夏の盛りが過ぎ、夜風に少しだけ秋の気配が混じり始めた頃。 古びた木造アジトの居間では、深夜のバラエティ番組が垂れ流されていた。 マナが魔法で設置した最新の4K有機ELテレビ(本人曰く、電気屋のポイントで交換したとのこと)の画面には、水着姿の美女たちがプールサイドでローション相撲に興じるという、低俗だが平和な映像が映し出されている。
「……へへっ。あいつ、滑りすぎだろ。ケツ丸出しじゃねえか」
黒野改蔵は、だらしない格好で笑っていた。 ヨレヨレのランニングシャツに、腰ゴムの緩んだステテコ姿。 彼は畳の上に大の字になり、その頭は五十嵐イスズの膝の上に乗せられている。 極上の膝枕だ。 イスズは竹製の耳かきを優しく動かしながら、ふふ、と聖母のような微笑みを浮かべている。
「神主様ったら。画面の中の女の子より、ここにいる私たちの方が『実用的』ですよ? ローションなら、私たちの方がぬるぬるですし」
「そりゃそうだ。だが、たまには『鑑賞』ってのもオツなもんだろ」
改蔵が鼻の下を伸ばしてニヤニヤすると、足元でサキュバス怪人のメイが唸った。
「マスター。テレビ、つまんない。わたしとあそんで」
メイは改蔵の足の指を一本ずつ丁寧に甘噛みしながら、恨めしそうに上目遣いをする。 最近の彼女は、改蔵への依存度がさらに増していた。 視線が合わないだけで拗ね、肌が離れるだけで震え出す。 まさに中毒症状だ。
「よしよし。CMの間だけな」
改蔵は足を使ってメイの顎をクリクリと撫でてやった。 それだけでメイは「んふぅ」と恍惚の表情を浮かべ、喉をゴロゴロと鳴らす。 単純で可愛いペットだ。
「……改蔵様。そのテレビに出ている女性、ご存知ですか?」
天井の梁から、逆さ吊りになった小悪魔マナが声をかけてきた。 彼女はコウモリのように器用にぶら下がりながら、ポテトチップスを食べている。
「ああん? 知らねえよ。ただのエロいねーちゃんだろ」
「天野ユキ(あまの ゆき)。今、業界で不動のナンバーワンと言われているトップAV女優ですよ」
マナが画面を指差す。 テレビの中では、黒髪ロングの妖艶な美女が、司会者のセクハラ質問を艶然とした笑みでかわしていた。 濡れたような黒髪、切れ長の瞳、そして圧倒的なプロポーション。 特にその唇には、男を狂わせる魔性の引力があった。
「へえ。ナンバーワンか。……道理で、目が死んでやがる」
改蔵はボリボリと尻を掻きながら言った。
「死んでる?」
「ああ。周りの男どもを見下しきって、退屈で仕方ねえって顔だ。『誰か私を満足させてみろよ』っていう、渇いた匂いがプンプンするぜ」
改蔵のスケベセンサーは、こういう時だけ異常に鋭い。
「さすが改蔵様! 解析によると、彼女の出演作は全て『演技力が凄すぎる』と評判です。特に絶頂時の演技は神業だとか。……つまり、本番中でも『演技』で済ませてしまっている、不感症疑惑があるんです」
「演技、ねえ」
改蔵は鼻を鳴らした。
「どんな名女優も、俺の『息子』の前じゃ演技なんざ忘れて、ただの雌になっちまうのになぁ。……なぁマナ。この高飛車な女優に、俺の『ドキュメンタリー』を撮らせてやりたくなってきたぜ」
「おっ、いいですね! 悪の組織プレゼンツ、台本なしのガチンコ本番ですか!」
マナがくるりと回転して着地する。
「場所は特定できてます。都内のスタジオで、ちょうど新作の撮影中みたいですよ」
「決まりだ。イスズ、夜食の準備をしておけ。大物を釣ってくる」
「はい、神主様。女優さんなら、美容にいいコラーゲンたっぷりのスープにしておきますね」
改蔵の指令に、アジトの女たちが動き出す。 画面の中の天野ユキは、何も知らずに作り物の微笑みを浮かべていた。 彼女が求めている『本物』が、すぐそこまで迫っているとも知らずに。
***
都内某所、撮影スタジオ。 強烈な照明が焚かれ、熱気が充満するセットの中。 ベッドの上で、男女が絡み合っていた。
