※この作品はR-18です。

戦争の覚悟   作:自棄ノ原

5 / 7
オルクセン王国史二次創作。
原作2巻、コミック4巻まで読了後推奨。


国王と少将

 その夜、ディネルースはいつものように官邸に泊まった。

 

 グスタフと夕食を共にし、湯を共にし、ともに楽しく過ごした。

 

 まったくいつも通りだった。王が開戦を決断した当日でありながら。王国各地では、電報を受けた全部隊が、それぞれに準備を開始しているはずだというのに。

 

「アンファングリアは大丈夫だ。もう指示は出しているし、参謀達が万事心得ている。実際の動き出しは明日からだ」

 

 と、ディネルースは言っていた。

 

 つまり、今夜が最後だと、そう言っているのだと、グスタフには分かった。

 

 夜が更けるにつれて、ふたりの会話は少なくなっていった。

 

 相談するまでもなく、今夜は酒を飲まず、いつもより早く寝所に入った。

 

 寝台にふたりで腰掛けてからも、しばしの沈黙があった。

 

 沈黙を破ったのはグスタフの方だった。もはや限界だった。耐えることも偽ることも、もうできなかった。

 

「……ディネルース。私は酷い男だ。分かっているんだろう。白銀のことを」

 

 彼の陸軍少将は、微笑すら浮かべながら応じた。

 

「アンファングリアの配置のことか? 名誉の先鋒を任せてくれたな」

 

 グスタフは激昂した。

 

「最初に川を渡る者が、一番狙われるんだ! 後続が来るまでは孤立無援になるんだぞ。もし、もしも気づかれたら、めった打ちにされる。敵に包囲されたら、いくら君だって……」

 

 闇エルフたちに多数の砲弾が降り注ぎ、血飛沫があがり、美しい女達が死体に変わるところが、目に浮かぶようだった。

 

 あのデュートネ戦争で、オルクセン中の村や町の民が、大勢の兵たちがそうなったように。

 

 そしてディネルース・アンダリエルも死ぬ。それが、このところ毎夜のように彼を訪れる悪夢だった。

 

 しかし女は快活に言った。

 

「後続が来るまで橋頭堡を守ってみせるさ。海軍だって支援してくれるんだろう? 山砲より、よほど心強い」

 

 その将軍ぶりが頼もしく、少しの迷いも見せない分だけ、グスタフの惑いは深まっていく。彼はますます声を荒げた。

 

「万が一、敵の騎兵が突撃してきたらどうなる! 混淆したら支援砲撃はできない」

 

「その時は、敵も同じ条件だ。殴り合って倒すまでさ」

 

「騎兵戦に勝算はないと、ツィーテンの奴が……」

 

「あのな、少し落ち着け」

 

 そう言うと、ディネルースは身を乗り出し、牡の顔を自分の胸に抱きしめた。額に口づけ、子供を慰めるように後頭部を撫でる。

 

 しばらくそうしてから、彼の最愛の女は言った。

 

「……落ち着いたか?」

 

「…………」

 

「分かっているだろう。もしも、もしもばかり言ってちゃ、戦はできない。万全の手立てを尽くしはするさ。でも、敵もそうだから、うまくいかない時もある。その時は、仲間を信じて必死に頑張るんだ。そういうものだ」

 

 子供に言い聞かせるように教え終えると、ディネルースはやや身体を離した。至近に見つめ合う格好になる。

 

 しばしの躊躇いを見せた後、褐色肌の女は言った。

 

「貴方が、背負い込んでることはわかる。それだけは、私や他の将軍たちも代わってあげられない。最後の責任は王のものだ。

 

 だからって、自分の安全を疎かにするな。そんなのは責任の取り方じゃない。むしろ逃げだ。それも、分かっているんだろう?」

 

 この上なく的確に言い当てられて、グスタフは微笑を浮かべた。

 

 そして、これだけは黙っていようと思っていたことを告げた。

 

「この戦争は、避けようと思えば避けられるんだ。ただの外交問題で済ませることもできる。それなのに戦争を仕掛けようとしている。エルフィンドを滅ぼす、またとない好機だからだ……」

 

「それでいいじゃないか。望むところだ。王国のためにも必要なことなんだろう?」

 

 グスタフは頷いた。かつてディネルースには明かしたことである。遠い将来、数百年後の未来まで見据えれば、魔種族が生き残るには、それが最善なのだと。

 

 いま戦争をしなければ、エルフィンドを我が物にしなければ。

 

 将来の戦争、おそらく大戦と呼ばれるだろう地獄の戦禍の中で、オルクセン王国は滅びる。魔種族が平和に生きられる、夢のような国は終わる。

 

 だから今、戦争をする。

 

 何万、何十万が死ぬことになろうと、そうする必要がある。

 

 その屍の山の中に、美しい栗色髪の女が横たわっていようともだ。

 

 彼はそう決断して、女を最前線に送り出そうとしている。そうするのが最善の選択だ。軍事的にも政治的にも、である。

 

 先鋒を務め、危険な戦いを引き受けることで、闇エルフ達は新参の亡命種族ではなくなる。

 

 逆に、軍事的には最適であろう危険な任務からアンファングリア旅団を外すことがあれば、他の種族はどう思うか。

 

 少数種族で、かつての敵で、女性だけで構成され、しかもその頭領が王の愛妾に収まっている闇エルフを、対等な仲間として認められるか。

 

 不可能だ。表面的にはともかく、誰もが内心で思う。多数派が少数派に対して、牡が牝に対して、古参が新参者に対して常に抱きたがる優越意識に従って――闇エルフは所詮、王に女を売って居場所を貰った、居候に過ぎないのだと。

