◇◇◇
「ふーん、そうなったか。
そうだよな、一生懸命掃除してたけど午後までぐっすり寝ていたみたいだし、まだ周くんを部屋には入れたくないよな。
なのに、クククッ、周くんは敏感だねぇ。何か臭いでもしたのかなぁ。
周くんに疑い持たせたのはこれから使えそうだなぁ。」
自室のパソコンのヘッドフォンをつけて、卓夫はニヤニヤしている。
実は、真昼の部屋の入口の鉢植えのところに盗聴装置を置いてきたのだ。
バレて捨てられたら仕方ないと、軽い気持ちで今朝がた真昼が寝ているうちに設置したのだが、思わぬ収穫があった。
日中、寝ていたようで動きはなく、午後は掃除機や洗濯機の音らしきものが聴こえていた。
わかる限りでは、警察に助けを求めた雰囲気はなかった。
そして真昼は、帰って来た彼氏に助けを求めなかった。
それどころか彼氏は真昼に対して何やら不審を感じたようだ。
もちろん、この後真昼が警察に駆け込む可能性はあり、今夜にも警察がこの部屋に踏み込んでくるかもしれないが……
その時はその時だし、何となく大丈夫そうな気がする。
真昼が藤宮周に、卓夫にされたことを隠して今までどおりの生活をしたいと思ってるのは間違いなさそうだ。
(その気持ちを利用して、あまり追い詰め過ぎないようにして……真昼の心と身体を完全に僕のものにするんだ !! )
実は卓夫は余裕ぶっているものの、ホントに真昼が警察に駆け込むなり、藤宮周に泣きついた場合夜逃げすることも真剣に考えてはいた。
どうせ捕まるとは心の底では思っていたものの、あがこうかと。
実際、部屋に戻ってからは逃亡用の荷物をまとめていたのだ。
そうはならなかったと安心した卓夫は、ゲーム感覚で真昼を手に入れる算段を考え始めた。
(とはいえ、なぜ真昼が藤宮周に泣きつかなかったのか、本当のところはわからないな。
そりゃあ彼氏にバレたくはないだろうけど、それだけが原因じゃない気もする。
そもそも、高校生の二人が共に一人暮らしをしてるってのもおかしな話だし……
僕は彼らについて何も知らなさ過ぎるな。)
「こりゃあ、材料集めだな……」
◇◇◇
早速、卓夫は探偵社に依頼を入れた。
私立探偵という職業に一抹の胡散臭さを感じつつも、真昼に関する情報の収集には最適だと判断した。
報酬は高くつくが、幸い卓夫には貯金があった。
仕事がデスクワーク中心で遊びもしない孤独な生活だったからこそ、金だけは蓄積されている。
息子の結婚相手としての人物調査という建付けで依頼した。特急割り増し料金も支払って。
調査報告書が手元に届いたのは数日後だった。
そこには椎名真昼の詳細なプロフィールが記されていた。
家庭環境に関する項目に目を通したとき、卓夫の目が大きく見開かれた。
《家族構成:両親健在。兄弟なし。父は大手企業の管理職。母も会社勤務。共働きのため、ハウスキーパーを雇用。両親ともに教育熱心だが極めて厳格。娘に対して過剰な期待と支配欲を示す傾向が見られる》
《保護者による躾について:暴力を伴う事例は確認できていないが、「期待に応えられない場合は存在意義がない」という思想を幼少期から植え付けられている可能性が高い》
《特記事項:対象者は親からの愛情表現を受け取った経験が極めて乏しいと思われる。「褒め言葉」はあっても、抱擁や感謝の言葉といった物理的・感情的な触れ合いは皆無に等しかった模様》
「な……なんだこれは……」
天使様と称されるあの純真そうで可憐な美少女のプロフィールとも思えない事実が、列挙されている。
卓夫は息を呑んだ。
なぜかうっすらと涙が湧き、報告書の文字列が滲んで見えそうになる。
(僕と同じだ……真昼ちゃんも……同じように……親から……)
卓夫自身の過去が走馬灯のように蘇る。
罵声と暴言の記憶。
テストで悪い点を取った時には夕食抜きで暗い納戸に閉じ込められたこと。
誕生日を祝われた記憶もなければ、抱きしめられた温もりの記憶もない。
親から受ける愛情とは名ばかりの期待の重圧。
それが満たされなければ存在そのものを否定される恐怖。
(彼女も……そんな地獄を……)
報告書には続きがあった。
《対象者は高校入学後に極めて孤立した環境に置かれていた。
嫌われているわけではなく、その美しさもあり「天使様」と呼ばれる存在へ昇華され、ある種敬遠されている。
