戦争の覚悟 作:自棄ノ原
原作2巻、コミック4巻まで読了後推奨。
今朝、ディネルースが出勤する先は、アンファングリア旅団の衛戍地ではない。
陸軍参謀本部である。
本部は国王官邸から目と鼻の先にあるから、すぐに着いた。待ち合わせていた旅団の参謀たちと合流する。「私は官邸から参謀本部へ行くから、現地で合流しよう」と、もうディネルースは部下たちに何気なく言える。
部下たちも、旅団長が国王と夜を過ごすのは当たり前だと受け取るようになっている。彼女ら闇エルフ族は、数ヶ月前に集団亡命してきたばかりの少数種族だ。その指導者たる「ディネルース姉さま」が国王を射止めたことは、奇妙な話だが、彼女らに大きな自信を与えた。
それに、旅団長から惚気話を山ほど聞かされたイアヴァスリル参謀長が、そのなかで比較的穏当な一部分を、他の者に漏らしてしまったせいもある。その情報が居留地全体に共有されるまで一日とかからなかった。途中で、かなりの尾鰭がつけられたのは言うまでもない。これはディネルース本人だけが知らぬ事情である。
そのようなわけで、今や闇エルフ族の軍民あわせて一万二千の女たちは、挙げてディネルースと国王の恋の応援団のようになっている。
応援の仕方は様々だ。
無言のうちに色々と配慮してくれる参謀長。
遠慮なく囃し立てる連隊長たち。
その尻馬に乗って際どい質問を放ち、怪しげな助言まで吹き込もうとする旅団参謀たち。
ひたすらに噂し、妄想を逞しくする兵と農民。
時に困惑させられつつも、ディネルースは仲間の暖かさに感謝している。
正直に、率直に伝えて、本当に良かった――と、そう思っているのだ。
充実した恋を楽しんでいる女の顔はおくびにも出さず、今日のディネルースは凛々しい騎兵将軍である。
参謀本部の大会議場には、彼女のみならず、オルクセン軍の将軍がほとんど全て参集していた。それぞれに主だった参謀を伴って、会議室をみっしりと埋めている。それだけ重要な会議なのだ。
王の姿はない。この場の最上位者、参謀総長のゼーベックが、自ら会議の始まりを告げた。
「本日の将軍会議の目的は、みな知っての通り、第六号計画の改訂版を配布し、その内容を周知することにある」
第六号。対エルフィンド戦争計画のことである。
特徴的な白髪眉で知られる老参謀総長は、訥々と語った。
「まず、発表する。今次改訂に際し、辱くも国王陛下より、本計画に冠する新たなる作戦名を賜った。白銀――と」
一同はざわりと声を漏らした。白銀樹を叩き折る気概で、宿敵エルフィンド王国を粉砕する――命名に込められた王の強い意志を感じたのだ。
その命名が、実はディネルースの発案だとは、王と彼女だけの秘密である。
ゼーベックは淡々と続けた。
「これ以降、本計画はその名称をもって呼ぶことにする。白銀の場合、と。本計画は机上のものに非す。即時実行可能たるべき即応計画である。諸将はよくよく拳拳服膺し、陛下が御意を体し、万全の準備に務められんことを要望するや、切である」
ゼーベックは滔々と語り終えた。この上級大将は、部下を引き立てて自分は控えるのが常で、決して目立ちはしない。
しかし、オルクセンの参謀本部が発足してから常に総長の座にあり続けてきた牡だ。参謀本部のみならず、オルクセン軍という組織そのものを現在の形に作り上げ、かのデュートネ戦争を戦い抜いた大参謀である。
歴戦の内に春秋を重ねた老雄の語り口は、ひたすら平板ながらも、巧まずして場を粛然とさせる深みがあった。
「……では、今回の改訂について、細部は作戦局長から説明させる。グレーベン少将」
「はっ」
後を引き継いだグレーベンは、参謀次長を兼ねている。総長とは対照的に若い。いかにも才気活発、機略縦横な参謀型である。
悪く言えば落ち着きに欠け、挙措といい顔つきといい、若いというより幼いように見える。内心では、己以外の者が馬鹿に見えて仕方がないという牡で、それがしばしば言行にも表れてしまう。
上司であるゼーベックと舅のシュヴェーリンが後ろ盾となり、彼の圭角の害を和らげるよう、事あるごとに世話を焼かなければ、今の地位には到底つけなかったであろう。
しかしグレーベンを毛嫌いする現場型の将校たちでさえ、その才幹は認めざるを得ない。
「今次の改訂は多岐にわたります。しかしその大要は、たったの二点であります!」
そうズバリと言い切ってから、若き参謀次長は、流れるように説明を始めた。
「第一点。ファルマリアを早期奪取し、その港湾を使用することによる、補給路の増強。いや、大増強であります」
わざわざ大をつけ、得意げに断言するあたりが、この牡らしいところだ。
が、この件については、高慢に過ぎるとはいえない。
グレーベンが立案し、兵站部に海軍にと巻き込んで、大騒ぎで作り上げた新計画の効果には、机上の数字だけをもっても諸将の目を見張らしめるものがあった。
