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そして、またいつもの日常が始まった。
少しだけ変わったのは、真昼が学校に向かう時間を把握して、そこを見計らってゴミ出しに出る、或いは先にコンビニで買い物をし、戻る道すがら真昼と顔を合わせ、挨拶をする。
その挨拶するひと時、その瞬間の真昼の笑顔が心の癒しだ。見知った相手に対して親しみのある笑顔で挨拶してもらえる、それだけが今回の一件の唯一にして最大の収穫だった……それで終わるはずだった。
あの日――風邪を引いた翌日の爽快な朝。
パティスリーでケーキを選んだ帰り道。
僕は運命の残酷さを叩きつけられた。
そして今日もまた、同じように心臓が締め付けられる光景が目の前にあった。
数日前から続く不安定な精神状態に耐え切れず、僕は気分転換に再びあの公園へと足を運んでいた。
真昼ちゃんと最初に出会ったあの公園。
雨に濡れて座っていたブランコが、今日はカラッと晴れ上がった陽光に照らされている。
(あの時は……本当に幸せだったな)
ほんの数週間前の出来事が遠い昔のように感じられる。
ベンチに腰掛け、缶コーヒーを飲みながら虚ろに空を見上げていると――
視界の端に動くものが見えた。
木々の茂みの陰にあるベンチ。
そこに人影が二つ、並んで座っているのがちらりと見えた。
僕は無意識に目を凝らした。
(まさか……?)
心臓がドクンと跳ねた。
特徴的な亜麻色の長い髪。
見間違いであってほしい。
神様お願いだ。
だが僕の願いは虚しく砕け散った。
真昼ちゃんと藤宮周だった。
真昼ちゃんは藤宮の肩に頭を預け、彼はそんな彼女の髪を優しく撫でている。
そして――二人の唇が重なった。
最初は触れるだけの軽いキスだった。
でも一度離れた後、再び吸い寄せられるように近づき、今度は深く長いキスに変わっていく。
藤宮の手が真昼ちゃんの背中に回り、しっかりと抱きしめている。
夕暮れ時の柔らかな光の中、二人の姿はまるで一枚の絵画のように完璧に溶け合っていた。
僕は声も出せなかった。
呼吸さえ忘れていたかもしれない。
心臓が喉から飛び出しそうなくらい激しく脈打っているのに、全身から血の気が引いていくのを感じた。
視界がぐにゃりと歪む。
(なんだ……これ……?)
怒り?
嫉妬?
悲しみ?
絶望?
どの言葉も今の感情を正確に表現できない。
ただ胸の奥底からドロドロとした黒い塊が湧き上がってくる感覚があった。それは醜い嫉妬と歪んだ独占欲が混じり合った汚泥のような感情だった。
二人がどれくらいキスを続けていたのかわからない。
永遠にも感じられたその時間が不意に終わりを告げた。
唇を離した真昼ちゃんの頬はバラ色に染まり、潤んだ瞳で周くんを見上げている。
藤宮はそんな真昼ちゃんの額に軽くキスをして、耳元で何かを囁いた。
真昼ちゃんは幸せそうにコクンと頷き、二人は手をつないで立ち上がった。
そして僕の存在には全く気づかず、公園の出口へと歩いていく。
その背中が見えなくなるまで、僕はただ呆然とベンチに座り込んでいた。
我に返った瞬間、弾かれたように立ち上がった。
缶コーヒーを放り投げるようにゴミ箱に捨て、足がもつれそうになりながら全速力で家路についた。
呼吸が苦しい。
肺が焼けるようだ。
でも走るのを止められなかった。
あの場所にいることが耐えられなかったから。
マンションに駆け込み、自室のドアを乱暴に閉める。
鍵をかける余裕もなく、ズルズルとその場に崩れ落ちた。
荒い息遣いだけが静かな部屋に響く。
壁一枚隔てた向こうからは、微かに真昼ちゃんと周くんの賑やかな話し声が聞こえてくる気がした。
幻聴かもしれない。
でもそんなことはどうでも良かった。
「は……はは……ははは……」
乾いた笑いが零れた。
自分自身への嘲笑なのか、運命への怒りなのか、もはや区別もつかない。
床に座り込んだまま俯いていると、ポタリ、ポタリと冷たい滴が落ちて床板を濡らした。
それが自分の涙だと気づくのに少し時間がかかった。
「なんで……なんで俺じゃダメなんだ……」
嗚咽混じりの声が漏れる。
「あんなに優しくしてくれたじゃないか……あんな可愛い顔を見せてくれたじゃないか……なのに……」
彼女にとって俺は本当にただの「お隣さん」で、「周くんの思い出に重なっただけの変なおじさん」。
そして今は「周くんとのラブラブな日常を彩る背景」に過ぎない。
あの光景を見て確信した。
彼女は俺を「キモい」とは思わなくても「恋愛対象」とは絶対に見ない。
年齢差があるし、当たり前のことだ。
だが、それを無性に理不尽だと感じてしまう。
仕事で最低に落ち込んでいたあの時に、差し伸べられた小さな手。
それを取ってしまったがために、信じてしまった。
彼女には何の責任もないる
きっかけは関係ない、ただの親切心。
なのに……
絶望と同時に、腹の底から熱いものが込み上げてきた。
それはこれまで感じたことのない強烈な執着心だった。
(欲しい……! あの笑顔が……あの優しさが……
あの美しさを……あの子の全てが欲しい……!)
理性的な判断はどこかに消し飛んでいた。
倫理観も罪悪感も、この狂おしいほどの渇望の前では紙屑同然だった。