戦争の覚悟 作:自棄ノ原
原作2巻、コミック4巻まで読了後推奨。
アンファングリア旅団がもつ広大な練兵場で、騎兵たちが三角形の隊形をとり、速足に動いている。無数の鉄蹄が地面を踏み鳴らし、轟轟たる地響きと砂煙をあげている。
真っ直ぐに進み、号令に従って方向を転換しても、その陣形はほとんど崩れない。個々の騎兵は、右手にサーベルを持って肩に添わせている。手綱を握り、操作するのは左手のみ。それでいて、騎兵同士の間隔は遠からず近かからず、ほぼ一定を保っている。
そのような三角形、楔隊形の小部隊が、ディネルースの目前をひとつ、またひとつと通り過ぎていった。
彼女の隣で椅子に座る老オークは、平素は気難しげな顔をほころばせている。彼女以外にも聞かせるような、大きく朗らかな声である。
「見事なものだ! この短時間で、よくここまで仕上げられた」
「恐れ入ります。閣下」
「十年は練った精兵かと見紛うたぞ。よほど熱心に鍛えねば、騎兵はこうも早くは仕上がらん。将校たちもいいが、兵の一名一名に気合が入っていればこそよのう」
激賞を受けて、ディネルースは直立不動のまま微笑みを返した。
「兵どもも喜びます。長年、我が国の騎兵を育ててこられたツィーテン上級大将にそのように仰ってくださるとは、たいへんに名誉なこと」
「いやいや、騎兵監といっても、若い頃から馬に乗ってきた年寄りだというだけよ。儂などが教えられることはないのう。オルクセン初の中型馬の騎兵、いや、眼福させて頂いた」
視察に来た上級大将、騎兵科の親玉の上機嫌ぶりは、周囲の雰囲気を明るくした。すぐ後ろで控えているアンファングリア旅団の参謀たちや、ツィーテンに随してきたオークの騎兵参謀たちも、すっかり安堵している。
やがて全部隊が彼女らの目前を通り過ぎ、訓練は終わった。
「ありがとうございました、閣下。旅団司令部にご案内致します。しばしお休みになって下さい」
そう言うと、ディネルースはツィーテンを自ら案内した。リウマチを患う老将軍のため、今日に備えて一階にしつらえた臨時の応接室に導く。
随行の参謀たちは別室である。そちらは、イアヴァスリル参謀長をはじめ、アンファングリア旅団の参謀たちに接待させている。
ディネルースはツィーテンのために自ら椅子を引き、彼女自身も「失礼致します」と断ってからテーブルの対面に腰掛ける。そして、扉が閉まっているのを目で確認してから、対面の老将をぐっと見据えた。
上級大将の顔つきは一変している。初対面の者なら渋面と思いかねない、真面目で苦み走った表情だ。
ディネルースは本題を切り出した。
「ありがとうございました。それで、我が旅団をいかがご覧になりましたか。実際のところをご教授頂きたい」
「正直、驚いている……」と、ツィーテンは落ち着いた声で語りはじめた。
彼はオルクセン軍の最高幹部、三名の上級大将の一頭だ。豪放磊落なシュヴェーリン将軍とも、硬軟自在で懐の深いゼーベック参謀総長ともまた違う、深沈重厚な威厳がある。
歴戦の老将は、言葉の一語一語を選ぶように語った
「よく速成したと思う。本当に。多年鍛えたオーク騎兵、その平均より上には、もう達していると見た。大したものではある」
「では……」と、ディネルースは促した。
老将は重々しく頷き、最初の宣告をした。
「既に実戦には耐えよう。例の計画にアンファングリアを参加させるよう、儂も賛成する」
例の計画――とは、修正された対エルフィンド侵攻作戦計画のことを言っている。開戦となれば必ず参陣したい、できれば最前線で戦いたいとは、エルフィンドへの復讐を誓う闇エルフ兵たちが、誰しも心から願っていることである。
それを認められる練度にあるか確かめるというのが、騎兵監ツィーテンが視察に来た目的である。兵達にはただの訓練視察だと言っており、侵攻計画との関係を知っているのは将校達だけだ。
しかし、それすらも、表向きの話だった。
ディネルースは促した。ツィーテンの評価にある含みには、当然に気づいている。
「それでは……もし今のまま、エルフィンドの騎兵部隊と、まともに当たったならば?」
「貴官こそ、よく承知されていようが……勝てないな。騎兵としてまともに動けるという程度では、奴らの相手にもなるまい」
ツィーテンは、そう判断できる、オークとして唯一の将軍なのだ。それを見定める資格を持つ将が他にいるとすれば、それはエルフィンド軍にかつて属していたディネルース本人である。彼ら二名の判断如何で、参謀本部は敵騎兵に対する自軍騎兵の戦力評価を定め、作戦に反映させねばならない。