「第二点。全軍の先鋒のひとつ――」
と、一転して古風な用語で、グレーベンは続けた。先程までと異なり、淡々とした口調になったのは、その変更を主導したのが己ではないからであろう。そういう露骨なところが、この牡にはある。
「――第一軍の最右翼、シルヴァン川の下流渡河点を担当する部隊の変更。かねて計画していた、騎兵第一旅団を核とする増強部隊に替えて、アンファングリア騎兵旅団の単独をもって充てることであります」
そういうと言葉を切って、ディネルースに視線を向けてきた。自然、諸将の視線も彼女を刺すように集中する。
「承った!」
短い宣言を室内に響かせて、ディネルースは注目に報いた。座ったまま、身じろぎもしていない。長々と一席ぶつ必要性も認めない。部隊の実力からして当然のことだと、その態度で明示している。
「うっ……」
促したグレーベンの方が、気圧されたように言葉につまった。ディネルースがオルクセン軍でこそ新参だが、軍歴といい実戦経験といい、若い彼を圧倒していることを、今さら思い出したのかもしれない。
グレーベンを毛嫌いする一部の将軍たちは密かに溜飲を下げ、ディネルースの武人らしさを好感したが、それもまた彼女の知ったことではない。
「……ええ、では、それぞれの細部に移ります。まずはお手元の計画書の、百二十三頁――」
動揺を誤魔化すように計画書に目を落とし、参謀次長は説明を再開した。
「渡河の際の支援として、新たに海軍の………」
「ファルマリア奪取後、補給路の切り替えは………」
簡にして要を得た説明は流れるように進み、やがて終わった。
「では、諸将からのご質問、ご意見を頂きます。まず、計画発動時の第三軍司令官になられる、シュヴェーリン上級大将。お願いします」
「異存なし」
一言で答えてから、シュヴェーリンは一同を振り返って、悪童のような笑みを見せた。老いてなお盛んな闘将として知られているが、茶目っ気もある牡なのだ。
「ないんじゃが、正直なところ、細かい話は、あまり読めておらんのじゃ。近ごろ、ぐっと老眼が進んでなあ」
諸将のうち、かねてシュヴェーリンに親しい何名もが失笑した。これが闘将の手なのだと、そう承知している者たちだ。
老眼は事実でも、読んでいないというのは大嘘だ。
豪放磊落に見せて、シュヴェーリンは大変な勉強家なのだ。重要な文書は一言一句まで読み込む。その上で、わざと大まかなふりをして、部下たちをのびのびと働かせるのである。
今の冗談は、自分より下級の諸将――つまり、この場にいるほぼ全員――に対する配慮だった。
「じゃから、細かい話は、いま勉強させて貰うつもりじゃ。儂が言うのも変じゃが、みんな、どしどし質問してなぁ、少将を困らせてやってくれ」
先程より大きな失笑が湧いた。当て馬に使われたグレーベン自身まで笑って、場の雰囲気はぐっと砕けた。戦場ではまた別の顔があるが、平時のシュヴェーリンはそのような牡として振舞っている。
「では続いて、第二軍司令官になられる、ツィーテン上級大将。お願いします」
「うむ……」
全軍で三名の上級大将、その最後の一頭は、おもむろに立ち上がった。リウマチの持病があるが、一々そのようにするのがツィーテンの律儀さだった。
「儂も、特段の存念はない。第二軍司令官としては」
意味深長な留保に、皆が耳をそばだてる。
「――と、仰いますと。閣下」
「騎兵監として、一つ質問する。第一騎兵旅団には長い歴史がある。デュートネの軽騎兵とも、幾度かまみえている」
と、酷く控えめな表現で、ツィーテンは言った。
八十年前のデュートネ戦争において、人間族の英雄アルベール・デュートネが使った軽騎兵は、オルクセンにとって恐るべき強敵だった。
それを相手どり、散々に悪戦し、大被害を被りながらも戦い抜いた第一騎兵師団は、今もってオーク騎兵の最精鋭。ツィーテンが鍛え上げ、かつて自ら率いもした、愛児といっていい。
それを――と、老騎将は続けた。
「アンファングリアに替える。これはよい。彼女らの力はそれに値すると、この目で確かめた」
ディネルースには、内心でツィーテンに感謝した。新参の旅団について、諸将の懸念を払ってくれようというのだ。
「……加えて、シルヴァン川の対岸は彼女らの故地。闇エルフは夜間行動にも長ける。適材適所、これに過ぎるはない」
そこで言葉を切り、己の言葉を諸将の脳裏に浸透させてから、ツィーテンは続けた。
「儂の懸念は、敵騎兵への対処にある。白エルフ騎兵、特に黄金樹旅団の強さは、かのデュートネの軽騎兵を上回ろう。彼奴らが出てきた時にどう対処するか、あらかじめ聞いておきたい」
グレーベンは冷静な顔で答えた。答えようとした。
「優勢なる我が火力を集中し――」
