※この作品はR-18です。

反魔人學園   作:SVX

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エロなしです、すみません。


第九話

 薄闇に、男女が居た。

一組ではない。

一人の男に、複数の女が侍っていた。

いずれも類稀な美女は全員が男に心酔しているようで、

身体を擦りつけて機嫌をとろうとしていた。

男はそれが生来の態度であるかのように女達を傅かせ、

生っている果実をもぎとるように乳房を掴み、腰を抱き寄せる。

寵を与えられなかった他の女は悔しげな嬌声を漏らし、負けじと肢体を絡みつかせ、

熱い吐息を投げかけて男を誘惑しようとした。

それに応えるように男は一人の女の尻に手を添え、膝に座らせる。

幼い顔立ちからは想像もできない淫猥な腰づかいで男を誘惑したその女は、

乗ってこない男に業を煮やしたように男の股間に手を伸ばし、牡を貪ろうとした。

「御屋形様ッ!!」

 女が牡を隠す野暮な衣服に手をかけたまさにその時、突然襖が開け放たれた。

 無論ひとりでに開いたのではない。

両側に開かれた襖の中央に、男が畏まっていた。

射しこむ光に驚いた女達の悲鳴が闖入者を責めたが、

古風な忍者装束を着たその男は慣れているのか、頭を垂れたまま微動だにしなかった。

光が部屋を照らしだし、中にいた女と男の姿が浮かび上がる。

 男は、ふてぶてしい笑みを浮かべて座っていた。

学生服を着てはいるが、髪を後頭部で結い、眼帯をした姿は威風堂々たるものだ。

骨太の線に力強い眉目が載った顔立ちと共に、世が世なら一国の主をも思わせる風体だった。

昨今ではあまり見られない、男の全身から発散される強烈な牡性に、

女達はいずれも蕩けきった顔をしている。

彼女達は男と同じく制服を着てはいるものの、スカートの裾はだらしなくはだけ、

太腿も扇情的に開いており、そこから立ちこめていた息の詰まるような牝の芳香が、

開け放たれた襖から零れだしていた。

「なんでェ、騒々しい」

 御屋形様、と呼ばれた部屋の中にいた男は、不機嫌そうに言葉を放った。

女達の非難の声にも動じることのなかった忍者装束の男は、初めて恐縮したように身をすくめる。

「申し上げます。鬼道門の封印は邪魔が入り解く事叶わず、

すッ、水角様も討ち死にされた御様子で──」

「なんだと? ……もう一度言ってみろ」

 女の乳房を揉みしだきながら報告を聞いていた男は、驚いたように身を起こした。

膝に跨っていた女が滑り落ちたが、心配しようともしない。

落ちた女も抗議の声をあげることもせず、

それどころかたった今まで淫蕩に戯れていた男に恐怖を感じ、距離を置き始めていた。

「きッ、鬼道門の解封の儀は失敗に──」

「珠はどうした」

 男の声が険しさを増し、装束の男はますます身を縮めた。

「そッ、それが、水角様を斃した輩に奪われ……目下、人を出して捜させております」

「そうか……水角の奴め、せっかく俺が封印を解いてやったってェのによ。

で、斃したやつは見たのか」

「はッ、それが……まだ年若い輩で、年の頃は十七、八かと」

「若ェな」

 呟いた男は顎に手を当て何事か考えたが、すぐに離し、不気味なほど陽気な声で配下を呼び寄せた。

「あァ、ちょっとこっちへ来な」

 部下の男は危険を覚えずにはいられなかったが、主君の命令は絶対であり、

震える膝を叱咤して歩み寄った。

 刹那、鋭い音が疾はしる。

一瞬遅れて、膝立ちで近づいていた男の胸から血が噴き出した。

座っていた男が、女を抱きかかえたまま刀を抜き放ち、一刀の許に部下を斬り捨てたのだ。

斬られた男は死期に及んでさえ忠義の証として仰向けに倒れ、

主を血で汚すまいとしているようだった。

男が自らの血の池に沈んだ頃、女達の正真正銘の悲鳴が響き渡り、たちまち部屋は地獄絵図と化した。

「長い黄泉路の旅だ、水角もひとりじゃ寂しかろうよ。供をしてやんな」

 物言わぬ屍と成り果てた部下には目もくれず、刀を鞘に収めた男は空に向かって呼びかけた。

「ふむ……炎角、雷角、岩角ッ」

「ここに」

 姿も無く、ただ声だけが応じる。

応じた声は間違いなく部屋の中から発せられたものであったが、

死した男が開けた襖によって陽光が射しこみ、隅々までを照らし出している部屋の中には

御屋形様と呼ばれた男と女達、そして屍の他には誰もいなかった。

 刀を鞘に収めた男は、静かに命ずる。

「お前達は引き続き例の物を捜せ」

「御意。我等、必ずや御屋形様の御役に立って御覧にいれます」

「うむ。あれが俺の手に入らなければ、所詮──全ては世迷い言だ」

 気配が消え、静寂が訪れる。

新たな部下が同胞の死体を片づけるのを見ながら、男は再び口を開いた。

「それから……風角はいるか」

「御屋形様の御側に」

 やはり姿は無い。

しかも声は先ほどの三人に較べ、更にどこから聞こえてくるのか判らない、奇妙な響きを帯びていた。

男は前方を見据えたまま、風角と呼んだ部下に訊ねる。

「準備は進んでいるだろうな」

「委細滞り無く。最後の贄と、月の満ちるのを待つばかりでございます」

「そうか……上出来だ」

「ははッ、ありがたぎ御言葉。この風角、老いた我が身果つるまで御屋形様の御為となりましょう」

「世辞はいい。抜かるんじゃねェぞ」

「ははッ、では」

 気配が消える。

 死体を片づけ終えた部下に顎で退出するよう命じた男は、しばし目を閉じた。

「俺は高みの見物と洒落込むか。くくく……面白くなって来やがった」

 独り嗤った男は、怯えて声も出ない女の腰を抱き寄せ、強引に跨らせる。

襖が閉められ、再び薄暗くなった部屋には、男の嗤い声と血臭だけが漂っていた。

 

 新宿駅の片隅で、葵は腕時計に目をやった。

小蒔との待ち合わせの時間まで、あと五分。

葵が到着したのはさらに五分前だが、親友の姿は未だ影も形もなかった。

 十分前はともかく、五分前には行動する習慣を、

小蒔もそろそろ身につけたほうが良いのではないか。

そう思いもするものの、実際に小蒔が遅刻したことはなく、

それが葵に親友を諌める気をなくさせる理由のひとつだった。

 三分前になった。

右手首の時計を再度見た葵は、今度はそこから顔を上げなかった。

今はもう痕も残っていないが、記憶ははっきりと刻まれてしまった。

 先日、学校の廊下で、佐久間猪三に掴まれた手首。

強く、汗ばんだ手は、葵に多大な苦痛と恐怖をもたらした。

小蒔が救ってくれなかったらと思うと震えが止まらず、

家に帰ってから何度も、肌が赤くなるまで洗った。

 それから佐久間とは会っていない。

彼が学校に来なくなったのだ。

それがこの出来事が原因なのかは不明だが、葵としては、

率直に言って彼と顔を合わさなくて済んでいるのは良かったと安堵していた。

手首を見るたびに佐久間を思いださせられるなど、たまらなく嫌だったのだ。

 右の手首には、もう一つの記憶が刻まれている。

それは今年の春に転校してきた緋勇龍麻によってつけられたものだ。

その記憶も、出口のないトンネルのように、暗く忌まわしい。

だが、彼に掴まれた後、なぜか感じる熱は、

どういうわけか佐久間のそれのようには疎ましいものではなく、

それどころか、まことに不本意ながら、身体の火照りさえ誘発させられてしまうのだ。

 この信じられない状況を、葵はまだ整合できていない。

それでも、佐久間と龍麻の記憶のどちらがよりましかとなれば、

極めて消極的ながら、龍麻の方を選ぶしかないのだった。

 朝から快いとはいえない思いを巡らせている間に、秒針は一周している。

顔を上げた葵が周りを見渡すと、彼女に向かって一直線に近づいてくる少女がいた。

「おっはよう、葵ッ。まだセーフでしょ?」

 小蒔の快活な挨拶は、直前までの考え事を忘れさせてくれる。

走ってきたのか、葵の所に来るなり肩で息をしている小蒔に、葵は笑顔で応じた。

「ええ、あと一分を切っていたけれど、間に合っているわよ」

「よかった、葵との約束に遅れちゃうわけにはいかないもんね」

 呼吸を整えた小蒔が身体の向きを変える。

「それじゃ行こっか」

「ええ」

 二人は今日の目的地である雑貨店に向かって出発した。

今日はそれぞれ買いたいものがあり、一緒に見て回るのだ。

 雑貨店に行くには新宿駅を突っ切っていく方が早く、

なるべく人通りの少ない通路を選んで歩く。

急ぐわけではないので、他愛もないことを話しながらのんびり歩いていた二人は、

やがて小蒔が足を止め、前方に目を凝らした。

「あれ? 緋勇クンじゃない? おーいッ、緋勇クン」

「なんだ、桜井に美里じゃないか」

 葵は表情を隠すのに若干の努力を強いられた。

同じ新宿区内に住んでいるとはいえ、こんなところで龍麻に会う偶然と、

止める間もなく彼を呼んでしまった親友の無邪気さに、心穏やかではいられなかったのだ。

「偶然だね。これからどっか行くの?」

「ん? ああ、ちょっと買い物にな」

「ホントッ!? ボク達も買い物行くところなんだ。それだったらさ、一緒に行かない?」

「……いいのか?」

 そう訊かれて嫌だと言える人間が、どこかにいるのだろうか?

葵は沈黙を保つことで、彼女なりの意志を明らかにしたが、

小蒔は気づかなかったようで、この、女性にとって極めて危険な男を歓迎さえしていた。

「もちろんッ! 何買うかちょっと迷っててね、緋勇クンにアドバイスしてほしいんだ」

「責任重大だな」

「エヘヘッ、期待してるよ」

「わかった」

 葵が一言も口を挟めぬまま、二人での楽しい買い物は三人での緊張する半日となってしまった。

 龍麻と小蒔が多く話すので、自然と並びは龍麻と小蒔、その後ろに葵となる。

それも面白くはない葵だが、さすがにそんなことで拗ねるわけにもいかず、二人の後ろをついていくしかない。

「で、何を買うんだ?」

「大したものじゃないんだけどね。ボクは弟の誕生日プレゼントで、葵は……確か、日記帳だっけ」

「ええ。でも、私はただ小蒔の買い物のついでにって思っただけで」

 関心を惹かないように、葵は控えめに応じた。

「緋勇クンは何買うつもりなの?」

「食器を少し」

「え、それって」

「今は一人分もないからな。ちょうどいい機会ではあるんだよ」

 先日龍麻の家を訪れた時、京一と小蒔がまた遊びに来たいと言ったのを龍麻は覚えていたのだ。

 そこまでするとは思っていなかったらしく、小蒔は申し訳なさそうな顔をした。

「もしかして、迷惑だった?」

「いや、全然。いつでも来ていいぞ」

「ホント!? えへへッ、じゃあそのうち遊びに行くね」

 喜ぶ小蒔の後ろで、葵は眉を曇らせる。

小蒔一人で遊びに行かせなどしたら、どんな災難が降りかかるかわかったものではない。

是が非でも止めさせるか、あるいは一人で行かせないようにしなければならなかった。

「ねえ、その時は私も行ってもいい?」

 葵が言うと、龍麻よりも小蒔の方が驚いた。

「えッ!? どういう風の吹き回し? まさか葵……」

 盛大に誤解しているらしい小蒔に、葵はとっさに理由を考えた。

「緋勇君の家って素敵だったから、もう一度お邪魔したいって思っていたのよ」

「あー、確かに理想の家って感じだよね。ちょっとうらやましいよねえ」

 特に疑いを持たなかったらしい小蒔に、嘘をついてしまったことを内心で詫びつつ、

彼女のためであると信じ、やむを得ないことなのだと葵は自分に言い聞かせた。

「あ、そうだ、先に言っとかなきゃいけないんだけど、

ボク達午後から学校に行かなきゃならないんだ」

「学校? 何の用だ?」

「ボクは部活。もうじき最後の練習試合があるからね。葵は……生徒会だっけ」

「ええ。どうしても片づけなければいけないことがあって」

「そうか。真面目なんだな、二人とも」

「好きでやってるコトだからね」

「美里も生徒会は立候補したのか?」

 急に話題を振られて、葵は言葉を選びつつ答えた。

「ええ、誘われたのは先輩からだけど、一応立候補したわ」

「葵は二年の後期にもう生徒会長に当選したんだよね」

「へえ、凄いな。……大変だったんじゃないのか?」

「そう……ね。少しだけ」

 実際は年下の生徒会長に対する嫉妬などはなく、先輩達のサポートも厚かったので、

仕事以外での苦労はほとんどしていない。

それをそのまま伝えなかったのは、正直に伝えると思い上がっていると取られると考えたからだ。

「大したもんだな。組織の長になるなんて、俺には考えもつかない」

 額面どうりに受け取ったらしく、素直に感心している龍麻に、

小細工を弄した気がして、葵はわずかに後悔した。

「でもさ、緋勇クンだって新しく知り合った人とすぐ仲良くなってるじゃない。

結構トップに立つ才能ある気がするけど」

「仲良くなってるか?」

「だってさ、ミサちゃんが誰かと一緒に行動するのなんて、ボク見たことなかったもん」

「裏密か……正直、知識はともかく体力は全然なさそうだからな。

戦いになったら庇わないとどうしようもないと思ってたんだが、

むしろ俺達の方が助けられてるな」

 先入観なしにミサを評価したのが嬉しいらしく、小蒔は大きく頷いた。

「えへへッ、だよね。ボクもミサちゃんが魔術? っていうの?

