二月中旬。暦の上では立春を過ぎ、梅の蕾も膨らむ頃合いのはずだが、日本列島は十年ぶりとも言われる猛烈な寒波に覆われていた。北風が容赦なく吹き荒れ、都心でも雪が散らつく極寒の夜。悪の組織・極東支部のアジトである、築数十年の木造古民家は、まるで巨大な冷蔵庫の中に放り込まれたかのような冷気に包まれていた。断熱材など皆無に等しい土壁からは深々と冷えが伝わり、隙間だらけの雨戸がガタガタと悲鳴を上げている。廊下の板張りは、素足で歩けば一瞬で皮膚が張り付きそうなほど凍てついていた。
そんな過酷な環境下で、唯一の生命維持装置であり、
「……さむ。マジで動きたくねえ。トイレ行くのも命懸けだぞ、こりゃ」
黒野改蔵は、こたつ布団を頭まで被り、巨大な
「神主様ぁ、私の体温で温めてあげますからねぇ……。ほら、ぎゅーっとしてください」
右脇には、エプロン姿のまま潜り込んだ五十嵐イスズが、豊満な胸を改蔵の二の腕に押し付け、湯たんぽ代わりになって密着している。彼女の母性溢れる温かさと、微かな味噌汁の匂いが、改蔵の凍えた心を癒やす。
「マスター、こっちも空いてますよぉ。密着しましょう、密着ぅ。小悪魔の体温は高いんですよぉ?」
左脇には、小悪魔マナがレオタード姿でしがみついている。彼女の滑らかな肌が改蔵の脇腹に吸い付き、背中の小さな羽がパタパタと動いて空気を撹拌している。
「んぅ……。マスターの股の間……あったかい……。ここ、わたしの特等席……」
そして改蔵の股間部分の膨らみには、姪浜メイが頭からすっぽりと潜り込み、あぐらをかいた足の間にすっぽりと収まって定住していた。時折、寝言と共に小さな吐息が改蔵の急所にかかり、奇妙なムズムズ感を与えている。
「……おい、クルミ。お前も入ればいいだろ。押し入れ寒くねえのか?」
改蔵が布団の中から声をかけると、少し開いた押し入れの隙間から、青白い顔が覗いた。
「……PCの排熱があるから平気。……それに、こたつの中は人口密度が高すぎて酸素濃度が低下中。……パス」
クルミは淡々と答えると、再び暗闇の中でキーボードを叩く音を響かせた。相変わらずの引きこもりである。
「あーあ。
「ミヤちゃんは気まぐれですからねぇ。もっと暖かい場所を見つけたのかもしれませんよぉ」
マナがクスクスと笑う。この寒さの中、自由奔放な猫怪人はアジトに寄り付いていなかった。
ピロリロリン♪ その時、ちゃぶ台の上のPCモニターが起動し、無機質な着信音が鳴り響いた。
『定時連絡だ! 聞いているかね、黒野君! 起きているかね!』
画面に映し出されたのは、悪の組織・リクルート
「よう、サイトウ。寒くねえか、そっちは。俺たちは今、遭難しかけてるんだが」
改蔵が顔だけ出して応える。
『こちらは全館空調完備だ! 快適な室温24度だ! ……そんなことより、予算の話だ!』
サイトウが悲痛な叫びを上げ、机をバンと叩いた。
『金策担当の四天王、ミミガー様からお叱りを受けたぞ! 「最近の極東支部は経費ばかりかかって、上がりが少ないブヒ」とな! ミミガー様は金を床に敷き詰めて、裸になってその上で転がるのが唯一のストレス解消法なんだぞ! そのためのインセンティブが減っているとご立腹なのだよ!』
「知らねえよ。オークの貯金箱事情なんて。勝手に転がってろよ」
『それに、四天王筆頭のヴォルグ様からも、「前線での覇気が足りん」とのお達しがあった! ヴォルグ様は筋骨隆々の武闘派だからな、もっと派手に暴れてもらわないと困るのだ! 最近の報告書が「みかんが美味い」とか「こたつ最高」とか、平和ボケしすぎているぞ!』
サイトウはハンカチで額の
「へいへい。要するに、もっと派手に稼げってことだな」
『そうだ! 福利厚生担当のミソスー様が作ってくれた社食の「特製豚汁」が美味いことだけが、私の今の救いなのだ……。ああ、ミソスー様の六本の腕で作るおにぎりは最高だ……。頼むぞ、黒野君。私の胃薬が尽きる前に、成果を出してくれ』
プツン。通信が切れた。画面が暗転し、六畳間に再び静寂と冷気が戻ってくる。
「やれやれ。中間管理職も大変だな。ハゲなきゃいいけどな」
改蔵はみかんの皮を剥きながら、大きな欠伸をした。
