち上がった。 膝の上のメイが転がり落ちて「むぅ」と声を上げる。
「マナ。行くぞ」
「はいっ! お供します!」
「私も同行します。患者さんの外出には付き添いが必要です」
レンが名乗りを上げる。
「いや、レンは本部に戻れ。医療局長がいつまでもサボってちゃ、サイトウさんが泣くぞ」
改蔵が諭す。
「えぇ……。わかりました。今日のところは『往診』終了とします。ですが、無理は禁物ですよ? 帰ったら、また
レンは不満そうに、しかし大人しく引き下がった。 彼女は荷物をまとめると、転送ゲートを通って本部へと帰還していった。
「さて、行くか」
「はいっ! いざ『人形の館』へ!」
改蔵とマナは、別のゲートを開き、調査へと向かった。
***
転送ゲートを抜けた先は、鬱蒼とした森の中だった。 湿った苔の匂いと、静寂。 その奥に、蔦に覆われた巨大な洋館が鎮座していた。 入り口の鉄門は錆びつき、『立ち入り禁止』の看板が傾いている。
「うわぁ……。雰囲気ありますねぇ。お化け屋敷みたいです」
マナが改蔵の背中に隠れるようにしてあたりを見回す。
「お化けなんざ、俺たちの方がよっぽど質が悪いだろ」
改蔵は構わず鉄門を蹴破った。 ガシャアアン! という音が森の静寂を引き裂く。 二人は敷地内へと足を踏み入れた。 洋館の中は、意外にも綺麗だった。 埃は積もっているが、調度品は破壊されておらず、まるで時間が止まっているかのようだ。 広大なエントランスホール。 その中央に、螺旋階段が続いている。
「……聞こえますか? 改蔵様」
マナが耳を澄ませる。 微かだが、歌声が聞こえてきた。 高く、澄んだ、少女の声。 いや、一人ではない。 二つの声が、完璧なハーモニーを奏でている。
「上か」
改蔵は階段を登った。 歌声は最上階の『音楽室』から聞こえていた。 重厚な両開きの扉。 改蔵はそれを無造作に押し開けた。
ギイィ……。
部屋の中は、ステンドグラスから差し込む光で満たされていた。 グランドピアノが一台。 そして、その前に二人の少女がいた。
「……!」
マナが息を呑む。 そこにいたのは、まるでフランス人形のように美しい、瓜二つの少女たちだった。 一人は、月光のような銀髪を縦ロールにし、深い青色のドレスを纏っている。 もう一人は、太陽のような金髪をなびかせ、鮮烈な赤色のドレスを纏っている。 顔立ちは全く同じ。 陶磁器のように白い肌に、大きな瞳。 ただ、その瞳の色だけが違っていた。 銀髪の少女は右目が青、左目が赤。 金髪の少女は右目が赤、左目が青。 左右対称のオッドアイ。
彼女たちは、侵入者に気づくと、歌うのをやめた。 そして、ぴったりと身を寄せ合い、警戒するようにこちらを睨んだ。
「……誰? 私たちの
金髪の
「……こわい。ルイーズ、こわい」
銀髪の
「俺か? 俺は観客だよ。随分と綺麗な歌声だったからな」
改蔵は悪びれもせず、部屋に入り込んだ。
「観客……? 私たちの歌を、聴いていたの?」
ルイーズと呼ばれた少女が、訝しげに眉をひそめる。
「ああ。だが、ちと寂しいな。こんな埃っぽい部屋で、二人だけで歌ってても誰も拍手してくれねえだろ」
「……私たちは、二人だけでいいの。二人で一つの世界なの。他人が入る隙間なんてないわ」
ルイーズが強く言い放つ。 その手は、背後の少女の手を痛いほど強く握りしめていた。
「そう。マリーと私は一心同体。誰にも邪魔させない」
マリーと呼ばれた銀髪の少女も、震える声で同意する。 マナがスキャナーを向ける。 数値が跳ね上がった。
「改蔵様! すごいです! この二人、常時魔力が『循環』しています! お互いの魔力を交換し合い、増幅させている……まさに『共依存』の極致です!」
「なるほどな。二人で一つ、か」
改蔵はニヤリと笑った。 彼女たちは人間だ。 だが、その魂はすでに半分ずつ融合しかけている。 世間から隔絶され、二人だけの世界に閉じこもり、互いだけを求め続けた結果。 彼女たちは人間であることをやめ、『双子』という一つの概念になろうとしているのだ。
「いいぜ。その歪んだ絆、気に入った」
改蔵が一歩踏み出す。
「来るな! 私たちに近づかないで!」
ルイーズが叫び、手をかざした。 すると、部屋にある椅子や楽譜がひとりでに浮き上がり、改蔵に向かって飛んできた。 ポルターガイスト現象。 魔力の暴走だ。
「おっと」
改蔵は飛んできた椅子を片手で払いのけた。 バキィッ! 木片が飛び散る。
「……っ!? 弾いた!?」
ルイーズが驚愕する。
「……うそ。おじさん、つよい」
