ちょっと大きい獲物 作:自棄ノ原
原作2巻 コミック3巻読了後推奨
迷いを抱えたまま、今日も今日とて訪れた国王官邸で、ディネルースは久々に王の護衛に出会った。廊下を歩く四つ足の大型獣。知性をもつ魔種族、巨狼のアドヴィンである。
アドヴィンは、グスタフ王の護衛として長年仕えている。百年以上も身近に接してきただけあって、王とは主従でありつつ友人めいた親密さがあると、ディネルースは察している。
「アドヴィン殿」
声をかけると、巨狼はのそりと振り向いた。ベレリアントの山岳では栗鼠のような俊敏さをみせる種族だが、この官邸では動作まで穏やかである。
巨狼の喉は、どのような仕組みと訓練によるものか、流暢な低地オルク語を発音した。
「どうなされた、アンダリエル少将」
「その……このところ、夕刻からはずっと席を外して下さっていると思う」
その事が、ずっと気になっていたのである。最初に王に迫った夜、彼女はアドヴィンに頼んで、敢えてふたり切りにして貰った。アドヴィンは「貴殿にしかなせぬ事もある」と言って許してくれた。それから半月近く、彼女がアドヴィンの姿を見ることはなかった。
「私へのお気遣い、まことにかたじけない。ただ、あまりにご遠慮されずともと、そうお伝えしたかった」
すると狼は鋭い目を丸くし、腹を膨らませ、獰猛な息を二、三度と吐いて牙を見せた。
ディネルースは思わずびくりとしてしまったが、狼は、たぶん笑ったのであろう。
「恐れ入るが、貴公への気遣いではない。私が気遣うのは我が主のお心のみ」
「グスタフ……王の」
「あの方がそう望んでおられる。私には分かる。だいたい、貴公はもう、あの方のツガイではないか」
ディネルースは恥入りつつ頷いた。彼女と王の関係は官邸内では周知の事実だろうが、面と向かって言われるのは初めてのことである。狼は続けた。
「ならば、何の遠慮がある。巨狼とて木石ではない。種族は違っても、牡には牡の気持ちが分かるもの。まして、多年仕える主のお気持ちならば」
「……いいのだろうか。私はこんなに、あの方と共にいても。私は妃でもないし、そうなれるはずもない。グロワール王国のように、王の愛妾なんて地位にのさばるつもりもない」
それが彼女の不安だった。
官邸職員たちは、彼女と王の関係を知りながら、まったく以前のまま「少将閣下」として遇してくれる。
それは有難いことだが、それでは自分は王の何であるのか。ただ一時の慰めに手をつけられただけの女か。そうだとしても、何の文句も言えない立場に、彼女はある。異種族で、亡命者の闇エルフ。オークの王と公式に結ばれることはあり得ない。
そうわかってはいても、恋人のように通い詰めずにはいられない。地位の保証などはいらない。しかし、彼と共にいてもよいのだと、何かに裏書きして欲しかった。
それが無いから、旅団の部下たちにだって、どう説明していいか分からないのだ。
アドヴィンは、あっさりと言った。
「我が主のお心は明らかだ。貴公と片時も離れたくないと、そう思っている。叶うならば、貴公とずっと巣穴に籠り、ひたすらにまぐわっていたかろう」
あけすけな宣告に、ディネルースは息を飲み、縮こまって赤面した。それは全く、彼女自身の気持ちでもあった。
狼はさらに言った。
「ずっと黙っていたがな。貴公、スコル村の狩人であろう」
「……いかにも」
「さもあろう。闇エルフ一万二千を助け出した腕前。他の者では、あり得ぬと思っていた」
スコルは確かにディネルースの出身地だ。その氏族長だった。しかし狼は、狩人、と言った。族長としてでなく、ただの一狩人であった時代に、確かに彼女には巨狼族との関わりがあった。
互いに仇として、である。
「スコルの狩人。我が先代の巨狼族長、大きく猛き牙、カルカロスを殺した勇者よ」
「…………」
やはり、であった。大勢の手練の闇エルフを殺した、ひときわ大きく知恵深い巨狼。彼女が討ち果たした最大の獲物である。
彼女は強敵に挑み、山中で三日三晩に渡り、追いつ追われつの追跡戦を繰り広げた。互いに不意を打とうし、秘術の限りを尽くした騙し合いでもあった。
彼女は巧みに罠を仕掛け、狼に見破られ、それを囮に決死の奇襲を仕掛けた。それでも、射撃の機会は一度しかなかった。ごく僅かでも狙いが逸れていれば、直ちに殺されていただろう。勝利できたのは奇跡のようなものだ。
凄まじい、恐ろしい、そして素晴らしい敵だった。あの狼も、今際の際に、自分のことをそう思ってくれたなら、どんなにか誇らしいだろうと、彼女は今も思っている。
しかし、あの雄敵の後に族長を継いだのがアドヴィンであれば、当然、彼と先代が知らぬ仲であるはずもない。殺した自分はまごうことなき仇のはずだ。
「アドヴィン殿。今の私は王の臣下だ。勝手に命を賭けることはできない。しかし、エルフィンドとの戦いが終わった後に、まだ私が生きていて、もし貴公が望まれるなら……」
巨狼は、また笑った。
「貴公に恨みなどない。最大の敬意があるのみだ。私はついにカルカロスに及ばなかった。勝って族長の地位を得るつもりだったがな」
そこで言葉を切ると、狼は少し思案するように間を置いてから、言った。
「その貴公にはな、強くあって欲しい。いつまでもだ。今の貴公は、一軍の将帥だが、狩人ではなくなってしまったか?」
山の匂いがした。
下草の匂い。
木々の合間に見える獲物の影。あの、偉大なる敵。