「でもまぁ、ヴォルグの言うことも一理ある。最近、このアジトは湿っぽい。寒さのせいで、俺たちのテンションも下がり気味だ。イスズの味噌汁は美味いが、刺激が足りねえ」
「そうですねぇ。メイちゃんはお布団から出てこないし、私も最近、露出が減ってますぅ」
マナが苦笑しながら、レオタードの上に羽織った
「そこでだ。気温じゃなくて、『バイブス』の話だ。……こう、見てるだけで暑苦しいくらいの、脳みそ空っぽでアゲアゲな、熱い怪人が欲しい」
「バイブス、ですかぁ?」
「ああ。陰気な冬を吹き飛ばすような、南国の太陽みたいな馬鹿騒ぎができるヤツだ。理屈抜きで、本能で生きてるような、頭の悪そうなメスがいい。こたつの熱気じゃなくて、ハートの熱気で燃えてるようなヤツだ」
改蔵の無茶なオーダーに、マナがポンと手を打った。彼女の赤い瞳がキラリと光る。
「なるほどぉ! わかりました! それなら、うってつけの
「ほう? こんな寒い日にか?」
「寒さをものともしない最強の種族、『ギャル』です! ちょうど渋谷あたりに、この寒波すらファッションの一部にしちゃうような、いい素材が生息しているはずですぅ!」
「ギャルか。……悪くねえ。肌が黒くて、日サロの匂いがして、露出度が高くて、貞操観念の低いヤツを頼む」
「了解ですぅ! 期待して待っててくださいねぇ! とびっきりの『アゲアゲ』を連れてきますから!」
マナはこたつから勢いよく飛び出すと、レオタードの背中から黒いコウモリのような翼を広げ、凍りついた窓を一気に開け放った。
ヒュオオオオオオッ! 猛烈な吹雪が吹き込み、室温が一気に下がる。
「ひゃあぁぁ! さむいぃぃ!」 イスズとメイが悲鳴を上げて改蔵にしがみつく。 「……室温低下。警告、警告」 クルミが押し入れの奥へ避難する。
「行ってきまーす!」 マナは冷たい夜風に乗って、ネオン輝く都会の空へと飛び立った。
***
夜の渋谷。スクランブル交差点を行き交う人々は、厚手のダウンコートにマフラー、手袋で完全防備し、白い息を吐きながら足早に歩いている。氷点下に近い気温。ビル風が容赦なく体温を奪っていく極寒の夜。そんな重苦しい冬の雑踏の中に、季節感を完全にバグらせた一人の少女がいた。
「さっむー! マジ凍るんですけどー! 地球温暖化とか嘘じゃね? ウケるw」
上は極端に丈の短い、へそ出しのダウンジャケットを羽織っているが、前は全開。中は胸元が大きく開いた、派手な蛍光ピンクのキャミソール一枚だけ。豊満なバストの谷間が、寒空の下に惜しげもなく晒されている。下は、お尻が見えそうなほどのマイクロミニスカート。そして、驚くべきことに生足だ。タイツもストッキングも履かず、ルーズソックスに厚底のスニーカーという、平成リバイバルなスタイルで闊歩している。
「あー、マジだる。クラブ行くまでスタバ寄るかー。……てか、彼氏募集中なう、的な? 誰か温めてくんないかなー」
彼女は長い付け
すれ違う人々が、ぎょっとした目で彼女を見る。だが、ミウは全く意に介さない。悩みなど何もない。あるのは「今を楽しむ」という刹那的な快楽主義と、己のスタイルを貫く強靭なメンタルだけだ。彼女の身体からは、寒さを凌駕するほどの熱量──
「こんばんはぁ。お姉さん、いい身体してますねぇ」
不意に、頭上から声がかかった。ミウが信号待ちで立ち止まり、ふと見上げると、街灯の上に黒い翼を生やした少女・マナが座っていた。通行人たちは寒さで下を向いて歩いているため、誰も頭上の異変に気づいていない。
「ん? 何あれ、コスプレ? 超クオリティ高いじゃん! 羽とかマジで動いてるし! ワイヤーアクション?」
ミウは驚くどころか、目を輝かせてスマホを向けた。
「ヤバーい! 渋谷の空飛ぶコスプレイヤー発見! 拡散きぼんぬ~! こっち向いてー!」
「……あはは、肝が据わってますねぇ。寒くないんですか、その格好」
マナがふわりと舞い降り、ミウの目の前に着地した。周囲の空間認識を阻害する魔法をかけているため、二人の会話は誰にも聞こえない。
「寒いよ? めっちゃ寒い! 肌とか感覚ないし! でもさー、オシャレは我慢だし? バイブス上げてれば熱気でなんとかなるっしょ! 気合気合!」