マリーが目を丸くする。
「挨拶代わりにしては手荒だな。だが、そんな玩具じゃ俺は止まらんぞ」
改蔵は止まらない。 無駄にデカい身体はお子様用グッズ程度には揺るがない。その圧倒的な威圧感が、少女たちを壁際へと追い詰めていく。
「嫌……! 来ないで! マリー、逃げて!」
「だめ! ルイーズと一緒じゃなきゃ、嫌!」
二人は抱き合った。 恐怖と、それ以上の『離れることへの拒絶』。 彼女たちは死ぬことよりも、離れ離れになることを恐れていた。
「美しい姉妹愛だな。だが、お前ら、本当にそれで『満たされて』いるのか?」
改蔵の言葉に、二人の動きが止まった。
「二人だけの世界。誰も知らないステージ。聞こえの良い言葉だが、要は『孤独』を二人で分け合ってるだけじゃねえか」
「……!」
図星だった。 彼女たちは寂しかった。 誰かに見てほしい。 誰かに認めてほしい。 でも、傷つくのが怖いから、二人だけの殻に閉じこもった。 互いを慰め合うことで、その飢餓感をごまかしてきたのだ。
「俺なら、お前らのその『殻』をぶち壊してやれるぜ」
改蔵は二人の目の前まで迫った。 その巨大な手が、二人の頭上に伸びる。
「もっと広い世界を見せてやる。お前らの歌を、世界中に響かせてやる。そして何より……」
改蔵は獰猛な獣のように笑った。
「お前らのその『隙間』を、俺が埋めてやるよ」
「隙間……?」
「ああ。二人で一つ? 笑わせるな。お前らは二人だ。一人ずつじゃ半人前だが、二人が合わされば最強だ。だが、それをつなぐ『
改蔵の指先が、ルイーズの顎を、そしてマリーの頬を撫でる。 熱い。 火傷しそうなほどの、圧倒的な『陽』の魔力。 冷え切っていた二人の世界に、灼熱の太陽が割り込んできたような感覚。
「……熱い。この人、熱いよ、ルイーズ」
「……ええ。身体の奥が、痺れるみたい」
二人の瞳が潤み始めた。 彼女たちの共鳴する魔力が、改蔵の魔力に惹かれ、反応している。 第三の因子。 二人だけの閉じた円環を貫き、繋ぎ止める、絶対的な柱。
「来いよ。俺の
改蔵が手を差し出す。 左右の手を、それぞれの少女に向けて。
「……私たちを、見てくれるの?」
マリーが恐る恐る尋ねる。
「ああ。穴が開くほど見てやる。使い潰してやる」
「……後悔させないわよね? 私たちは、二人分……いいえ、それ以上に重いわよ?」
ルイーズが強気に、しかし期待を込めて睨みつける。
「ハッ。俺を誰だと思ってる。悪の組織の黒幕だぞ? お前らごときの重さ、小指一本で支えてやるよ」
その傲慢さ。 その力強さ。 二人の少女は、顔を見合わせた。 言葉はいらなかった。 双子の魂は、同じ結論を導き出していた。
「……わかったわ。貴方の『劇団』に入ってあげる」
「……うん。おじさんについていく」
二人は同時に、改蔵の手を取った。 瞬間、部屋中に眩い光が溢れた。 青と赤、そして黒い魔力が混じり合い、螺旋を描いて昇っていく。
「契約成立だな」
改蔵は二人を同時に引き寄せ、その華奢な腰を抱いた。 左右に美女。 背徳的な双子。
「マナ。撤収だ。新しい『歌姫』のお持ち帰りだ」
「はいっ! 素晴らしい収穫です!」
マナが転送ゲートを開く。 双子の少女、マリーとルイーズ。 彼女たちは洋館での孤独な生活を捨て、より騒がしく、より淫らな、悪の組織での生活を選んだ。 彼女たちの『共鳴』が、改蔵という触媒を得てどのような変貌を遂げるのか。 それはまだ、誰も知らない。
***
アジトの土間。 転送されてきた三人を、エプロン姿のイスズが出迎えた。
「おかえりなさい神主様。まあ、可愛らしいお客様ですねぇ」
「マスター。また、ひろってきたの?」
メイが改蔵の足にしがみつく。
マリーとルイーズは、初めて見る『他人』たちに、怯えたように改蔵にしがみついた。
「……人がいっぱい。こわい」
「……フン。どいつもこいつも、品がないわね」
ルイーズが虚勢を張る。 だが、その手は改蔵の服を強く握りしめて離さない。
「仲良くしてやれ。今日から家族だ」
改蔵が言うと、イスズは優しく微笑んだ。
「ふふ。わかりました。ちょうどおやつの時間ですよ。ホットケーキ、焼けてますからね」
「ホットケーキ……?」
マリーの目が輝いた。
「……食べる」
「あ、マリーったら、卑しいわよ。……でも、少しなら食べてあげてもいいわ」
騒がしい歓迎。 温かい匂い。 二人だけの冷たい洋館にはなかった『熱』が、ここにはあった。
「へへ。面白くなりそうだ」
改蔵はニヤリと笑い、双子の頭をポンポンと撫でた。 さて、今夜の『