※この作品はR-18です。

反魔人學園   作:SVX

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このシリーズはここで止まっております。
この後病気で死にかけて、後遺症とかはなかったんですけどエロに対する気力が減ってしまって……
んで取り戻したいなーと思ってこちらに転載を始めた次第です。


第拾四話

 葵の顔色が優れないのは、彼女自身に理由があるのではなかった。

隣には目下のところ彼女を悩ませる最大の要因である緋勇龍麻がいるが、

彼のせいで滑らかな額に皺が寄っているわけでも、今はなかった。

 現在、午前八時三十分。

通常学校が始まるよりも早い時間であり、場所も彼女や龍麻が通う新宿区の真神學園ではない。

葵は今朝何度目かとなる左手首に嵌めた時計に目をやり、

父から入学祝いにもらったそれに対してではないため息をついた。

「まだ来ないね」

 時計を覗きこむ桜井小蒔の口調は完全に他人事で、清々しいほど無邪気な笑顔だ。

親友に怒るなど考えもしなかったが、笑顔を返す気にもなれず、葵は半ば独り言の口調で呟いた。

「家に電話してみようかしら」

「さすがに家は出てるでしょ。ま、まだ二十分あるから大丈夫でしょ」

 小蒔の言う二十分とは集合時間ではなく、京都への新幹線が発車する時間を指している。

人員確認の点呼が今まさに始まったところであり、

C組の責任者である葵は担任に報告しなければならなかった。

自身に責任が全くないことであっても、瑕疵を告げなければならない葵は憂鬱になる。

他の生徒は全員揃っており、来ていないのは蓬莱寺京一ただ一人だけだった。

「まさか修学旅行まで遅刻するとはな」

「ああ、俺も奴との付き合いは長いが、ここまで馬鹿だとは思わなかった」

 小蒔と反対側の隣では龍麻と醍醐が、やはり他人事で論評している。

どちらかに対策を頼んでおくべきだったと後悔したものの、今更言っても詮無いことだ。

一縷の望みを託して遠方を見やった葵は、そこに大問題児の姿などないことに落胆する。

代わりに目に映ったのは、こちらに向かってくる担任の姿だった。

「おはよう、美里サン。全員揃っているかしら?」

 鮮やかな赤いスーツに、それ以上に鮮やかな金色の髪と蒼氷色の瞳。

生徒のみならず通りすがりのサラリーマンの注目まで集めているマリア・アルカードは、

彼女の受け持つクラスの中でも最も信頼の置ける生徒である葵に、気さくに話しかけた。

「それが……その……」

 優秀な教え子の歯切れの悪い返答に、マリアは事態を察する。

「まさか……蓬莱寺クンが……?」

 大きなため息を吐こうとしたマリアは、

自分の過ちのようにうなだれる葵を見て思いとどまった。

とはいえ、これが面倒な事態であることに変わりはない。

「置いてっちゃえばいいってセンセー、修学旅行に遅刻するヤツなんかさ」

 小蒔の意見には迎合せず、マリアは安心させるように葵の肩に手を置いた。

「もう時間だから、とにかくホームに移動しましょう。

アナタは皆を連れて新幹線に乗りなさい。ワタシは彼を待ちます」

 いくらか血色を失った顔で、それでも葵は頷き、

彼女の務めを果たそうとクラスメートに指示を出した。

 葵達が新幹線の席に座っても、まだ京一の姿はない。

クラス委員長としてだけではなく、修学旅行の班長としても責任を感じる葵は、気が気でなかった。

生真面目な葵の心配をよそに、小蒔はのんきに話しかける。

「ボク京都に行くの二回目なんだよね。前は中学の修学旅行で。醍醐クンは?」

「俺は初めてだな」

「そうなんだ。んじゃ楽しみだね」

「うむ……そうだな」

 醍醐が相好を崩したのは、旅行よりもどちらかというと小蒔が見せた満面の笑みに反応したようだった。

小蒔は続いて龍麻にも訊く。

「緋勇クンは?」

「俺は二回……いや、三回目かな? 全部子供の頃だから、あまり覚えてないけどな」

「そういえば緋勇クンって出身はどこなの?」

 それに対して龍麻が答えようとした時、三人の会話を聞き流しながら、

小さな窓から外を注視していた葵が声を上げた。

「あっ」

 彼女がそのような声を出すのは珍しく、何事かと横から覗きこんだ小蒔は、

友人と同じ驚きを、三割ほど声量を増して発した。

「あッ、京一とマリアせんせーだッ!」

 龍麻と醍醐も顔を見合わせ、葵と小蒔の後ろから小さな窓を見る。

そこから見えるホームには、確かに京一と、少し遅れてマリアが走っていた。

「せんせー、早くッ!」

 小蒔の声援はもちろん車外の二人には届いていないはずだが、

二人は呼応したかのようにスピードを上げた。

そこにテレビドラマさながらに発車を告げるベルが鳴り響く。

いつのまにか葵達だけでなく、車両内の生徒全てが片側に寄って事の成り行きを見守り、囃し立てていた。

「ヒューッ、急げ京一ッ!」

「マリア先生、頑張ってッ!」

 一丸となったクラスに応えるかのようにまず京一が新幹線に乗りこむ。

次いでマリアが乗ろうとしたが、ハイヒールでほぼ全力疾走してきた彼女は、

ホームから踏み切ろうと右足に力を込めた瞬間、バランスを崩してしまった。

見ていた生徒達から悲鳴が上がる。

 だが、誰もが予想した一秒後の悲劇は訪れなかった。

自分の荷物を放り投げると同時に半回転した京一が、マリアの腕を掴むと力強く引き寄せたのだ。

マリアが教え子の腕に抱かれるのと同時に扉が閉まる。

さらに車内への扉が開き、京一とマリアを大喝采が迎えた。

「へへッ、役得ってモンだなこりゃ」

 遅刻はどこへやら、クラスメートに手まで振って答える京一の呟きに、

マリアは慌てて身体を離す。

