夕方の風は、まだ昼の熱を少し引きずっている。窓を半分だけ開けた部屋に、遠くの蝉の声と風鈴の音が混じって流れ込んできた。
沙耶はベッドの端に腰を下ろし、読みかけの本を膝の上に置いたまま、しばらくページをめくる気にもなれずにいた。
文字を追っているつもりなのに、頭の中には別の景色が浮かんでいる。
――あの日の午後、彼の笑った顔。
指先で本の端を押さえていた仕草。
少し照れたような視線の向け方。
思い出すたび、胸の奥がふわりと熱を帯びる。
彼の声が、まだ耳の奥で微かに響いている気がした。扇風機の風が頬を撫でていく。
涼しさよりも、その間に漂う静けさが気になった。 まるで部屋のどこかに、彼がいたような気配が残っているかのような――そんな錯覚さえしてしまう。
「……ばかみたい」
小さく呟いた声が、夜気に吸い込まれていった。
本のページを閉じると、ふわりと紙の匂いが立ちのぼった。その匂いの奥に、なぜか彼の声が混じっているような気がした。
『この作家、結構好きなんです。少し癖ありますけど』
――悠人の、穏やかな声。
あのとき笑っていた横顔が、目の前に浮かぶ。
「……そんなこと、覚えてるんだ」
思わず、笑ってしまう。けれどその笑みはすぐに溶けて、ため息に変わった。
窓の外では、街灯の明かりがポツポツとつき始め、淡く揺れている。 その光がカーテンの隙間から差し込んで、床にゆらゆらと模様を描いていた。
ぼんやり眺めていると、その揺れがまるで誰かの影みたいに見える。
見上げた天井に、彼の姿が滲む。あの時の声が、現実のものなのか、記憶のものなのか分からなくなる。
――手が、勝手に胸に触れていた。そこに、彼の手があったような気がして。
「……違うのに」
小さく否定してみても、胸の奥の熱は引いてくれなかった。
いつの間にか扇風機の風が止まる。すると、部屋の空気が少し重たくなった。静けさの中で、自分の鼓動の音だけが耳に届く。
汗ばむ首筋を指先でなぞると、熱がそこに滲んでいた。その動きが、なぜか彼の手の仕草と重なって見える。
「……だめ、なのに」
声に出しても、身体は止まらない。触れた指先に、自分の温度が伝わっていく。
胸の奥で、ひとつ呼吸が跳ねた。
目を閉じると、光の残像が瞼の裏でゆらめく。
まるで、昼の陽射しがまだ残っているみたいだ。 彼の笑顔を思い出すたび、その光が少しずつ強くなっていく。
「……悠人くん……」
名前を呼んだ瞬間、胸の奥がじんと疼いた。 罪悪感と、熱に似た何かが入り混じる。
――このまま、もう少しだけ夢を見ていたい。
そう思ったときには、もう指先の動きも止められなくなっていた。
腕は独りでに動くかのようにして、沙耶の胸を包むように優しく揉みしだく。
「……最近ご無沙汰だったのに」
沙耶の膨らんだ胸を優しく撫でるそれは、まるでそうされたいかの如く、乳房の先端を摘むように、まるで弄ぶかのようにして慰める。
「んっふ……」
最初はそれで満足していた沙耶だったが、徐々に刺激が足りなくなってきたのか右手は右胸からみぞおち、腹部へと下がっていき、ついには部屋着の上からではあるが刺激を始めた。
服を脱がずに、あくまで軽く。指先で軽く、入り口を上から擦るとむずむずとする感触に覚えを感じ、どんどんと激しくなっていく。
これ以上激しくなったら色々大変かしら……そんなことを考えている自分もいたが、盛り上がっていく気持ちは無視できそうにもなかった。
最近はご無沙汰だったから使っていなかった玩具のことを思い出し、ベッド付近にある小物入れからそれとなく取り出し、除菌用ティッシュで軽く拭う。
それは、膣内に入れて刺激を与えるものと陰核の部分を吸うようにできている玩具だった。
久しぶりに電源を入れ、挿入しようとすると沙耶の女陰はすでに準備はできていた。抵抗もなく、するりと入り、曲がった部分がちょうど心地いい場所に収まるようにできている。
「んっ……」
ちょうどいいポジションまで挿れると、陰核が吸引され、それだけで達しそうになる。ただ、これで終わらせてもいいが、沙耶の心はもっともっととまるで紙に絵の具を滲ませるかのようにどんどんと変わっていった。
右手で玩具を添えるようにして支え、左手は激しく胸を揉む。
すると、あっという間に絶頂に達した。
絶頂の波は一気に押し寄せるが、それに反するように右手は玩具を動かす。すると、二度目、三度目の絶頂が襲い、ベッドの縁は沙耶から漏れ出した淫液で水浸しになっていた。
久しぶりに慰みをした沙耶は、その後も息を切らしながら何度も何度も絶頂の波に溺れていった。
◇◇◇
いつの間にか、蝉の声は途切れ、宵闇に塗れていた。半分開けていた窓からは夜風が吹き、カーテンを揺らしている。
沙耶は、ぼんやりとその揺れを眺めていた。自分の呼吸の音が、静まり返った部屋の中でやけに大きく聞こえる。
頬に残った熱を、手の甲でそっと拭う。指先には、まだ微かな震えが残っていた。
「……何やってるんだろう、私」
そう呟いて、かすかに笑った。笑ったつもりだったのに、胸の奥がちくりと痛む。
もう会わない方がいい。
そんな言葉が、一瞬だけ頭をよぎる。けれどそのすぐあとに、別の思いが追いかけてきた。
――また、あの声が聞きたい。 ――あの笑顔を、もう一度見たい。
風が頬を撫でていく。 まるでそれが、彼の指先のように感じられて、沙耶は静かに目を閉じた。その夜、眠りにつくまでに、何度も彼の名を心の中で呼んでいた。