まで使えるなんて思ってなかったけどさ。占いがよく当たるのは知ってたけど」

「もうちょっと具体的に教えてくれるとありがたいんだがな」

「それはボクもちょっと思うけどね。でも占いってあんなもんじゃない?」

 そんなことを話しているうちに、目的地に着いた。

 上から順番に見ていこうという意見が一致したので、エスカレーターを上る。

雑貨店と百貨店の中間のような店はまだ開店直後とあって、さすがに人は少ない。

テンションが上がっているのか、小蒔は小躍りするように移動した。

その後ろをごく普通についていく葵は、三階から四階へ上がる途中で訊ねる。

「小蒔の弟さんって、来年中学生になるのよね」

「それは上から二番目。今度誕生日なのは一番下のヤツなんだ。来年小学校に上がるの」

 まだ他にも兄弟がいることをほのめかす小蒔の口ぶりに好奇心を刺激されたようで、

龍麻が割りこんできた。

「桜井のところは何人姉弟なんだ?」

「あ、緋勇クンは知らなかったっけ。ボクが一番上で、下に五人いるんだ」

「五人!」

 絶句する龍麻に、小蒔は愉快そうに腹を抱えた。

「多いよね、今どきにしては。緋勇クンちも葵んちも一人だもんね」

「そりゃ賑やかそうだな。毎日が楽しそうだ」

「まあね、ご飯のときとか大変だけど、新鮮ではあるよ」

「桜井が一番上なのか?」

「うんッ、あとは男女交互に五人。覚えやすいでしょ」

「……そうだな」

 龍麻の返事が遅れたのは、覚えてどうするのだと思ったからかもしれず、

逆に、何か良からぬことを考えたのかもしれない。

小蒔の身の安全を慮る葵としては、親友が無警戒に情報を漏らしていくのは止めさせたかった。

「あっ、この階よね。小蒔の買い物って」

「そうだね」

 タイミング良く目的の階に到着したので、なんとか話題をそらすことができた。

 高校三年生ともなると、おもちゃ売り場とは縁遠くなっているだろう。

葵など、そもそもおもちゃ売り場に来た回数が数えるほどしかなく、

今日も少し気恥ずかしさを覚えるくらいだが、小蒔はそうでもないらしく、

売り場を見渡す目は楽しそうに輝いていた。

まさかさっき歩くのが速かったのは、早くここに来たかったからではないのか。

あくまでも好意的に、けれども少しだけ意地悪に葵はそう思いもする。

「んっと、おもちゃ売り場はここだね。何にしようかな」

「候補はあるの?」

「うん、テレビでやってるロボットか、このラジコンか……あ、ゲームもいいよね。

緋勇クンならどれがいい?」

「迷うな。ロボットもラジコンも面白そうだし、ゲームは大勢で遊んだら楽しそうだ」

 真剣に吟味する龍麻に、小蒔は驚いたようだ。

あるいは、男の物欲というものを甘く考えていたのかもしれない。

「ねえ、緋勇クンが買うみたいだよ」

「ん? ああ、悪い。そうだな……ゲームがいいかな」

「そうだね。ゲームなら皆で遊べるし、いいかも。んじゃ買ってくるからちょっと待ってて」

 小蒔はあっさりと同意し、支払いをするべくレジに向かった。

 図らずも龍麻と二人きりになってしまい、自分からは話しかけたくない、

と思っている葵に、龍麻の方から話しかけてきた。

「美里はゲームはするのか?」

「えッ? ううん、しないわ」

「そうだろうな」

 全く腹を立てる必要などなかったにもかかわらず、

いかにも人となりを知っているような龍麻の返事に、葵は気分を悪くした。

龍麻になど知られても迷惑なだけだというのに。

「緋勇君はするの?」

「ああ、人並みには」

 人並みというのがどの程度なのか、葵には判らなかった。

そもそも親友の小蒔がどの程度ゲームをするのかも、実はよく知らない。

そういえば男子生徒とそういう話をしていた気もするが、

葵自身が興味が無いので気に留めることもなかったのだ。

もう少し関心を持っておけば良かった、と思ってみても後の祭りだ。

葵としては、警戒を強めるしかなかった。

 支払いを終えた小蒔が戻ってくる。

会話をしていながら、微妙に楽しそうではない二人の表情が気になったようで、

次の階に移動する前に二人に質問した。

「お待たせッ。何話してたの? ボクに言えないようなコト? デートの相談とか」

「そ、そんなんじゃないわ」

「美里はゲームをするかって訊いたんだよ」

「ああ、しないよね、葵は全然。緋勇クンはするっぽいよね」

「修行を始める前までは結構してたな。今も別に飽きたわけじゃないし」

「どんなのが好きなの?」

「一通りはするな。ゲーセンも行くし」

「ホントッ!? ボクもね、ゲーセン好きなんだ。今度一緒に行こっか」

「いいぜ」

 軽く約束してしまう小蒔に、葵は心中穏やかでなかった。

 さっき龍麻の家に遊びに行くと小蒔が言った時も、かなり不自然に同行したいと言ったので、

ゲームをしない葵がゲームセンターに同行するというのは無理がある。

何か理由を考えなければ、龍麻と小蒔を二人きりにさせることになってしまうだろう。

それはなんとか防がねばならず、また悩み事が増えてしまうのだった。

「次は……俺か」

 玩具売り場から一つ階を降りると、食器売場があった。

 自分の買い物のように目を輝かせながら、小蒔が訊ねる。

「食器ってさ、今日は何買うの?」

「まずコップは要るだろ。あとは皿で、今日はそんなところだな。一度には持てないだろうし」

 そこまで言った龍麻は、何か思いついたように続けた。

「そうだ、桜井が選んでくれよ」

「えッ!? ボク?」

「使う人間が選んだほうがいいんじゃないか」

「そうだけどさ、何か図々しくないかな」

「全然気にしねえよ」

「そう? それじゃ、選んじゃおうかな」

 乗り気になった小蒔は、さっそくコップの物色を始める。

まず三つほどに絞り、それぞれを手に持ってみたりしてみた。

「こっちの方がいいんだけど、ちょっと重いかなあ……葵はどう思う?」

「えッ!? そ、そうね……確かに重いかもしれないわね」

 龍麻の家に遊びに行くのを認めることになるようなものなので、

関与するつもりはなかった葵だが、小蒔に訊かれては嫌とは言えない。

仕方なく、彼女がコップを選ぶのを手伝った。

 次に三人は皿を探す。

こちらも小蒔が先頭に立って選んだが、めぼしい皿を手にとって彼女は言った。

「緋勇クンって、料理はしないんだよね?」

「ああ、しないな」

「葵、作りに行ってあげたら?」

 言った側は冗談のつもりでも、言われた側は冗談ではなかった。

小蒔が驚くほど動揺した葵は、声を上ずらせて反論した。

「だ、駄目よ、そんなのできないわ」

「そう? 葵、料理得意じゃなかったっけ」

 無邪気な善意に疎ましさすら覚える。

いっそここで、龍麻の裏の顔を暴露してやりたい衝動に葵は駆られた。

 もちろん、今そんなことをしても小蒔は信じないだろう。

冗談として受け流し、面白がって更に余計なことを言うかもしれない。

どう応じたものか迷っているうち、意外にも龍麻の方から拒絶された。

「料理道具も一切ないから、揃えるところから始めないといけねえんだよ。

ちょっと大変そうだな」

「そっかあ……残念だったね、葵」

「そ、そうね」

 嘘ではないが心にもないことを言って、葵は後ろめたさを覚えた。

龍麻が転校してきて以来、これまで使ったことのなかった方便としての嘘を強いられることが増え、それも生真面目な葵には面白くない。

早く卒業し、龍麻の顔を見ずに済む生活に戻りたいと願わずにはいられなかった。

 コップと皿を買い終わった三人は、最後となった葵の買い物に向かう。

小蒔と二人なら楽しく選べただろうが、龍麻がいるのでは色々な話をする気にもなれず、

手早く選んでしまおうと葵は思った。

「なんだか日記帳なんて書くだけだと思ってたけど、結構イロイロあるんだね」

 小蒔の言う通り、最近の日記帳には一日に一行のもの、

一ページ丸々使うもの、十年分つけられるものまである。

葵はずっと使っている、三ヶ月分を書けるものを選ぶことにしていた。

 日記帳のひとつを手に取り、パラパラとめくりながら小蒔が言う。

「でも葵ってホントにマメだよね。いつもここで日記帳を買って、毎日ちゃんとつけて」

「もう習慣みたいなものだから。それに、最近は書くことが多すぎて困るくらいよ」

「ふーん……例えばどんなこと?」

「そうね……学校のこととか、事件のこととか」

 事件については触れたくないとの思いはあっても、やはり書かない訳にはいかない。

そして、日に日に事件について書く量が増えているのも、認めざるをえなかった。

「記録に残しておくってのは大事だな。俺もやっておけば良かったよ。

まさか、こんなに幾つも事件が起こるとは思っていなかったからな」

 口を挟んできた龍麻に、小蒔は手にしていた日記帳を差しだす。

「今からだって始めてみれば? 前のところは葵に見せてもらったりして」

「日記はそういうもんじゃないだろ。

自分の思ったことを書くんだから、他人に見せたりするもんじゃないさ」

「でも、交換日記ってあるじゃない」

「あれは最初っから見せあうって前提があるんだから、別物だろ」

「それもそうだね」

 事態がとんでもない方向に向かわなくて良かったと、葵は内心で胸をなでおろした。

 それにしても、こんな常識的なことを言う男が、

なぜ葵を襲おうとしたり、破廉恥な行為に及ぶのか。

葵にはどうしても理解できなかった。

 一方で、葵は日記にも書けない秘密がある。

それは、一ヶ月程前から独り慰める行為を覚えてしまったこと、

そしてその時、龍麻の顔を思い浮かべてしまうことだった。

まさしく理解不能な自分の心に、葵はまだ正面から向きあう勇気がない。

できれば彼と会わなくなる日まで先送りしたいところだ。

それはまだ半年以上先の話で、その間葵は、不合理を抱えたまま過ごす羽目になるだろう。

「葵、どうしたの? そんなに迷ってるの?」

「え? あ、ううん、これにするわ。買ってくるから待っていて」

 小蒔の声に我に返った葵は、頬のみならず耳まで熱くなるのを感じ、小走りでレジに向かった。

 考えなくても良いことを、考えなくても良い時に考えてしまった。

今はとにかく、龍麻の毒牙から少なくとも葵自身と小蒔だけは護る、

それだけを考えるべきだった。

 三人が買い物を済ませたところで、もう昼近くになっていった。

「今日はありがとね、ひーちゃん。そのうちボクん家にも遊びに来てよ。

一緒にゲームしたら弟達も喜ぶと思うから」

「ああ、そうさせてもらうよ」

 方向が途中までは同じということで、龍麻達は中央公園を通って帰る。

公園の半ばまで来たところで、向こうから走ってくる人影があった。

どうやらこちらを目指しているらしいその男は、近づくにつれ、

特徴的な金髪と手にしたギターのケースによってその正体を明らかにした。

「あ、あれ──雨紋クンじゃない?」

 小蒔が指差すと向こうも気づいたのか、ギターを持った方の手を軽く挙げて挨拶をよこす。

確かに彼は、渋谷区にある神代高校の二年生である雨紋雷人だった。

 龍麻達のところまでやって来た雨紋は、息を切らせることもなく口を開く。

「よォ。良かったよ、見つかって。今日は他の二人はいないのか?」

「うん、ボク達三人だけ」

「そっか。両手に花ってワケだな。やるじゃねェか、緋勇サン」

「早起きは三文の得ってヤツさ。それにしても、雨紋が新宿にいるなんて珍しいじゃねえか」

 龍麻の質問に雨紋は軽く肩をすくめた。

「なに、さっき渋谷で天野サンに会ったんだ。

あンた達と連絡が取りたいって言ってたから、学校に行ってみな、って言ったのさ」

「あのな……今は夏休みだぞ」

 高校三年生が夏休みに特別な用事がなく学校にいるとしたら、補習しかない。

後輩に学力を見くびられていると気づいた龍麻がやや強めに言っても、

雨紋は鼻で笑うだけだった。

「あンたらの誰かが補習でも受けてるだろうと思ってよ」

「そういや……京一と醍醐クンは補習だって言ってたね」

 それが今日彼らがいない理由だった。

夏休みに入る直前、彼ら二人と小蒔が補習かどうかを訊ねあい、

ひとり免れた小蒔が大笑いしていたのを龍麻は良く覚えている。

訊ねあっていた辺り、彼女もぎりぎりセーフといったところのようだが。

「なッ、オレ様の読みもまんざらじゃねェだろ。

緋勇サンが補習じゃないのはちょっと外したけどよ。……ッと、悪ぃ、ちょっと急いでるんだ。またなッ」

 言うだけ言って来た時と同様、雨紋はあっという間に走り去ってしまった。

 あっけにとられて彼を見送っていた三人は、やがて再び歩き始める。

「雨紋クン……もしかして、わざわざ捜しに来てくれたのかな」

「だとしたら、暑い中悪かったな」

「でも、天野サンが用ってなんだろう」

「事件か……?」

 木陰に入った三人の間を、生ぬるい風が吹き抜ける。

 彼女と──天野絵莉と出会ったのは、

渋谷の鴉が人を襲うという事件を取材していた彼女を助けたのがきっかけで、

どうしても彼女と事件は結びつけて考えてしまう。

 何かまた、異常な事件が起こっているのだろうか。

『力』に関わる、事件が。

 期せずして顔を見合わせた三人は、お互いの顔に浮かんでいるものを読み取り大きく頷いた。

「そうだな、俺も学校に行ってみる。美里と桜井は用事があるし、京一と醍醐は補習だろ。

話を聞くなら俺が適任だろう」

「そうだね……ね、後でボク達にも聞かせてね」

「もちろん」

 絵莉がいれば良いし、いなくても京一達の顔を久しぶりに見るのも悪くない。

 公園の出口まで来た三人は、一旦別れることにした。

 龍麻に手を振った小蒔が可笑しそうに言う。

「京一も醍醐クンも毎日補習で気が立ってるから、絡まれないように気をつけた方がいいよ」

「確かに……それじゃ」

 女性二人と別れた龍麻は、ほぼ一ヶ月ぶりとなる真神学園へと向かうことにしたのだった。

 