だが、髪は乱れ、いつもの威厳も東京駅に置いてきてしまったような有様で、

しかも教師を救った英雄となりおおせた京一を叱ることなどできるはずもなく、

結局恥ずかしさを表に出さないまま、いさぎよく退場するしかないのだった。

「へへッ、ようッ」

 一通り愛嬌を振りまいた京一が、当然のように龍麻達の席に座る。

最悪の事態は免れたものの、マリアの事後処理を思うと同情を禁じ得ない葵だった。

「ようッ、じゃないよ全く。マリアせんせー涙目だったよ」

 葵の心境を代弁する小蒔の苦情にも、京一は堪えたようすもない。

「間に合ったんだからイイじゃねぇか。終わりよければ全て良しって言うだろ?」

「終わりじゃなくてこれから始まるんだろッ。京一なんか来なくてもイイけどさ、

マリアせんせーが来れなかったらクラス皆怒ってたよ」

「ああ、ウルセーな。お前こそ初っ端から怒ってて修学旅行が楽しくなると思ってんのかよ」

 前提を無視してはいても正論ではあるので、小蒔は言い返せなかった。

名前の通りの桜色をした唇をへの字に曲げ、わざとらしく腕を組む。

もちろんその程度で恐れ入るような京一ではなく、修学旅行にまで持ってきている木刀を、

上の棚ではなく自らの傍らに立てかけると、さらに一同を呆れさせることを言った。

「ところでお前ら、何か食うモン持ってねェか? 急いだから朝メシ抜きでよ」

「……」

 全員から白い目で見られてさすがに堪えたようで、

「ね、無えなら仕方ねェ、他所から調達してくるとすっか」

 ことさら大きく声を張ると、まだ新横浜にも着いていないのに、

席を立ってどこかへ行ってしまった。

「全くあいつは、少しは落ち着いていられんのか」

 残された木刀を吹き飛ばしそうな醍醐の嘆息に、すかさず小蒔が応じた。

「ホントだよねッ。グループ行動の時が不安だよ」

 醍醐の真似をして腕を組む小蒔に、車両内からお呼びがかかる。

「……えへへッ、ちょっと行ってくるね」

 背のびして振り向き、声の主がお菓子を手にしているのを確認した小蒔は、

気まずそうな顔で席を立つと、宴会場のようになっている車内中央へと旅立っていった。

「やれやれ、皆ずいぶんと興奮しているな」

 元番長の貫禄を見せる醍醐だが、その顔がなぜか血色が良くない。

龍麻が案じると、彼は頭を掻いて答えた。

「実は電車で長距離移動するのが苦手でな。すまんが眠らせてもらっていいか?」

「ああ、もちろん。京一と桜井は戻って来なさそうだから、こっちの席を全部使っちまえよ」

「いいのか? ……悪いな、そうさせてもらうとするよ」 

 葵が口を挟む間もなく龍麻が隣に移動してくる。

程なくして醍醐が寝息を立て始めると、

六人がけの席で起きているのは龍麻と葵だけになっていた。

この状況は良くない――葵が危惧した直後、膝に龍麻の手が添えられた。

「……!! だ、駄目よ……こんなところで」

 とっさに合わせた足にも動じることなく膝を撫で、割って入ろうとする手を止めようとするが、

ひとたび貼りついた掌は、吸盤のように離れなかった。

湧き起こる嫌悪と、もう一つ別の感情のうち、葵はもう一つのほうを封じ込める。

「お願い……お願いだから、ここでは止めて」

「あんまり騒ぐと醍醐が起きるぞ」

 龍麻の声は大きくも鋭くもなかったが、葵の心身を縫いつけた。

 動きの止まった葵の足を、龍麻の左手が滑る。

ゆっくりとした動きは、戦利品を堪能するものに他ならない。

葵は唇を噛んで恥辱に耐えるしかなかった。

 修学旅行とあって生徒達ははしゃいでおり、

貸し切り車両でなければ顰蹙を一ダースは買っていたに違いないくらい車内は騒がしい。

それでも立ったままはしゃぐ生徒はさすがにおらず、

出発直後に幾人か席を移った他はほとんど葵達の横を通過する生徒はいなかった。

とはいえトイレに立つ生徒も皆無ではなく、人の気配を読み取れる龍麻は、

巧みに回避をするのだが、人影が通り過ぎるたびに葵は生きた心地がしなくなる。

誰かが呼んでくれればこの場を離れる理由にもできるのに、小蒔と違って友人が多くなく、

学級委員長でもあって若干煙たい存在でもある葵を招こうという級友もおらず、

京都までのおよそ二時間、耐えなければならないようだった。

 龍麻の愛撫は微弱で、感じるというほどではない。

それでもくすぐったさはあるし、何より公共の場で異性と性的な行為に及んでいるという認識は、

生真面目な葵にとって容易に受け容れられるものではなかった。

 せめてもの抵抗として、葵は膝を閉じて龍麻の手が深くに入ってくるのを防ごうと試みる。

モデルのようにつま先まで緊張を漲らせる葵に、龍麻は無理強いしてこなかった。

拍子抜けした葵だが、すぐに浅慮を思い知らされた。

パンストの上を往復しているだけの手が、無視できない存在感を示し始める。

『力』は使われていないのに、悪寒に似ているがこちらは昂揚を伴う感覚が、身体を蝕んでいく。

「……」

 いつのまにか呼気が熱くなっている。

大きな音にならないよう、唇を薄く開けてゆっくりと吐きだすが、

まるで龍麻の施す摩擦が直接下腹に熱を溜めているかのように、

どれだけ呼吸を繰り返しても醒めることがない。

遅い、遅すぎるほどの愛撫が、かえって葵を支配していく。

「あッ、富士山が見えるッ!」

 東京を出て小一時間が過ぎた頃のそんな声も、葵には届いていない。

断続的に行われた愛撫で、葵の身体は熾火のように芯まで火照らされていた。

固く閉じていた足もとうに崩れ、龍麻の掌は内腿まで潜りこんでいる。

柔らかな肉を崩すことなく、繊細とまでいえる手つきで撫でる手が、

スカートの内側へと入ってきても、自分の手を重ねるのがやっとで、