唯一の例外は隣人である藤宮周氏との交流であり、彼に対して強い依存感情を示している。
この依存が異常なまでに強いと目される。》
◇◇◇
卓夫は探偵報告書を何度も読み返しながら、真昼への新たな理解を得ていった。
(彼女にとって藤宮周は……唯一の救いなんだろうな。あの温かい抱擁や無条件の優しさが……彼女にとっては麻薬みたいなものか)
真昼が周に依存する理由が痛いほどわかる気がした。
そして同時に、その依存心を壊したいという歪んだ衝動も芽生えていた。
報告書にある「親からの愛情表現の欠如」という記述が卓夫の心を掻き立てる。
(そうだ。僕だけが……彼女に本当の意味での愛を救いを与えてあげられるかもしれない……
同じ苦しみを味わったことのある僕だけが)
卓夫の指が報告書のプリントアウトをきつく握りしめた。まるで自分の記憶を投影されたかのような錯覚。
親からの否定的な言葉の数々、「お前なんかいらない」という暗黙のメッセージ。
テストで満点を取っても抱きしめてもらえなかった寒々しい日々が脳裏を駆け抜ける。
(……彼女も知らないんだ。“無償の愛情”ってやつを)
卓夫の胸の奥で何かが熱くなる。それは歪んだ優越感と同時に、奇妙な憐憫だった。
「真昼ちゃん……君は僕の……対の存在みたいなものかもしれない」
報告書には真昼が藤宮周に異常な依存を示しているとも記されていたが、卓夫にはそれが歪なものに思えた。
周から与えられるのは確かに温かさかもしれない。
しかし、それはあくまで表面的なものであり、真昼の根本的な渇望――親に満たしてもらえなかった深い孤独を
完全に埋めるものではない、恐らく。
(藤宮周じゃだめだ……僕にしか彼女の本当の痛みはわからない)
卓夫はもう一つの報告書ファイルをクリックする。
それは念の為に調査させた藤宮周に関する追加報告だった。
そこには中学生時代に友人関係で深刻な裏切りに遭い、人間不信を抱えていることや、
現在一人暮らしをしている理由などが簡潔にまとめられている。
《対象者:藤宮周
特記事項:対人関係における深いトラウマあり。他人との深い関係構築を避けている傾向が強い》
「……見つけた」
卓夫の口元が凶悪な弧を描いた。やはりそうだ。藤宮周もまた他人との距離を測りかねている。
彼は真昼に惹かれながらも、心の奥底では傷つくことを恐れている。
そして真昼もまた、周のその臆病さにきっと気づいている。
だからこそ彼女は周に全てを預けられない。
周が彼女の深い闇の部分を理解し、無条件に受け止めきれるとは思えないからだ。
(つまり……彼女の心の一番深い場所には誰も触れられない……でも僕は違う、違うんだ。)
卓夫は椅子から立ち上がり、真昼の写真が保存されたフォルダを開いた。
画面いっぱいに広がる可憐な天使の肢体。
初めて見たときは単なる欲望の対象だったその肌が、
今はまるで古傷を共有する同志のように愛おしく見える。
「僕だけが……君の本当の味方になってあげられるんだよ」
画面の真昼に向かって卓夫は囁いた。
その声には憎悪と同時に、自分でも制御できないほどの執着が滲んでいる。
(藤宮周とは決定的に違う。僕は彼女の身体だけでなく、魂ごと欲している)
卓夫はパソコンを閉じ、ポケットからスマホを取り出した。
ロックを解除すると、メッセージアプリの画面が表示される。
椎名真昼の名前がアイコンとともに煌めいている。
卓夫はゆっくりと指を動かした。
『元気にしてる?体調は良くなった?』
送信ボタンを押す前に指が一瞬止まった。返信はおそらく警戒心に満ちたものになるだろう。
あるいは無視される可能性もある。
だがそれでいい。今はまだ。
(まずは餌を撒くんだ……君が心を開いてもいいと思えるまでね)
卓夫はニヤリと笑いながら送信ボタンを押した。
スマホを置いて立ち上がり、部屋の薄暗い窓の外を見る。
隣の部屋の明かりがぼんやりと輝いている。
「待っててね……僕の可愛い天使様」
◇◇◇
卓夫は薄暗い自室でスマホを握りしめていた。
画面には数時間前に送信した写真――真昼の裸身が鮮明に映し出されている。
返信はない。既読はついている。だが卓夫には確信があった。
あの生真面目な少女が、自分の裸体を晒された写真を見て平静でいられるはずがない。
(見てるはずだ……ずっと画面を見つめてるに違いない)