 龍麻が学校に着いた時、校門に絵莉の姿はなかった。

雨紋に会ってからそれほど時間は経っていないが、

もしかしたら行き違いになってしまったのかもしれない。

そう思い、探しに行くか龍麻が少し考えていると、ちょうど学校の中から京一達が出てきた。

 醍醐と何か話しながら歩いていた京一は、

補習に来ない友人を見つけるといやに愛想良く挨拶したものだった。

「おッ!! やァ緋勇クン、短き青春を充実させるべく、夏休みをエンジョイしてるかい?」

 白雪姫の魔女もかくやという僻み丸出しで、小蒔の予言は見事的中したというわけだ。

思わず笑いそうになる龍麻に、恐らく真神一の苦労人であろう醍醐が間に入ってとりなした。

「ひがみは止せ、京一。

すまんな緋勇、こいつは夏休みに入ってから毎日補習なんで拗ねてるんだ。

ちなみに俺はこいつより三日少ないがな」

「赤点が一教科少なかっただけじゃねェか。

クソッ、俺の高校最後の夏休みが無駄に過ぎていきやがる。

浜辺でビキニのおネェちゃんが俺を待ってるっていうのによ」

「待ってないだろ」

「んだとてめェ」

 つい口を挟んでしまった龍麻に、ここぞとばかり京一が噛みついてきた。

 京一よりは余裕があった龍麻も、あまりの京一の絡みようと、

立っているだけで汗が滲むこの暑さのせいか、次第に苛立ち始めている。

 殴りあいでもすれば余計に汗が出るだけだということに気づかない二人に、

醍醐がうんざりしたように声を荒げた。

「よさんか二人とも。俺達は自業自得だからな、覚悟を決めて勉強するしかなかろう。

それより緋勇、お前はなんで学校に来たんだ」

「それが──」

「あッ、いたわね」

 龍麻が醍醐に事情を説明しようとして口を開きかけた時、

実に良いタイミングで龍麻が学校に来た理由である女性が現れた。

「絵莉ちゃんッ!」

 つい寸前まで本気で殴りかかる勢いだったのもどこへやら、

京一は龍麻がいることさえ忘れたように年上の女性のもとに駆け寄る。

醍醐は呆れ、龍麻ももはや怒る気をなくし、自分達に用があるという彼女が話すのを待った。

「間に合って良かったわ。夏休みなのに学校で勉強なんて大変ね」

「い、いや、俺達はそんな不名誉な理由じゃ……」

 開口一番、毒の無い口調でさらりと言ってのけた絵莉に、京一は慌てふためく。

一方の龍麻は、勘違いされようのない私服だったので余裕の表情でいられた。

「ふふふッ、ごまかさなくてもいいわよ。補習だって楽しいものだし、

いいじゃない、学校に来る理由が出来て」

「ちぇッ、他人事だと思って」

 ひとしきり笑った絵莉は、笑顔を収めると真剣な、そして少し翳りのある表情をした。

「今日は皆に頼みたいことがあって来たの。本当はあとの二人にも聞いて欲しかったんだけど」

「美里と小蒔なら、多分午後から来るぜ」

 毎日学校に来ているものだから、ほぼ全部活のスケジュールを把握している京一が言い、

二人からスケジュールを直接聞いた龍麻も頷いた。

「ああ、雨紋から天野さんが来るっていうのは三人で聞いたからな」

「三人? なんだお前、デートでもしてやがったのか」

「たまたまだよ。三人とも買い物があったんだよ」

「普通はそれをデートって言うんじゃねェのか?」

「……」

 しつこい京一に、今度は先に龍麻が苛立ち始めた。

京一も龍麻の剣呑な表情に気がついたが、謝るでもなく来るなら来いとばかりに睨みつける。

もはやじゃれあっているとしか思えない二人に、醍醐も匙を投げたらしく止めに入らない。

 若気の至りというにはくだらなすぎる男二人の言い争いを止めたのは、

やはり年長者たる絵莉だった。

明らかに含み笑いを押し殺しているようすではあっても、さりげなく話題を変える。

「どうしようかしら……お昼でも食べながら、って思ったんだけど」

「昼飯!」

 今の今まで怒っていたことなど綺麗さっぱり忘れたどころか、

対象である龍麻などまるで無視して、京一は新たなスポンサーの出現に色めきたった。

 はしごを外された龍麻も、いつまでも怒っていても仕方がないので京一に同調する。

ただし、食欲に全てを優先させはしなかった。

「美里達ももうじき来ると思うんですけど」

「そう……でも困ったわね。あまり時間がないのだけれど」

 時間がない、とはどういうことか。

珍しく絵莉の表情には余裕がなく、何か切迫した事情があるのだと龍麻に推察させた。

「美里達もよ、着替えてから来んだろ? ならまだ時間あるしよ、

俺はとにかく何か腹に入れねェことには考えも出来やしねェ」

 満腹になったところで京一が何かを考えるとも思えないが、

腹を空かせているのは、実は龍麻も同じだった。

時間はちょうど正午を回った辺りで、

ここまで来る途中、食べ物屋から漂う芳しい匂いに散々食欲を刺激されてきたのだ。

 そして絵莉も、育ち盛りの少年達に食事抜きで話を進めるほど愚かではなかった。

特に今回は、荒事が待っている可能性が高いのだ。

東京を襲おうとしている危機を防げなかったのは食事が原因などというのは、

笑い話にもならなかった。

「そうね、それなら手早く食べられるものがいいかしらね」

「わかりました。美里達には少し悪いけど」

「おッ、わかってんじゃねーか。この期に及んで待つとかぬかしやがったら、

天に代わって成敗してくれるところだったぜ」

 もはや空腹が脳にまで来ているらしく、わざとらしく木刀で肩を叩いて京一が言う。

 空腹の京一に何を言ったところで無駄だというのは龍麻も学び始めているので、

反論はせず、ここから最も近くにある、

すっかり行きつけとなった中華料理店に絵莉を案内するのだった。

 真神に来てから龍麻の主食となりつつあるラーメンだが、

龍麻は何もラーメン道を追求しようというつもりはない。

冬には冬の、夏には夏の食べ物があるはずで、特に今日のような暑い日に、

わざわざ熱いラーメンを食べる必要はない。

 常識的な思考でその結論にたどり着いた龍麻と絵莉は冷やし中華を頼んだのだが、

京一と醍醐は見るからに汗が出そうなラーメンの大盛りを食べていた。

 豪快に音を立てて麺を啜り、スープを飲み、誰にも口を挟ませぬまま、

一気に半分ほど食べたところでようやく京一が丼を置いた。

「で、頼みってなんだよ絵莉ちゃん」

「まずはこれを見て」

 絵莉が取り出した新聞記事のスクラップには、「江戸川区で連続猟奇殺人事件が発生」

とおどろおどろしい見出しがあった。

 京一が声に出して読んでみせる。

「被害者は若い女性ばかり、いずれも頚部けいぶを消失。……おい、頚部ってどこだ、龍麻」

「首だな」

「首ってお前、それじゃ」

 首に手を当て、横に引いて見せる京一に絵莉は頷いた。

彼女もルポライターを志して以後、いくつかのグロテスクな事件に関わったことがあったが、

これはその中でもかなりどぎつい部類の事件だった。

「ええ。死体はどれも、頭が無い状態で発見されているわ」

 絵莉の口調はむしろ淡々としており、実際の状況ほどおぞましさを想像させはしなかったが、

三人はつい腹を抑えていた。

昼飯を腹に入れた直後に聞くには、随分とキツい話だった。

自分達はまだ良いが、葵や小蒔が聞いたら具合を悪くしたかもしれない。

コップに残っていた水を京一が一息に飲み干すと、龍麻と醍醐も倣った。

 絵莉の説明が続く。

「そして検死結果を聞いた限りでは、その切断方法は刃物によるものではないそうよ」

「刃物じゃない?」

「そう。熱でもなく、ましてや光源でもない。

強いて言うならば、真空の刃──鎌鼬とでも言うべきものらしいわ」

「鎌鼬って、あの皮膚が急に切れたりするっていう」

 古来より妖怪の一種が引き起こすと言われている、冬の風の強い日に突然皮膚が切れる現象は、

一説には絵莉の言うように空気中に発生した真空層が原因ともいわれているが、

正体は未だはっきり解明されてはいない。

しかしいずれにしても自然現象であるはずで、首を切り落とすほどの、

しかも若い女性ばかりを襲う鎌鼬などあるはずがなかった。

 龍麻がそう言うと、絵莉はその答えを既に掴んでいるようで、思わせぶりに答えた。

「じゃあ、何か人為的な『力』が働いている……としたら?」

 人為的な力について、改めて確認する必要はなかった。

 鬼道衆。

今年の春以後、東京の各処で起きた怪事件のほとんどに関わっていると思われる謎の集団。

もし絵莉の言う通りこの事件が人為的なものだとすると、

東京の壊滅を目論み、暗躍する彼らが引き起こしている可能性は高いといえた。

「鬼道衆……か……だとしたら、絵莉ちゃんひとりじゃ危ねェな。それに」

「ああ、鬼道衆が絡んでいるとしたら、向こうが俺達を放ってはおかないだろうな」

 京一の言葉に醍醐も重々しく頷く。

龍麻も彼らを放っておくつもりなど毛頭なかった。

「天野さんは、どの程度だと思っているんですか? 鬼道衆が関わっている可能性は」

「そうね……色々な情報を繋ぎ合わせてみると、ひとつの結論に辿りつくわ。

意図的に行われている、恐らく儀式のようなもの。

被害者はそのために首を切られ、犠牲になった」

「儀式……ですか」

「あなた達が増上寺の地下で開くのを阻止した門にはダゴンという邪神が封印されていた。

でも、門はひとつだけではなく、封印されているものも一種類だけではない」

「それを鬼道衆が解こうとしている……か。辻褄はあうな」

 重々しく唸った醍醐に、コップの水を飲み干した京一が疑問を投げかけた。

「けどよ、今までその門ってヤツが開いたことなんてあんのかよ」

 案外ビビった奴が勝手に話を大袈裟にしてるだけじゃねェのか──

京一の指摘を、絵莉は冷静に受け流した。

「あるわ。世界各地に点在する門が開いたという記録が、いくつか残っているの。

近い記録では八年前、南米の小さな村が消えた事件があるわ。

当時その事件はいろいろ論議を呼んでね、

抗体の発見されていない新種のウィルスが異常発生して、

村外への流出を恐れた政府が軍を出動させて焼き払った、なんて説も流れたわ」

 それは全くの憶測という訳ではない。

ベトナム戦争ではアメリカ軍が疫病に感染した村をナパーム弾で焼き払った例があり、

その憶測もそういう事実があったからこそ流れたのだろう。

「でも真実は、そこの地下に眠っていた何かが目醒めたのだとしたら。

その何かを再び封印するためだとしたら」

 絵莉の話はほとんど性質の悪いおとぎ話に近いものだった──自分達が関わっていなければ。

しかし増上寺の地下に眠るという邪神ダゴンを復活させようとする異形の怪物、

深きものどもを目の当たりにしてしまった龍麻達は、

残念ながら悪夢よりも胸の悪い現実が存在することを知っていた。

「ま、ラーメンは奢ってもらったし、とりあえず行ってみっか」

 京一の口調は、食後の散歩に誘うかのような気軽なもので、

龍麻と醍醐は顔を見合わせ、小さく肩をすくめるのだった。

 

 全く前を見ずに店を出た京一は、

道の真ん中まで進んだ辺りでいきなり目の前が真っ暗になった。

何者かがぶつかってきたのだ。

油断していたのとぶつかった相手が結構な勢いで走っていたので、

格好悪く弾き飛ばされてしまい、ちょうど京一に続いて店を出てきた龍麻は、

思わぬパスを受けとらされて驚いた。

「っ痛ェ……前見て歩きやがれ!」

 自分のことを棚に上げて京一は怒鳴りつける。

ところがぶつかった相手は京一を全く見ていなかった。

「あッ、緋勇クン達! 助かった……」

 京一がぶつかったのは、奇しくも桜井小蒔だった。

見ればやや遅れて葵も走ってきており、その顔には小蒔と同様、わずかな怯えが浮かんでいる。

あからさまな安堵の表情を浮かべる小蒔に、龍麻に支えられたまま京一が訊ねた。

「なんだ、どうした。まさか……鬼道衆か!?」

「違う、そうじゃない、けど、もっと、性質が悪い、かも」

「なんだそりゃ」

 全速力で走ってきたのか、まだ息を切らせたまま小蒔は手を振って否定する。

首を傾げざるを得ない返事に、龍麻たちは顔を見合わせた。

 すると絵莉が、何かに気づいたのか、額に手をかざして向こうを見やる。

「誰か来るわね」

「うぇ……」

 心底辟易したように呟いて、小蒔はよろよろと歩く。

半人半魚の異形である深きものどもにさえ臆することがなかった彼女が、

一歩でも遠ざかろうとする存在とはどんなやつなのだろうかと、

龍麻はこちらに向かって来る人影を見た。

 満面の笑みを湛えて走ってくる男を視界に捉えた時、

一瞬だけだが問答無用で殴り飛ばしてやろうかと思ってしまったほどだった。

それほど男にはいかがわしさが充満していた。

その印象は男が一歩近づいて来るごとに夕立の前の雲のように立ちこめていき、

遂に自分の前に立った時、霧消するどころか雷を伴った雨となっていた。

「HAHAHAHAッ! 待ってくださ~いッ、Myスウィートハニー!!」

 世界にこれほどうさんくさい言語があっただろうか。

男の口から発せられたイメージ通りの軽薄な言葉は、

日本語と英語、双方に対する侮辱といって良かった。

あまりの怪しさは印象をぐるりと一周してしまい、

京一もすっかり毒気を抜かれてしまったようだ。

「なんだこいつ……お前らの知り合いか?」

「ンな訳ないだろッ! 勝手についてきたんだよッ!」

 口を尖らせる小蒔の態度からも、どれだけ憤慨しているかが解る。

更に小蒔だけでなく、葵までもがほとほと困ったような顔をしていて、

この男がどれほど迷惑か、充分に想像がついた。

「学校に向かって歩いている途中、急にこの人が話しかけてきて……」

「ただのナンパだと思ったから無視してたんだけどさ、葵を見た途端……」

 事情を呑みこんだ龍麻は、葵と小蒔を庇うように立ち、

生きた壁となって男の前に立ちはだかった。

 うさんくさい笑みを浮かべたままの男は、背は龍麻と同じ、

百八十センチを少し超えるくらいか。

しかし胸板が厚いせいか、全体的には一回りほど大きく見える。

更に──認めたくはなかったが、足の長さが決定的に違っていた。

 その点については黙殺して、龍麻は激発しないよう自分に言い聞かせながら視線を上へと移動させる。

Tシャツの、なんとも怪しい太陽のプリントが、小馬鹿にしたようにこちらを見ていた。

「Oh!! ナンデ、ソンナトコニカクレ~ルデスカ」

「緋勇クン、葵を護ってあげてよね」

 自分は醍醐の後ろに半分隠れながら、小蒔がけしかける。

 龍麻が威圧的な視線を男と合わせると、男はいかにも外人らしい、

大げさな仕種で額に手を当てた。

「Oh、NO!! ユー達は誰デースか? どーしてボクとハニーの邪魔するデースか?」

「なにがハニーだ、このクソッたれ!! とっとと去りやがれ、さもねェと」

 余程癇に触っているのか、交渉は京一が自発的に引き受けている。

龍麻が止めなかったのは、ほとんど同じことを言うつもりだったからだ。

そして、京一よりもさらに過激に、いつでも手痛い教訓を与えてやれるよう氣を練りはじめた。

「そんなコワーイ顔しないでくださーいネ。ボクの名前、アラン蔵人いいマース。

聖アナスタシア学園高校の三年生ネ」

 聞いてもいないのに勝手に名乗ったアランという外人は、いかにも不思議そうに龍麻達を見た。

「ユー達はボクのスウィートハートと一体どういう関係デースか?」

 やけに滑らかな発音で怯える葵をスウィートハートなどと呼ぶアランから、

龍麻は敵対的な視線を外さない。

すでに充分な警告はしたとばかりに拳を固め、

一歩でも足を踏みだしたら殴ってやるつもりで待ち構えた。

「俺達は高校の同級生で、その──フレンドだ。

これ以上彼女達につきまとうのは、止めてもらおうか」

 醍醐が警告を発すると、アランは大げさに両手を広げてみせた。

「Oh、JESUS!! ボクはただ、彼女と話がしたかっただけデース。

迷惑かけるつもりなかったーネ」

 敵意が無いことを示したいのだろうが、胸の太陽が腹立たしい形に口を広げた、

としか龍麻達には映らなかった。

「そんなこと言ったって、あんな風に追いかけてきたら誰だって逃げだすよ」

「No、それは誤解デース。レディたち逃げるから、ボク、追いかけた。

見失いたくなかったデース。やっと会えた、ボクの理想のヒト!