あの勝負を制したという誇りが、ディネルースの胸に沸々と蘇ってきた。
「アドヴィン殿。あの勝負を忘れたことはない。私はあの雄敵を倒した狩人だ。何千年生きようと、決して忘れない。一生の誇りだ」
狼は頷いた。
「ならば、よかろう。我が友、ディネルース。私のことはアドヴィンと呼んで欲しい」
「ありがとう……ありがとう。アドヴィン」
狼は鋭い牙をみせた。
「私は主の護衛だが、友だとも思っている。主もそうだ。私は友として、貴公はツガイとして、主を支えよう」
ディネルースは迷いなく、恥ずかしがることもなく、誇らかに答えた。
「了解した。しかし、ツガイというのは、どうかな」
「エルフは何と言うのだ?」
ディネルースも獰猛に笑った。まさしく狩人の笑みだった。
「簡単さ。私は、あのひとの女だ」
――ああ、そうなのだ。何を迷うこともない。堂々としていればいい。特別な関係、特別な存在なんだ。気遅れなんかしない。相手が王だからって。
ならば、為されるがままではいない。彼にも、そう教えてやらねば。そういえば。
彼女は首の後ろに手をやった。そこにつけられた痣のせいで、彼女と王の関係は露見したのだ。まったく、迂闊なことをされたものである。
その痣は、エリクシエルの効能によって消えている。万能薬は身体を活性化し、あらゆる怪我を急速に癒してくれるのだ。
しかし、憤りまでは消せない。
まったく、グスタフの馬鹿め。私をいいようにして。
ひとつ、思い知らせてやろう。
私はスコルの狩人だ。
その夜のことである。
いつものように王と夕食を共にした。今夜は軍服のままだ。
ふたりしてシャワーを浴びてから、グスタフが彼女のために選んでくれた酒を楽しんだ。妙な名前の蒸留酒だ。
「電撃?」
「うん、メルトメアのものでね。ベレリアントに近いから、君の好む火酒に風味の影響を受けてるらしいんだ」
そう勧められるままに試してみる。喉を焼く感覚の強烈さは、オルクセンに来てから飲んだ中で、懐かしい味に最も近い。
「これはいいな……! 故郷を思い出す」
「それは良かった。何本もあるから、持って帰ってくれ」
「有難い! 旅団のみんなも喜ぶ」
グスタフは彼女よりも嬉しそうに相好を崩した。
ますます確信は深まった。やはり、そうなのだ。
まだたっぷりと残る瓶にコルクを閉めると、ディネルースは立ち上がり、王の手を取った。
「ディネルース?」
いつもなら、王に抱いて運んでもらうところである。しかし、もう待ってはいられない。
今日は訪ねていいかなんて、いつ誘ってくれるのだろうなんて、受け身でばかりはいられない。
私が何者か、教えてやろう。そして、彼にもはっきりさせるべきだ。
オークの耳に手をやり、支えるように持ち、そこに囁きを吹き込んでやる。
「待ちきれないんだ。故郷を思い出したら、ますますそうなった……貴方の方は、いいか?」
牡は驚いたようだったが、素直に従って立ち上がる。その手を引いて、彼女は寝台まで誘った。
「寝そべってくれるか?」
グスタフは素直に従った。オークにしても大柄な体躯が横たわると、きしりと寝台が鳴った。
その軍服に褐色の手を這わせ、次々に剥ぎ取っていく。
「なあ……グスタフ」
「なんだい?」
「実は、どうやら旅団の皆に気取られてな」
「…………」
王が沈黙する間も彼女の手は忙しく働き、オークの体から何もかも取り去ってあらわにした。彼女自身は、まだ軍服に身を固めている。
自分だけ無防備になった牡を見下ろす。
「私の迂闊もあるが、首のうしろに痣をつけられたせいだ。顔から火が出るほど恥ずかしかった」
「それは……すまなかった。君の旅団に」
国王の分厚い唇に指をあて、その言葉を止める。
「旅団は関係ない。気にするな。そっちの面倒を見るのは、指揮官としての私の責任だ。そんなことで士気は揺るがない」
むしろ、妙に高まって困っているのだ、とは言わなかった。
「……そうか」
迂闊な王は、ほっとした顔になった。せっかく手に入れた貴重な騎兵戦力を、そんなことで損なわなくて良かったと、王の顔に書いてある。
ディネルースは微笑んだ。
「しかし、身に覚えがあるな?」
「……ある」
「そのことだ。私は無かった。ヴァスリーに言われるまですっかり忘れていた。それでな、反省したんだ……」
「反省?」
「至高の大元帥たる王よ。勝利のために最も大事なこと、それは何だ? あなたの陸軍の操典には何と書いてある?」
ディネルースの手はグスタフの滑らかな腹の皮膚を撫で、徐々に下へと下がっている。王は顔に困惑を浮かべつつ、真面目に答えた。
「数か、それとも士気か?」
ディネルースの瞳は鋭く輝いている。
「主導権だ」
彼女の手は牡の隆起に到達した。それをそっと握る。
「私はいつも、貴方にされるがままだった。だから不覚をとった」
牡の部分は震え、期待に張りを増している。
ディネルースはにやりした。
「死ぬほど恥ずかしかったぞ。ヴァスリー達に気づかれた時だけじゃない。一昨日、あなたに好き放題されている時もだ」
「……喜んでくれているかと」
「ああ、そうだとも」
ぎゅっと握られ、牡は呻きをあげた。
「全く、信じられない。あんな風だなんて思ってもなかった。何故か悔しい気もするが、いつだって喜んでいるとも……しかし」
隆起した部分に自分の頬を擦り付ける。牡に見せつけるように微笑みを浮かべる。
「喜ばせるのも楽しそうだ」