払いのける気力はもうなかった。

 ストッキングの繊維の凹凸まで確かめるかのような指先が、腿のもっとも柔らかな部分をなぞる。

上から下へ、そして前後に、行きつ戻りつする愛撫を、葵は目を閉じて耐える。

だが、他のことを考えて気を紛らわせるにはすでに刺激は無視できないレベルに達しており、

どうしても指の動きを追ってしまうのだ。

一ミリ、あるいはもっと短い距離を、緩慢に進む指を、葵は思う。

目的地は決まっているというのに、なぜこんなに焦らすのか。

いっそ――そこまで思って葵は慌ててその先を打ち消す。

暗いトンネルの出口に待っているのは光ばかりではない。

嵐や吹雪かもしれないのだ。

葵は背筋を伸ばして気を持ち直し、龍麻の魔手から耐え抜こうと決意した。

 聖者は悪魔の誘惑に打ち克つが、それは破れた者の多さをも意味する。

耐えるのみの聖者に対し、誘惑は星の数ほどもあるのだ。

 新幹線は名古屋を過ぎ、あと三十分もすれば京都に着く。

ここまでずっと龍麻に触られ続けていた葵は、驚異的な忍耐力で良く耐えていたが、

それも限界に近づきつつあった。

上体を背もたれに預け、膝は揃えて曲げている。

だが、良く見れば膝は心持ち開いているし、ともすればずり落ちてしまいそうなほど、

上体にも力がなかった。

かろうじて何事もないように見せている外見の内側では、

重めのクリームのような火照りが充満していた。

下腹部を好き勝手に這い回る龍麻の指は、葵にほとんど何も考えられなくしている。

そのくせ刺激はあくまで微弱で、熱は溜まるばかりで解放することもできず、

不本意ながらもどかしさが募ってしまう葵だった。

少し――ほんの少しだけ腰を前に出せば、もっと強い快感が得られる。

ぼんやりする頭でそんなことも考えてしまい、

センターシームを執拗になぞる薬指に、龍麻に気取られないように腰をよじる。

これは劣情に屈したのではなく、不快な刺激から逃れているだけだと自分に言い訳をし、

あと少し我慢すればいいのだと白々しく考えてみても、

繊細ですらある愛撫に弱い所を責められると、彼の腕にしがみつきたくなってしまうのだ。

もう少しだけでいいから、刺激を――

口にはできない願いを、眼差しに乗せて葵が龍麻に伝えようとしたとき、

音もなく股をまさぐっていた手が、巻き戻るリールのように瞬時に股間を離れ、

元の場所に帰っていった。

 龍麻がそうした理由はすぐに判った。

小蒔が戻ってきたのだ。

 葵は慌ててスカートの乱れを直し、座りなおした。

「いやー、ゴメンゴメン。話が盛り上がっちゃってさ」

 悪びれない顔で謝った小蒔は、葵が答えるより早く語を継いだ。

「あれ? なんで並んで座ってんの?」

 窮地に立たされた葵を救ったのは、隣に座っている男だった。

「醍醐が寝るスペースを確保しようとすると、三席分要るからな」

「あははッ、ホントだ。それでも窮屈そうだね、醍醐クン」

 龍麻と反対側の葵の隣に座った小蒔が快活に笑う。

どうやらその説明で納得したようで、葵は安堵した。

 ほどなく醍醐が目を覚まし、京一も戻ってくる。

皆降りる支度を始めたことで、葵の存在は良い意味で埋もれた。

だが、火照らされた肉体は未だくすぶっており、

幾らかの恨めしさめいたものも抱いてしまうのだった。

 

 京都に到着した真神學園の修学旅行生は、以後、班ごとに分かれての行動となる。

事前に班ごとに定めたテーマに沿って行動するわけで、実質的には自由行動と言ってよく、

時間までに旅館に着けば、後は制約らしいものもなかった。

「どこから回るんだっけ?」

「東寺からね」

「東寺って、五重の塔があるトコだっけ」

「ええ、そうよ」

 小蒔と葵の会話に、京一が割りこむ。

「なんかベタな処だな。池田屋とか行かねェのかよ」

「へーッ、京一が歴史のコト知ってるなんて珍しいじゃない。何があった場所なの」

「何ッてお前、新選組が維新志士を襲った事件があったんだよ。なァ美里」 

 訊かれた葵だけでなく、周りにいる全員が同じ顔で京一を見た。

「なんだお前らッ、俺が歴史を知ってるのがそんなにおかしいのかッ!」

「おかしかないけどさ、ヘンだよね」

「同じじゃねェかッ!」

 京一と小蒔の寸劇に、今度は三人が等しく笑った。

京一が池田屋事件を知っているのは、幕末の剣士集団である新選組が絡んでいるからだろう。

もう少し興味の範囲を拡げれば、赤点も回避できるだろうに――とも、

やはり三人がそれぞれ思ったことだった。

「でも、池田屋はもう取り壊されてないのよ」

「なにィッ! 本当かそりゃ」

「ええ、今は何のお店かはわからないけれど」

 葵の知識を龍麻が引き取る。

「パチンコ屋だな、確か」

「なんてこった……仕方ねェ、新選組を偲んでパチンコを打つとするか」

「ダメに決まってるだろッ! ほら、さっさと東寺に行こうッ」

 すでにクラスの他の班は移動を始めている。

龍麻達も話を止め、バス停に向かうのだった。

 腿の裏側を何かが撫でる。

偶然かと思った刺激は、数秒の間を置いて繰り返され、その後も断続的に続いた。

市内をバスや電車で移動する際にも、龍麻は痴漢行為をしてきたのだ。

渋滞が激しくなかなか進まず、そして車内も混み合うバスは格好の場所であり、

葵はいいように身体を触られ続けた。

 龍麻の痴漢は狡猾だった。

新幹線の時のような、局部を触り続ける執拗さこそないものの、

葵が無視できない程度には尻や腿を触り、我慢できなくなる寸前には手を引いてしまう。

心では耐えられても、健康な肉体はそうはいかず、名刹を回り、古刹を巡るごとに、

葵は満たされない疼きに苛まれるのだった。

 

