※この作品はR-18です。

天江たい年頃   作:158

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漁師さんと

 季節は夏。太陽はありとあらゆるものを焼き殺さんと、燃えさかっていた。

 四方八方見渡す限りの水平線。

 陸地など全く視界に入らない大海のど真ん中、二人の男が小さな救命ボートに乗っている。

「暑いな……渚」

 背の高い男が、滴る汗を拭おうともせず、疲れ切った様子で零す。

「わかりきったこと言わないで下さい、純一さん。……しっかし、太陽のやつ少しは休憩する

気はないんすかね」

 同じく焦燥した様子の背の低い男が返事をした。

(誰?)

 背の高い細身の男が純一、逆に背の低いがっしりとした体格の男が渚という名前らしい。

 どうやら長い間漂流しているらしく、二人ともみすぼらしい無精ひげ姿である。元は真っ白

だったであろうポロシャツはやや黄ばんでおり、時の流れを感じさせる。 

「お勤めご苦労様ですっと。オレはもう働きたくねぇな」

「それは同感ですね。救助が来たら海難保険を受け取って、当面は遊んで暮らしましょう」

(……夢を見ているのか。“私”が“俺”だった頃の)

 気だるげに純一がこぼすと、渚は苦笑いしながら返事をした。

「やりてぇことがありすぎて何するか答えられねぇな。渚、お前はどうするんだ?」

「肉喰って、酒飲んで、女買って、馬券買う!」

(私最低だ……いや、最低なのは“俺”か)

 そりゃいいプランだがクズ人間一直線じゃねぇかと、純一は大笑いする。

 だが、このやりとりはもう飽きるほどしていた。

 救助を待つ間、黙って体力を温存するべきなのだろうが、二人に選択肢はなかった。

 波と波がぶつかり合い崩れる音しかしない静寂な空間。

 残念ながら、この孤独感に耐えられるほど男たちの神経は図太くなかった。

「それで、金を使い切ったらどうするんだ?」

「一発大穴当てて減るどころか、増やしてやりますよ。……まあ、延縄漁船にだけは乗らない

のは確かっすね」

「うへぇ、オレもそれだけは遠慮するぜ」

(私も二度と乗りたくない……)

 渚の答えに、純一は心底嫌そうな顔をして同意した。

 外海の天候はおそろしいスピードで変化する。

 そよ風すら吹かないベタ凪の日かと思えば、ちょっと目を離した隙に大シケになっているな

んてことは日常茶飯事。

 二人の乗っていた漁船は運悪くそれに巻き込まれた。

 助かったのは自身たちのみ。

 他の乗組員は船とともに暗い海の底に沈んでしまった。

「でも、もったいないっすよね。純一さんの技能はどこで活かすんです?」

「オレの読みは近海漁でも使えるさ。高級魚の一本釣りでもするかな、楽そうだし」

(……そんな未来もあったのかな)

 黒潮と親潮のぶつかる場所は良い漁場になる。という話を耳にしたことはないだろうか。

 そんな流れと流れのぶつかる場所のことを潮目と言うのだが、純一はそれを見つけるのが神

業的にうまかった。正に漁師になるためだけに生まれたような男だった。

「いいっすね、売れなかった雑魚は俺にください」

「横着言ってんじゃねぇ。お前もオレの船に乗るんだよ」

「分け前は?」

「出血大サービスだ、7対3で良いぜ」

「一生付いていきますっ!」

「その代わりと言ってはなんだが、経費は折半だぜ」

「俺が圧倒的に損じゃないすか……」

(あんまりだ……)

 渚は超絶ブラックじゃないですかと、口をあんぐりさせる。

 世の中うめぇ話は転がってねぇんだよと、純一は口を三日月に曲げた。

「おっ、今日は休日になったみたいだぜ」

(――いけないっ!)