「あ……っ! すごい……っ! いっちゃう……!」
天野ユキの嬌声が響く。 彼女は身をよじり、男優の背中に爪を立て、白目を剥いて痙攣したふりをした。 完璧な演技だ。 タイミング、声のトーン、身体の震え。 全て計算通り。
「カット! オッケー! お疲れ様でしたー!」
監督の声がかかった瞬間、ユキの表情から色が消えた。 スッ、と能面のような無表情に戻り、身体を起こす。 スタッフから渡されたバスローブを事務的に羽織る。
「お疲れ様でした、ユキさん。いやー、今日も最高でしたよ! こっちまでイキそうでした!」
男優が息を切らしながら話しかけてくるが、ユキは営業用の愛想笑いで流した。
「お疲れ様。……お先に失礼します」
彼女は足早にセットを後にした。 控室に戻り、メイクを落とすために鏡の前に座る。 鏡に映る自分は、確かに美しい。 だが、その目は死んだ魚のように冷めていた。
「……はぁ。つまんない」
ユキは溜息をつき、電子タバコを吹かした。 煙が鏡の中の自分を曇らせる。
「どいつもこいつも、下手くそばっかり。気を使って優しくすればいいと思ってるんだから」
彼女は不満だった。 業界に入って数年。 持ち前の美貌とテクニックでトップまで登り詰めたが、本当に満たされたことは一度もなかった。 男優たちは皆、カメラを気にして、あるいは彼女のオーラに気圧されて、遠慮がちに触れてくる。 マニュアル通りの愛撫。 演技のためのピストン。 そんなもので、私の奥底にある『獣』が満足するわけがない。
「もっと……こう、頭がおかしくなるくらい、めちゃくちゃにされたいのに」
ユキは自分の二の腕を抱いた。 身体は熱いのに、芯が冷えている。 演技で絶頂に達するふりをするたびに、心が乾いていくのを感じる。 私はプロだ。だから完璧に演じる。 でも、本当の私は、カメラも台本も忘れて、ただの雌として鳴きたいのだ。
コンコン。 控室のドアがノックされた。
「はい?」
「失礼しまーす。新しいお仕事のオファーでお伺いしました」
入ってきたのは、黒いスーツ(リクルートスーツを雑に着崩したような)を着た小柄な少女だった。 小悪魔マナだ。 彼女は業界関係者のような顔をして、堂々と入り込んできた。
「マネージャーを通してください。今は休憩中なので」
ユキは冷たくあしらう。 だが、少女は引かなかった。 ニヤリと笑い、ユキの耳元で囁く。
「事務所を通したら、『本番』ができなくなっちゃいますよ? 天野ユキさん」
「……何のこと?」
「見ちゃいましたよ、さっきの撮影。……随分と退屈そうな『演技』でしたね。あくびを噛み殺しているのが見えちゃいましたよ?」
ユキの目が鋭くなる。 図星を突かれたからだ。
「何が言いたいの?」
「私のボスが、貴女に興味を持っているんです。彼は『本物』ですよ。貴女が求めている、獣のような男です」
マナがタブレットを取り出し、一枚の写真を見せた。 それはアジトの縁側で撮られた、黒野改蔵の隠し撮り写真だった。 片手にビール、片手に団扇を持ち、だらしない格好であぐらをかいている、ただの中年男。 だが、その股間だけが異常だった。 スウェットの生地が悲鳴を上げるほどに盛り上がり、太ももまで達していそうな巨大なシルエットを描いている。 そして、その顔はニヘラと笑っているが、目だけはギラギラとした精力に満ちていた。
「……ッ!?」
ユキの目が点になった。 何これ。 合成? いや、醸し出されるオーラが生々しすぎる。
「何この……スケベそうなオヤジは」
「失礼な。私の敬愛するボス、黒野改蔵様です。見た目はこんなんですが、
「……」
ユキの喉が鳴った。 下品だ。 あまりにも下品で、野暮ったい男。 だが、本能が反応した。 この圧倒的な『雄』の質量感。 この男なら、あるいは私を……。
「ギャラは?」
「貴女が一生かかっても味わえないほどの『快楽』です。……どうですか? 退屈な撮影は抜け出して、本当の