 快楽地獄とも言うべき、半日を通じての煩悶から葵が解放されたのは、旅館に到着した、

初秋の京都はもう紫色に染まりつつある、逢魔が時と呼ばれる刻限だった。

「はーッ、やっと着いたね」

「まったくだ、歩きづめでヘトヘトだぜ」

 珍しく京一が小蒔に同調している。

醍醐は鍛えているからか、それほど疲れてはいないようだが、

それ以外にも二人には疲れる理由があったようだ。

「京一はオネーチャン見つけるとすぐフラフラ追いかけて、ボク達の倍は歩いたからだろ」

「お前だって食いモン屋見かけたら手当たり次第に寄ってたじゃねェかッ」

「あれは……だってスポンサーがいるから、ついしょうがないだろッ」

 小蒔が責任を転嫁するかのように龍麻を見る。

龍麻は転校してからの慣例通り、仲間の食事に関してはほとんどの分を負担していた。

とはいえ、修学旅行中まではさすがに対象外のつもりだったのだが、

小蒔に巧妙に言いくるめられてなし崩し的に奢る羽目になってしまったのだ。

 そして、同じ恩恵に預かったはずの、京一が龍麻を見る視線は非好意的なものだった。

「けッ、お前がノらねェせいでニ対ニならッておねェちゃんを三組も逃したんだぞッ、

ちったァ反省しやがれッ。

そんなオトコ女に愛想振りまいたって意味ねェッてのによ」

「なんだとォ」

 泣いたカラスが笑うより早く仲違いを始める二人に、龍麻達は苦笑いするしかない。

仲違いは深刻なものではないと解っているので、誰も仲裁する者はなく、

龍麻達は二人を置いて旅館へと入っていった。

「あッ、こらッ、待ちやがれッ! クソッ、なんて薄情なヤツらだ」

「もうッ、京一のせいだぞッ」

 取り残された京一と小蒔は、この期に及んでなお言い争いを続けながら龍麻達を追いかけるのだった。

 旅館に入るとまず、葵はクラスメートが全員揃っているか確認する。

クラス委員長としての役目だが、龍麻と小蒔が手伝ってくれたので問題なく終わった。

全員居ることをマリアに報告し終えると、女優としてでも充分にやっていけそうな美貌の教師は、

目に見えて安堵し、葵を苦笑させた。

教え子の苦笑に気づいたマリアは自分も同じ表情を作る。

言葉こそ交わさなかったが、等しく朝の騒動を思い浮かべているのは間違いなかった。

「大変だと思うけど、頑張ってね。ワタシも頼りにしているわ」

 敬愛する教師に励まされて、今日の労苦も忘れる葵だった。

 百人を優に超える生徒が、一部屋に集まっている。

それだけでも大騒ぎなのに、食事の時間ということで、

部屋の中は養鶏場のような騒ぎだった。

教師達はとうに管理を諦め、隣の同僚と簡単な報告を交わしながら、

食事が始まるのを待っている。

全員が着席し、怒号に近い「いただきます」が行われると、あとはアルコールのない宴会だった。

 その中でも何本か貧乏くじを引かされる人間がいて、

食事そっちのけで皆のおかわりをよそわされている。

大体が炊飯器の側にうっかり座ってしまった者や、クラスのお調子者がする中、

葵の属する三年C組はそのどちらでもない龍麻が担当していた。

「おかわりッ!」

「悪ィ、俺もだ」

「エヘヘッ、緋勇くんあたしもッ!」

 矢継ぎ早にに差し出される茶碗を嫌な顔もせず受け取り、

定食屋がスカウトに来そうな見事な盛りつけで返すので、

クラスは盛り上がり、それが他のクラスにも伝播して、意味不明の騒ぎになったほどだった。

それが一段落ついたのは炊飯器の飯があらかたなくなった頃で、

ようやく自分の食事を始める龍麻に、爪楊枝を咥えた京一が言った。

「けッ、お前もとんだお人好しだな」

「そんな大した事でもないだろう」

 京一は返事の代わりに爪楊枝を上下に振った。

そこに満足げにお茶を啜りながら小蒔が加わる。

「やー、でもさ、緋勇クンよそうの上手だよね。なんかご飯がつやつや光って美味しそうだもん」

「思いっきりお代わりしてたもんなお前。それも大盛りで」

 京一のイヤミは痛いところを突いたようで、小蒔が置いた湯呑みはやや乱暴な音がした。

「うッ……イイだろ別にッ。今日はいっぱい歩いたんだしッ。ね、醍醐クン」

 同じく大盛りをお代わりした醍醐に小蒔が応援を求めると、

小蒔の倍近くはありそうな巨漢は悠然と頷いた。

「ああ、そうだな」

「けッ、いつも茶碗じゃなくて丼で食ってるような奴の同意なんざ意味ねェッてんだ」

 それは事実ではなく、悪意が篭っていたが、皆納得してしまったので、

誰も京一に反論できなかった。

 食事が終わると次は入浴だ。

その前に少しだけ隙間の時間があり、律儀に部屋に戻って風呂の支度をする者や、

売店でおみやげを物色する者など、三々五々に動き回り、食堂から出るのも容易ではない。

しかもその流れは廊下からロビーに至るまで、こぼれた液体のように続いていて、

大混雑していた。

 葵が龍麻に呼び止められたのは、その大混雑の渦中、食堂を出た直後だ。

しまった、と思ったときにはすでに遅く、小蒔ははぐれてしまっていて、

京一と醍醐もおらず、隙を突かれた形で連れだされてしまった。

 生徒達でごった返すロビーを過ぎ、旅館の奥へと龍麻は進む。

勝手知ったるかのように迷いなく歩く龍麻に、葵は口を挟む余裕もなかった。

 階を移動した薄暗がりで、龍麻が向き直る。

このいかにもという場所で抱いた葵の危惧は当たり、龍麻は大胆にも葵を抱き寄せてきた。

右腕で腰を、左手で手首を掴まれ、葵は息を呑む。

心臓が坂を駆け下りたかのように激しく鳴り始めた。

「ここは俺達の泊まる旧館と、一般客の泊まる新館を繋ぐ通路で、ほとんど人通りはないはずだ」

「でも、こんなところで……」

 人が来ないというのはただの願望でしかないのではないか。

そう言おうとしても、葵は口を動かせなかった。

朝からずっと愛撫された肉体は、芯に疼きが残っている感覚が収まらない。

もし龍麻が何もしなければ、どこかで自慰をしたかもしれないほどだった。

その疼きが手首を掴まれたことで増幅し、危険な逢瀬を拒めなくさせているのだ。

 葵の葛藤を見透かしたように、龍麻は右手を葵の顎に添え、ゆっくりと上向かせる。

彼の意のままに目を合わせた葵は、双つの暗黒を見た。

暗がりにあってなお視認できる、深い闇。

その暗黒を凝視する時、葵は心に彼女自身も知らなかった領域があることに気づかされるのだ。

龍麻の唇が重なったとき、それは龍麻が近づいたのか、

それとも自分から求めたのか、葵には判らなかった。

「……」

 長い口づけが終わったとき、周りの闇が一層深まったように感じられた。

それは龍麻の瞳が周囲に溶け出したようでもあり、

誰にも見られたくないという葵の願望が生みだした錯覚に過ぎないのかもしれない。

 口づけを交わしている間に、龍麻は葵の足の間に自分の右足を挟ませ、