 何かに気が付いた純一は、渚に空を見てみろと人差し指を天に向ける。

 渚が上を仰ぐと、黒い雲に太陽が隠されつつあった。

「恵みの雨ですか。まあ、濾過装置を持っているから、あんまりうれしくもないっす」

 漂流生活で困るもの第一位にランクインする、飲料水の確保だが、濾過装置を持ってた二人

には無縁だった。

 夢中に話込んでいたら、いつの間にか天候が急転していた。

 二人の顔にポツポツと雨粒が落ちる。

 時を同じくしてうねりを伴った波がボートを揺らし始めた。

「フローティングベストを着込んどけよ、海の藻屑になりたくなかったらな」

「うす。もずくは好きっすよ」

「つまんね」

(やめろ……これ以上見せるな!)

 冗談を交わしている二人だが、表情は真剣そのものだった。

 小型ボートで嵐に巻き込まれ、生還できる確率は決して高くない。

 海に生きてきた二人だからこそ、それは人一倍理解できていた。

「なあ、渚。お前と出会えて本当に良かったと思ってる」

「なんすか急に……」

「いや、急に言いたくなった」

「このやりとり、何だか恋人同士みたいっすね」

(やめろ! やめろ! やめてくれ!)

 大自然のブランコに乗せられたボートは揺れる。

 飛び散る波しぶきが二人を洗濯した。

 そして、空に雷鳴が轟く。

 さらに小降りだった雨が本降りとなり二人の体を急速に冷やし始めた。

 二人は必死にボートの縁に掴まり、海へ流されないように堪え忍ぶ。

「……やべぇ、手に力が入らなくなってきやがった」

「純一さん!? 俺が純一さんを支えます、手を……」

「すまん。恩に着る」

(あぁぁぁぁぁぁ!)

 そして渚は左手で縁を掴み、純一の手を掴もうと右腕を伸ばす。

 しかし、

「わりぃ、堪えきれなかった」

(何でそんな申し訳なさそうな顔を向けるんだ……悪いのは“俺”なのに!)

 渚の腕は空振り、純一の体は荒れ狂う海へと投げ出されてしまった。

 そしてあっという間にその姿を視認できなくなる。

 渚はそれまでの間、自分の腕を呆然と眺めることしかできなかった。

「純一さぁぁぁん!」

(何で……何で……ちくしょう!)

 

 

 

「純一さん!」

「いてぇ! ずいぶんと激しいお目覚めの白雪姫がいるもんだ」

 額と額がぶつかり合う、大きな音が鳴る。

 現世に復帰した渚が最初に目にしたのは、むっとした顔で額をさする純だった。

「純?」

「何だ不思議そうな顔して。オレが井上純以外の何に見えるってんだ」

 寝ぼけてんのか? と純は渚の頬を両手で引っ張りながら詰め寄る。

 渚が痛い痛いと声にならぬ声で抗議すると、ちぎれるかと思うほどほっぺを伸ばし、急に手

放すとパチンと音を立てて頬が元に戻った。

「ここは?」

 渚は傷む頬を押さえながら、涙目になりつつも上目遣いで純に尋ねる。

「スルーかよ……。学校の保健室だ、つーか純一って誰だ?」

「人間」

「まあ、イヌやネコに付ける名前ではないわな」

 渚は再び純の質問を躱しつつ、辺りを見回す。

 自身の寝ているベッドの右隣には、もう一床ベッドがあった。

 左側を見やれば、丸いテーブルを囲むようにイスが三脚並んでいる。

 鼻を利かせると、消毒液と紅茶、コーヒーが入り交じった、カオスな香りが感じられた。

 なるほど、間違いなく保健室である。

(最悪の気分だ……。しかし、あのシーンを夢を見たのは初めてのような気がする)

 夢であって夢でない、悪夢のような現実のような過去。

 訳のわからない表現だが、それが渚の認識であった。

「……イヤな夢を見た」

「つまり、純一ってのはその夢の登場人物で、お前が何かされたのか?」

「逆……。私は何もできなかった。純一さんを助けられなかった」

 渚はさも現実であったことかのように、悲痛な表情で語る。

 純はそうかと一言だけ返し、やさしく頭をなでた。

(気持ちいい)