お願いデース、名前、教えてくださーいネッ、プリーズ!」

「プリーズをつければ何でも頼めるなんて甘い考えは捨てるんだな」

 ついに龍麻が低い声で告げる。

周りにいた全員が一瞬暑さを忘れたほどそれは冷たく、小蒔などは思わず背筋を伸ばしていた。

「俺達はこれから行くところがある。お前なんかに関わってる時間はないし、

これ以上まだ何か言おうってんなら、痛い目を見ることになるぜ」

 龍麻が鬼道衆に関わる調査を邪魔されて苛立っているのだと醍醐は理解した。

つまり龍麻の怒りは本物であり、アランが引き下がらなかった場合、

良くない事態が起こることになる。

醍醐は彼自身のために、アランが去ってくれることを願った。

「Oh、ユー達どこへ行きますか? ボクも行くネ。そしたら皆ハッピーよ」

 軽率な――少なくとも、この場にいる七人のうち、五人はそう思った――

返答は、雷光の如き拳で報われた。

警戒していた醍醐が止める間もなく、半歩踏みこんだ龍麻が、氣によって身体能力を増幅した一撃を、避けるどころか殴られたことさえ判らないであろう鋭さで、アランの腹を狙ったのだ。

 手かげんはしているだろうが、面倒なことにならねば良いがという醍醐の危惧は外れた。

龍麻のボディーブローに対して、全く無防備に思われたアランは、龍麻の拳を寸前で受け止めてみせたのだ。

「イキナリ何しますかッ!?」

「お前……何者だ?」

 目を瞠ったまま、龍麻はむしろ敵意を増幅させて訊ねる。

 氣をこめたパンチを避けるのではなく受け止めるなど、常人にできるものではない――

氣を使えるのでなければ。

となれば、葵を偶然見かけたなどというのは嘘で、

最初から自分達を狙って接触してきた可能性を龍麻は考えたのだった。

「さっき言いましたネ。ボクはアラン蔵人、メキシコ人のダディと日本人のママのハーフで、

日本と江戸川区にある聖アナスタシア学園高校に通っているよ」

「江戸川区だと……!?」

 龍麻達がこれから向かおうとしているのも江戸川区だ。

ますます怪しいが、本当だとして、自分からわざわざ言うだろうか。

「Yes.江戸川区、ベリーベリー良いところネ。

今、ちょっと良くない事件が起こっているケド」

「あなた……事件のことを知っているの?」

 驚愕の表情で絵莉が進みでた。

「知ってマース。ヒト、たくさん死んでるネ。

あれは悪魔の仕業、行けばミンナの命も危ないデース」

 これまでの軽薄さが仮面であったかのように、アランは真剣な表情だった。

 まだ掴まれたままの龍麻の拳に、潰れそうなほどの力が加わる。

手を通して龍麻に伝わってきたのは、凄まじいまでの怒りだった。

言葉よりも雄弁に、アランが事件に対してどのような立場でいるのか、明確に語っている。

 あえて手を掴ませたまま、龍麻は告げた。

「俺達は、今からその事件の調査に行く」

「おい、緋勇」

 突然の変心に、京一が思わず声を掛ける。

 驚いたのは京一や醍醐だけでなく、アランもだった。

「Really……? なぜデスカ……?」

「その事件を起こしている奴らは、邪悪だからだ。そして、おそらく警察には解決できない」

「Evil……yes、yes!」

 再びアランの手から、強い氣が伝わってくる。

偽りのない、邪悪を憎む氣だった。

「お前、案内できるか? もしかしたら、そいつらと戦うかもしれねえ」

 龍麻がアランの氣を感じ取ったように、アランもまた、龍麻の氣を感じ取ったようだった。

龍麻の手を離したアランは、自分の胸をひとつ叩いて言った。

「わかりマシータ。ユー達やスウィートハートを放ってはおけナイ。

ボクも一緒に行きマース。ボク、強い男。絶対役に立つデース」

「おい、いいのか緋勇。こんな奴連れていって」

 不審を隠そうともせず、アランに聞こえるように言う京一に、龍麻は頷いた。

「少なくとも敵じゃなさそうだ。

それに、『力』が使えるのなら、足手まといにはならないだろう」

「いいけどよ、面倒はお前が見ろよ」

 京一は肩をすくめたものの、龍麻の考えにそれ以上反対はしなかった。

醍醐も同様で、龍麻を見て頷き、アランの同行を承諾した。

「ちょっと待ってよ、ボクにはいまいち話の流れが見えないんだけど」

 絵莉の話を聞いていない小蒔がそう言った時、龍麻の顔に悔恨が掠めたのを葵は見た。

なぜそんな顔をしたのかは、龍麻の説明で推測がついた。

「ああ……最近江戸川で物騒な事件が起こってるらしくてな、

ちょっと調べてみようって話になったんだ」

「今から?」

「まあ……そうだな。でも、桜井は練習があるんだろ?」

「江戸川の事件ってさ、女の人の首なし死体が見つかってるってやつだよね? それも何体も」

「……ああ」

「それなら、ボクも行くよ」

 歯切れの悪い龍麻の意思を貫くような明快さで小蒔は告げた。

彼女の好奇心の強さを知っている龍麻は、観念しつつそれでも翻意させようと最後の努力を試みる。

「前回の増上寺の地下で、気分が悪くなったりしなかったか?」

「別に大丈夫だったよ?」

「そうか……実は美里が少し気分を悪くしてな。

回復はしたんだけど、今回も同じような陰の氣が満ちている可能性があるからな、

二人は今回待機してくれないか」

「イヤ」

「……」

 交渉の余地など矢の先端ほどもない返答に、龍麻は鼻白んだ。

「ボクさ、石にされたことあったじゃない。他の女の人達と一緒に。

あのときから、ボクも困ってる人達を助けてあげたいって決心したんだ。

この『力』に意味があるんなら、そのために使えってことじゃないかって」

「だけど、自分が危機に陥ったら意味がないだろう」

「まだ陥るって決まったわけじゃないでしょ?」

「それはそうだが」

 渋る龍麻の肩を、京一が叩いた。

「ハハッ、諦めろ緋勇。心までオトコになっちまった小蒔には、どんな説得も通用しねェぜ」

「そういうコト。……って、失礼なコト言うな京一ッ! ボクは心も身体も女の子だっての!」

 京一に向かって軽く宙を蹴ってみせた小蒔は、再び龍麻の方に向き直る。

「とにかく、ボクは行くからッ。あ、でも葵は止めたほうがいいかも」

「……いいえ、行くわ」

 小蒔一人を行かせる訳にはいかない以上、葵も同行するしかなかった。

それが、龍麻の思惑通りであったとしても。

「仕方ないな。具合が悪くなったらすぐに言えよ」

「大丈夫だって」

 紆余曲折あったものの、龍麻達は江戸川区に赴くことになった……と言うのは時期尚早だった。

龍麻の一瞬の隙をついて、アランがその体格に似合わない素早さで葵の前に立ったのだ。

「これでボク達はアミーゴネ。マイスウィートハート、名前、教えてクダサーイ!」

「美里……葵……といいます……」

「Cooooolッ!! アオーイ!! 名前までBeautifulネッ!!」

 男達の白けた視線などどこ吹く風で、アランは両手を握り合わせ、肩をくねらせる。

早くも彼を連れて行くことを後悔しはじめた龍麻を、小蒔が横目で見た。

「教えることないのに……葵はお人好しだなぁ」

「だって……なんだか可哀想だもの……」

 一方すっかり上機嫌のアランは、事の成り行きを傍観していた京一と醍醐に向き直る。

「アオーイ。ボク、ちゃんと覚えマシータ。ついでにユー達の名前も教えてくださーいネ」

「俺達はついでか……日本語の勉強が足りんな」

「足りないのは勉強じゃなくて、頭の中身だろ。いいかボケ外人、一度しか言わねェからな。

俺の名は蓬莱寺京一。ほうらいじ、きょういちだ」

 なんだかんだ言っても名前を教えている、ある意味葵以上にお人好しな京一だったが、

彼の好意は全く報われなかった。

「……アホーダ、キョーチ?」

「京一だ、キョ・ウ・イ・チ!! 名前だけ覚えろ!!」

「Oh、キョーチね。アイシー」

「このクソッたれがァッ!!」

「ノー、クソったれ違う。ボク、アランネ」

「ッの野郎……!!」

 駆け出しの漫才コンビのようなやり取りに、怒りで沸騰しかけている京一が、

木刀をアランに突きつけて龍麻に詰め寄った。

「おい緋勇、本当にこんな野郎を連れてくのか?

中途半端に日本語が通じるヤツなんざ、イライラするだけじゃねェか」

「ウン、正直ボクもそう思う……」

 京一とアランの全く噛み合わない会話にうっかり口を挟んでしまった小蒔に、

すかさずアランが身を乗り出した。

「Oh、そういえばユーの名前を聞いてないデース」

「え!? いいよ、ボクは」

「プリーズ!!!!」

「わ、わかったよッ、小蒔だよ、桜井小蒔」

 怒号に近い雄叫びに、小蒔の肩がびくりと震える。

それを見た醍醐の肩まで微かに震え、いよいよ真神最強の三人の噴火の刻が近づいたようだった。

 もちろんそんな事など露知らないアランは、更に絵莉にまで名を訊ねている。

「コマーキ! Cuteな名前ネ。後ろのレディはなんていいマースか?」

「あら、わたしも? わたしは天野絵莉よ」

「エリー。Wonderfulネ」

「女の名前だけはちゃんと覚えやがるんだな」

 皮肉たっぷりの京一の台詞も、アランは全く聞いていなかった。

小蒔や絵莉に対する時とは明らかに異なるおざなりな態度で、龍麻と醍醐にも話しかけてくる。

「あとは……ユーとユーね」

 自分よりも龍麻の暴走を止める為に怒りを抑えなければならない苦労人の元番長は、

アランの質問に答える気があるかどうか、一応現番長を見てみた。

への字に張りついたまま動こうとしない口に、ため息をついて彼の分も自己紹介した。

「俺が醍醐で……こいつが緋勇だ」

「ダイゴに、ヒユー……覚えマシータ」

 全く誠意の感じられないアランの態度に、醍醐は不器用に肩をすくめた。

「だ、そうだ、京一」

「だとよ、良かったな、緋勇」

 京一の嫌味に龍麻は無反応だった。

友人たちが何か良からぬものを感じて、龍麻をこれ以上刺激しないよう目配せしあう。

 だが、アミーゴではあっても友人ではない男は、彼らの目配せになど気づきもしなかった。

「お願いデース、葵をボクにくださーいッ!!」

 口を顔の半分までも開けた笑顔で葵に求婚したアランに、龍麻は再び無反応だった。

娘の彼氏に結婚を切り出された父親でも、ここまでの態度は取らないだろうという、

天変地異を予感させずにおかない、極めて危険な無反応だった。

「Oh、ヒユー、どうしてそんな顔するデースか。もしかしてユーも葵が好きデースか?

でもッ、ユーよりボクの方が葵のコトもっと好きデース。メニーメニー、愛してマース!」

 風船は割れた。

ただし、音を立てずに。

騒ぎたてるアランに気を取られ、

龍麻の一番近くにいた京一でさえもいつ動いたか判らぬほどの疾さで、

龍麻の右拳はアランの顎の五ミリ下に添えられていた。

今度はアランも反応できず、わずかに顔を上向かせたまま、眼球だけを下げて龍麻を見た。

「いい加減にしろ」

 直前まで騒がしかった雑音の、一切が消え失せた中に、龍麻の声が低く響く。

「俺達はお前にナンパをさせるために一緒に行くわけじゃねえし、見ての通りお前の強さが必要でもねえ。

これ以上美里と桜井にまとわりつこうっていうなら、

その顎を喋れないくらい粉々に砕いたっていいんだぜ」

 不良高校生程度なら震えあがるほどの恫喝だった。

さすがのラテン系アメリカ人もこれは効いたらしく、両手を上げて降参のジェスチャーを示した。

「OK、でもわかって欲しいネ。ボクは世界一葵を愛してマース。

ボクといれば、葵も絶対Happyネ!!」

 全く悪びれるところのないアランに、小蒔がこめかみを押さえた。

「なんか、京一が二人いるみたいで頭痛くなってきた」

「こんなクソ外人と一緒にすんなッ!」

 しみじみと言う小蒔に、京一が激昂する。

いくらなんでもこんなのと一緒にされては沽券に関わるというものだった。

「さァ、葵、ボクと一緒にスウィートホームへレッツゴー!!」

 どこまでもふざけているようにしか見えないアランに、龍麻が深く息を吐きだす。

再び深刻な危険を感知した醍醐は、番長という肩書に似合わず、喧嘩を回避するために尽力した。

「こんなところで油を売っている暇はない。とにかく、江戸川区に行こう」

「全くだ。絵莉ちゃんも急ぐんだろ?」

「あッ、えぇ、そうね、そうだったわ」

 急に水を向けられ、絵莉は慌てふためく。

龍麻達よりも十年近く人生経験を積んでいる彼女だったが、

これほど情熱的に──あるいは強引に──アプローチをかけてくる男は初めて見たのだ。

こんなやり方で女が口説ける訳がないと思うのだが、

もしかしたらメキシコの女というのはこういう口説かれ方が好みなのだろうか、

などと彼らが言い争っている間、実にどうでも良いことを考えていたのだ。

これから大事な、大袈裟でなく東京壊滅の危機を防ぐ為に彼らと江戸川区に向かわなければ

ならないのに、とんだ無駄な時間を浪費してしまっていた。

 自分達がすることの意義が軽くなってしまったと思うと同時に、

無用な緊張感を持たない若者達なら上手くやれるかもしれないと羨ましくも思う絵莉だった。

 

 江戸川区に着いた一同は、絵莉が調べた、女性が殺された地点へと向かっていた。

十件近く発生している事件は江戸川区の中でも特定の地域に集中しており、

そこから調べれば何かの手がかりが掴めるだろうと思われたのだ。

絵莉がその場所を告げると、地元であるアランはそこを知っており、

彼に案内される形で龍麻達は歩いていた。

「江戸川区か……実は来るの初めてなんだよな」

「キョーチ、それはもったいナーイネ。植物園にはホタルもいる。

それに、ゼンヨージのヨーゴーの松も有名ネ。

今は枯れかかってしまってるケド、いつか葵にも見せてあげたいネ」

 案内と言いつつ二言めには葵の名を出すアランに、

彼女のボディーガードを自任する小蒔もつき合いきれなくなっており、

いちいち反応するのは止めていた。

ただし身体的な接触を断固として拒むという方針は頑として譲らず、

ある種の軟体動物のように変幻自在の動きで葵に触れようとするアランの手を、

時にはつねり、時にははたき落とし、モグラ叩きさながらに妨害していた。

 二人の闘いを失笑をこらえて見ていた絵莉が、地元民でも知らないような知識を持つアランを、一応褒める。

「善養寺の影向の松を知っているなんて凄いわね」

「HAHAHAHA]