また、彼の判断に、ディネルースも全く同感であった。黙って首肯し、ツィーテンに先を促す。老将は目を細めて語りはじめた。
「儂はロザリンド会戦の前哨戦で、白エルフ騎兵と戦ったことがある。そして大敗を喫した。貴官は百も承知の通りだがな」
その百二十年前の騎兵戦を生き残り、未だ現役の地位にあるのはツィーテンだけなのだ。
「あの時、儂は状況を掴むこともできなかった。霧の中で接敵したかと思えば、目前の敵はすぐ逃げ散った。気づいたら、左右をサーベル騎兵の壁に挟まれてしまっていた……あれ、何と言ったか」
「溶岩戦術ですな」と、ディネルースは補足した。ツィーテンが忘れたふりをしているだけだとは気づいている。老将軍は続けた。
「彼女らの騎兵は、一体の生き物のようだった。変幻自在、全ての兵が為すべき動きを心得ておらねば、到底ああはなるまい。魔術通信の力だけとは思えん」
基本的な練度が桁外れに高いのだと、そう言っていた。ディネルースも全く同感である。何の反論もできない。
彼女は、エルフィンド軍に属していた時は猟兵士官であったし、白エルフ騎兵とは肌の色の違いもあって、ほとんど交流はなかった。しかし、整然と移動する白エルフ騎兵の姿を思い出すだけで、今のアンファングリア旅団では比較にならないと思わざるを得ない。
ディネルースは気落ちを声にあらわさぬよう、努めて毅然として尋ねた。
「騎兵戦は厳に避けねばならないと、それは承知致しました。僭越ながら小官も同意見です。しかし、それで侵攻計画が成り立ちましょうか」
「それは作戦局が考えること。儂や貴官の領分ではない。元々は貴官ら闇エルフの加入がなくとも、オーク騎兵だけでやるつもりだったのだからな。火力を頼りにして」
「しかし……敵騎兵、例えば最精鋭の黄金樹旅団が出てきた時に、砲火力を整える時間がありましょうか。即応できるのが我ら騎兵だけということもあり得るのでは。その時に対策は要るはずです」
「グラッドストン機関砲かね? アンファングリアに預けてある」
騎兵突撃を一挙に旧時代の遺物に変えてしまいかねない、新兵器のことである。
ディネルースは首肯したが、彼女がその戦術研究を担当しているだけ、限界についても弁えている。
「それもあります……しかし、あれだけでは足りません。戦い方を全体を工夫せねば」
その辺りに、ツィーテンの長い経験から有意義な示唆を得られないかと、彼女は密かに期待していた。
老将は頭をめぐらせている。過去の歴戦に思いを馳せているのかもしれない。やがて、言った。
「儂が知っているのは、ほんの僅かなことだ……。弱兵で、足が遅い上に疲れやすいオーク騎兵で、エルフや人間の騎兵に散々にやられてきた経験しかない」
「それでも、閣下は戦い抜いてこられました。弱兵をもってして、いかにして強兵に立ち向かえばよいのでしょうか」
「とにかく、敵の強みを避けることよな。儂はむしろ、貴殿の経験にこそ期待している」
ディネルースは眉間に皺を寄せた。彼女は騎兵旅団長だが、馬を本格的に扱うようになったのはオルクセンに亡命してきた後。素人同然の身に過ぎない。
「……と、仰いますと」
「儂らからすれば、闇エルフ猟兵こそ、そういう兵だと思っておったんだ。まともに組み合えばオーク歩兵の敵ではない、そのはずだ。それなのに、儂らオルクセン軍は貴官らに翻弄された……影も踏めないまま、散々にやられた」
ロザリンド会戦のことを言っているのは明白だった。
「儂は、あの時のオルクセン軍は強みを潰されたんだと思っている。貴官らの魔術通信の測量だの、堡塁や狙撃ということもあるが、それらは道具立てのこと。本質はそこではないかとな」
「敵の強みを潰す……敵騎兵の強みを。ロザリンド会戦のように……」
「儂に言えるのはそのくらいじゃ。この年寄りの頭もせいぜい絞ってみるがな」
老将の目尻に皺がより、瞳がきらりと光った。貴官に頼むよ――と、そう言われているようだった。
ディネルースは、自分の中に答えがないことに、何とか答えようとした。
「工夫を重ね、大いに研究を致します。また旅団の練度向上も、まだまだこれからと心得て。来年の夏までには、並の白エルフ騎兵にならば劣らぬように引き上げてみせます」
ツィーテンは頷いたが、何か物憂げな様子である。ディネルースが沈黙を保っていると、しぶしぶというように、短く漏らしてくれた。
「……期待している。その時間があることを」
ディネルースは、己の褐色の肌から血の気が引くのを自覚した。