ちょっと大きい獲物 作:自棄ノ原
原作2巻 コミック3巻読了後推奨
翌朝――国王と朝食をともにし、彼女と交代するように現れたアドヴィンに見送られて、ディネルースは官邸から衛戍地へ出勤した。
衛兵たちに元気よく「おはよう!」と声をかけて入門する。
通り過ぎた後ろから視線を感じるが、今朝の彼女はそのまま進む。
馬首を厩舎の方にむけると、騎乗して見回りをしている参謀長をみつけた。
「おはよう、ヴァスリー!」
「おはようございます、旅団長!」
イアヴァスリルは昨夜の当直だったはずである。
「何か問題は?」
「――いえ、特には……」
そう馬上で言い交わす彼女らに、通りすがりの兵たちが敬礼を送ってくる。
答礼しつつ、兵たちの表情を伺えば、やはり意味深長なものがある。
旅団長と参謀長が通り過ぎた後には、なにやらひそひそという声もする。
その気配をイアヴァスリルも察していると、妹分の横顔で分かった。
「――本当にか?」
と尋ねてみれば、妹分にして信頼する参謀長は「朝日が眩しい」と言いたげな顔になった。
伏せ目がちに目線をそらし、やっと「……ええ」と答えた。
そうか、と適当に首肯して、ディネルースはようやく腹が立ってきた。自分に、である。
旅団長の色恋沙汰をひそひそと噂する。それはいい。
上司たるもの、悪口や噂話の的にされるのは仕事のうちだと割り切っている。
しかし、誰も彼もが自分に気を使っている。彼女らに気を使わせてしまっている。
そんな自分が苛立たしい。
それより何より、許せないのは。
(グスタフのことだ!)
夜回りの中で耳に挟んだ噂話を思い出す。
<求められて断りきれなかったのよ。今の立場じゃ...>
<ああ、きっと苦しんでいらっしゃる>
グスタフは、断じてそんな男ではない。
闇エルフを受け入れたのも、泥まみれで倒れていた氏族長の色香に迷って、なんかではない。さりとて慈悲の心だけでもない。国家戦略あってのことだ。
絶滅されかかり、選択肢のない種族をオルクセンの牙として迎える。いつかエルフィンドに攻め込む材料の一つ、そして戦力にするために。
その判断の冷厳さ。それに罪の意識を感じる廉潔。それでも断行する勇気。
自分に好意を持ちながら、権力関係を自覚して、決して触れようとしなかった優しさ。そして誇り高さと、臆病さ。
なんと素晴らしい。私の、私だけのグスタフ。それを……
<まさか力づくで……なにせ、オークは怪力だから>
<我らの保護と引き換えに……>
許せない。あんなことを言われていい男では、決してない。
彼女は馬上で思案した。
全員を練兵場に呼び集めて、叱りつけるか?
却下だ。士気が下がるし、下手に強く否定して、妙に悲壮な解釈をされてはたまらない。
何より、彼を好きな気持ちを、彼に好かれているということを、秘密にはできても、否定なんてしたくない。
では、参謀長や連隊長だけを呼び集め、かくかくしかじかと説明し、間接的にそっと知らせるか?
駄目だ。旅団長に近しい幹部たちほど、かえって忖度を働かせてしまい、途中で話が曲がる恐れがある。
迂遠なことをせず、噂をきっぱりと消して、旅団の雰囲気をぱっと明るくするような――
(グスタフに倣おう。私は狩人で、今は騎兵でもある。包み隠さず、単刀直入、これあるのみだ)
だいたい、私は部下たちを信じている。彼女らが私を信じているように。
ならば――と、彼女は決意した。自分に自信を取り戻せば、彼女の決断は早いのだ。
そして彼女は、突撃の戦機を見極めた。
今日は午前だけの訓練を終え、兵どもを解散し、司令部の書類仕事も終えた。
その後、兵たちが午後の休暇外出に出かける、その前の時間を狙った。
旅団長室にひとり陣取ると、この衛戍地内に範囲をしぼった魔術通信を飛ばす。
エルフならば聞き逃さないし、旅団の外に漏れることもない。
「傾注。旅団同士諸君、その場にて傾注せよ──」
衛戍地内が一瞬ざわめき、すぐに静粛となった。誰もが魔術感覚を開いている。
「旅団長である。どうにも私のことが気になって仕方のない連中がいるようだから、一度だけ告げてやる。いいか、これっきりのただの一度だけだ」
自分自身の言葉で、はっきり伝えてしまうのだ。彼だって、はっきり言ってくれたのだから。
「私は故郷で、ただの一度も獲物を仕留めそこなったことはない……」
あの素晴らしい敵、先代の巨狼族長と戦い仕留めた女。現族長アドヴィンの友。
誇り高い狩人だ。決して部下の影に隠れたり、逃げ出したりなんてするものか。
「いいな、私は仕留められたのではない──」
そして今は――グスタフ・ファルケンハインの女。彼の最愛の女だ。
そう望み、そう願い、そう仕向け、そして叶えた。
「私の、この私自身の意思で、ちょっとばかり大きな獲物を仕留めたのだ」
誰にも後ろめたいことはない。むしろ、誇らしい。
王の愛妾だからと、威張ることも、日陰に隠れることもない。
この自分自身として、愛する男に愛されている。世界で一番、幸福な女なのだ。
「以上、終わり」
魔術の意識を切ると、窓の外から部下たちの歓声が聞こえた。ひときわ大きな声で爆笑しているのは、きっとエラノールだ。あの嬌声はラエルノアかもしれない。楽器の音まで鳴りだした。
彼女の作戦は完全に成功した。
ふっ――と、笑ってしまう。
最初から、迷うことなどなかったのだ。
将校鞄の中から陶器のボトルを取り出した。昨夜、王に貰い、一口だけ飲んだもの。まだ、たっぷりと残っている。
「
なんて良い銘だ。戦い方はこれに限るじゃないか。
先ほどより範囲をずっと絞った魔術通信を送る。
「ヴァスリー、ちょっと来い」
ドアが即座に開き、妹分が照れくさそうに顔を出した。
旅団長室のすぐ外で聞いていたらしい。きっと心配してのことだろう。
ディネルースはくすりと笑った。午後は休みである。
「遊び者の旅団長が、苦労ばかりかけてる腹心に、いいものを飲ませてやる!」
そして、酔いが回ってきたら、色々と教えてやろう。彼女も気になっているだろうから。
さぞや、びっくりすることだろう。
もちろん、私があまりにも恥ずかしい話は除いて、だが――しかし、あれこれと話さないではいられない。
だって狩人は、仕留めた獲物を自慢したくてたまらないのだ。
(おわり)