「でも、枯れかかっているなんて」

「そうデス、エリー、悲しいデース」

 アランは既に絵莉も馴れ馴れしく名で呼んでいて、京一がこめかみをひくつかせている。

手を出した龍麻と比べれば理性的とさえいえるが、

醍醐としては一応京一が爆発したら止めねばならず、

一方で小蒔と戯れているアランにも好意的にはなれず、自然と渋面になってしまうのだった。

 その、アランの文字通りの魔の手から葵を護るために奮闘していた小蒔は、

このままでは埒が明かないと考え、作戦を変える。

「もうッ、いきなり触ろうとしたって日本の女の子は絶対嫌がるんだよッ。

ハーフっていうけどさ、日本のこと全然知らないんじゃない? ずっとメキシコにいたの?」

「Yes、三年前、ハイスクール行くため、ボク、ニホン来たデース。

パパとママ、いなくなってしまったから、今は伯父サンと伯母サンと一緒に住んでマース」

 いなくなる──それが失踪なのか、それとも事故などで亡くなってしまったのかは判らなかったが、

そこだけアランの口調はいやに乾いていた。

それがかえって彼の想いを強調することになり、小蒔はやや粛然と呟いた。

「そっか……ごめんね、余計なコト聞いて」

「No、No! 伯父サン伯母サン、とてもイイヒト。ボク今、とてもHappyネ。

だからボク、伯父サンと伯母サンまでなくしたらとても悲しい。傷つけるヤツ、許さない」

 おおげさに手を振ったアランの声には、途中から微量の、

しかしひどく真摯な成分が混じっていた。

一同はそれぞれ彼の心情を感じ取ったが、いかんせん、それまでの印象が悪すぎる。

雪山で熱い風呂に入ったような、相反する感情をまとめきれないまま、

なんとなく黙ってしまった。

 最後は唸るように決意を語っていたアランが不意に立ち止まる。

背筋を伸ばして辺りを見渡し、何かの気配を探っているようだった。

「風が──」

「なんだ?」

「風が、止みマシタ……」

 今は全く風など吹いていなかった。

あまりにも意味不明なアランの言葉を、京一が詳しく訊ねようとすると、

それを遮るように大きな音が聞こえてきた。

何かが衝突したような音は、どうやら事故が起こったようだった。

事故ならば自分達に出来ることはない──

そのはずだが、険しい顔で音のした方向を見つめていたアランが急に駆けだした。

「Shit!」

「おい待て、アラン! ちッ、しょうがねェ、追うぞ」

 半ば厄介者とも言えるアランがいなくなったのは、むしろ好都合と言って良かった。

にも関わらず、京一は彼を追いかけ、龍麻達も後に続いた。

アランは今回の事件について何か知っている──という疑念もあるにはあったが、それよりも、

言葉にできない何か、彼ら自身ですら気づいていない何かが彼の後を追わせたのだった。

 その何かは、龍麻を更に一人の男と引き会わせる。

「如月!」

「あァ、君達か」

 アランを追って角を曲がった龍麻達の前にいたのは、

一月ほど前に仲間となった、如月翡翠だった。

 北区にある王蘭学院高校の三年生である如月は、龍麻達と同じく夏休みであるから当然私服だ。

しかし忍びの一族だからなのか、それとも彼の趣味によるものなのか、

半袖ではあるものの黒を基調とした服装はこの真夏においてはなんとも浮いており、

龍麻は一瞬そのことに触れて良いものか迷った。

 賢明にも沈黙を選んだ龍麻が歩み寄ると、如月は一行を見渡し、

特に絵莉がいる事に興味を抱いたようだった。

「どうやら、江戸川区に遊びに来た訳じゃないみたいだね」

 如月は以前、港区のプールで人が浚われる事件を解決しようと動いていた時、

一人でプールを調査していた絵莉に出会い、深入りしないよう忠告したことがある。

ルポライターだという彼女は名刺を渡しつつおとなしく引き下がったが、

その時に質問された内容は素人とは思えないほど踏みこんだものであり、

如月は驚くと共に危惧を覚えずにはいられなかったのだ。

その彼女が、『力』──彼らはそう呼んでいるらしい──

を持つ龍麻達と江戸川区に来ていると言うことは、恐らく目的は同じなのだろう。

そう如月は考え、龍麻の返事でそれが間違っていないことを確かめた。

「如月も……か?」

「いや……まだ今日は調査に留めるつもりだったんだが──君達は何か掴んでいるのか」

「ああ……江戸川にも『門』があるらしい」

 ごく簡単な説明だったが、如月には充分に意味が伝わった。

 邪神を封印した門。

それを解き放とうとする者がいるならば、

江戸の守護を徳川より命じられた飛水の末裔として、見過ごせるはずがなかった。

 一月半ほど前に港区にある増上寺の真下にある『門』の解放と、

そこに封印されているものを復活を阻止する為に如月は一人闘おうとし、

そこで龍麻に出会ったのだ。

確かに常人とは異なる『力』を有してはいるようだが、

自分から見れば素人に毛が生えた程度でしかない彼らが人ならざる深きものども、

そして邪神ダゴンと闘うなどと粋がり、如月は初め呆れて物も言えなかった。

 忍びの定めとして、他者は巻き込まない──

 そう己に課し、極力他人との接触を避けていた如月は、

もちろん彼らの幼稚な正義感などに耳は貸さず、再三帰るように促した。

しかし彼らは頑なに引き下がろうとせず、挙句敵の本拠地に勝手に乗りこもうとまでした為、

結局共闘せざるを得なくなってしまったのだ。

結果的には彼らは助けになった──事実を歪曲するほど如月は愚かではない。

確かに『力』は未だ未熟ではあるものの、それを補う連携が彼らにはある。

それどころか龍麻と轡を並べて闘うのは奇妙に自然なことだ、とすら思え、

だから闘いの後、自分でも思ってもいなかった彼への助力を申し出たのだ。

 港区の事件を解決した後、江戸川区にも『門』があるという情報を掴んだ如月は、

今日もその調査の為にここまで出向いており、

いずれ龍麻達に助力を頼もうかとも考えていたのだが、

ここで彼らと出会ったことは天佑と思えたのだった。

「そうか……ならば、僕も一緒に行こう」

 忍びの技を受け継いだ卓越した体術と、飛水の血筋が為す水を操る力を持つ如月は、

龍麻達にとって大いなる助けとなる。

もちろん否やのあろうはずがなかった。

「助かるよ。お前がいてくれれば心強い」

 如月を加えた一行は、彼に簡単に事情を説明してアランが走っていった、

大きな音のした方へと向かったのだった。

 更にもう一度角を曲がると、大きく道が開ける。

江戸川区と千葉県を分かつ江戸川と、その二者を繋ぐ江戸川大橋が目の前にあった。

 辺りを見渡していた小蒔が声をあげる。

「あッ! あそこ……煙が上がってるよ」

 彼女が指差した先で、一台の自動車が壁にぶつかっていた。

周辺には既に野次馬が群がっており、クラクションの音と興奮した声が狂騒している。

「さっき聞こえたのはこの音だったのか」

 人壁をかき分けて行く気にもなれず、遠くから眺めるに留めて醍醐が頭を振った。

まだ運転者が亡くなったかどうかはわからないが、

車のひしゃげ具合からするとあまり良くない結果しか想像できなかった。

 同様に重い顔をしていた龍麻達は、やがて絵莉がじっと橋の方を見ているのに気づいた。

 物問いたげな視線を受けた絵莉は、形の良い眉をわずかにひそめて説明する。

「この橋……確かこの辺りは、交通事故が多くて有名な場所よ。

専門家の話によると、強力な磁場が発生しているとか」

「磁場ぁ? 磁場ってSとかNとかあの磁場かよ」

「そう、磁力の作用する場所のことなんだけど、

磁場には惹きつけるものがあるって言われていてね」

「なんだよそりゃ。鉄じゃねェのかよ」

 磁力に関しての知識など小学校の理科で止まっている京一の口調は、既にして投げやりなものだ。

しかし絵莉の答えは、学校の知識や学問からは程遠いものだった。

「霊……よ。この辺りでは良く目撃されているらしいわね」

「れッ、霊!? そんな場所があったんですか?」

 思ってもいなかった所から弱点を突かれて醍醐は思わず声を裏返らせていた。

これで、江戸川大橋は決して近寄らない場所のひとつに加わった。

知らなくて良い知識を得てしまった巨漢は、うそ寒そうに首をすくめた。

 だが、今はそのようなことを気にしている場合ではない。

まずは一人で走って行ったアランを探さなければならなかった。

 事故現場は後回しにして、橋を渡り始める。

するとすぐに龍麻達の前方、橋の中ほどに倒れている人影が見えた。

「ねぇ、あれ……誰か倒れて……アランクンじゃない?」

 小蒔の言うとおり、倒れているのは間違いなくアランだった。

幸か不幸か、人々の関心は事故の方に向けられていて、彼に構う者はいない。

とにかく助けようと彼の元に向かおうとする龍麻の肩を、京一が強く掴んだ。

「おい、見ろ! 誰か橋から飛び降りたぞッ!」

 かなり強引に振り向かされた龍麻が見たのは、

数メートルはあろうかという橋を飛び降り、着地した直後の人影だった。

危なげなく地面に降り立ったその人影は、すぐに藪の中に紛れて見えなくなってしまう。

しかし龍麻は、時代錯誤な忍者装束を纏った姿をしっかりと見ていた。

視線を戻した龍麻は、険しい顔をしている如月に話しかける。

「如月も見えたか」

「ああ……一瞬だけだったが、間違いない」

 龍麻と如月が共に闘うきっかけとなった、港区のプールで人が浚われた事件。

人を化け物に変え、邪神の封印された『門』を解き放とうとした鬼道衆の一員を名乗った水角と、

今龍麻が見た人物は同じ服装をしていた。

服装だけで決めるのは早計と言っても、

現代の東京に趣味で忍者装束を着ている人間があちらこちらにいるとも思えない。

やはり絵莉の言うとおり、江戸川区で起きている猟奇殺人事件は彼らが起こしている可能性が極めて高いといえた。

「よし、京一と醍醐、それに如月はあいつを追ってくれ。

美里と桜井、それに天野さんは俺と一緒にアランを」

 素早く指示を出した龍麻に、皆頷く。

迷っている暇はなかったし、この場ではそれが最も適切な指示であることは確かだった。

「よし、後でな」

 早くも木刀を袋から抜いた京一が走りだし、やや遅れて醍醐もついていく。

そして如月は地面を滑るように走り、先頭に立って鬼道衆を追って行った。

 怪しい人影を京一達に任せ、龍麻達もアランの許に急ぐ。

「アランくん、しっかりして」

「Oh……、アオーイ……心配してくれて、ありがーとネ」

 上半身を起こしたアランはさかんに頭を振っているものの、

どこか怪我をした訳ではないようだった。

葵は心配そうにアランを見やったが、こんな場所で『力』を使って彼を癒す訳にはいかず、

助け起こしてやるしかできない。

それでも葵の顔を見て安心したのか、アランは龍麻に自嘲気味に笑ってみせた。

「Sorryヒユー、ボク、少し油断したネ。ヘンな仮面を被った男……

あの男が、車に乗ってたレディの……首を……」

 アランが目撃したことを語ると、龍麻達は等しく息を呑んだ。

あらかじめ絵莉に聞かされていたとはいえ、

首を斬り落として持っていく光景を想像させられるなど、

普通の高校生には耐えがたいものだった。

「やっぱり……ただの猟奇殺人ではなかったようね。緋勇君」

「そうですね……京一達と合流しましょう。おい、立てるか、アラン」

「OK、もうだいじょうぶデース」

 立ちあがったアランに、もう一度怪我がないことを確かめた龍麻達は、

京一達と合流すべく河川敷に向かったのだった。

 

 どうやら野次馬達も運転していた女性の頭部が無いことに気づいたらしく、

けたたましい悲鳴が爆発的に広がっている。

それを避けるように移動した龍麻達は、五百メートルほど離れたところで京一達と合流した。

「京一」

「お、来たか。奴ならそこの穴から逃げていきやがったぜ」

 京一は木刀で地面を示す。

そこには直径一メートルほどの穴が開いていた。

穴は自然にできたのではないことを示すように、ゆるやかな傾斜を描いて奥へと続いている。

場所は違えど一ヶ月前に青山霊園の墓石の中にあった、

増上寺の地下へと続く秘密通路と酷似していた。

「鬼道衆……か」

「間違いねェな。どうもこっちを誘ってるみてェだった。罠かもしれねェが……どうする」

 訊かれた龍麻は仲間達の顔を見回した。

様子を見ようと言う者は誰もいなかった。

「行こう。京一と醍醐は先頭で。俺は殿を。アランは俺と一緒だ。いいな」

 素早く打ちあわせた龍麻達は、一人ずつ穴に入っていった。

 

 地下は予想外に広く、三人ほどが並んで歩ける程度の幅があった。

もちろん舗装などはしてある訳もないが、地面はほどほどにならしてあり、

歩きにくさは感じない。

道はどうやらなだらかに下っているようで、徐々に空気が冷たくなっていった。

夏場の今は涼しくて気持ち良いくらいだが、

向かう先のことを考えれば気を緩めることなどできなかった。

 それでも、全く黙って歩くのも味気なく、小声で会話が始まる。

口火を切ったのは、やはり一同の中でも最も元気な小蒔だった。

傍らにいる醍醐を見上げ、さすがにいつもの陽気さは潜めて話しかける。

「あの時と一緒だね」

「ああ……そうだな。とすると、鬼道衆の狙いはやはり」

 『門』を開き、東京の壊滅を謀る──そのようなことは、絶対にさせるわけにいかなかった。

 頷いた小蒔は、今度は絵莉に訊ねた。

「ボク達今、どの辺にいるのかな」

「そうね、感じとしては江戸川に沿って進んでいるみたいだけれど。

でも、『門』の真上には封印するための何かがあるはずよ。

港区の地下にあった『門』を封じていた増上寺のようにね。

──そういえば、『門』に関して、というかクトゥルフに関してなんだけど、

新しい情報があるの」

 言葉を切った絵莉は、数秒無言になる。

頭の中で情報を整理しているようだった。

「あるオカルト神話に造詣が深い先生の話なんだけど、古代中国の文献の中に、

鬼歹老海クイタイラオハイという表記があるの。

直訳すると『古代の邪悪な海の悪魔』って意味なんだけど、

これがクトゥルフ、またはその眷属を表しているんじゃないか。そう先生は仰っていたわ」

 絵莉の情報はどちらかといえば不急のものだったが、

古代から邪神と人間との間に関わりがあったというのはやはり驚きだった。

「そういえば、水角とかいう奴はどうでもいいと言っていたが、

水岐は『海の底に眠る神』と言っていたな」

 醍醐の言葉に、アランと絵莉を除いた一同は増上寺の地下でのことを思い出していた。

 水岐涼──人の世に絶望した、繊細すぎた詩人。

鬼道衆にそそのかされ、邪神を復活させて世界を海の底に沈めようとした彼は、

最後はおぞましい深きものに変化させられるという哀れな最期を遂げていた。

その彼が復活させようとした邪神は、水の精クトゥルフの配下であり、

同じく海を棲家とするダゴンである──とは、

この手のことに関して計り知れない知識を有している裏密ミサの説明だった。

「そう、海の悪魔と海の邪神、これらは単なる偶然の一致ではないと思うの。

その証拠のひとつとしては、中国でも数多くの『門』が発見されているわ。

更にその先生は、『鬼』という文字の起源は、丸い頭部と、そこから伸びる長い触腕……

クトゥルフそのものを表すものじゃないか、とも仰っていたわ」

「クトゥルフが、鬼?」

 クトゥルフとやらを見たことが幸いにしてない龍麻は、逆に鬼の漢字を思い浮かべ、

そこから化け物を結びつけようとしてみるが、どうにも上手くいかなかった。

節分などで出てくるいわゆる普通の鬼の方がよほど簡単に想像できる。

出っ張りは角で、ムの部分は金棒を持っている腕で。

しかし絵莉は、どうやらその先生とやらの主張を信じているようだった。

「世界各地に溢れていたクトゥルフの邪神達が、

この日本で鬼として人々から恐れられていたとしても不思議は無いわ……そう思わない?」

 かなり強引なようにも見える論理の展開も、絵莉が語るとなんとなく信じこまされてしまう。

それにクトゥルフが鬼かどうかはともかく、彼らが実在しているのは確かなのだった。

「鬼道衆はそれを知って復活させようと……?」

「鬼道衆の狙いが、この東京の転覆ならね」

 そう絵莉が話を締めくくると、それまで一言も口を挟まなかったアランが感動したように言った。

「ボクには話難しくて良くわからないケド、ミンナ……とても勇気あるネ。

もしもあの時、ボクにもう少し勇気があれば」

 思わせぶりなことを言うアランに、龍麻達の視線が集中する。

見られていることに気づいたアランはあからさまに視線を避け、先に進んだ。

「みんな、急ぐねッ。嫌な風の臭いがしマース」

 彼の言葉に誘われるように鼻を動かした醍醐は、

感じ取れる臭いなどないことを確かめてから龍麻に囁いた。

「また、風か──緋勇、どう思う」

「別に臭いなんてしないが、急いだ方がいいのは確かだ」

「……そうだな、今は鬼道衆を斃す事が先決だ」

 醍醐はむやみに人を疑う性ではないが、アランという男はあまりにもとらえどころがなく、

また、仲間を想うがゆえにどうしても警戒してしまうのだ。

一方で、春に醍醐から番長の座を奪い取った龍麻に対しては、

新たな仲間を次々と作っていく度量の広さを認めている。

もしアランが龍麻を裏切るようなことがあれば、龍麻は決して容赦しないだろう。

龍麻は『力』が関わる事件において、仲間が傷つくことをひどく恐れている。

そしてそれは醍醐にも受け入れやすい心情であり、龍麻を信頼する理由でもあった。

 頭をひとつ振った醍醐は、ひとまずアランへの疑念を忘れることにした。

 

