※この作品はR-18です。

戦争の覚悟   作:自棄ノ原

7 / 7
オルクセン王国史二次創作。
原作2巻、コミック4巻まで読了後推奨。


長い戦いの始まり

 長い夜が明けた朝――グスタフはそっと寝台を抜け出すと、執務室の引き出しから小さな箱を取り出した。

 

 ディネルースが目覚め、その意識がはっきりしてから、その箱を女に贈った。

 

 指輪ではない。宝石でもない。

 

 まだ珍しい発明品、腕時計である。

 

 能う限りに小さく作った時計に革ベルトをつけ、懐中にいれるのではなく、手首に巻けるようにしたものだ。

 

 実用品を好む女は喜んだ。また、瞬時にその意義を理解した。

 

「これはいいな……! 騎兵には最高の品だ。馬に乗りながら使えるとはな。指揮をとるにも突撃するにも、役に立ちそうだ。ありがとう、グスタフ!」

 

 その言葉選びが、つまり「貴方の気持ちは分かっているよ」ということだった。

 

 そのような品をはなむけに渡すということが、自分の女が「最前線で戦うことを止めない」と、彼が覚悟した証だった。

 

 それから、ディネルースは目が回るほど忙しい数日間を送った。

 

 何せ、彼女の旗下には八千余もの兵と、その馬がいる。首都近郊から国境地帯へと、無事に移動させるだけでも大仕事だ。

 

 かねて計画してあるとはいっても、言うは易し、行うは難しである。綿密な計画を立てたときには想像もしなかったほど、細かく、下らない、しかし疎かにはできない小問題が数限りなく生じた。それらの処理に忙殺されて、ディネルースは鉄道乗車の当日を迎えた。

 

 彼女自身の身支度は、簡単なものである。なにせ狩人は、軽捷機敏が信条なのだ。その限られた荷物の中に、これまでグスタフから贈られたものが全て入っている。

 

 野戦望遠鏡。故郷の味に近いものを探してくれた火酒。香油に石鹸。手首には、もちろん腕時計を巻いている。

 

 こうして支度してみると、彼からの贈り物は何もかも戦陣の合間に使えるものばかりだった。牡の思慮深さに感心して、その思いやりに包まれるような気がした。

 

――ずっと、そばにいるんだ。離れていても。

 

 心と身体の深いところに温もりを感じつつ、ようやく作れた短い時間を使って、彼女は官邸に赴いた。

 

 グスタフの姿は執務室になく、図書館のような私室に寛いで、楽しげに本を読んでいた。

 

「おお、ディネルース。来たな。今から出発か?」

 

 彼はふだんと同じ様子だった。やあ、野遊びに行くのかい、とでも言うようだ。

 

 ディネルースの心に、沸々と喜びが湧いた。

 

 彼女の牡は、もう泣いてはいない。もう、恐れも迷いもしていない。

 

 彼は覚悟を決めたのだ。彼女がそうであるように。

 

「……どうした?」

 

「いや、なに――」

 

 ふたりして涙を流し、互いに縋り付いて愛し合い、身も心も情炎で燃やし尽くした時間のことを、すっかり忘れたような呑気顔ではないか。

 

 その図太さがおかしくて、ディネルースは笑い出した。

 

「大いに結構……! 事態ここに至るも我が王が普段と変わらぬとは、臣下として、これほど頼もしいことはない、と――そう思えてな」

 

 あくまで臣下としては、だ。

 

 彼の女としては、今からでも牡をからかい、いじめてやりたい。なんとも可愛い、彼女だけのグスタフ・ファルケンハインを。

 

 その後、グスタフは彼女に本を一冊、貸してくれた。

 

「読み終わったら、棚に返しておいてくれ。いいな?」

 

 牡は言葉ではそう言った。もちろん彼の声は、ディネルースに届いている。

 

 帰ってきておくれ。もしも、私がここにいなくても――そう言っていた。

 

「そうか。わかった。ありがたく」

 

 それだけを言って別れた。それ以上のやりとりは、数日前の夜に全て済ませていたから。

 

 それでも牡は、彼女の声を聞いたであろう。

 

――分かったよ。魂だけじゃ、本は持ち帰れないものね。

 

 

 

 ディネルースは兵を率い、まずは鉄道に乗った。

 

