清らかなる水と森の国――【ペイズリア王国】。
大陸北方に位置する山中の盆地に位置する国であり、山々から流れ出た豊かな雪解け水が生み出す大小の湖沼と、その水が育む豊かな緑が陽光に煌めく風土は、この世界を創造した女神がもっとも愛する地――と評されるほどに、豊かで美しい。
そんなペイズリアの南部に広大な森がある。
雪解け水が刻んだ深い渓谷と、それを覆い隠すように茂る黒々とした針葉樹の森。
人が利用するために管理する、
荒々しい原初の自然を残した正真正銘の――――【森】。
「ここが【聖獣の森】……なのね」
そんな森を眼下に望みながら、ひとりの少女が呟いた。
わずかに波打つ腰までの長さの銀髪が谷から吹き上げる風を受けて揺れる。
――ペイズリア王家にのみ顕れるという、銀髪が。
歳のころは十五、六といったところ。日々少女から女へと変わっていく、そんな年ごろだ。
背は――成人男性の平均と比べればわずかに低いか。
体躯は細身で――すらりと伸びる手足は実際よりも彼女の身長を高く見せている。
ペイズリアの騎士が旅に用いる青く染められたジャケットと黒のスラックス――どちらも要所が鉄片と固く
整った怜悧な美貌に緊張の色を浮かべながら、冬の払暁の空めいて青い瞳を森の入口へと向ける少女の名は――エクセリア。
類稀なる武勇と深い学識で【武賢王】と謳われるガイウス・ラウル・ペイズリアを父に持つ、ペイズリア王家の一粒胤である。
「……はい、姫様。ここがペイズリア王家を守護する――聖獣フェンリルが暮らす森です」
エクセリアのそばに控えた十人近い従者や護衛の中から、侍女服を身にまとった妙齢の美女が歩み出て、エクセリアの呟きに答える。
「お父様からいつも話には聞いていたけれど……
「
「誰ひとり……本当に? メア」
こんなにも広い森で、本当にそんなことを断言できるのか?――そんな思いに美しい眉根を寄せて問いかけるエクセリアに、メアと呼ばれた侍女服の美女が肩をすくめる。
「森林管理官が森へつながる道を警備していますし――そもそも資格なく森に立ち入ろうとする人間をフェンリルは決して許しません。地元の者でこの森に立ち入ろうなどという酔狂なものはいないでしょう」
「建国時から続くペイズリア王家とフェンリルの契約、ね。フェンリルが王家を守護するかわりに、王家はこの森を守る、という……」
はい、と首肯するメアを横目にエクセリアは考えに沈む。
今日この森へやってきたのは、まさにその契約のためである。父ガイウスがフェンリルと結んだ契約を、次代の王が引き継ぐための儀式――【成人の儀】。
十六歳となった王家の者が、ひとり森の奥に棲まうフェンリルの下へと赴いて契約の遂行者であることを認められる――それを実行して初めて、エクセリアは王となれるのだ。
ペイズリア王家に生まれ、王を継ぐものの責務であり、試練。
「………………ッ!」
ぶるり、と身を震わせる。
恐怖ではない――偉大なる父も成し遂げたという冒険に挑む、高揚。
自然、手は腰の剣へと伸びた。
――かちゃり、と鞘が鳴る。
女だてらに父に憧れ、子どもの頃から騎士団に交ざって毎日欠かさず振るい続けてきた鋼。革の手袋越しに感じるその冷たさと重さが、今は頼もしい――
そんなエクセリアへ、メアは声をかける。
「それでは姫様――」
「ええ」
こちらも長年従ってきてくれた侍女の、万感の思いのこもった言葉に、エクセリアは決意を込めてうなずき返す。
いよいよ始まるのだ。父も、その父も挑んできた試練が――
「――今、着ているものを全て脱いでいただけますか?」
「…………は?」
* * * 姫騎士エクセリアと聖獣の森 * * *
「そんな話聞いてない……!」
「姫様、諦めてください」
先ほどまでの