自由な右手をセーラー服の内側に侵入させて背中を撫でている。

その動きは不快なものではなく、そして、股間に押しつけられた右足が、

一日かけて燻らされた官能を焚きつけようとしていた。

「……」

 無音の吐息は、だがその熱で龍麻に気取られたようで、股間に押しつける足の圧力が増す。

「お前も興奮してるみたいだな」

 葵が反論するより早く、掴まれている手首が引かれ、上半身も彼に密着させられた。

どくん、と鳴った心臓が、否定の気持ちを薄れさせていく。

蛇のように巻きついた龍麻の右腕が、その音を聞いたかのように左の乳房に伸びた。

「ああ……」

 それが果実をもぐ盗賊の手だと判っていても、今の葵には払いのけられなかった。

 朝からずっと触られて、身体に刻みこまれていた官能は、熾火のごとくたやすく燃えあがる。

場所も時も状況も、なにもかもが正しくないというのに、葵の肉体は一秒ごとに熱を高めていた。

割って入られた足の間が、握られている手首が、下着の上から弄ばれている胸が、

溶けだしそうなほどに熱い。

衝き動かされるままに彼の足に股間を擦りつけると、気道を灼くほどの呼気が唇を干した。

はしたないと思いつつ潤いを求めて舐めようとすると、龍麻の口に塞がれる。

「っ……ふ……」

 重ねられた唇の快さに力が抜け、葵は崩れ落ちかけた。

背後に壁がなければ倒れていただろう。

「そんなにイイのか?」

 煽られて頬が熱くなったが、恥ずかしさよりも欲望が勝った。

「意地悪を……言わないで……」

 口にした渇望が、自身を灼くのを感じる。

心の天秤に乗せられた邪悪な重りは、まだ小さなものでありながら、

時折葵も予想しない傾きをすることがあり、そんな時、葵は知らない自分に遭遇するのだ。

「もっとじっくりしたいが、あんまり時間もないからな」

 低く告げた龍麻が、パンストと下着を片足だけ脱がせる。

何をされるのか判っていながら、緩慢に立ち尽くす葵の、

暗がりにうっすらと浮かぶ生白い足を抱えると、猛り立つ己の肉槍を葵の腟内へと埋めた。

「んうっ……!」

 龍麻の熱に灼かれて葵の背中が大きく反り返る。

圧しだされるように発してしまった喘ぎに、慌てて手で口を押さえるが、

深く埋まった銛はその熱と脈動で葵を苛んだ。

「一日中焦らしたからな、たまらないだろう?」

 嘲るような囁きにも、頭を振って否定することさえできない。

龍麻の言うとおり、何度も昂らされたまま放置されていたとはいえ、

全く律することができない自分が悔しかった。

 龍麻がゆっくりと腰を引き、打ちつける。

強くも激しくもない、単に始まりを告げる抽送に、葵は身震いしてしまった。

龍麻のものに生気を吸い取られたかのようにぐったりと彼にもたれかかる。

誰かに見られれば破滅だというのに、それが些末なこととしか思えないほど、

身体に満ちる肉の悦びに酔いしれた。

 龍麻が再度腰を引く。

内壁をこそがれて欠落感さえ覚えた葵の心は、押し挿ってきた屹立に圧され、かき混ぜられた。

「ううっ……」

 抑えようのない吐息が漏れる。

腹に収まった熱と硬さは、残っていた多少の嫌悪など吹き飛ばしてしまうものだった。

片足なので龍麻にしがみつかなければならないという状況に不本意さを感じていたはずが、

積極的にそうしたいと思っている。

かろうじて踏みとどまりはしたが、その分、龍麻に好き勝手されてしまい、

それを嫌だとも思わなくなっていた。

前に回った龍麻の手がブラジャーをずらし上げ、直に乳房を掴む。

大きく熱い掌が貼りつき、美しい半球を乱暴に潰し、揉みしだいた。

「ひ、緋勇……くん……」

 痛みこそないが、荒々しい動きが葵を翻弄する。

足下がおぼつかなくなって自由な左手を龍麻の背中に回し、彼の肩に頭を乗せて身体を支えた。

「はッ、あッ、待って……んっ……!」

 息が続かず掠れた声で懇願するが、胎の深くに怒張を突きこまれると自分のものとも思えない、

警報器のような甲高い喘ぎが漏れてしまい、

誰かを呼び寄せないかと慌てて口を押さえる始末だった。

「もう少し愉しみたかったが、このまま続けてるとヤバそうだな」

 赤面する葵から、龍麻は己を引き抜いてしまう。

まさかここで中断するのかという葵の危惧を表情で読み取ったのか、龍麻は喉の奥で小さく笑った。

「後ろを向いて壁に手をつけよ」

 もはや葵に否やはない。

言われたとおりに向きを変えると、すぐに淫茎が肉を押し分けて挿ってきた。

「ああっ……」

 新たな刺激にたまらず嬌声を吐くと、龍麻にたしなめられた。

「いくら人気がないからって、もう少し抑えろよ」

 嘲るのではなく、本気で心配しているらしい声色に、葵の頬は灼熱する。

とはいえ肉の疼きはもう限界近くに迫っており、龍麻に数度背後から突かれると、

喘いでしまうのを堪えることができなかった。

「しょうがねえな」

 閉じようとした口から、いななきとも咳ともつかない、

耳をふさぎたくなる滑稽な声を葵が漏らすと、

背後から苦笑が聞こえ、口が塞がれる。

さらに口の中に指が押しこまれ、葵は面くらった。

「噛んでいいぜ」

 噛めと言われて容易に噛めるものではなく、かといって噛まないように口を開けていると涎がたれてしまう。

何より他人の指を咥えるなど初めてで、激しい羞恥に葵は襲われていた。

それは龍麻の指が口の中を無遠慮にまさぐることでいや増し、

左手首を後ろ手に掴まれたまま背後から犯されることでさらに増していた。

「うっ……う、ふ……ぅ……」

 閉じられない口から獣じみた喘ぎが垂れる。

無様な、耳を塞ぎたくなる自分の声に、思わず龍麻の指を強く噛んでしまう。

従うと決断したのは自分とはいえ、凌辱と変わらないこんな行為に。

高校生活最後の思い出となるだろう修学旅行で、人目を忍び、闇に紛れてするこんな行為に。

「うぅ、うぅっ」

 興奮している。

自由を奪われ、声も奪われ、劣情の象徴に挿し貫かれて、葵は否定できないほど感じていた。

龍麻に対する好意などなく、ただ彼に手首を掴まれたというだけで、

淫らな欲望が血液さながらに体内を循環し、彼を受け容れてしまう。

「うぅ……う、ぐ……」

 くぐもった声が惨めに闇に零れる。

彼に圧迫されている手首の脈が、狂おしく鳴っている。

そして、後ろから突き挿されている秘部が、聞くに堪えない粘着質の音を奏でている。

それらは決して重ならないまま、けれども奇妙にひとつの旋律となって葵の鼓膜を嬲った。

「っふ……う……う……」

 上と下から。

 前と後から。

体内に挿れられた肉の棒に、葵は哭いた。

激しく腟奥を突かれ、優しく口腔を掻き回され、混乱と快楽の渦に呑まれていく。

「うぅっ……んっ、ふぐっ」