ユキは電子タバコを置いた。 彼女は立ち上がり、バスローブを脱ぎ捨てて私服のワンピースに着替えた。
「……いいわ。騙されたと思って行ってあげる。もし期待はずれだったら、即帰るからね」
「ふふ。帰れる体力があれば、ですけどね」
マナが指を鳴らす。 控室の床に、魔法陣が浮かび上がった。
「え……?」
「専用リムジン(転送ゲート)です。さあ、どうぞ」
ユキは一瞬驚いたが、すぐに妖艶な笑みを浮かべた。 普通じゃない。 それがいい。 彼女は躊躇なく、光の中へと足を踏み入れた。
***
アジトの土間。 転送されてきたユキは、古びた日本家屋の匂いに鼻をひくつかせた。 カビと、埃と、蚊取り線香の匂い。 スタジオのような清潔感は皆無だ。
「いらっしゃい、トップ女優。随分とむさ苦しいスタジオで悪かったな」
奥から、黒野改蔵が現れた。 写真の通り、ステテコにランニングシャツという、どこにでもいそうなオッサン姿だ。 ポリポリと腹を掻いている。
「貴方が、ボス? ……本当にただのスケベおじさんじゃない」
ユキは呆れたように言った。 だが、改蔵は悪びれもせず、ヘラヘラと笑いながら近づいてきた。
「よく言われるよ。ま、立ち話もなんだ。上がんな」
改蔵との距離が縮まる。 その瞬間、ユキの背筋にゾクリとした戦慄が走った。 近い。 見た目は緩いのに、彼から発せられる熱気とフェロモンが、濃密すぎて息苦しいほどだ。 そして、目の前にある股間の膨らみ。 実物は、写真よりも遥かに凶悪な存在感を放っていた。
「……っ」
ユキは思わず後ずさりそうになった。 プロとしての本能が警鐘を鳴らす。 これは『演技』では済まない相手だと。
「なんだ、女優様ともあろうお方が、緊張してんのか?」
改蔵の手が伸びる。 ユキの腰を、無造作に引き寄せた。
「ひゃっ!?」
「いい身体してんなぁ。テレビで見るよりずっと美味そうだ」
改蔵の掌が、ワンピースの上からユキの尻を揉みしだく。 グニグニと、容赦のない力加減。 デリカシーなど欠片もない。
「ちょ、ちょっと! いきなり何すんのよ!」
「挨拶だろ? ……なんだ、濡れてんじゃねえか」
改蔵はニヤリと笑った。 ユキの顔がカッと熱くなる。 否定できない。 この粗野で下品な男に触れられただけで、身体が勝手に反応してしまっている。
「……失礼ね。汗よ、汗」
「へえ、いい匂いの汗だな。……なぁ、女優さん。俺と『リハーサル』してみるか?」
改蔵が顔を近づける。 酒とタバコの匂い。 そして、強烈な雄の匂い。
「……リハーサルなんていらないわ」
ユキは改蔵を睨みつけた。 その瞳には、女優としてのプライドと、抑えきれない雌の欲情が混ざり合っていた。
「私を満足させられるって言うなら、いきなり本番で証明してみなさいよ。……もし私が『演技』しちゃったら、貴方の負けよ?」
「ハッ! 上等だ。演技なんかする暇もねえくらい、ヒイヒイ言わせてやるよ」
改蔵はユキをひょいと担ぎ上げた。 米袋でも運ぶような軽さだ。
「きゃっ!?」
「撮影開始だ。台本はなし。全部アドリブでいくぞ」
改蔵は土蔵の方へと歩き出した。 その後ろ姿を見ながら、マナとイスズ、そしてメイが顔を見合わせた。
「あらあら。また激しいのが始まりそうですね」
「女優魂とスケベ心……。どっちが勝つか見ものですね」
「マスター、がんばれ」
土蔵の扉が開く。 そこは、数々の女たちが怪人へと生まれ変わった『孵化場』。 天野ユキにとっても、そこは女優としての仮面を脱ぎ捨て、一匹の雌へと還るためのステージとなるはずだ。
「さあ、見せてみろよ。ナンバーワンの実力をな」
改蔵がユキを畳の上に降ろす。 重い扉が閉ざされ、二人の息遣いだけが響く空間。 カーッ! カチンコが鳴る音が聞こえた気がした。 悪の組織のスケベ黒幕と、現役トップAV女優。 互いのプライドと欲望を賭けた、一夜限りの(そして永遠に続くかもしれない)本番が、今幕を開けた。