 国王自身が密かに官邸を脱し、特別警護班とともに出発するのは、明日になる予定だ。

 

 ふたりは離れ離れになった。片や、全軍を率いる国王として。片や、その先鋒の将軍として。

 

 彼女らの戦争が始まろうとしている。

 

 所定の位置で降車してからは徒歩と馬での移動になる予定だが、それまでが長い。

 

 何十両もに分乗した八千余名が、車窓の外を流れる景色を眺めながら、ひたすら暇を潰している。

 

 兵たちは三等車両や露天の貨車に押し込まれ、尻の痛さに耐えているだろう。

 

 ディネルースら旅団司令部を始めとする将校たちは、さすがに一等車だ。

 

 四人がけのコンパートメントに座っている。ディネルースの隣には参謀長のイアヴァスリル。対面には作戦参謀のラエルノアと、兵站参謀のリアだ。

 

 ラエルノアは、列車が出発して程なくからウトウトと揺れ始めた。イアヴァスリルはその膝に毛布をかけてやり、微笑ましげに見守っている。

 

 兵站参謀のリア・エフィルディスは、揺れる車内でひたすら帳面をめくっている。補給に休養にと、細々とした数字を一手に預かる彼女は、今後の予定を幾度も確認しているようだった。

 

 長い移動になるから、今から根をつめる必要もなかろうに――と思いながら、見守る。そのようなリアは、ひたすら職務熱心な参謀将校に見える。

 

 しかし、見つめるディネルースには、旅団長としての思案とは別に、複雑な気持ちがある。この女、仕事は正確なくせに……と、密かに逆恨みしているのだ。

 

――まったく、こいつめ……あんなことを私に吹き込むとは。オークや人間の貴婦人は、みんなそうするらしいです、なんて。自分では、経験なんて無いくせに。

 

 冗談まじりの文句でも言って、仕事を邪魔してやろうかと悪戯心を起こしかけ、危ういところで気がついた。

 

――駄目だ、駄目だ。文句なんて言おうものなら……。

 

 諦めて、彼女はリアから目を逸らし、溜息をひとつついた。

 

 やむを得ないのである。参謀が意見した作戦でも、それを実施した結果の責任は、指揮官のみにある。軍隊の常識だ。

 

「……旅団長?」

 

 兵站参謀は、心配そうに彼女の顔を窺った。旅団長は何を案じているのかと。

 

「もしかして」

 

 真面目な参謀は、猫のような丸い目を煌めかせ、そっと尋ねてきた。

 

「……試しました?」

 

 ディネルースの顔からさっと血の気が引いた。

 

「っ、きゃーあ!」

 

 胸の前で手を組み、嬌声をあげはじめた。帳面はもう閉じている。

 

「どどど、どうでした!? どんなでした!? ノア、起きて起きてっ。参謀長どのっ、重大な報告がありまーすっ!」

 

 参謀たちの視線がディネルースに殺到する。

 

 目覚めた作戦参謀は一瞬で事態を把握し、獲物を見るような目を向けている。

 

 無二の腹心と頼む参謀長は、頬を赤らめた伏せ目がちながら、一言も聞き逃すまいと身構えている。

 

 戦力比は、既に一対三である。あまりの劣勢に、ディネルースはぞっとした。

 

――こ、孤立無援……!

 

 そればかりではない。

 

 きゃあきゃあと繰り返すリアの嬌声を聞いて、他の席にいた将校たちまで、なんだなんだと寄ってきた。

 

 察しの良い連隊長たちは、早くも顔をニヤつかせているようだ。きっと突撃してくるだろう。

 

――か、完全に包囲されている……!

 

 彼女を案じていたグスタフの声が蘇る。

 

<最初に川を渡る者が、一番狙われるんだ>

 

<もしも気づかれたら、めった打ちにされる……>

 

 確かに、その通りだよ、グスタフ。貴方やっぱり、軍事の才能もあるんじゃないか?

 

 どこにも退路はない。

 

 しかし、まだ、たっぷり半日は汽車の旅である。

 

 長い戦いになるだろう。

 

 戦争には勝って帰るつもりだが、この戦いには負けそうだと、彼女は早々に覚悟した。

 

 

(おわり)

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
点
※参考:評価数の上限
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。