 

 他の五つの種族は、地獄のようなデュートネ戦争をともに戦うことで、初めて一つの国民という意識を持てた。真にそこに参加するため、彼女たちは、進んで血の洗礼に向かっていかねばならないのだ。

 

 その先頭に立つ指導者は、いかにも朗らかである。自信に満ちている。

 

 だから彼はなおのこと、その美貌が血に染まり、彼の腕の中で幾度も震えた身体が路傍に横たわる様を、想像せずにいられない。

 

 ディネルースは少し寂しそうに言った。

 

「聞いてくれ。後から思い出さなくていい。ただ、覚えていて欲しいことがある」

 

 闇エルフの目が、常にない輝きを放ち、王の瞳を見つめている。

 

「もしも、私が帰ってこなかったら……」

 

「やめてくれ!」

 

 遮って王は恐れ、戦慄き、拳を握りしめている。目の前のディネルースを懸命に見つめているようであり、また、もう届かないどこか遠くを見ているようでもあった。

 

「そんなことは、考えたくない」

 

 日頃の落ち着きを欠いた王の頭を、ディネルースはまた優しく撫でた。撫でながら、慈しむように言った。

 

「私は考えるよ。軍人だからな。当たり前のことだ。だから聞いてくれ」

 

 闇エルフはオークの滑らかな頬に口づけを与え、ゆっくりと押し倒した。馬乗りになり、王の顔を見下ろしながら、ディネルースは続けた。

 

「もし私が帰ってこなかったら、ずっと操を立てろとは言わないよ。他の誰かを好きになっていい。むしろ、そうしてくれ。そして悲しみを癒して貰え。頼むから」

 

「……君のようなひとが、またといるものか」

 

 彼の喉から出た声は、感情が失せたようだった。

 

 ディネルースは敢えて悪戯めいた、あるいは問い詰めるような声で言った。

 

「当たり前だ! うん? 貴方、いま、警護班のことを考えたか? 顔ぶれを思い浮かべただろう。例えば、誰かなって考えながら……」

 

 思わぬ方向に話を展開されて、王は動揺を見せた。

 

「ち、違う」

 

「本当だろうな?」

 

「誓って本当だ。そんなこと考えてない」

 

「では、顔ぶれくらいは思い浮かべたな?」

 

「…………」

 

 ディネルースは、ふっと息を抜き、透き通るような微笑をみせた。

 

「いいんだよ。それでいいんだ。貴方はどうせ、無理矢理に手を出したりしないだろ? 貴方に愛される女は幸せ者だ。だから、誰でもいいから、誰かには寄り添って貰ってくれ。そうでないと、貴方の中のグスタフである部分まで、魔王になってしまう気がする。ひとりでいたら駄目だ。私のお願いだよ、グスタフ」

 

「ディネルース……」

 

 女はニコリとし、一転して獰猛な狩人の顔になった。

 

「ただし、私に万一があった後に、だけだからな。先に唾をつけたりするなよ。絶対にだ。

 

 私は戦争が終わって生きて帰ったら、詳細な報告を受けるつもりだ。それはもう、根掘り葉掘り。

 

 警護班相手だけじゃない。他の女にでも、貴方に少しでも怪しいそぶりがあったなら……」

 

 さらに一転して、褐色の美貌は満面の笑みを浮かべた。

 

「約束通りだ。切り落としてやるからな」

 

「分かっているよ……!」

 

「ほう。そうかな? じゃあ怖がる必要もないだろう? なんで目を逸らす。ほら、私の目を見て……しっかり焼き付けるんだ。他の女を見るなとは言わんが、女を見る目つきでは見るな。特別警護班が見張ってるの忘れるなよ」

 

 グスタフの背を冷や汗が伝っている。

 

 誰の何を特別に警護しているのか分からぬ話であった。あの精兵たち、恋人に贈られた護衛で、浮気防止のお目付け役でもあるらしい。

 

 それでいて、彼女に万一のことがあった時は、言うなれば後添えの候補にまでしろという。そういえば、あの面々はどこかしらディネルースに似ている者ばかりだった。

 

 まったく己は、何という女を好きになったことか。

 

 女は執拗に言葉を続ける。

 

「いいか? 本当に分かったな? 貴方の一挙手一投足は私の監視下だと思え。万全の態勢だ。本当の本当に……」

 

「分かった、もう分かったから! 誓って、君一筋だ! 豊穣の大地に誓う。初代王の霊廟でも、シルヴァン川でも、何にでも誓うから!」

 

「それは心強い」

 

 ディネルースは更に顔を寄せ、彼に唇を合わせた。しばしあって、薄紙数枚分ほどだけ離れて、彼女は言った。

 

「じゃあ、刻み込んでくれ。私に。しばらく会えなくても、我慢できるように。今夜はずっと見ていて欲しい。私もそうしていたい」

 

 グスタフは、ディネルースが口に出さなかった言葉を、確かに心で聞いた。

 

――そして、忘れないで欲しい。私がいなくなっても。貴方の心の、ほんの片隅でいいから、できるだけ長く、私を住まわせていて欲しい。

 

 女は自ら素肌になり、牡の衣服を次々と取り去っていく。その作業の間にも、その瞳から、表情から、室内光に晒された瑞々しい全身から、グスタフは彼女の声をはっきりと聞いた。

 

――そうしてくれたら私は、安心して、どんな死地にでも行ける。そして、必ず勝ってみせるから。

 

 彼は頷いた。戦争を覚悟するために、女が望んでいることを始めようと思った。

 

 戦争を始める自分を受け入れるために、彼自身も、別れの儀式を必要としていた。

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