ちなみにメア以外の人間は全て、大きく後方へと下がっている。
主の情けない姿を見せないように――という、メアの判断である。
「いいですか、姫様――」
そんなエクセリアを見ながら、ピッと指を立てたメアが語りだす。
ペイズリアの歴史文書を管理する高位貴族の家の出である彼女が語るには――父であるガイウスからは何も聞かされていなかったが――神域であるフェンリルの森に入る王家の者は、聖獣と自然への敬意を表すために
――つまり、
屋外で肌を晒す――それだけでも育ちの良いエクセリアには耐え難いのに、さらに聖獣は
一体これでどうやって聖獣に自分のことを認めさせろというのか――エクセリアはひとつ頷き涙を拭うと、意を決して口を開く。
「わかった――――――成人の儀やめる」
「……姫様、そちらを諦めないでください」
エクセリアの一大決心は、侍女からのため息で返されてしまう。
ため息を吐きたいのはエクセリアである。
もちろん――赦されなかった。
そうして半刻(1時間)ほどが過ぎた頃合いである。
中天に差し掛かった太陽の日差しの下に、
「お父様とご先祖さまのバカ……」
「なんてことを言うのですか」
恥ずかしそうに身を縮めて、両手で身体を掻き抱くエクセリアである。その姿勢は裸体をむしろ強調するばかりなのであるが。
日頃の鍛錬の成果か、二の腕やふくらはぎ、お腹に、太ももは引き締まり、ところによっては薄く筋が浮かぶ。しかしそこに無骨さは一片もなく、むしろ靭やかな女性らしさを強く感じさせ。
剥きたてのゆで卵を思わせる
股間には髪と同じ色をした、しかしふわふわと柔らかく縮れた
そして――
「姫様、また大きくなりましたね」
そう……その裸体でもっとも目を惹くのは、その大きな――否、巨大すぎる
その先端だけを両掌で隠した――とても彼女の細腕では全てを隠しきれないのだ――状態でも、すでにエクセリアの顔よりも大きいのが明らかである。
「……こんなの邪魔なだけよ……」
エクセリアはため息交じりにそう返す。
(熱は籠もるし、汗もかくし……何より剣の稽古のときに揺れて痛いし)
内心でそう思いながら。
怜悧な美貌と少女らしさを残す引き締まった肢体からすれば、アンバランスなほどに『女』を感じさせる量感である。
「……で、メア。これから、どうすればいいの?」
エクセリアがその美貌を朱に染めながら聞くと、
「はい。このまま身一つで聖獣の森へと入っていただきます」
メアが森を指し示す。
その指先――聖獣の森へと視線を伸ばせば、それだけでこれまでの、やや弛緩した空気が張り詰める。
「……王家の記録を参照すると、森……フェンリルの縄張りに入った瞬間、彼は姫様に気がつくはず。平均すれば一刻も掛からないうちに、接触できるはずです――が、そこから先は」
「――わからない?」
「……はい。色々と調べてはみたのですが……フェンリルが何を求めてくるのかはその時々で変わるようですね。申し訳ありません」
「いえ、いいのよ。もともと予習して挑む類の試練ではないでしょうし」
ふう、と深呼吸し、エクセリアは覚悟を決める。
すでにいろいろあったが……もうここまで来てしまったのだ。
先ほどはつい「やめる」などと言ったものの、試練をやめる選択肢など最初から存在しない。
(であれば、全身全霊を尽くすだけ、ね)
ひとつ頷くと、
「いってくる」
古い付き合いとなる侍女にそう告げ、そのまま歩み出すエクセリア。
それを見送りながら、メアも一礼。
「はい。お待ちしております――それと、神域である聖獣の森は我々の常識が通じないとも聞きます。お気をつけて」
互いに顔に不安の色を貼り付けながらも――それ以上は何も言わずに別れる。
エクセリアの試練が、これから始まるのだ。