ミウはケラケラと笑い、顔の横でVサインを作った。震えてはいるが、その瞳には生命力が漲っている。改蔵の求めていた「熱」が、ここにあった。
「素晴らしいポジティブ思考ですねぇ。……お姉さん、名前は?」
「ウチ? ミウだよ。真鍋ミウ」
「ミウさん。突然ですが、もっと熱くなれる『怪人』に興味ありませんか?」
「怪人? 何それ、新しいユーチューバーの企画? 案件? ギャラいいの?」
ミウは首を傾げる。警戒心ゼロだ。
「いえいえ、世界征服をする悪の組織です。……貴女のようなバイブスの高いギャルを探しているんですよぉ。どうです? ウチのアジトで、最高に気持ちいい『儀式』をして、世界中をアゲアゲにするパリピな怪人になりませんか?」
「えー、世界征服とか規模デカすぎっしょw ウケるw」
ミウは手を叩いて爆笑した。だが、すぐにニカッと白い歯を見せて、人懐っこい笑顔になった。
「でも面白そうじゃん! 最近マンネリだったし、刺激欲しかったんだよねー。てか『儀式』って何? エッチなやつ?」
「ご想像にお任せしますけど……すっごく熱くて、病みつきになりますよ? とびきりワイルドで絶倫な『ボス』が待ってますから」
「マジで? イケメンなら大歓迎! 誰でもウェルカム的な? 行く行くー! タクシー代出る?」
「送迎付きですぅ! さあ、どうぞ!」
マナが手を差し出すと、ミウは迷うことなくその手を握った。
「うぇーい! 異世界転生的な? 飛べるの? ヤバーい!」
マナが羽ばたき、ミウを抱えて夜空へと舞い上がった。眼下には渋谷の煌めく夜景。
「うひょー! 高っ! 東京タワーちっちゃ! ストーリー上げなきゃ! #空飛んでる #悪の組織なう #拉致られ中」
ミウは空中でも自撮りを欠かさない。恐怖よりも好奇心と快楽が勝る、天性のパリピ気質。彼女なら、きっと素晴らしい怪人になるだろう。マナは確信した。
***
数十分後。アジトの古民家に到着した。雪がうっすらと積もった庭に、二人が着地する。
「到着しましたよぉ。ここが我が極東支部のアジトです」
目の前には、ボロボロの木造家屋。お世辞にも「悪の組織のアジト」には見えない。
「うわ、マジボロいw おばあちゃん家じゃん! 超レトロでエモいんですけどー!」
ミウは幻滅するどころか、スマホで写真を撮りまくり始めた。
「これ『昭和レトロ』ってやつ? インスタ映えするわー。あ、この縁側とか最高じゃん。チルいねー」
彼女は靴を脱ぎ捨て、勝手知ったる他人の家のように上がり込んだ。
「お邪魔しまーす! ……うわっ、中あったか! こたつあるじゃん!」
六畳間の襖を開けると、そこにはステテコ姿で寝転がる改蔵と、彼を取り巻く美女たちの姿があった。異様な光景だが、ミウには関係ない。
「……なんだ、このやかましい生き物は」
改蔵は煙草を吹かしながら、呆れたようにミウを見上げた。だが、その視線はすぐに、彼女の小麦色の肌と、キャミソールから溢れ出そうな巨乳、そして健康的な太ももに釘付けになった。強烈な「南国の風」と「日サロの甘い香り」が、アジトに吹き込んだ瞬間だった。
「連れてきましたよぉ! 渋谷で一番アゲアゲなギャル、ミウちゃんです!」
「ういーっす! ミウでーす! よろピクミン!」
ミウは改蔵の目の前で、顔の横で裏ピースを作り、満面の笑みでウインクを飛ばした。
「あなたがボス? 貫禄ヤバw てか、その腹巻……じゃなくてステテコ? ダサかわいくね? 逆にアリなんだけど!」
「……ほう。度胸はあるな」
改蔵はニヤリと笑い、こたつから半身を起こした。その目には、獲物を品定めするような、昏い欲望の光が宿っていた。
「よく来たな、銀髪ギャル。……その溢れるバイブス、俺の色に染めてやるよ。覚悟はいいか?」
「いーよー! 染めちゃって! 楽しみにしてるっしょ!」
ミウはこたつに飛び込み、改蔵の隣を陣取った。彼女の小麦色の肌が、こたつの熱気でほんのりと上気する。アジトの寒く湿っぽい空気が、彼女の登場だけで一気に華やいだものに変わっていく。次なる怪人の素質は十分。六畳間がダンスフロアに変わるまで、あと少し。