 そのいたわりに渚は身を任せた。大人になれば誰かに甘えるなんて行動は取れなくなる。そ

れを身を持って体験している渚にとって、純のそれは堪らなく安心感を得ることができる行為

であった。

「もう大丈夫だ。ありがとう」

 一通り純の手の温かさを堪能すると、渚は礼を述べた。

 その姿は背伸びしている童女のようにも映る。

「さて、傷心のお姫様に朗報だ。出血大サービスだ、今日はオレが一個何でもお願いを聞いて

やる」

 渚は純のその言葉を聞いて、驚きで目を見開いた。

『出血大サービスだ』

(……似ている何てレベルじゃない。本人かと一瞬錯覚した)

 純と純一。この二人は、見た目に限れば背が高くて細身であるという点しか一致しない。し

かし、言葉遣いや思考に共通点が多々あるように感じられた。

 先ほど、純一が渚に向けた言葉などうり二つである。

(まさか……このタイミングであの夢を見たのは、そういうことなのか?)

 渚は目を閉じ、思考の海へと潜る。

 

 

 

 ――いつだったろうか。純一と別れ、それほどの時は過ぎていなかったと思う。

 ただ、渚という男は既に死んでいる。その一点は確かだった。 

 その時、人間ではない、明らかにそれを超越した者の声が聞こえた。

 それは、死神か、はたまた天使か、もしかすると悪魔だったのかもしれない。

 正体は未だに不明だが、渚はいわゆる、海の神というものではないかと当たりをつけた。

「それほど心残りだったのか?」

 その問いに渚はイエスと頷いた。

「良かろう」

 海の神らしきものは、そう一言残して気配を消した。

 何も感じられない死の狭間。

 そこで渚は一途に願った。また、あの人に会いたい。

 不謹慎だが、あの人が助かっていて欲しいとは願わなかった。

 渚は知りたかったのだ。二人、ともに過ごした場合、いったいどんな道を自分と純一は歩ん

で行くことになったのだろうか。

 どれほどの期間、想い続けたのだろう。

 気が付けば、天江家の次女として新たに生を受けた。

 天江渚として時を過ごしている内に、不思議と純一への思いを忘れ去っていた。

 でも今、全てを思い出した。

 そして、確信した。

 今、この時、世界を超えて渚と純一の道が交わったのだと。

 

 

 

「願いは決まったぞ、純」

 渚は悟りを開いたかのように、澄み切った瞳で純の目を見つめる。

「何だ、言ってみろ」

 純は漫画ならバラの花がバックに描かれるほどキリッとした顔だった。

「私の人生を半分やる。だから、これから純の人生、半分私にくれ」

 その言葉と同時に二人は堅く抱きしめ合う。

「渚……」

「純!」

 そして、二人は唇を――。

 

 

 

「なにクネクネしてやがる。気持ちわりぃ」

 脳内で告白、結婚、出産とどんどん事を進めていると、パコーンといい音を立てて、渚の頭

が払われた。

「痛っ! 純、人様が熟慮に熟慮を重ね、何が最善の策なのか、思案に耽っているのを邪魔す

るとは何事だ!」

「問題ねぇ。『クネクネしている時は良からぬことを企んでいる時ですわ!』って透華が言っ

てたからな。雇い主の許可は得ている」

 天江姉妹取り扱い説明書、天江渚の章、第二項より抜粋。

『不可思議な動きをしている場合、大抵変な妄想に入り浸っている。教育上良くないと思われ

るので、多少強引にでも正気に戻させる必要がある』

 六年間、蓄積されたデータは渚を丸裸にさせていた。

「そ、そんなことはないぞ? そんなことはない……はず。きっと、おそらく、たぶん……」

 純のツッコミに、渚は目をキョロキョロと泳がせながら、しどろもどろに答える。

「自信なさすぎだろ……。体調戻ったんなら部室に帰るぞ。さすがにハラ減ったぜ、ハギヨシ

のメシが食いたい」

 よく分からんが元気になったみたいで良かった。

 安心した純は、腹ごしらえをするため、三度、渚を脇に抱え廊下を突っ切る風となった。

 

 

 天江渚15歳。前世を足せばさんじゅうピー歳。

 勇猛果敢な海の男も、今は妄想癖を持つ、恋に恋する乙女でしかない。

 肝心の願い事は、妄想よりはまともとはいえ、今晩一緒に寝てくれという欲望全開のものを

頼んでいた。

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