「そのいとまが、常にあると思えん。彼奴らは疾風のように来たる。彼奴らに当たる可能性が高いのは、まずアンファングリアじゃ。アンダリエル少将のご思案を伺いたい」
グレーベンを軽くあしらい、より新任の少将たるディネルースには丁重に、ツィーテンは機会を与えた。自分はもう「よっこらせ」と腰掛けている。
ディネルースは迷いなく立ち上がった。宿題への回答を、今こそ返す時である。
「お答え致します。黄金樹旅団は、星欧最強の騎兵。我が旅団を含め、我が軍のどの騎兵部隊をもってしても、決して対抗しえぬでありましょう」
堂々たる弱音に、諸将はざわめいた。
「ただし、騎兵としては、です。」
そう制してから、ディネルースは猛々しく微笑んだ。
彼女はスコルの狩人。闇エルフの細腕で、巨狼の族長を仕留めた女だ。ロザリンド会戦では、津波のように押し寄せるオーク軍を翻弄、撃退した。
ツィーテンが示唆したように、答えは最初から、彼女の内にこそあったのだ。
「敵騎兵に対する時、我が旅団を騎兵とは思いません。『乗馬した猟兵』だと心得ます。かのロザリンド会戦で――」
とは、微妙な話題ではある。彼女はその時、オルクセンの敵だった。
「私たち闇エルフは、山肌を駆け、斜面に隠れ、星欧最強のオーク歩兵に――シュヴェーリン閣下を始め、皆々様に対抗しました。弱者の戦法は心得ております。
その経験を生かしたならば、白エルフ騎兵、恐るるに足らず。我らが王の御為、誓って撃滅して御覧にいれる!」
一同から自然な歓声と拍手が湧いた。ツィーテンは満足げに何度も頷いている。
一礼して着席したディネルースは、彼女のアンファングリア旅団が今こそ、オルクセンの軍の一部として認められたのだと思った。
拍手がやや収まってからグレーベンが咳払いを発した。
「ええ、では続いて、他の諸将からもご質問、ご意見を承ります」
さっ――と手を上げたのは、ディネルースである。面食らった顔でグレーベンは手をかざし「アンダリエル少将、どうぞ」と促した。
ディネルースはまた立ち上がった。
「続けて失礼する。我が王の警備態勢について確認したい。我が王は、総軍司令官としてご親征されることになっていますね」
「いかにも、その通りです。しかし――」
グレーベンは幾らか不服げに言った。国王親征はデュートネ戦争時の先例もあり、今回の改訂に関わらない既定事項だ。
「しかし、それはかねて計画されていたこと。総軍司令部は第一軍そのものに守られ、警備は万全です。ああ、アンダリエル少将は、前の計画はご存知ないのかもしれませんが」
木で鼻を括ったような言い様である。ディネルースは穏やかに、しかし断固として反撃した。
「肌の色に関わらず、エルフ族は奇襲の心得がある。狙撃もです。ロザリンドに従軍された方々は、よくご存知と思います」
舐めるな、この若造。
要すれば、そう言われて、グレーベンは棒でも飲んだような顔で言葉を失った。彼はロザリンド会戦はもとより、デュートネ戦争の経験もない。
ディネルースは明瞭な声で続けた。グレーベンにというより、周囲の諸将、特に着座したままのゼーベックに意識を向けている。
「そのような敵、特に小部隊の挺身攻撃には、こちらが大軍ならば万全とも言い難い。
万に一つ、玉体を害されるようなことがあれば、全局においていかに優勢でも、その時点で我らの敗北です」
ゼーベックの長い眉がぴくりと動いたのが分かる。シュヴェーリンは「むう」と唸り声をあげた。ツィーテンも額の皺を深くしている。
ディネルースの暗示は明白だった。グスタフの先代の王、アルブレヒト二世のことを言っている。前王は軍事的天才だったが、ロザリンド会戦で敢えなく戦死した。
前王を守り切れなかった記憶は、三名の上級大将を含め、ロザリンド世代の将軍たちの心に大きな傷跡を残している。
「ええ、少将の言われることは分かりますが、現代の戦争計画において、国家元首の寝首を狙われるとは、何というか、あまりにも――」
否定しようとして、グレーベンは言葉に詰まった。
ゼーベックが立ち上がったからである。
「アンダリエル少将の懸念、もっともじゃと思う」
この種の会議において、ゼーベックが挨拶以外で発言することは異例だった。老参謀総長は続けた。
「考えてみれば、我が軍の作戦がうまくいくほどに、敵が我が王を狙う懸念は増すかもしれん。
儂らは全局の優勢を求めるのみで、敵を追い詰める怖さを忘れていた。死を決すれば、蜂の一刺しが熊を殺すこともあるというのにな」
グレーベンは表情を凍らせ、多くの諸将が唸り声を上げた。ゼーベックは続けた。
「では少将。そのような脅威に、我らは如何に対すべきであろうか」
この牡の度量あればこそ、オルクセン参謀本部は磐石なのだろう――と、ディネルースは感服しつつ、回答した。
「『狼の道は狼に聞け』と言うとか。実はその件、僭越ながら、些かの用意を為してあります」