 おおよそ一時間ほども歩いた頃、洞窟は少しずつ幅を広げ、

巨大な空間が前方にあることを知らせた。

 先頭を歩いていた京一が、後ろを向いて報告する。

「どうやら、終点らしいぜ」

「この氣……間違いないな」

 醍醐の言う通り、広間には目視できそうなほど禍々しい陰氣が充満していた。

龍麻達は胸が悪くなるのを感じ、特に葵は今にも倒れそうなほど顔が蒼ざめている。

「大丈夫……じゃなさそうだな。待ってろ、氣を注いでやる」

「平気……だから」

 身体に溜まった陰の氣を、陽の氣で中和する。

龍麻の説明によるとそういうことらしいが、確かに効果はあるその治療には副作用があり、

身体が火照ってしまうのだ。

こんな場所で劣情を催したくなどないと我慢しようとする葵に、

龍麻は有無を言わさず彼女の背中に手を添え、氣を注いだ。

「……」

 呼吸を繰り返すうち、不快感が消えていく。

同時に、涼しいくらいだったのに、ほんのりと身体が温かくなりはじめた。

警戒心を募らせる葵だったが、冬に厚着を着こんだという以上にはならず、

どこか拍子抜けした感さえ抱く葵だった。

「まだ辛いのか?」

「う、ううん、だいぶ楽になったわ、ありがとう」

 怪訝そうな顔を誤解したらしい龍麻の気づかいに、慌てて彼から離れる。

離れ方が性急だったので、親切に対して失礼かとも思ったが、龍麻が気にした様子はなかった。

 治療を興味深そうに見ていた京一が、龍麻に話しかける。

「中々便利そうじゃねェか。ソイツは俺にもできんのか?」

「陰と陽の氣を厳密に操れるようになるには、練習が要るな」

「面倒くせェのはお断りだな。絵莉ちゃんを治療してやろうと思ったのによ」

「ふふッ、気持ちはありがたいけど、私は大丈夫よ」

 京一の邪念をあっさりとかわした絵莉は、先頭にいる小蒔に近づいた。

「どう、桜井さん、何か見える?」

 返事がないのを不審に思った絵莉は、小蒔の眼が見ている方向に視線を合わせ、

そして同様に言葉を失った。

「あれは……『門』……!」

 呻く絵莉の許に、龍麻達も集まる。

事前の小蒔と絵莉の驚きは、龍麻達の驚きをいささかも減らすことはなかった。

 禍々しい門が、威容を誇っていた。

何を隔て、あるいは通そうというのか、十メートル以上もある門が、岸壁に彫られている。

ということは実際に開閉するのではなく、象徴的な意味があるのだろうか。

ここからでははっきりと見えないが、門にはびっしりと文様が刻まれていて、

巨大な門を禍々しく仕立てあげていた。

 上から視線を落としていった龍麻は、一番下にあるものを見ても、

始めは見過ごしてしまっていた。

あまりに凄絶な光景はかえって非現実感を生みだ出すものらしく、

龍麻がそれに気づいたのは、葵の悲鳴によってだった。

「嫌ぁっ!!」

 人の生首が、地面に置かれていた。

地面に描かれた何かの紋様と共に規則性を持って配置されているそれは、

一様に恐怖を張りつかせたまま龍麻達を見ていた。

 さりげなく葵の前に立って不快なものをこれ以上見せないようにしながら、

龍麻は軽く目を細めて陰惨な光景を観察した。

 女性のものばかり、片手では到底足りない数の頭部が薄気味の悪い正確さで置かれている。

目を細め、最低限しか見ないようにしていても、

生首から放たれる妖気は吐き気を催させるほど身体を蝕んだ。

 逃げ出したい衝動を必死に堪える龍麻の耳に、冷静な絵莉の声が響く。

「外法とかやまつるに、かかる生首の入ることにて

──南北朝時代の『増鏡ますかがみ』という書物に記された外法の一部よ。

外法を行うには、生首が必要だと言われているわ」

「増鏡って……そんな内容だったんですか」

 古典や日本史で覚えさせられた書物が、そんな内容であったことに龍麻は驚いた。

だが驚き、とにかく何かを話したことで、恐怖は薄れていく。

それでも目を離した瞬間に生首が襲いかかってくるのではという悪寒は消せず、

見たくないものを見なければならないという二律背反にいつまでもつきまとわれなければならないのだった。

「もちろん増鏡は歴史書だから、そんな記述はごくわずかよ。

それに増鏡には古本系と呼ばれるものと、

それをもとに追加の記述をされたと考えられている増補本系というのがあってね、

生首が、って話が出てくるのは増補本系の方だけなのよ」

 せっかくの絵莉の講義だったが、半分も頭の中に入っていかなかった。

それどころか今後増鏡と言う名前を聞くとこの光景を思い浮かべてしまいそうで、

あまりありがたくない解説とすら言えるのだった。

 京一に醍醐、そして如月も一様に顔をしかめながら辺りを見渡している。

これらの生首は何かの邪悪な儀式──絵莉の言う外法の為に置かれているのは明白で、

となればそれを執り行う人間がいるはずだった。

 油断無く気配を探る龍麻達の前方、そして上方から、年老いた声が響く。

「ようこそ、常世の縁へ」

 龍麻達は一斉に声のした方を向いた。

 門の屋根の上に、先ほど江戸川大橋から飛び降り、ここへ続く穴へと消えた人物がいた。

港区で斃した水角と名乗った女性と同様に面を被り、服装も同じ忍者装束であるが、

こちらは彼女の着ていた濃色ではなく鶯色であり、体格も男性のそれであった。

 屋根から飛び降り、恐れる様子もなく龍麻達の前まで来た男は、恭しく名乗った。

「鬼道五人衆がひとり、我が名は風角」

 やはり、この男も鬼道衆の一員であり、

幾人もの女性が殺された事件も彼らが引き起こしたものだったのだ。

九割の確信が十割に変わり、一同は風角を睨みつける。

「てめェ──罪も無い人間を大勢殺しやがって」

「くくく……青い事をぬかしよるわ。我らは鬼道を使い、外道に堕ちし者。

幕末の世より甦り、この地を闇に誘わんとする者ぞ」

 京一の憤怒を笑殺した風角は、自分が設置した生首を見やり、再び口を開いた。

「餓鬼共……お前らは人の首が持つ意味を知っておるか。

教えてやろう、人間がものを視るのは何処だ。

人間がものを考えるのは何処だ。人間が痛みを感じるのは何処だ。

頭部には、全てが集まっておるではないか」

 風角が吐き出しているのは、呪詛だった。

言葉そのものに途方もない毒素が含まれているのに加え、

込められた悪意がそれと化学反応を起こし、触れる者から生気を奪っていく。

 歯を食いしばって耐える龍麻達を、風角の呪言が更に弄った。

「鋭利な大気の刃に切断された頭は、肉塊と化した己が身体を見る。

最後の最後の瞬間まで、じわじわとこみ上げる苦痛と死への恐怖に苛まれ続けるのよ。

そうして最後に残るのは切り落とされた頭一杯に詰まった恐怖と雪辱、生への執着、

そして──狂わんばかりに助けを求める懇願の呼び声。

それが『門』の封印を破り、常世から混沌を呼ぶ声となるのだ」

「てめェ、思い通りにさせるかよッ」

 哄笑で締めくくった風角を、木刀が薙ぎ払う。

京一の意思そのものを具現化したように、薄い氣の刃が毒に満たされた空間を斬った。

やや距離があった為に風角はこれを容易に躱したが、

空気すら断つが如き斬撃は龍麻達を呪縛から解き放つ効果があった。

邪神の復活を止めるべく氣を練り、それぞれに構え、風角に対峙せんとする。

 その時龍麻の頬を、奇妙な風が撫でた。

どこかから吹いてくる風ではない、まるで自分の立っているこの場から起こったような風だった。

生温く、熱く、そして冷たい。

いくつもの性質を同時に備えた、地球上のあらゆる種類の風とは異なる、異界の邪風だった。

「何……この風」

「遅かったようだな。見るがよい、常世から甦りし、荒ぶる神の姿をッ!!」

 目の前に現れた光景を、龍麻達は信じられなかった。

 巨大な異形が、忽然と宙に浮かんでいた。

厭らしいぬめりで全身をてらてらと光らせているそれは、

全体としては腸を連想させる姿をしていた。

しかしその表面には狂気にも近い嫌悪を催させる瘤こぶのようなものがついており、

無節操に生えている二つの口からはだらりと舌が垂れ下がっている。

瘤は時折脈動を行い、この怪物の持つ印象を一層穢らわしいものにしていた。

「コノ風……コノ臭い……やっと、見つけタ……盲目者」

 小声でのアランの呟きは、邪風にかき消されて誰にも聞こえなかった。

 いかなる禍々しい力なのか、異形の神は切れかけの電灯のように明滅を繰り返している。

「我ヲ呼ブハ、誰ゾ。我ガ目醒メルニハマダ星辰ノ位置ガ悪カロウ。

……ソモ、此度ノ眠リハナント短キカナ。

あすてかノ王ニ弑サレテヨリ千六百余年、

最後ニ贄ヲ食ロウテカラマダ八年トタタヌ。此度ノ贄ハ如何ナル味ゾ」

 アランが盲目者と呼ぶ異形の神は、風が音を成し、声になったような喋り方をした。

耳のすぐそばで喋っているようでもあり、遥か遠くから聞こえるようにも感じる。

それも一瞬ごとに強弱を変える風のせいで、きわめて聞き取りにくいのだ。

それでも、断片的にしか捉えられない邪神の言葉は、その端々だけで絵莉に驚愕をもたらした。

「八年……ですって!? まさか」

 その数字に絵莉は心当たりがあった。

昼に龍麻達に話した、メキシコで村が消失した事件。

あれが起こったのが、まさしく八年前だったのだ。

 彼女の疑問に、アランが答える。

全身でなお足らない怒りを漲らせて。

「八年前……アイツはボクの村に現れた。古いイセキで発掘された祭壇カラ……出てキタ。

ボクから大切なモノを全て奪ったヤツ。ボクを愛してくれたパパ、ママ。

村のトモダチ、生命がたくさんの森、キレイな滝……ミンナ、アイツが奪っていった」

 アランの声もまた風にかき消され、全ては聞き取れない。

しかし言っていることよりも彼の全身が、その内容を雄弁に伝えていた。

拳を握り閉め仁王のように肩をいからせるアランが奥歯を噛み鳴らす音が、

この場に発生しているあらゆる音を凌駕して龍麻達の耳に響く。

「アイツが……アイツがァァッ!!」

 アランが咆哮する。

元より筋肉のあった彼の身体が、一回りほど膨れ上がったように見えたのは、

彼の身体から立ち上る青い氣によるものだった。

仄かな青い光はゆらめきながら明度を増し、彼を覆い尽くす。

輝きが閃光となり、そして消えた時、アランの手には一丁の銃が握られていた。

「アラン──お前、その銃」

 彼の氣が具現化したような、青い銃。

銃身だけでなくグリップまでも染め抜く青は、見る者に神聖な色彩という印象を与える蒼だった。

これも、『力』なのか──

思わせぶりだった彼の秘密を知った龍麻に、アランは語る。

「コレは、風の『力』が宿った霊銃ネ。

この霊銃が、ボクをこの東京に導いてくれた──アイツを斃せと」

 そこには初めて会った時の軽薄さは微塵もなく、復讐に己を燃やす一人の修羅がいた。

 六発の薬莢を手にしたアランは、ひとつずつ強く握りしめてから銃に装填していく。

 氣を弾丸とする、人ならざる存在を撃つ銃だった。

「俺は許さない……貴様を」

「贄ヲ──贄ヲクレ──」

「貴様は、俺が──殺す」

 アランが放った銃声が、闘いの合図だった。

風角の合図により彼と同じ服装をした手下が幾人か現れ、包囲の環をせばめてくる。

 殺人集団と人知を超えた化物を双眸に捉えながら、京一に臆する色は欠片もない。

木刀を構えた彼は仲間たちの方を向き、不敵に笑った。

「ありゃ素手はヤバそうだな。緋勇と醍醐と美里は忍者共を相手しろ。

如月と小蒔は俺とヤツをやるぞ」

「おうッ」

 散開した龍麻達は、それぞれの敵と対峙した。

 充分に練った氣を、一気に開放する。

基底ムーラダーラから頭頂サハスラーラまで、開いたチャクラが身体に有り余るほどに氣を増幅させ、

細胞を燃やしつくさんばかりの勢いで活性化させた。

 龍麻と醍醐に対し、鬼道衆の忍者達は扇形に陣形を構えている。

その中央に、一瞬の停滞もなく龍麻は突っこんだ。

 自殺行為にしか見えない突撃は、速度において尋常でなく、

歴史の陰で人を殺める技術を磨いてきた忍者が、

一介の高校生にたった一撃でなすすべもなく倒される。

龍麻の強さを悟った忍者達は、それでも怯むことなく一斉に襲いかかってきた。

 四方に加えて上方からも斬撃が迫る。

腕、下半身、胴体、そして頭。

あらゆる角度からの攻撃をまともに受けたら、龍麻は悲鳴すら上げる暇もなく全身をバラバラにされていただろう。

 だが龍麻は、統制された隙のない攻撃を待ち受けずに跳躍すると、

落下してくる忍者をすれ違いざまに叩き落とした。

「ぐェッ……!」

 四方のどこかに逃げることは予測していても、上方に避けるとは思っていなかった忍者は、

加速をつけて地面に叩きつけられる。

頭から落ちたとはいえ、それだけでは致命傷にはならなかったが、

彼の周りには同士達が殺到していた。

「……!!」

 振り抜かれた四本の刃が、不幸な忍者を切り刻む。

 寸毫のためらいも抱かずに罪のない人々を殺せる彼らも、無様な同士討ちには狼狽し、

慌てて仲間だったものから刀を抜き、復讐に燃えて龍麻を探した。

 この時、龍麻はすでに空中にはなく、輪になっている忍者達の外側に着地している。

彼らが刀を構えて振り向くと、充分に練った氣を拳に撓め、無防備な腹部に撃ちこんだ。

「がはァッ……!!」

 単なる打撃ではない、氣による一撃に、鬼道衆の男は雷撃を浴びたように痙攣し、昏倒した。

 二人までも仲間を喪い、忍者達はいよいよ猛っていた。

刀を振りかぶり、龍麻に向かって振りおろす。

必殺の間合いであり、忍者達は今度こそ龍麻の両断を確信した。

 彼らの未来は、だが、ねじ曲げられる。

刀が龍麻を捉えようとした瞬間、突然横から強烈な力が加えられ、

何が起こったのかも判らぬまま、忍者は吹き飛ばされた。

忍者達は密集していたために巻きこまれ、三人が一塊となって地面に転がる。

ひと目で戦闘不能だとわかるほど、彼らは複雑に絡まりあったまま悶絶していた。

その豪快さに、龍麻は思わず低く口笛を吹いた。

「やるじゃねぇか」

「ようやく『力』の使い方が解ってきたよ」

 醍醐のように鍛えた肉体があれば、氣の効果は何倍にも増幅される。

転校してすぐの頃、龍麻は醍醐と勝負したことがあり、その時は龍麻が勝ったが、

今もう一度闘ったらどうなるかはわからないだろう。

それほど凄まじい醍醐の破壊力だった。

 六人いた忍者達も、すでに残り一人となっている。

油断なく醍醐と忍者を挟む位置関係に立ち、必勝の態勢で挑もうとした龍麻は、

足元に殺気を感じて飛び退いた。