 突き上げられる息苦しさで闇雲に舌を動かし、暴れる指を噛んで押さえつける。

自分の身体がどうなっているのかも判らなくなり、知らぬ間に涙が零れていた。

その最中でも腹の中で繰り返される律動は止まず、次第にそれが葵の全てになっていく。

「んッ……!」

 抗いようのない波が押し寄せる。

身体の中心から起こったそれが、龍麻に掴まれている手首に到達した時、濁った悲鳴と共に葵は果てた。

「うぅッ……!!」

 頭が白み、その空白に快感が塗りこめられていく。

快感は身体の制御を奪い、葵はその場に崩折れかけた。

自分のものかも判らないくらいに脱力した身体を、龍麻が支える。

力強い男の腕を疎ましく思いながらも、どこかで安らぎめいたものも覚える葵だった。

 時間を置いて戻るという龍麻と別れ、旧館にひとり戻ってきた葵を、小蒔が呼び止めた。

「あッ、葵、どこ行ってたの?」

 悪意のない親友の質問に、葵はすぐに答えられなかった。

服装は整えたはずだが、おかしなところがないか気にしつつ、偽りの答えを用意する。

「え、ええ、少し具合が悪くなってしまったから休んでいたの」

「えッ、大丈夫?」

「ええ、今は良くなったわ。それより、何かあったの?」

「ううん、そろそろボク達のお風呂の時間だからさ、葵どこ行ったのかなって、そんだけ。

でも本当に大丈夫なの? 少し顔が赤いみたいだけど」

 観察眼の鋭い親友を、少し疎ましく思ってしまう自分に自己嫌悪しながら、葵は嘘を重ねた。

「暖かくしていたから、そのせいだと思うわ。

それより、お風呂の時間はそれほど長くないから、早く行きましょう」

「うんッ、そうだね」

 どうやら話題を逸らせたことに胸を撫でおろしながら、葵は小蒔と部屋に戻った。

 龍麻との行為で身体がまだ火照っている。

浸っていたくもある奇妙な気だるさを、早く洗い流したかった。

 温泉は女子生徒でごった返している。

ニクラスずつ入るように指示されていても四十人近くの人間が一度に入るのであり、

風情には欠けるが、露天風呂ということもあって、生徒達は異様なテンションとなっていた。

少し出遅れた葵と小蒔は、身体を洗う場所を確保するのに苦労したものの、

どうにか済ませると、二人揃って湯に浸かった。

「はーッ、いいお湯だねぇ」

 しみじみと小蒔が言う。

その雰囲気は頭に乗せたタオルと相まって、女子高生というより中年男性を思わせ、

つい葵が口元をほころばせると、当人が肩を並べてきた。

「春から色々あったけどさ、こうやってのんびりできるようになって良かったよね」

「そうね」

 葵が控えめに答えたのは、小蒔の感想に全面的には同意できなかったからだ。

それも、原因は葵にある――龍麻に従うという決断を下したからであり、

その点において葵はのんびりなど全くしていないからだった。

現に今しがたも逢瀬を済ませてきたばかり――逢瀬などという趣のあるものではないが、

とにかく、時と場所を選ばない彼の劣情に、葵の心は休まる時がない。

たが、今この時は、気のおけない親友との一時を過ごしてよいはずだ。

葵は気分を切り替えることにした。

「今日は楽しかったわね、色々見て回れて」

「うんッ、ホントに面白かったよね。

自由時間に行きたいトコ全部回れたし、緋勇クンの段取りが良かったからかな」

「……そうね」

 間を置きつつも、葵は認めないわけにはいかなかった。

葵達の班が遅れることなく旅館に到着できたのは、

ともすれば観光客の女性や他校の女子生徒にかまけてはぐれそうになる京一を巧みに誘導してロスを回避し、移動手段や進む方向など、

効率良く皆を案内してくれた龍麻の功績が大だったのだ。

それなのに葵が全面的に彼を称賛できないのは、無論彼の別の一面のためだ。

少し隙を見せればすぐに欲望を剥きだしにする男を、どうして褒めることができようか。

 龍麻への称賛をためらうような葵の態度をどう解釈したのか、小蒔は身体を寄せて葵の耳元に囁いた。

「緋勇クンのコト、どう思ってるの?」

「えッ!? ど、どうって」

 あまりにも突然、かつ急所を貫く質問に、葵は普段ならまず使わない、

洋食に添えられたパセリのように意味のない応答をするしかなかった。

その反応を勘違いしたらしく、小蒔が意味ありげに笑う。

「おッ、その様子じゃまんざらでもないって感じ? 葵にもついに春が来るのかな?」

 来たのは春ではなく冬だ、と事情を知らないとはいえ能天気なことを言う親友に、

真実を教えてやりたい衝動に駆られた葵は、

自制する代わりに涌いた感情の何分の一かを放出した。

「そんなことを言って、小蒔こそどうなの?」

「緋勇クン!? そうだね、悪い人じゃないよね。

もうちょっとだけ面白みがあったらいいかなって思うときもあるけど」

 どうやら龍麻への恋愛感情はないらしく、葵は安心すると同時に、少し牽制しておきたくなる。

「でも、怪我をさせられたじゃない」

「あれは、緋勇クンがかばってくれなかったらもっと大ケガしてたから。

ああ、そうだ、それもあるね。もうちょっと信頼してくれてもいいかな」

「信頼?」

「緋勇クンさ、ボク達皆にケガさせないつもりで戦ってると思うんだ。

そんなの覚悟の上で戦ってるのにね」

 覚悟と現実は違う。

風変わりな転校生と共に訪れた災厄は、後に思い出として語り合うような、

都合の良いものではなく、一歩、いや、半歩間違えれば死んでいてもおかしくない、

普通の高校生が経験する必要のない、経験するべきではないものだった。

仲間達は全員、大きな怪我をすることもなくここまで来られた。

だがそれは大いなる幸運が故であり、実力を誇るのは思い上がりだと葵は信じている。

たとえ親友の意見であっても、そこだけは同意できないのだ。

 一方で龍麻は皆を怪我させないつもりで戦っているというのは認めざるをえないが、

それも彼が転校してこなければ、そもそも巻きこまれなかったはずで、

迷惑にこそ思えど感謝する謂れはない、はずなのに。

 そんな龍麻に、葵は身を委ねている。

彼がどれほど強引だとしても、最終的に彼を受け容れたのは葵であるし、

彼との行為に快楽を得てしまっているのも確かだ。

そして彼との関係を親友に告げることができない自分が、褒めるにせよけなすにせよ、

これ以上彼の話を続けるのは良くないような気がして、葵は乱雑に立ちあがった。

大きな水しぶきの音に、クラスメートの幾人かが振り向く。

龍麻との行為の残滓を見透かされるような気がして、葵はタオルで前を隠した。

「そ、そろそろ上がりましょう。次のクラスの入る時間になってしまうわ」

「あ、うん、そうだね」

 性急さを不思議に思ったようで、小蒔の反応がやや遅れる。

彼女の方を見ないまま、葵は脱衣所へと歩いていった。

 