隣の部屋から微かに漏れ聞こえる生活音を盗聴器が拾っている。
衣擦れの音。押し殺したような呼吸。時折、壁を軽く叩くような音さえする。
恐怖と屈辱で震えている音だ。
卓夫は壁の向こうに意識を集中させる。まるで透明な壁を突き破るように、真昼の絶望的な表情が脳裏に浮かぶ。
(怯えているんだ……僕からの次の指示を待ってる)
卓夫はスマホを操作し、新たな写真を送信した。
送信ボタンを押した瞬間、壁の向こうから小さな悲鳴に近い息遣いが聞こえた気がした。
卓夫は満足げに口角を上げる。
(さて……どんな反応を見せるかな……)
◇◇◇
椎名真昼は自分の部屋のベッドの上で膝を抱えていた。
手の中のスマホの画面には、つい数分前に届いたばかりの通知が光っている。
肝付卓夫からのメッセージだ。
恐る恐る開く。そこには一枚の写真があった。
あの日――眠っている時に撮影された自分の裸身だ。
最初は全身。次は胸のアップだ。
「……っ!」
真昼は悲鳴を堪えるために自分の口を塞いだ。
指先が震える。全身が凍りつくような感覚に襲われる。
何度も画面を見つめ、削除ボタンに指を伸ばそうとしては引っ込める。
(どうすれば……削除しても何も変わらないし、これは証拠になるかも)
スマホを裏返しにして机に置く。しかし数秒後にはまた手に取ってしまう。
真昼の脳裏を様々な思考が駆け巡る。
(もし……この写真が周くんに知られたら……?)
(もし……家族に知られたら……?)
(私の人生は……終わりだ……)
涙が溢れそうになるのを必死で堪える。
しかし、同時にあの時の記憶が――卓夫に犯された忌まわしい記憶が鮮明に蘇る。
(あの人は……怖い……でも……)
盗聴器があることを真昼は知らない。
しかし隣人である卓夫が何かしら手段を使って自分を監視しているということを漠然と感じ取っていた。
迂闊な行動はできない。この写真が何十枚もあるのならば、ただこの写真の削除を要求しても意味はない。
(どうしよう……どうすれば……この人に従えば……解放されるの……?)
(周くんに相談する?……きっと頼りになる……でも……)
真昼は知っている。この写真が世に出ることの恐ろしさを。
そして自分の家庭環境を考えると――もし万が一両親の耳に入ればどうなるか。
周との平穏な日常も全て崩れ去る。
(駄目だ……周くんを巻き込めない……
それに、自分が卓夫に凌辱されたと知ったら、もう天使様じゃない汚れた女になったと知ったら、
周くんは今までどおりに接してくれるだろうか?
わたしは彼の隣にいられなくなるんじゃ……)
そして真昼は、あの日彼が差し出した助けに手を出さなかったことも思い出す。
(あのとき、すぐに助けを求めていれば……そこをゴマかしたわたしの態度は……彼に対する裏切りだ。
裏切られることが一番嫌なひとなのに……)
真昼は自己犠牲的な思考に陥る。
自分さえ我慢すれば周は傷つかない。
そう信じていた。
その思い込みこそが、卓夫の策略に嵌まる原因だった。
◇◇◇
卓夫は、その後も写真を毎日送って真昼にプレッシャーをかけるだけでなく、彼女が通学する時間に顔を出して挨拶をした。
盗聴器でタイミングを図れば簡単だ。
「椎名さん、おはようございます ! 」
にっこりと笑いかける。
「ひっ……」
卓夫はニコニコするだけだ。
「お、おはようございます」
藤宮周が一緒にいれば、彼にも挨拶してそのまま見送ったり、ゴミ出しに行く。
いなければ……
あつかましくも、一緒にエレベーターに乗り込むこともある。
一階に到着するまでの間に、
「やめてください」
真昼の可愛らしいヒップから美しい脚線をじっくりと撫でまわす。
その弾力・柔らかさは格別だ。
時には、後ろから制服に包まれた乳房を、やんわりと揉みしだく。
制服に包まれた胸に手を出すのは、これまで制服姿の真昼を見かけるたびに卓夫が熱望していたことだ。
或いは、不意にキスを奪う。固く引き結んだ唇を割るのは難しいが、可憐な唇を舐め回す。
エレベーターの位置を慎重にチェックしながら、瞬間を楽しむ。
数秒間の勝負だ。
途中に住人が乗ってくる気配があればスッと離れるが、そしらぬ顔でさわっと尻に手を伸ばしたりする。
「くっ……」
真昼は耐えるしかない。
そんな日々が続けば、当然真昼の精神状態は不安定になる。