 地面に刺さった菱形の物体は、苦無と呼ばれる武器で、忍者が用いるものだ。

構える龍麻に、どこからか判然としない声が聞こえる。

「フン、貴様……確かにいい面構えをしておるな。だが、これ以上九角様の邪魔はさせぬ。

残りの餓鬼共もろとも、あれの餌にしてくれようぞ」

 語尾が消え去る前に、龍麻は右に大きく避けた。

 それまで何もなかった空間に、突如として手が出現する。

その手には苦無が握られており、黒鉄の鈍い輝きが龍麻を狙った。

初撃で体勢を崩された龍麻は、再び避けるしかない。

風角の狙いは正確で、龍麻に反撃の機会を与えなかった。

ついには龍麻は立っていられなくなり、思いきり横に転がる。

投じられた苦無を躱し、勢いをつけたところで跳ね起きると見せかけて、

腕立て伏せの要領で低く上体だけ起こし、身体を半回転させて足払いを仕掛けた。

 反撃は風角も予測してなかったらしく、当たりこそしなかったものの、

追撃はなく、龍麻はなんとか立ちあがることができた。

「フンッ、やるではないか……いつまで続くか見せてもらおう」

 風角の態度には余裕がある一方、龍麻は大きな怪我こそ負っていないものの、

これまでのところは劣勢だ。

溜まった唾を吐いた龍麻は、今度は自分から仕掛けた。

大きく踏みこんで蹴りを放ち、さらに拳の連打で攻める。

身体強化された一挙手一投足はプロの格闘家でも捉えきれないほどの疾さだったが、

殺しの業を専門とする風角には掠りもしなかった。

「この程度か、他愛もない」

 嘲弄する風角に返す余裕もなく、ひたすらに手数を繰りだす。

それすらも完全に見切られていて、もはや龍麻に勝ち目はないと思われた。

「どうした、それで終いか」

 猛攻もついに途切れ、龍麻は息を吐く。

その機を逃さず風角が、手にした苦無を龍麻に突きだした。

かろうじて龍麻は躱したが、瞬時に逆手に持ち替えられた苦無がさらに龍麻を襲う。

死角から背中を狙う必殺の一撃に、龍麻はなす術がない。

 その時、風角が大きくバランスを崩した。

「何ッ!?」

 勝利を確信していた風角は、一転、予期せぬ事態に距離を離そうとする。

だが、風角が上体を反らし、そのまま後方に逃れようとする前に、

龍麻の右掌が風角の胸に触れた。

「ウオオオ――ッ!!」

 溜めた氣が一気に放出される。

一瞬にも満たない時間で風角の全身に浸透した氣は、

強烈な衝撃を肉体に与え、そのまま背中側から抜けていった。

「がはッ……!」

 面の下で悶絶の叫びをあげた風角は、ゆっくりと崩れ落ちる。

龍麻が油断無く見守る中、風角はなお立ちあがろうとしていたが、

破壊の氣に貫かれた身体が起きあがることはなかった。

「大丈夫か、緋勇ッ」

 駆けつけた醍醐に、龍麻は虚勢を張る余裕もなく頷く。

「なんとかな」

「肝を冷やしたぞ」

「普通に氣を放っても避けられるだろうからな。

あんな面を被ってたら足元は見にくいだろうと思って近づくまで待ったんだ」

 今度は演技でなく息を吐いた龍麻は、

まだ盲目者が消滅していないのを確かめると、醍醐に促した。

「まだあいつが残ってる……行こうぜ」

「うむッ」

 二人は京一達に加勢すべく走った。

 盲目者と呼ばれる異形の化物は、まだその禍々しい姿を誇示していた。

アランの銃は命中してはいるが、大きなダメージを与えているわけではないようだ。

如月と京一も絶えず攻撃を続けてはいても、人型をしていない相手にはどこを狙えばよいか、

苦戦しているようだった。

 小蒔が放った矢が、闇を裂いて飛ぶ。

盲目者の身体中にある瘤のひとつを狙ったものだったが、

一直線に飛んでいた矢は、突然ありえない方向に曲がり、大きく外れてしまった。

 龍麻が駆け寄ると、小蒔はわずかに苛立った様子で状況を説明した。

「これで三本射たんだけど、全部今みたいに外れちゃった」

「何か、風を操っているのかもしれねえな」

「そうだね……でもどうしよう、これじゃどうにもならないよ」

「矢を打つのはちょっと待て。怪我はしてないな?」

「うん、平気」

 安全なところで待機しているよう命じて、龍麻は京一のところに走った。

「どうだ」

「埒があかねェ。斬ったところですぐに傷が塞がっちまう」

 京一は斬撃を見舞うが、確かに一度は盲目者を切り裂きはしても、

ほどなくどこを斬ったも判らないくらい傷は塞がってしまった。

「全力で一気にやるしかなさそうだな」

 龍麻は素早く作戦を立てて指示を出す。

「京一はあいつを思いきり切り裂いてくれ。そこに俺がねじこむ」

「よっしゃッ」

「如月と桜井は俺の後に仕掛けてくれ。アランもだ……おい、アランッ!」

 龍麻が呼びかけても、アランは全く聞いておらず、夢中で撃ち続けていた。

彼の所に走った龍麻は、彼の胸ぐらを掴むと有無を言わさず頬を張り飛ばした。

「何するネ、ヒユー! 邪魔するならユーも撃つッ!」

「仇を目の前にして抑えられねえのは解るが、落ちつけッ!」

 まだ射撃を続けようとするアランの、腕を押さえる。

アランの隆起した筋肉を止めるのは、氣で身体を活性化している龍麻でも容易でなかった。

「今から俺達があいつに穴を開ける。

そしたら、特大の氣を込めたお前の弾をぶちこんでやれ。できるか?」

「ユーこそ、できるのか?」

 挑発に煽りで返す、というよりも、アランは本当に疑っているようだ。

龍麻としては、やってみせるしかなかった。

「よし、話は決まった。醍醐、すまねえが十五秒稼いでくれ。京一」

「おうッ!」

「任せとけッ!」

 盲目者に突撃した醍醐が攻撃を始めた。

拳と蹴りを、まるでサンドバッグにするように乱打で見舞う。

異界の化物にとっては、表面的な打撃などどれほどのダメージもない。

だが、多少なりとも氣の乗った一撃は、盲目者の意識を振り向けさせるには充分で、

上方にある巨大な眼が醍醐を睨んだ。

「矮小ナ存在メ、捻リ潰シテクレル……!」

 醍醐の頭上から垂直に風が吹きつける。

突如として起こった風は竜巻といえるほど強く、醍醐の勢いを大きく減じたが、

醍醐は落ちた速度を距離を縮めることで補おうと、さらに盲目者に肉薄して攻撃を続けた。

 制服が裂け、切り傷が幾筋も生じる。

盲目者が操る風がもたらす傷は、ひとつひとつは小さなものでも、数が増えれば出血も増える。

しかし醍醐はそれらの傷をものともせず、ひたすらに役目を果たした。

 焦れた盲目者が、本腰を入れて醍醐を倒そうとする。

その殺意は離れたところにいる龍麻達にも、そして醍醐当人にも伝わったが、

醍醐は盲目者から離れようとしない。

これまでで最大の乱流が醍醐を襲おうとする寸前、充分に氣を練った京一が飛びだした。

「いくぜッ!!」

 上段の構えから一回転し、撓めた氣を乗せた木刀を一気呵成に振り下ろす。

旋を描いた剣の軌跡は、盲目者を大きく切り裂いた。

「グオオッ、小癪ナ人間共メ……!」

 たかをくくっていた人間に思わぬ一撃を見舞われ、盲目者は怒りも露に京一に襲いかかる。

渾身の一撃を見舞った京一は、呼吸が整わず動けない。

 しかし恐れる色もなく盲目者を待ち受ける京一は、背後に迫る気配に振り向かず怒鳴りつけた。

「いけッ、緋勇ッ、ぶちかませッ!!」

 叫びに呼応するように、京一をも上回る氣が膨れあがる。

洞窟が鳴動し、金色の輝きで満ちた。

 危険を感じた絵莉は思わずしゃがみこんでしまったが、彼女を除いた若者達は皆、

誰一人として逃げようともせず、異界の敵を睨みつけていた。

彼らに畏敬の念を抱いた絵莉は、せめて彼らの戦いを見届けようと眼を見開いた。

 金色で覆われた洞窟の中に、ひときわ強い光が疾る。

直径二メートルほどのそれは、地上から発生しつつ、三メートルほどの高さに放射されていた。

およそ三十秒ほど続いた光輝が薄れていくと、

光の到達点である盲目者の体には、大きな穴が穿たれていた。

「オオオ、貴様ラ人間如キガヨクモ……!!」

 喰らうだけだった存在に傷を負わされ、盲目者の声が怒りに震える。

だが、人間達は怯えるどころか、さらに攻撃を加えてきた。

 京一が開き、龍麻が穿った穴に、如月と小蒔がそれぞれの武器を放つ。

 如月が放った一本の苦無は、盲目者に当たる直前に五本に分裂し、それぞれが深く刺さった。

 小蒔が射た赤い氣に包まれた矢は、狙いを違えることなく命中した。

 人間であれば到底耐えきれないだろう一点への集中攻撃にも、

盲目者は深手を負いながらも未だ健在だ。

憤怒の風を巻き起こし、人間達に反撃しようとした盲目者の前に、一人の人間が立った。

青いリボルバーを右手で構えたその男は、微動だにせず撃鉄を起こすと、微塵のためらいもみせずに引き金を引いた。

 銃と同じ蒼色をした弾丸が、仲間達が広げた穴の最奥に命中する。

小さな蒼い輝きは、怪物の体内に呑まれて消え去ってしまったかに見えた。

 盲目者の身体から、蒼い光がほとばしる。

一度失せ、復活した輝きは、数倍もの強さとなって盲目者を覆った。

 同時に、洞窟全体を揺らすような叫びがその場に居る者達の鼓膜を撃った。

「ウオオオオ──門ガ閉ジル……イヤ……ダ、アノ暗闇ニモドルノハ……!」

 音程の定まっていない、もしかしたら最初から無いのかもしれない盲目者の声は、

幾重にも反響を繰り返しつつも次第に薄れていく。

やがてその姿と共に反響が消え去った後の洞窟には、そら恐ろしいまでの静寂が満ちていった。

 巨大な怪物が、あまりに痕跡を残さずに消失したため、

龍麻達もこれが現実なのかどうか戸惑っている。

それでも緊張を解き、龍麻のところに皆集まろうとした時、盲目者の起こした最後の風が吹いた。

盲目者から一番近くにいた龍麻めがけて魔風が吹き荒れる。

全ての氣を放出した龍麻はその場から動くこともできず直撃し、吹き飛ばされた。

運が悪いことに、吹き飛ばされた直線上には小蒔がいた。

「うわッ……!!」

「小蒔ッ!!」

 折り重なって倒れる二人のところに、葵が駆けだす。

京一や醍醐達も、盲目者が消滅したことを確かめるとすぐに向かった。

「小蒔ッ、大丈夫!?」

 地面に叩きつけられて転がった二人は、手ひどく怪我をしていた。

制服に滲む血に血相を変えた葵は、すぐに意識を集中させ、『力』を使う準備をする。

「いてて……ボクは大丈夫だから、緋勇クンを先に治してあげて」

 小蒔が言うのにも構わず、葵は親友に手をかざした。

 治療を受ける小蒔は、どこか申し訳なさそうだ。

小蒔が大した怪我でないのは葵にもすぐに判ったが、治療は止めなかった。

葵の念頭にあるのは、小蒔には、小蒔にだけはどんな怪我も負わせないし、

もし負ったなら必ず治してみせるという決意だけだった。

「ね、ホントにもう大丈夫だってば、恥ずかしいよ、皆見てるし」

 控えめながらもはっきりした小蒔の拒絶で我に返った葵は、

自分が小蒔の肌を食い入るように調べていたことに気づいた。

「ご、ごめんなさい」

「ううん、ボクの方こそ治してくれてありがと。次は緋勇クンも治してあげて」

「ええ、そうね」

 うつぶせになった龍麻の背中を見て、葵は彼が酷い怪我を負っていることを知った。

意識もあったし、小蒔を先に治すのに異を唱えなかったので、

大した怪我ではないと思いこんでいたのだが、服はずたずたに裂け、

背中は血まみれになっている。

まだ血は止まっておらず、葵は慌てて彼の背中に手をかざし、意識を集中させた。

 龍麻の顔は青を通り越して白かったが、葵が氣を注ぐことで徐々に血色を取り戻していく。

「助かる。氣を全部使っちまったから、立てもしないんだ。

この洞窟内は陰氣だらけだから、取りこむのも大変だしな」

 龍麻は盲目者の最後の攻撃を油断して受けたのではなく、全く躱せなかったのだ。

捨て身としかいいようのない龍麻の作戦に、京一が呆れて首を振った。

「お前はまたそんな無茶な戦い方しやがって、倒せなかったらどうするつもりだったんだよ」

「最大の攻撃で倒せなかったら、もうどうしようもないだろ」

「馬鹿野郎、生きてりゃまた挑めるだろうが」

 木刀で龍麻の肩を軽く押した京一は、なぜか背を向けて言った。

「毎回瀕死で終わられると、帰りにラーメン食いに行けねェだろうが」

 京一の心情を代弁したのは醍醐だった。

彼も相当な数傷を負っているが、ものともしていない。

「まあ、これで京一も心配しているんだ、わかってやってくれ」

「ああ」

「けッ、自分てめェの腹の心配して何が悪いってんだよ」

 今度は龍麻と醍醐、それに小蒔も笑ったので、

京一はふてくされて離れたところへ行ってしまった。

 笑いを収めた龍麻のところに、如月が進みでる。

「緋勇君」

 片膝をついた如月は、京一とは対極の真剣な面持ちで告げた。

「君には一度ならず二度までも、東京の危機を救ってもらった。

何かあった時、これからは全面的に君に協力させてもらうよ」

「ああ、こっちこそよろしく頼む」

 江戸を永きに渡って護ってきた忍者の末裔としての実力は、龍麻にとっても大いに助けになる。

龍麻が手を差しだすと、如月ははじめ戸惑い、やがて照れくさそうに握手に応じた。

 立ちあがった如月の隣に、アランが並ぶ。

彼もまた、龍麻と共に戦う決意をしていた。

「Yes.ヒユーはボクの復讐を手伝ってくれた。次はボクがヒユーを助ける番ネ」

「調子いいこと言って、美里の側に居たいだけじゃねェのか?」

「No! ボクは真剣。でも、アオイの側にいられるのはハッピー」

 アランの言ったことは、葵に関するものも含めて全て本心なのだろう。

龍麻は了承の印に、こちらはアランの方から差しだされた手を握り返した。

 次に龍麻の前に立ったのは、絵莉だった。

「凄いわね……盲目者を倒してしまうなんて」

「運が良かったんですよ。アランがいなかったら倒せなかったと思う」

「そうかもしれないわね。でも、アラン君が今日貴方と会ったのも、偶然ではないかもしれない」

「どういうことですか?」

 アランが何か企んでいるのではと勘ぐった龍麻だが、絵莉の返答は違った。

「貴方には、天命といえるようなものがあるのかもしれない」

「天命……ですか? 偶然だと思いますけど」

 自分達の『力』はあるとしても、天命だとかいったものを龍麻は信じていないし、

今日のアランとの初邂逅を思い返してみても、あれが天命なら酷いものだ。

 控えめに否定された絵莉は、自説に固執しなかったが、諦めたわけでもないようだった。

「そうね……でも、アラン君に如月君は、貴方と戦う道を選んだわ。その縁は、大事にしてね」

 如月はともかく、アランとの縁とは一体、と龍麻は思ったが、