 同じ時間、龍麻達も入浴していた。

手早く身体を洗った龍麻は、手ぬぐいを頭に乗せて夜空など見上げている。

京都の中心部から外れたところにあるこの旅館は、交通の便の悪さと引き換えに、

風情を有しているらしく、小さな林に囲まれている露天風呂から月夜を仰げば、

まださほど人生に感傷などなくても、しんみりした気分にもなるというものだった。

「よう、緋勇」

 自分を呼ぶ声に、龍麻は漂いかけていた意識を引き戻す。

見れば少し離れた隣に醍醐が居た。

改めて見る彼の肉体は見るからに頑強で、岩盤と呼ぶにふさわしい逞しさだ。

月と温泉という風情とは似つかわしくないほどだが、龍麻は月のことは一旦忘れることにした。

 明らかに何か話したいことがある様子の醍醐に、あえて龍麻は話題を振らなかった。

醍醐は三十秒ほども渋面を続けた後、その巨躯から発せられるとは思えない、か細い声を出した、

「……桜井の、ことなんだがな」

 それだけ言ってまた口をつぐんでしまう。

龍麻はそう気の短い方ではないが、この時は忍耐心を試されている気がした。

「……前に、桜井を救ってくれただろう。あの時の礼が言いたくてな。

本当はもっと早く言うつもりだったが、中々機会がなくてな」

 具体的にどの件を指しているのか、醍醐は言わない。

だが龍麻には無論解った。

 醍醐を目の上のこぶとしていた佐久間猪三が、卑劣にも小蒔を拐って醍醐をおびき寄せた夜。

傷ついた小蒔を見て、護れなかった自分への怒りから、醍醐は体内に宿る膨大な氣を爆発させ、

佐久間を死へと追いやった。

その後自失した彼は、小蒔を置いて失踪したのだ。

 残された小蒔は龍麻に助けを求め、龍麻は彼女にできる限りの手当をしてやった。

その辺りの事情を龍麻は醍醐に話してはいない。

小蒔から話したか、醍醐が訊いたか、いずれにしても小蒔を放置したことを、

深く悔いているのは間違いなかった。

 龍麻は少し考えてから、湯面を見つつ話す。

「俺は、巻きこんじまった仲間は、誰一人怪我させたくないと思っていた。

護るのは、俺の義務だと。だからあの件は、俺にとっても痛恨だった」

 雨の夜、雨と泥と血に汚れた姿で突然訪れた小蒔に、龍麻は言葉を失った。

シャワーを浴びさせ、着替えを用意し、一時間以上も経ってから出てきた彼女の傷の手当をしながら、なんとか聞きだせた事情。

佐久間の暴走が醍醐との確執に原因があったとしても、

醍醐も佐久間も小蒔が異形と見紛うほどに『力』を暴走させていたというのなら、

龍麻が責任を感じないわけにはいかなかった。

「幸い、桜井の身体は跡が残らなかった。でも心までは、俺には治せない」

 露天風呂の中で石像の如く動かない龍麻と醍醐を、他の生徒が不思議そうに見る。

だが話しかけるどころか彼らの会話を聞くのも憚られるような修羅場めいた雰囲気に、

そそくさとその場を離れていった。

龍麻と醍醐は他者の視線に気づきもせず、低い声で話を続ける。

「だから桜井が戦いから抜けても仕方がないと思っていた。

……いや、抜けて欲しいと思っていたかもしれない。

抜けてくれれば、護るべき対象が減るわけだからな」

 『力』など必要としない普通の生活に戻るのなら、その方が良いに決まっている。

この異常な『力』を失くすことができたら、結果だけを彼女に伝えれば良い。

龍麻はそう考えた。

「でも、桜井は抜けなかった。俺やお前を責めもせず、また俺達と共に往く道を選んでくれた。

驚いたよ。危険ばかりで見返りもないのに」

 そこで一度言葉を切り、醍醐を直視して続けた。

「それで少し考えが変わった。護るって気持ちに変わりはないが、

もう少し任せても良いのかなって。もっとも、もう戦いは終わったけどな」

 龍麻が話を終えると、醍醐は深く感銘を受けたらしく、大きく頷いた。

「ああ、そうだな。戦いは終わったんだ。

正直言ってもう少し力を試したいという気持ちも無くはないが、

桜井や美里を危険に巻きこむよりは、戦いなんて無いほうが良い」

 醍醐は月を見上げ、龍麻も倣う。

満月からわずかに欠けた月は、同じ輝きを投げかけていたが、

その光を浴びた二人が思ったことは、微妙に異なっていたかもしれなかった。

 視線を月から地上へと戻した醍醐が、口調を変えて言った。

「そうだ、近い内にもう一度手合わせをしてくれないか?

春は負けてしまったが、あれから少しは強くなっていると思うんだ」

「俺も強くなっているとは考えないのか?」

「それなら尚の事腕試しをさせてもらわないとな」

 笑って頷いた龍麻は、珍しく醍醐と話しこんだと思い、その理由に思い至った。

「ところで、京一はいないのか?」

「そういえば見ていないな。食堂を出るところは見たが」

「もう入浴の時間も終わるぞ……まさかあいつ、入らないつもりか?」

 二人は揃って首を捻ったが、長い時間のことではなかった。

京都市中ならともかく、旅館で迷子になっても大事にはならないだろうし、

食事の後の風呂で気分が鷹揚になっていて、真剣に案じる気になれなかったのだ。

 故に彼らは風呂から出て部屋に戻った時、

部屋の前で正座させられている京一の姿に愕然とする。

彼の前で面倒くさそうに腕を組んでいる生物教師の犬神に、二人は訊ねずにいられなかった。

「京一が何かしたんですか?」

「風呂覗きだ」

 簡潔な返答だが、二人には充分伝わった。

呆れた醍醐が首を振る。

「お前……馬鹿だとは思っていたが……」

「くそッ、せっかくマリア先生のナイスバディを拝む絶好のチャンスだったってのに、

なんであんな所に居やがるんだ……まさか犬神も……」

 友人の嘆きも耳に届いてはいないようで、京一は何やらブツブツと呟いている。

犬神はそれを聞き咎めた風もなく、狼が牽制する時のような低い声で一喝した。

「何か言ったか?」

「いえッ、言ってませんですッ」

 不逞な生徒を黙らせた教師は、刃のような眼光で龍麻と醍醐を一睨みした。

怪物や化物にも臆することなどなかった二人も、この視線には背筋が伸びた。

「こいつは消灯まで正座だ。

お前達は共犯ではないようだが、部屋に入れたら同罪とみなすからな」

 とばっちりを食うつもりもない二人は、京一を置いて部屋に入る。

「あッ、おい、話し相手になれよお前らッ! この薄情者ッ!」

 罵声とも哀願ともつかない男の声が、廊下に空しく響き渡った。

 

