283プロでアイドルは続ける。
でも、もう貴方とは距離を置きます。
明確に線引きをすると決めた円香の内心は、不思議なぐらい穏やかだった。
昼下がりの事務所は、いつもより静かだった。
透と小糸は外ロケ、雛菜は別の雑誌撮影に呼ばれている。デスクに積まれたスケジュール表だけが、蛍光灯の光を反射している。
「さてと……来週の予定、確認しとこうか」
あの人が端末をタップしながら言った。
私も手元のノートを開いて、ページをめくる。
こうして向かい合うのは、少し久しぶりだった。
「火曜日は番組収録。木曜は雑誌インタビュー。で――」
指先が一行分で止まる。
その視線が、ちらりと私に向いた。
「ここの日曜、休みになってるけど……どうする?」
「……あぁ」
そう来ますか。
軽くカマをかけられているのが、すぐに分かった。
私があなたに付き合うと、まだ思っているんですね。
少しだけ息を吸って、考えたふりをする。
「どうするって……休みですよ」
「まあ、そうなんだけどさ。珍しいなって思って」
「私だって、たまには休みます」
「予定は立ててるのか?」
わざとらしく冗談めかして笑う声。多分だけど、この人は私の変化に気づいている。気づいた上で、わざわざこの話題を出してくる。
「――特に何も」
静かに答える。
「何か、プライベートに挟む予定が?」
プロデューサーは慌てて手を振る。その仕草が少しだけ懐かしかった。でも、もう昔みたいに焦らせて楽しむ気分じゃない。この爽やかな顔の裏で何をしているのか、今は知っているから。
「ただ、ちょっと安心しただけだ。最近ずっと忙しかったから」
「心配性ですね。……でも、ありがとうございます」
小さく笑って、視線をスケジュール表に戻す。
この人の優しさは、仕事の一部。
だけど、今の私はそれをちゃんと受け取れる。
心底嫌いなわけじゃない。
立派な人ではあると思う。
感謝はしているし、尊敬もしている。
でも、それはそれ。
私はもう、明確に線引きをすることに決めた。
「円香、さ……」
「はい?」
「前より、雰囲気が柔らかくなったね」
「……そうですか?」
「うん。たぶん、いいことだと思う」
そう言って、彼は椅子の背にもたれた。
私も同じように深く息をつく。
「まぁ、休日ぐらい、仕事は放り投げてもいいんじゃないですか、ミスターワーカホリック」
「はは……それは、やんわり怒ってる?」
「警告です」
私たちの間に小さな沈黙が落ちた。嫌な沈黙ではない。空気が緩み、柔らかく馴染んでいくような静けさだった。
「よしじゃあここまでにしよう。引き続きよろしくな」
「はい」
席を立ち、資料を抱えてドアへ向かう。ドアノブに手をかけたとき、背中に声がかかった。
「円香」
「なんですか」
「……いい休日を」
振り返らずに、少しだけ笑ってみせる。
扉を閉める音が、静かに響いた。
廊下に出ると、冬の光が差し込んでいた。
指先でスケジュールのページをなぞる。
――空白の日曜。
何も予定は入れない。
何も起こらない。
それでいい。
気づいているでしょうか。私の態度が変わったことを。
柔らかくなったように見えるのは、あなたがもう「外面で接する相手」になったからです。あなたはビジネスパートナーに格下げです。あなたに会うのはアイドル樋口円香だけ。プライベートで、ましてや二人で会うことは金輪際ありえないでしょう。
これで、あなたを憎まずにいられる。
事務所の玄関を振り返りながら、私は内心でこう呟く。
さようなら、ミスターナイスガイ。
さようなら、私のプロデューサー。
終わり
ここまでお読みいただきありがとうございました。
シャニマスは限定カードを全然所持していなくてコミュを十分に把握できておらず、W.I.N.G.当時の樋口円香が自分の中で最も印象が強かったために、その当時の味付けになりました。解釈が浅かったらすみません。
呼称表を調べながら書いていたのですが、呼称違いなどがあったらご指摘いただけると幸いです。
また、今後の励みや課題点の発見にもつなげたいので、ちょっとしたものでも感想を頂けると幸いです。
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