あまり否定するのも良くないと思い、慎ましく沈黙を保った。

代わりに口を開いたのは、治療を続けている葵に対してだった。

「もういいよ、立ちあがれそうだ」

 実際に立ちあがり、腕を軽く回した龍麻は、振り返って葵に礼を言った。

「助かったよ、ありがとう」

「え……ええ」

 重傷である龍麻を放置して、先に小蒔を治したことを咎められるかと思ったが、

龍麻はそれについては触れず、黙って手を差しだした。

意図がわからず戸惑う葵に、龍麻は何かに気づいた様子で手を引っこめる。

「悪い、如月とアランに続けて握手したから、つい流れで」

 言い訳ではなくて本当に間違えたらしく、赤面している。

「ンなこと言ってお前、アランに先越されまいと焦ってんじゃねェのか?」

「ホント、ボクもそう思った」

「随分慣れた感じだったわよね。そうやってスキンシップから入るのが緋勇君流なのかしら」

 戻ってきた京一と、小蒔に続いて絵莉にまでからかわれて、龍麻は一層赤面した。

もう一方の当事者である葵も、龍麻に劣らず赤面してしまうのだった。

 回復した龍麻は立ちあがろうとする。

だがバランスを崩し、再び座ってしまった。

「おいおい、まだダメージが残ってんのか?」

 半分からかいつつ差しだされた手を、龍麻が取らなかったのは、腹が立ったからではなかった。

「違う、これは――」

 言いかけた龍麻は再び中断させられる。

今度は京一達にも、龍麻がバランスを崩した理由が判った。

「地震かよ」

 何気なく呟いた京一の、肩に何かが当たる。

頭上を見上げた京一は、それが気のせいでなかったことを知って、慌てて飛び退いた。

 京一が居た場所に、肩に当たったものより大きな石が落下する。

仲間達も気づいたようで、一気に緊張を取り戻した。

「崩れるぞッ! 脱出だッ!!」

 女性達を先に行かせ、龍麻は最後尾を受け持つ。

 揺れる地面の先に緑色の人影が見えた。

その時、龍麻の脳裏に何かが閃いたが、

仲間達と自分の脱出を優先させるため、深く考えはしなかった。

 風角の死体の傍らを通り過ぎようとした龍麻は、いきなりバランスを崩した。

地面が揺れているせいではない、足首を何者かが掴んでいる。

振り向いた龍麻が見たものは、最後の力を振り絞って龍麻に一矢報いようとしている風角だった。

死の間際にいるはずの彼の身体から、圧倒的な怨念が立ちのぼり龍麻を縛る。

それは同じ復讐の念で闘う龍麻を怖れさせるほど凄まじい圧力だった。

「う……うぅ……逃がさぬ……ぞ……このままでは……九角様に申し訳が……立たぬ。

せめて……せめて、誰ぞ道連れにしてくれる……ッ!」

 怯える龍麻から生気を吸い取っているかのように風角の右手に力が篭り、

龍麻を引きずろうとする。

同時に風角は左手を懐に入れ、苦無を取りだした。

ひどく緩慢な動きであるにも関わらず、龍麻は振り払えない。

蛇に巻きつかれた小動物のように、迫りくる死を待ち受けるだけだ。

「死ね死ね死ね死ね──ッ」

 しかし、風角の狂気の絶叫と共に龍麻に襲いかからんとした苦無は、

一発の銃声と共に止まった。

足首を掴む力も弱まり、龍麻はよろめきつつ風角の手から逃れる。

代わりに鬼道衆の男の前に立ったのは、霊銃を手にした復讐鬼だった。

「Now you die.」

「き……貴様ァ……」

 無念の呪詛がアランを襲うが、アランは傲然とそれを跳ね返した。

その明るいブラウンの瞳は、乾ききっていた。

「Go to hell.」

 再び銃声が響く。

眉間を撃ち抜かれた風角の面が、二つに割れた。

地面に突っ伏し、完全に死んだ風角の身体が輝き始める。

龍麻達には見覚えのあるその光が止むと、後に残ったのは、

やはり以前に光を放った水角が遺した珠だった。

拳よりも一回りほど大きな珠は、中に龍の紋様が浮かんでいるのは共通だったが、

水角の蒼とは異なり、乳白色をしている。

澄んだ音を立てて地面を転がる珠を拾いあげた龍麻は、アランが背を向けていることに気づいた。

「ボク――今、どんなカオしているかわからない」

 人を殺すというのは、化け物を殺すのとは訳が違う。

しかも龍麻を護るためではあっても、瀕死の人間にとどめを刺したのだ。

アランが感情に整理をつけられない状態であるのは、容易に推察できた。

 揺れはますます強くなり、収まる気配がない。

風角に掴まれた足はまだ少し震えていたが、

踏ん張ってしっかり立った龍麻は、アランの肩に手を置いた。

触れた肩から、アランの感情が伝わってくる。

怯え、怒り――強い陰の感情を、龍麻は自らの氣で中和した。

「ヒユー……」

 自身の心の変化に驚いたアランが振りむく。

「──助かったよ」

 龍麻は短くそう言っただけだ。

たったそれだけで、アランの瞳は日の出のように輝きを増し、

これまでと変わらぬ陽性のブラウンに戻っていた。

 アランは八年前に大切なものを全て喪ってからずっと消せずにいた、

復讐の焔を鎮火させる暖かさを置かれた掌から感じ取る。

陰氣を和らげるものは、陽氣である──その理をアランが知るのはもう少し後のことだったが、

アランは自分の波長が龍麻に合わさるのを、ごく自然に受け入れていた。

「さっさと出ようぜ。ここは陰氣が多くていけねえ」

「Yes.」

 龍麻とアランは並んで洞窟を走った。

 二人が脱出した直後、一際大きな地響きが鼓膜を叩いた。

無事を喜ぶ暇もなく、急いで穴から離れる。

一分ほども続いた地響きが止むと、穴は崩落こそしていなかったが、

完全に埋まってしまい、再びあの『門』まで行くことは不可能となってしまっていた。

「何やってたんだよ」

「ああ、こいつを回収してたんだ」

 死んだ風角が変化した珠を龍麻が見せると、文句を言うつもりだったのか、京一は渋々頷いた。

「そういやそんなのもあったな。けどよ、ソレ何か役に立つのか?」

 それが解れば苦労はしない。

今度は龍麻が不機嫌になりかけたところに、絵莉が進みでて珠を観察した。

「摩尼まに……かもしれないわね」

「摩尼? なんですかそれは」

「摩尼っていうのはサンスクリット語で珠っていう意味なんだけど、

ただの珠じゃなくて、何でも願い事を叶える珠って言われているわ」

 絵莉の説明に京一が身を乗りだす。

「何ッ!! おい緋勇、お前知ってて集めてやがったなッ。独り占めしようとはふてェ野郎だ」

「知らねえよ、願い事が叶うってんなら、盲目者にだって苦戦しないはずだろ」

 龍麻が反論しても、京一は不審を隠さない。

構わず無視して、龍麻は絵莉との会話を続けた。

「集めてって、他にも持っているの?」

「これで二個目です。忍者みたいな奴を倒すと、これに変化して」

「変化……ということは、この珠に何かの術をかけているのかもしれないわね。

私の方でも調べてみるわ」

「俺が持っていていいんでしょうか」

「そうね……大丈夫だと思うけど、何かあったら連絡をちょうだい。

何とかできそうな人に連絡するわ」

「俺が持っててやろうか」

「ダメだよ緋勇クン、京一なんかに持たせたら落っことして割るか、

すぐに失くしちゃうんだから」

「俺もそう思うな」

 小蒔と醍醐に即座に否定された京一はふてくされてしまったが、

誰も彼を慰めようとはしなかった。

「ね、あの化け物……ホントにやっつけたのかな?」

「いいえ……もとの場所へと還っただけよ」

 自分達が走ってきた方向に視線をやった小蒔に、絵莉が答える。

彼女が調べた限りでは、盲目者は異次元の存在であり、

人の力では決して斃すことはできない、ということだった。

「てことは、また誰かが喚べば出てきちゃうってコト?」

「ダイジョーブネ、あの『門』はもう、開くコトはナイよ」

 苦労の末に斃した怪物がまた復活するというのは穏やかでなかったが、

しきりに葵の無事を確かめようとしていたアランがそれを否定した。

「あの真上には、チョウド樹が立っているヨ。六百年の間、タクサンのヒトの死を看取ってきた、偉大な樹がネ」

「それって、まさか」

 驚く絵莉に、アランはウィンクしてみせた。

「Yes.ヨーゴーの松」

「そう……そうだったの」

「どういうことなんですか」

 一人納得する絵莉に、龍麻が訊ねる。

地元民であるアランに訊ねなかったのは、その前のウィンクが気持ち悪かったからだ。

「影向の松がある善養寺にはね、浅間山噴火横死者供養碑があるの。

あの辺りはね、一七八六年に浅間山の大噴火が起こって、二千人以上の人が亡くなっているのよ。

……当時、それは悲惨な状況だったって言うわ。

今みたいに消防施設も医療施設も発達していなかったんですものね。

直後に起こった天明の大飢饉の影響もあって、併せて何十万という人々が死んだというわ。

その時亡くなった人々や牛馬が利根川や江戸川を流れてこの地に集まったのを、

村人達が手厚く葬って供養した……それが今の善養寺なのよ」

「樹は、言ってマス。ヒトが死ぬのを見るのは、メニーメニー悲しいと」

 胸に手を当てるアランに、小蒔が神妙な面持ちで呟く。

「ボク、聞いたことあるよ。

植物や動物も長い年月を経ると、魂や強い霊力を得ることがあるんだって」

「松の樹の思い……ボクにはわかりマース。

ボクもメキシコのボクの村、大好きデシタ。大好きなヒト、大切なヒト、いっぱいいたネ。

でも、あの化け物現れて、何もかも失ッタ……そんな想い、もう二度としたくナイ。

そんな想い、誰にもさせたくナイ」

 沈痛な面持ちで語ったアランの心情の一端を、龍麻達は感じとった。

彼にも戦う理由があったのだ――邪悪な者達から、人々を護りたいという。

 しんみりとしかけた場を、崩すように京一が伸びをした。

「よっしゃッ、終わったこったしメシ食って帰ろうぜ。怪我はいいんだろ?」

「ああ」

「よし、アラン、この辺で美味いラーメン屋連れてけよ」

 スポンサーの同行を確かめてから京一は、

江戸川区のラーメン事情を現地調査するべく声をあげた。

男達は一様に同意したが、葵が申し訳なさそうに帰宅を申し出た。

「ごめんなさい、疲れてしまったから今日は帰るわ」

「あ、じゃあボクが送ってくよ」

「まッ、しょうがねェな。小蒔、帰りに美里を襲ったりすんじゃねェぞ」

「ベーッだ。じゃあね、みんな」

 京一に舌を出した小蒔は、龍麻達には手を振って彼らと別れた。

 駅に向かう道すがら、小蒔が葵を気遣う。

「葵、大丈夫? 調子悪いの?」

「今はそうでもないけれど、さっきは少し気分が悪かったの」

「いっぱい『力』を使ってボクと緋勇クンを治してくれたもんね」

 実を言えば、龍麻達と食事に行けないほど葵は気分が悪かったわけでもなかった。

小蒔も同行してくれて願ったり叶ったりではあるし、完全な嘘でもないが、

生じた微妙なしこりを葵は無理に追い払った。

「それにしても凄かったね。ゲームみたいで」

 未だに現実とは信じられない、盲目者という化物と戦ったというのに、

あっけらかんと言う小蒔に、葵は訊ねずにいられなかった。

「怖くなかったの?」

「うーん……ホント言うと、最初はちょっと怖かったよ。弓も当たんなかったし。

でも、緋勇クンが飛びだして金色に光ったでしょ。

アレ見たらボクもやんなきゃって、怖いのなんかどっか行っちゃった」

 小蒔の返事に、葵の心を幾つかの思考が同時に巡った。

 ひとつは、小蒔が龍麻に憧れはじめているのではないかという懸念。

親友の色恋を邪魔するつもりはないが、龍麻だけは駄目だ。

隙を見せたが最後、彼は小蒔を欲望の赴くままに扱い、

計り知れない悲嘆の井戸の底に沈めてしまうだろう。

それだけは絶対に防がなければならない。

 もうひとつは、小蒔の言う通り、龍麻に憧れるという危険。

小蒔の後方から葵も見ていた。

龍麻が数メートルにも及ぶ、およそ人の理解を越えた怪物の前に飛びだし、己が生命力を氣と変えて撃ちだすところを。

その姿は神々しささえ感じられ、葵は確かに感動したのだ。

彼の本性を知らなければ、小蒔のように好感を抱いていたかもしれない。

 小蒔はさらに続ける。

「それにね、最後、緋勇クンが吹き飛ばされた時、とっさにボクを庇って下になってくれたんだ。

だから、ボクの怪我はちょっと擦りむいただけで済んだんだよ」

「そうだったの」

 幾分彼に悪いことをしたと葵は思った。

小蒔の治療を先に行ったことを後悔してはいないが、

小蒔が怪我をしたのは龍麻が原因だと決めつけていたのは良くないだろう。

だからといって、謝る気にまではなれない葵だった。

 

 新宿駅に到着した葵は、小蒔と別れ、家に帰る。

家につくとまず浴室に入ってシャワーを浴びた。

 水に近い温度の湯が、疲労を溶かしていく。

しばらく無心で開放感に身を委ねていた葵は、湯を止めると、両手を見た。

 今日この手は、アラン蔵人に掴まれている。

彼の手は大きく、温かかったが、残念ながら彼の印象は特に残っていない。

というより、それが普通なのであって、ふとした拍子に蘇ってしまう龍麻の感触の方がおかしく、

何か特殊な能力を用いているのではないかと葵が疑う理由だった。

 龍麻は氣とはそんな便利な能力ではないと言っていたが、それが真実であるという保証はない。

触れた場所を彼の意のままに操る、そんな能力があるかもしれないのだ。

そこまで考えて葵は危惧を覚えた。

 小蒔は今日、龍麻に抱きかかえられた。

その時に龍麻が何か仕掛けたという可能性に気づいて葵は愕然とした。

小蒔は龍麻が庇ってくれたと言っていたし、

実際に龍麻は地面に打ちつけられて大怪我をしている。

そんな彼を疑うのはあんまりではないか。

しかし彼には前科ともいうべき問題を引き起こした過去があるし、

葵が癒やしの『力』を持っていることまで計算しているかもしれない。

龍麻はそれだけの狡知を持った男であり、警戒しすぎるということはない。

小蒔にはそれとなく訊いてみる必要があるだろう。

 人を疑うという負の思考に没頭していた葵は、シャンプーを手に取り、髪を洗い始める。

手は葵の意思通りに動き、髪を泡で包んでいく。

だが、泡は洗い流せても、一度湧いてしまった不安は、泡のようには拭い去ることができなかった。




秘拳・黄龍炸裂です。反の方の龍麻は本編より強くしてます。
その代わり(?)に性格がやや悪く、友人たちも微妙にそれを感じ取って……るように書けていればいいのですが。
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