 同じ班の男達が一騒動起こしているとは露知らない葵と小蒔は、入浴も済み、

イベントとしてはあとは消灯時間を残すのみとなっていた。

部屋から出るのは禁止されているので、一部屋に割り振られた同級生同士で過ごすしかない。

 葵の部屋では六人の女性がかしましく話していた。

内容はやはり大半が異性のことで、身近な知人から芸能人に至るまで、

行ったり来たりを繰り返しながらとめどなく話し続けている。

葵も輪の中にはいるが、積極的に話題に参加はせず、

また、同級生達も強いて話を振ってはこない。

葵はその方がありがたかったが、同じく恋愛経験などないはずの小蒔は、

あれこれ聞いたりしてきちんと会話の輪に入っており、葵をいささか呆れさせた。

 口を挟む機会もないまま、退屈な会話を葵は聞き続ける。

次第に会話は際どい方向に進みはじめ、

ほどなくして大人も顔を赤らめるようなものへと変わっていき、

そこまでくるとさすがに小蒔も黙ってしまったか、

残る少女達は自らの性知識や実体験を競うように披露しあっていた。

もはや生真面目な優等生など一顧だにしない彼女達に、葵も寝てしまおうかと考え始める。

黙って寝てしまうか、それとも一応一言断るか迷う葵の耳に、少女の会話が飛びこんできた。

「でね、彼氏がちょっとエス入っててさあ、縛りたいとか言いだすの」

「えッ、それで許したの!?」

「そりゃね、彼氏のこと好きだし、実はちょっと興味もあったしね」

「きゃーッ、過激ィ! ね、どんなコトしたの!?」

「初めてだからって簡単めの、手と足を手錠で繋ぐヤツ。あと、目隠しも」

「で、どうだった?」

 鼻息荒く訊ねる同級生達に一歩先んじた少女は、顎を軽く上向かせて得意気に語った。

「最初に手で、次に足だったんだけど、

だんだん逆らえなくなってくって気分だけでたまんなくなったし、

彼氏も普段触んないようなところ触ってきてね、それもすんごく焦らしてきて、

もう最後の方ワケわかんなくなっちゃった」

 恍惚とした表情で語る少女を、他の少女達が尊敬の眼差しで見ている。

この年頃は男女問わず友人よりも一歩でも、半歩でも大人に近づきたいと願うものだから、

セックスよりも先のことを経験した少女が羨ましくてたまらないのだろう。

 この場の女王となりおおせた、SMプレイをした少女が、

さらに自分の体験を語ろうとした時、横合いから割って入る声があった。

「あ、あの」

 熱気に水を差した葵は、もつれる舌をどうにか動かした。

「皆興奮するものなの? その……縛られたり、拘束されたりすると」

 葵の顔に小蒔も含めて五人の視線が集中する。

それらは程度の差はあっても一様に不審感が浮かんでいて、

葵は龍麻に見られる時とは別の意味で落ちつかない気分になった。

 少女達は視線を葵から自分達に移し、無言で会話する。

やがて実体験を話したリーダー格の少女が口を開いた。

「そりゃ人それぞれってもんでしょ」

 少女の返答は冷たかったが、突き放すものではなく、

軽く口を歪めると、相好を崩した。

「何? もしかしてあんたもマゾっ気あるの?」

 マゾという、性に関する語句を平然と口にする少女に驚きつつ、葵は必死に答える。

「そ、そういうのかどうかはわからないけれど、本で見て凄いって思って……」

 まさか彼女達にとっても同級生である龍麻に手首を掴まれると興奮するなどとは言えず、

嘘をつくしかなかった。

積もっていく嘘は葵の心を針で刺したが、自分がおかしいのではという不安はそれに勝った。

「真面目ちゃんかと思ってたけど、ちゃんと興味あるんだね、こういうのも」

 少女は葵の振った話題に乗り、他の少女にも訊いた。

「あんたは?」

「あたしは結構興味あるかな。相手にもよるけど、叩かれたりしてみたいかも」

「私は嫌だー。そんなのしたいって言われたら別れちゃう」

「えーッ、それだけで!?」

「それだけじゃないよ。エッチの相性って大事だよ。ねー」

 意見を求められたリーダー格の少女は大仰に頷いてみせた。

「そりゃ大事だけど、試してみるのもアリよ。

自分でも知らなかった性癖に気づくかもしれないし。

とにかくやたら挿れたがったり、そもそもヘタなヤツは論外だけど」

 そこで葵はつい考えてしまう。

彼は強引であり、葵を思いやっているようには見えない。

やたら挿れたがりはしないが、下手かどうかは比較対象がいないのでわからない

――そこまで考えて葵は頬に火が灯るのを感じた。

恋人でもない龍麻のことを思うなど、いったい自分は何を考えているのだろうか。

これはもしかしたら、彼との行為で快感を得てしまったからではないか。

自問自答するうち、葵はクラスメートとの会話も忘れて自己嫌悪の沼に嵌まりこんでしまっていた。

 少女達は黙ってしまった葵に関心を払うこともなく、さらに過激な話を始めていた。

言葉だけでなく生々しく舌や手を動かしての話にはさすがについていけず、

我に返った葵が「私は休ませてもらうわね」と告げても適当な相槌が返ってきただけだ。

その方がありがたくもあるし、返事が返ってきただけ以前よりはましだと思い、

腹を立てることもなく葵は布団に潜りこんだ。

話を聞いただけではあるが、多少は興奮しているようで、

すぐには眠れそうにないと目を瞑ったところで、近くから声がした。

「皆スゴいね。ついていけないからボクも抜けちゃった」

 声の主は小蒔だった。

葵は目を開け、頭の反対側でうつぶせになってやはり布団をかぶっている彼女を確かめると、

自分もうつぶせになる。

「ええ、皆進んでいるのね」

 無難な感想のつもりだったが、小蒔は目を丸くした。

「葵がそんなコト言うなんて、ちょっとビックリ。こういう話は全然興味ナイと思ってたから」

 龍麻のせいで興味を持ったのか、彼とは関係なく実は以前から興味があったのか。

小蒔の一言は曖昧にしていた自分の心を刺し貫いた気がして、

葵はよろめいた心を気取られないように取り繕った。

「嫌ね、私だって年頃の女の子よ」

「エヘヘッ、ゴメン。いやーでもさ、そんな本まで読んでるなんて」

「今どきは普通の本屋でも手に入るもの。小蒔は読んだことないの?」

 若干早口になったことに、小蒔は気づかなかったようだ。

やむを得ないし、罪深いものでもないが、嘘は嘘だ。

また一つ嘘を重ねてしまった。

しかも、真実を語れるときはおそらく来ない。

親友を欺く自責の念が、重く葵にのしかかった。

「ウチはほら、兄妹多いし自分の部屋もないからさ、絶対見つかっちゃうんだよね」

 残念そうに上方を見上げた小蒔は、急に視線を葵に固定させて言った。

「そうだ、今度葵の家で見せてよ」

「えッ!?」

「葵がどんなエッチに興味あるのか知りたいしさ」

 自分が撒いた種とはいえ、とんでもない方向に話が進んでしまい、葵は動揺した。

電灯を消してあるから良かったものの、

顔を見られたらまた一つ小蒔にからかわれるネタになったに違いない。

「あ、あんまりそういうのって人に教えるものではないと思うの」

「ボクと葵の仲じゃない」

 葵にとつてそれは世界で三番目くらいの殺し文句だった。

それでも事が事だけに葵は抵抗したが、普段はさっぱりした気性の小蒔が妙に粘り腰で、

何度かのやり取りの末、とうとう日時未指定ながらも小蒔の提案を受諾させられてしまった。

「やったッ、約束だよッ!」

 最初からそれが目的であったかのように小蒔は上機嫌で身体を反転させ、

巣穴に飛びこむウサギのような俊敏さで布団に肩まで入りこむと、

「おやすみ葵ッ。明日もいっぱい京都見て回ろうねッ」

 高らかに就寝を告げて葵の返事も待たずに眠ってしまうのだった。

親友の明るさに救われた気分になった葵は、自分も布団に入りなおす。

眠る前にクラスメートとの会話を反芻しておきたかった。

 縛られたり拘束されたりして興奮するのが、そこまで特殊な癖でもないらしいというのは、

大きな慰めだった。

とはいえ「好きな相手に」という前提があるのも当然であり、手放しでは安心できない。

何度確認しても龍麻が好きという答えは出てこないのに、彼に手首を掴まれ、

さらに瞳を見てしまうと、逆らえない気持ちになってしまうのだ。

そのためせっかくの修学旅行でも身体を触られ続け、あげくセックスまで許してしまった。

テレビや雑誌で目にする、金のために簡単に身体を売る少女達と変わらないと自嘲しながらも、

龍麻に暗闇に引っ張りこまれての情事に、深く溺れてしまったのも確かだ。

「従いたい性」と龍麻は言った――そんな戯言を信じてはいないが、

自分自身でも知らなかった何かがこの身体には秘められているのだろうか。

あるとしたらそれは、春に異能の『力』に目醒めた時に、同時に引き出されたのではないのか。

その考えは葵の気分を楽にした。

つまり、それは本来表に出ないものであり、自分がおかしいのではないし、

龍麻がこの事象を解決すれば、消えるかもしれないのだ。

 横を向いた葵は布団を引き上げ、顔の半ばまで被りなおす。

耳を澄ませてみると、クラスメートの話し声に交じって軽やかな寝息が聞こえてきた。

もう小蒔は夢を見ているのだろう。

親友をほんの少し羨ましく思いながら、いつしか葵も眠りに落ちていった。

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